偽りの勇者

鷲野ユキ

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第三章

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想像以上にそれはよく燃えていた。
だから慌てて逃げた。熱かった。自分も燃えてしまうのかと思うくらいに。
襲ってくる炎が怖くて必死に逃げた。誰かに助けを求めなければ。そう思った。
じゃないと僕まで死んでしまう。僕は死にたくない、あんなふうになりたくない。
助けて、助けてください。僕たちなにも悪いことなんかしてないんです。
なのになんでこんな目に遭わなければならないの?
もつれる足を必死に動かし、一番近い家に転がり込んだ。
おばあちゃん、助けて。
僕たちの家が燃えてるの、お母さんとお父さんも一緒に燃えてしまってるの。
水を、水をかけなくっちゃ。よく遊びに来ていたおばあちゃんの家。
このおうちのことはよく知っている。こっそり秘密基地みたいな屋根裏があることも、崩れかけた納屋の中に、青いポリバケツがあることも、その脇になぜだか水道栓があることも。
お母さんとお父さんにはこの家に行っちゃいけない、と言われていたけれど、ここのおばあちゃんはとっても優しいんだ。このおうちのおじさんは確かにちょっと変だけど、でも別に僕らには何もしてこないんだよ。
ただちょっと、僕たちのお母さんのことが好きみたい。お母さん、美人で優しいもの。
早く火を消さなければ。早くお母さんとお父さんを助けないと。
そう思って僕は必死に水道の蛇口をまわそうとするけれど、なんだか手が滑ってしまってうまくいかない。なんだろう、ぬるぬるして気持ち悪い。早く水を出してこのぬるぬるも洗い去ってしまいたいのに。
ようやく水が出てきた。僕は手にしたバケツでそれを受け止める。ごぽごぽ。なんだかひどく暗い水。
覗けば星空が映っていた。あれおかしいな、もうこんな時間?そんな、早くお母さんとお父さんを助けなくっちゃいけないのに。
僕は重みの増したバケツを持って、あわてて駆けて行こうとする。どこに?そんなの決まってる、火を消しに行くんだ。
「もう遅いよ」
その足を止めるものがいる。黒の長い髪を一つにまとめた、お母さんそっくりの女の子。
暗い空の下、向こうで燃えているオレンジ色の炎にうっすら照らされ、ひどく険しい顔つきをした女の子。その子が僕の方を睨んでいる。
「もうみんな死んじゃったんだ、もう死んでるんだ」
「でも」
「こんなふうになっても、まだ人間が生きていられると思う?」
そう言うと、その女の子の背が急に伸びた気がした。
髪の毛もみるみる短くなって、あっ、あれは姉だ。茜姉だ。つい最近の姉の姿。なんだやっぱり彼女は生きてたんだ、良かった。
「茜姉……」
俺は思わず彼女に手を伸ばした。お願い、俺を置いていかないで。ねえ。
けれど遅かった。俺の手が届く前に、彼女の身体が、まるで瓦解するビルディングのように崩壊し始めた。嫌な音がする。ミシリと骨の砕ける音。
右腕が落ちた。ゴトリ。重いものが落ちる音。左足が折れる。バキリ。支えを失い胴がドスンと地面に落ちる。赤が火山流のように流れ出る。そして頭が。頭がごろりと俺の足もとに転がってきた。睨みつけるその瞳。
やめて、そんな目で見ないで。俺は慌ててその場を逃げ出した。手には水をたたえたバケツを握って。とにかく早く火を消さなくちゃ。
けれどあんまりめちゃくちゃに走ったものだから、中の水はほとんどなくなってしまっていた。
ああ、これじゃあだめじゃないか。がっかりしてバケツの中を覗き込む。その中には、ああ、なんで、こんな。
人間の、ひじから指先までの部分だけ。それがバケツのなかに入っていた。
これは誰の腕だ?誰の……母親か?父親か?それとも姉か。いや、例の事件の被害者か?
『……昨晩、相模川の河川敷で、近隣住民が切断された人間の身体の一部と思われるものを発見……』昔に見たニュースがリフレインする。この哀れな被害者は、高校二年生の木村聖。
さとしくん、さとしくん。
どんな表情をしているのだろう。なんだかひどく粘ついた声だった。
さとしくん、おれじゃあない、おれじゃない。
おじさん以外に誰がいるんだよ、お前がやったんだろう?あんなひどいことを。
ちがう、おれじゃあ――。
だって僕らは何もしていないんだ!おじさん以外、ありえないじゃないか。
なんだって僕ばっかりこんな目に遭わなければならないの?なんで……。

だから嫌だった。眠りたくなどなかった。
ひどくうなされていたようだ、全身がしっとりと汗で濡れており不愉快だった。
いろいろあって大変だな。とにかくほら、拭けよ。懐かしい友人の声が聞こえた気がした。
渡されたハンカチは今もこの手にある。なんだって俺のじゃないだなんて河野は嘘を吐いたのだろう。
ベッドの脇に置いたそのハンカチをつかみ、とにかく額の汗をぬぐった。今何時だろう。思わずスマホを探そうとして、すぐにそれが無駄なことを悟った。そういえばケータイ、返しちゃったんだ、あの刑事さんに。
暗闇に慣れた目が壁に掛けられた時計を認識した。時計の針は1を指していた。
ああ、今は夜中の1時だ。なんだ、まだそんな時間なのか。
けれど寝始めたのが変な時間だったから、こんな半端な時間に目を覚ましてしまったのかもしれない。まさしく時差ボケ。海外、いつか行ける日が来るのだろうか。
俺、どんな夢見てたっけ。変な夢を見たら報告しますねって刑事さんに約束したのに。思い出そうとしたけれど、どうにも俺の心は乗り気ではないようで、とにかく警告ばかり告げてくる。
赤い色。危険、注意、近づくな。
その赤ばかりが脳内で点滅する。
ああ俺は何を見たのだろう。夢なんて、もともと存在しない架空の記憶なんじゃないのか?それを、潜在意識だなんて大層な名前を付けちゃって。
なんだか姉がいた気がする。まあ当然だろう。ここ最近の一番ショッキングな出来事だ。
なぜ姉が殺されなければならなかったのだろう。それに、自分に良く似た名前の高校生も。
この二人が〈自称勇者〉に殺されたかもしれないだなんて。なぜ?
流れる赤をかき分けて夢を反芻しようと試みれば、あの声が無音の病室に響いた。
きむらさとしくん。ろれつの回らない、あの独特な声。
さとしくん、おれじゃあない、おれじゃないんだぁ。
ああ。本当は、俺が狙われていたのではないか?
慧はその推論に行き当り、思わず自分の身体を抱きしめた。
だって、あまりにも一緒じゃないか。年も一緒で、名前も。
そうかアイツが――。アイツが〈自称勇者〉なら納得がいく。
アイツは、俺と茜姉を狙っていたんだ。
なんで?そんなの決まってる、復讐だ。自分をこんな目に遭わせた復讐をするために。
悪いのはアイツなのに!アイツが俺らの親を殺したんじゃないか。身体を抱きしめる手に力が入った。二の腕が痛い。ほら大丈夫、俺は今ちゃんと起きている。これは夢じゃない。
だって俺らは確かに見たんだ。アイツが母親と父親を殺して、バラバラにしたところを。火を放ったところを。
全部見ていたんだ。それで言い逃れができるとでも?
それでも自分はやっていないだと?
そんなこと、あってたまるもんか。
けれどそれならすべて辻褄が合う。〈自称勇者〉による木村聖の殺害。
ああ、あわれな被害者はきっと、俺の身代わりになってしまったんだ。そして、姉の殺害。
アイツは自分が悪いことをしてるなんて、これっぽっちも思っていないんだ。悪いのは自分をこんな目に遭わせた木村姉弟のほうだ、そう思っているに違いない。
だから自分のことを〈勇者〉だなんて平気でほら吹く。そして俺も騙されてしまった。だってアイツがレイプ犯を、あの魔物を倒すところを見てしまったから。
あたかも〈勇者〉は正しいんだって、思い込まされてしまったんだ。
このことを早く刑事さんに伝えなきゃ。だってあいつは、俺になんと言った?
姉の殺される前のあの公園で、悪人を倒した勇者様は、俺のことを知っていると、また会おうと言っていたではないか。
きっと彼は気づいたのだ。木村聖は、自分の探していた木村慧とは別人だということを。
そして木村慧は今、村上慧としてまだ生きていることを。
恐らくアイツは、俺のことを狙ってくるに違いない。ああ、嫌だ、逃げなきゃ。
俺は死にたくない、あんなふうになりたくない!
すっかり眼が冴えてしまっていた。このまま穏やかな眠りにつける自信もなかった。
まだアイツ、死刑執行されていなかったのか?頭の中をめぐるのは、そんなことばかりだった。
だから逃げ出して、新たな犯行に手を染めだしたんだ。何のための裁判だったんだ。
あんな奴、早く殺してしまえばよかったのに。
なぜ死刑判決を言い渡された人間を、ダラダラと生かしておくのだろう、この国は。
アイツこそ、アイツ自身がそうしたように、裁判なんて関係なくって殺してしまえばいいんだ。そのほうが手っ取り早いじゃないか。下手にそこで逃がしてしまったから、またこんな犯罪が起きてしまったのだ。
今にも、この暗闇の中からアイツが――自分のことを勇者などと言っている殺人者が現れるのではないかと、慧は怯えながら夜を過ごした。

              *

翌朝、聡子が病室を訪れるやいなや、彼はこう口を開いた。
「刑事さん、俺の両親が殺された事件の犯人、どうなりましたっけ?」
いきなりの質問に聡子は少々面喰ってしまった。なぜそんな過去の話を?
そもそも今の事件だけでもつらいだろうに、なぜそんな過去のことを掘り返しているのだろう。今回の件に何か関係があるとでも?
「どうしたの?急に。それになんだか、ひどく疲れてるように見えるわ」
事実彼はひどく憔悴しているようだった。また眠れなかったのかしら。それとも、何かを夢に見たのか。今まで見てきた平穏な日常の夢と打って変わって、残酷でリアルな潜在意識の見せる夢を。
「〈自称勇者〉の正体がわかったんです、俺」
「え?なんて」
「なんで姉を殺したのが勇者だなんて思ったのか。確かに俺は勇者が悪者を倒すところを見た。確かにあの時は正義の執行者だった。けれどそれは見せかけだ、俺にそう思わせるための。アイツは単に復讐しに来たんだ。いや、それだってただの逆恨みなのに、だって俺も茜姉も悪くない」
「慧くん、落ち着いて。ゆっくり、落ち着いて。詳しく聞かせて頂戴。ああ、いま温かい飲み物を持ってくる。少し気分を沈めたほうがいいわ」
「そんなことしてる余裕なんてないんです。だってアイツは、きっと俺を狙ってくる」
「慧くんを?」
「はい、あのバラバラで見つかった被害者……木村聖は多分、俺と間違えて殺されたんだと思う」
「間違える?なんでそんなこと」
「俺の前の名前、木村っていうんです」
旧姓木村姉弟。そういえば部長もそう言ってたわ。けれどあなたは慧でしょう?聖君じゃないし、札付きの不良でもない。
「俺の旧姓を知ってる人間なんて、ひどく限られる。だって茜姉が、まわりにばれないよういろいろやってたみたいだから」
それほど福島での過去の事件を切り離したかったのだろう。聡子はうなずいて話を促す。
「俺たちのことを知っているのは、顔も覚えていない遠い親戚と、あとは、あの事件――俺の親が殺された事件の犯人」
おじさんは、名前をなんと言ったのだろう。事件が起こってからは犯人としか呼ばなかった。憎き犯罪者。死刑囚。
「じゃあ、その過去の、あなたのご両親が亡くなられた事件の犯人が、今度はお姉さんを殺して、しかもあなたと間違えてほかの人を殺しちゃったってこと?」
「はい、それなら姉が狙われてもおかしくない。もし不倫相手に動機があったとしても証拠がいまだ見つからないのなら、犯人はたぶんこいつだ」
「そんなバカなこと――、だってあの事件の犯人は死刑が宣告されてたでしょう?」
「それは本当に執行されたんですか?」
「それは……確認してみないとわからない。けれど、仮にまだ生きていたとしても、刑務所から逃げ出してきたとでもいうの?そんなことがあったら、すごいニュースになってるはずよ」
死刑囚の脱獄なんて、海外のとんでもニュースで見るくらいだ。なに、この犯人は長い月日をかけて、こっそりスプーンで地下に穴でも掘って逃げたっていうの?そんな非現実的なこと。
「そうか、そう……ですよね」少し腑に落ちない様子ながら、彼はうなずいた。
「けれど刑事さん、この犯人がちゃんと死刑を受けたかは知っておきたいんです」
「わかったわ、じゃあ明日にでも――」
「明日じゃダメなんです、早く。じゃないと俺、ほんとに頭がおかしくなっちゃう。俺、普通なのに、こんな変なことばっかペラペラしゃべって。これじゃアイツと同じだ、だから早くもうアイツはこの世にいないって証明してもらえないと、もう恐怖で狂いそうだ。だってほら、アイツは俺を狙ってるんだ、きっとここに俺がいることだってもう知ってるんだ。だって〈真の勇者〉は予知能力があるって、田中や水野が言ってたんだ」
まるで事前に事件を察知してるみたい。そう彼らは言っていたではないか。確かにあのおじさんは、母の行く先行く先に現れた。まるで知っていたかのように。母がどこに行くのかを。
「慧くん、落ち着いて。今、先生を呼ぶから」
「先生?何の?俺は病気なんかじゃない、まともなんだ。ねえ刑事さん、なんで俺が狙われなくちゃいけないんでしょう。俺が何したっていうんですか」
このままじゃまずい。聡子はそう思った。せっかく順調だったのに、無理をさせてしまった。不必要に過去の傷を抉りかえしてしまった。
聡子はコートのポケットからケータイを取り出すと、そこが病室であることなどかまわず電話を掛けた。
「佐々木くん?ごめんね、緊急事態!過去の村上姉弟の事件の書類、ああ前に部長が持ってきてくれたやつ、ええ、私のデスクの左上の引き出しに入ってる。それとエチゾラムもらってきて。水も。そう、西棟3階」
電話を終えると聡子は慧に向き合った。
「わかったわ、今お願いして、前の事件の資料を持ってこさせてるから。公の資料を実際見たほうが信用できるでしょう?」
「そうですか、そうしてもらえると助かります」
しばらくして佐々木が部屋に駆け込んできた。はあはあと息を切らし、その息遣いは静かな病室に良く響いた。
「はあ、はあ、これ、資料」
「ごめんね、ありがとう佐々木くん」
「ありがとうございます、佐々木刑事」
「は?ああ、いえ、どういたしまして。あとこれ、薬も」
「悪かったわね」
聡子は佐々木から渡された資料をパラパラとめくった。全部渡すのはよくないだろう。必要以上に思い出してしまう可能性がある。
今までむりやり他の記憶で塗り固めてきたその記憶。カチカチになったかさぶたを無理に引きはがしたら、健康な皮膚の部分まで傷つけて血が出てきてしまう。
「ああ、これ。この人ね。田嶋吾郎、事件当時43歳」
「たじま……ごろう」
ああそうだ、たじまのおばあちゃん。おばあちゃんはやさしかった。少し足が不自由で、いつもびっこを引きながらゆっくり歩いていた。
そんなおばあちゃんを、あのちょっと舌っ足らずなおじさんは――田嶋吾郎は、その手を引いてよく散歩していた。
あれ、おかしいな、なんでアイツは俺の親を殺すようなことをしたんだろう。
おじさんはちょっと変だけど、べつに何もしてこないよ。
そう言う誰かの、まだあどけなさの残る声が響く。
「彼が起訴されて、刑が確定したのはその3年後。それから彼は仙台留置支所に収容され、今から2年前、刑が執行されている」
パラパラとめくった紙束に目を滑らせ、聡子が良く通る声で読み上げた。
「……ということは、もう死んでるんですね、この人」
「ええ、もちろん。この人が逃げ出したなんてことは起こっていない。あの事件の犯人は仙台で死んでしまった。それだけよ。大丈夫、あなたに復讐しに来たりなんてしない」
「ああ、じゃあ……」
大丈夫ですね、彼はそう続けようとした。けれど喉が張り付いたかのように声が出ない。しかたなしに彼は無言でうなずいた。
そうだ、そんなバカなことあるもんか。アイツはちゃんと死んだんだ。その罪を償って。
その死んだはずの亡霊がさらに罪に手を染めて殺戮を繰り返してるだなんて、B級ホラーもいいところだ。
「どう、少しは落ち着いた?」
視線は資料に落としたまま、聡子が気遣いの声をかけてきた。
ああ、俺は大丈夫です刑事さん。バカなこといってすみません。だからそんな、あきらめたような態度で僕に話しかけないで。僕は大丈夫、でも何も覚えてなくて、役に立てなくってごめんなさい。
「え、ええ」
ああ俺はまた白昼夢を見ているのか。今のは誰だ?
「けれど慧くんの推理はあながち間違っていないかもしれない。木村慧と木村聖。良く似た名前、同じ年頃、同じ市内、同じような殺され方。彼は間違えて殺されてしまったのかもしれない。可能性はないとは言いきれない。この二人が繋がれば、〈自称勇者〉は福島での過去の事件の関係者ってことになる」
資料をめくるのに必死な聡子は、そんな慧の姿に気がつかなかった。
「けど設楽さん、関係者ったって」同じく気が付かない佐々木が聡子に問いかける。
「ほらここ。ここを見て。田嶋吾郎には10歳年の離れた弟がいるって」
「弟?」
「ほらここ」
そう言って彼女は佐々木にそのページを引き抜いて手渡した。
「田嶋……修一?」
「そう。事件当32歳。家を早々に出て、こっちで就職して、結婚して子どももいたみたい」
「でもなら事件になんて関係ないんじゃ」
「被害者遺族の彼でさえ、好き勝手世間に言われてしまうのよ?まして加害者の家族。彼はどんな目にあったと思う?」
「それは……」
「彼らの父親はすでに他界していた。残された母親も事件のショックで亡くなってしまった。当然、彼が容疑者――田嶋吾郎の家族として、兄の面倒を見なければならなくなる」
「大変だったでしょうね」
「大変だけで済んでいればいいけれど。もし済んでいなかったら」
「例えば?」
「死刑囚の弟というだけで、もしかしたら会社をクビになってしまうかもしれない。伯父が死刑囚というだけで、子どもは学校でいじめにあってしまうかもしれない」
「けれどそれだって憶測じゃないですか。木村聖と村上茜殺害時の、修一のアリバイの確認でもとれないと」
「もちろん、本部に捜査するよう進言してみる。でもそれならすべてが繋がるのよ。なぜ犯人は自分のことを勇者などと名乗ったのか、なぜわざわざバラバラにしたのか」
「はあ、なんでですか?」
「わかんない?田嶋修一は自分のことを被害者だと思ってるのよ。もしかしたら、兄はあんな犯罪など起こしてないとも言うかもしれないわ。兄が捕まったのは、すべてあの姉弟の証言によるものだけだ、もしかしたらあいつらが嘘をついているのかもしれない」
「ええ?慧くんらに嘘をつく理由なんてないじゃないですか」
なあ、と同意を求めるように佐々木が慧に向かって声をかけた。
ええ、そうです。そう言おうとしたが、やはりなんだかひどく喉の奥が粘っこくて声が出ない。
ああ、こんなことならお茶でももらっておけばよかった。だから軽くうなずいて同意するのに留めておいた。そうです刑事さん、アイツは俺から大切な両親を奪った魔物のようなやつなんです。
「それこそ逆恨みね。けれど加害者遺族が世間から受ける仕打ちは想像を絶すると思う。そう思わなければやっていられないほどだったのかもしれない」
「それはあるかもしれませんが」
「わざわざバラバラにしたのは、過去の事件を思い出させるため」
「誰にです?」
「世間と、木村姉弟に。いや、本当に木村聖は間違って殺されたのかしら」
「そう言ったのは設楽さんですけど」
「もしかしたら、追い詰めようと思ったのかもしれない」
「だから、誰をです?」
「慧くん、あなたを」
「……俺を?」彼はねとついた唇を無理やり開いた。
「ええ、まさしく今あなたは追い詰められて、混乱してしまっている。これだって〈自称勇者〉の策略なのかもしれない。だってそうでしょう?公園であなたと〈自称勇者〉が出会ったなら、あのときあなたは殺されてなければおかしいわ。だって向こうはあなたのことを知っていたのだから」
そうだ、あのとき確かに勇者は、俺を知っているといっていた。そしてまた会おうとも。
なぜすぐに殺さなかった?なぜわざわざ先に姉を殺した?なぜわざわざ、身元の判明に繋がる部位を目立つところに捨てて、警察に連絡までしたんだ?なぜ自分を〈勇者〉などと―――。
『俺はお前を知っている』
何を……何を知っているっていうんだ、お前が俺の、何を。
「でもなんだってそこまでして弟くんを追い詰めなくっちゃならないんですか?お姉さんと弟くんに対する恨みは同じでしょう?なんだって慧くんばかりそんな目に」
そうだ、俺は、俺はなにもしていない。なのになんで俺ばっかりこんな目に遭わなければならないの?
「そこまではわからないわよ。けれどとりあえずは田嶋修一を探しださないと」
「そりゃまあそうですね。全部憶測でしかないんだし。ああそうだ、設楽さん聞きました?」
そこで佐々木が意味ありげに切り出した。
「あの不倫相手のおっさんの方、事件発生時の朝八時頃、他の愛人宅に顔出してたそうじゃないですか」
「家を出て、それから愛人宅に?」
「ええ、周囲の目撃情報と、その愛人が一緒にいたことを証言したそうで」
「はぁ……朝っぱらから元気なのね」
「なんかぞろぞろいたらしいですよ、不倫相手。さすがに世間体が悪くて黙ってたらしいんですが、殺人犯にされちゃたまらんってついに吐いたらしいです」
「じゃあ犯人は田嶋修一に決まりよ。だって慧くんがこんなことをする理由がない」
『こんな子どもが親を殺して、あげくバラバラにするはずなんてないだろう!』
聡子の声が、誰かの声に重なった。
そうだよ俺がこんなことするはずないじゃあないか。
「だから安心して、慧くん。あなたが怯える必要はない。それに、勇者を名乗るような人間でも、さすがにここまでやってこないわよ。ここは病院よ?」
「そうだよ、ちょっと神経が高ぶってるんだ。君は大丈夫。そう、これを飲むといい」
そう言って佐々木が白い錠剤を手渡してきた。
「これは?」
「少しは心が落ち着くと思う。眠れてないんだろ?」
「だって、寝ると、怖い夢を見るから」
「その薬には、抗うつ効果がある」
「うつ病なんて、俺そんな病気じゃありません」
「からだが風邪を引くのと同じで、心だって調子を崩すときがあるのよ。風邪薬を飲むつもりで飲めばいいわ」
「そうですか……」
とにかく喉は乾いていた。薬なんてどうでもよかったけれど、水を飲みたかった。水を、水を。
彼は大人しくその錠剤とペットボトルに入った水を口にした。冷たい水。ああ、この水があれば消せたのに。お母さんとお父さんを助けられたのかもしれないのに。
もう遅いよ。あの声が聞こえた気がした。
「寝るには変な時間だけど、眠れてないなら寝たほうがいいわ。その薬には催眠効果もあるから」
「でも、また怖い夢を見るかもしれない。あいつが……」
「大丈夫、犯人はここまでやってこないから」
「でも、姉は殺されてしまった」
「大丈夫」
大丈夫?何が大丈夫だというのだろう。
犯人は田嶋のおじさんの弟だなんて刑事さんは言っているけれど。
おじさんに弟がいたなんて初めて知った。なぜそいつが俺たちを狙うんだ。
違う、勇者を名乗ってるのはアイツに違いないのに。未来を予知できる〈真の勇者〉。
そう、あのおじさんは、変わっていた。いつも母親が行く先行き先に現れて、まるで未来を知っているかのように―――。
不意に眠気が襲ってきた。これが薬の効果なのか?
違うんだ刑事さん。犯人はアイツに違いないのに。知らない弟なんかじゃない。
なのに、ああひどく眠い。口が開かない。伝えなければならないのに。
いや、もしかしたらこの刑事だってグルなのかもしれない。アイツの報復に加担してるんじゃないのか?そうだ、警視庁勇者課の勇者様の仕事を、同じ警察の彼らが暴こうとする方がおかしいじゃないか。
アイツが死刑執行されて死んだだなんて。そんなの本当なのか?誰が死体を確認したんだ?全部これらは資料の中の出来事じゃないか。真実は?おかしい。みんなして俺を追いつめようとしているんじゃないか。なんだって俺ばかりこんな目に。
この刑事を無条件に信用してはいけなかったのではないか。正義の味方。正義の執行者。
けれど勇者の正体は偽物だった。この刑事だって本物だって言う証拠がどこにある?警察手帳すら俺は見てないのに。なぜ刑事だなどと。
そこで意識を手放してしまった。不安と不信感を抱いたまま。
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