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第三章
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「まるで本物の刑事みたいじゃないですか設楽さん」
無事眠りに落ちた慧を見届けて、彼らはそのまま研究棟へと足を向ける。称賛とも皮肉とも取れるその言葉を受けて、聡子は「ずっと刑事さん、刑事さんって呼ばれてたから、その気になっちゃったのかもしれないわ」と返した。
「でも確かに。佐々木刑事、なんて。ちょっとかっこよくないですか?俺」
刑事かあ。確かに子どもの頃はドラマの刑事に憧れてたんですよねぇ。佐々木はまんざらでなさそうだ。
確かに犯人推理だなんて、いつもの自分からはかけ離れている。私の役割はこんなんじゃないのに、なんだかついその気になってしまって。犯人は田嶋修一。けれどそうとしか思えない。この私の推理を、本部がはたして聞き入れてくれるだろうか。
「まあとにかく早いとこ犯人が捕まってくれれば、無事俺たちもこの件から降りられますしね」
そうだ、そうすれば私は彼を自由にしてあげられる。自由?そうよ自由じゃない。彼は被害者。世間から後ろ指を指されることなんてないのだから。
けれどそこからどうしていくのだろう、一人で。
一人で生きていけるほど、彼は正常に戻れるのかしら。いえ、戻せるのだろうか、私は。
いいえ、そこまでの責任なんて私にはない。あの子と私は赤の他人。
下手に刑事だの、叔母だの関係ない役割を自分に課してしまったから、なんだか他人事で済まされないような気がして。
この先は警察の、本物の刑事の役割だ。少なくとも、彼の錯乱の原因を特定できたのだ。自分に与えられた役割は十二分に果たしているはず。あとは田嶋修一を洗い出して、それがヒットすればすべて終わりだ。
彼には、ゆっくり時間をかけて回復してもらう。それしかないだろう。
品川が帰ってきた。今日はいつものワンちゃんはいなかった。
「お疲れ様です、部長。あれ今日はあの犬は?」
「ああ、一旦容疑者んとこに返してきた」
「えっ、返しちゃっていいんですか?」あんなにかわいがっていたのに。驚いた様子で佐々木が問う。
「タダでは返さんよ。特別に病室にペット持ち込み可にしてもらって、監視カメラをつけさせてもらった」
「監視カメラとは……ずいぶん強引な手段に出ましたね」
「なんだってそんな面倒なこと。だってあの犬の飼い主は今んところ心神喪失状態の犯行のため、責任能力を問えないって不起訴処分に傾いてるんでしょう?」
「そうなんだけどなぁ。けどメッタ刺しにしておいて殺すつもりはなかったじゃ被害者遺族は納得しないだろ。一応最後の砦のつもりなんだが、唯一心を許しているあの犬っころになら自分の罪を告白するんじゃないかと」
「あれ部長、あのワンちゃんを手なずけて、容疑者を嫉妬させて本性をさらけ出させる作戦はどうしたんですか?」
ならば部長はようやくあきらめたのだろうか。うるさい犬がいなくなって清々したわ。内心思いながら聡子は言った。
「どうしようもないだろ、そもそもなつかねぇんだから。だが少なくともあのカイちゃんに会えない間は堪えてたらしい。あれだな、すぐに自分は自由になれるとでも思ってたのかもな。医療観察処分で大人しくしてれば自宅謹慎に持ち込めるとでも」
「もしそうだとしたら、計画的犯行ってことになりますけど」
「だろ?やっぱりなんというか、怪しいんだよな、あの女。詐病してるんなら相当な女優だぜ。ちゃんと罪を償ってから転職でもした方がいい」
そこで聡子は品川に、慧の話から浮上した新たな容疑者のことを伝えた。どうか本部に進言して、田嶋修一のことも洗ってみてほしい、と。
「第三の容疑者……ねぇ。まあ不倫相手はアリバイがあったことだし、弟君が本当にやってないっていうんなら、そりゃあ他の誰かがやったに決まってる。で、そこで出てきたのが〈自称勇者〉で、彼は自分があたかも被害者のふりをして、自分を追いやった村上姉弟に復讐をしている、と。まあつまらんサスペンス張りには辻褄は通るけどなぁ、ならなんでレイプ犯や木村聖まで殺したんだ?」
「それは恐らく、自分は正しい……悪いやつをこの世から静粛して、正しいことをしているのだと思わせるパフォーマンスなのではないかと」
「パフォーマンスねぇ。まあ捜査本部も行き詰まってるし、一応鑑定資料として渡しといてやる。報告書、急いで書けよ」
「はい、わかりました。ありがとうございます、部長」
聡子の作成した鑑定書を、警察はそれなりに重要と捉えてくれたようだった。
もちろん彼らは、聡子に真犯人を探して欲しくて慧の身元を引き渡したわけではない。
できるならば彼が犯人である方がありがたかった。けれど凶器も見つからない、なにより動機もわからない、世間は彼におおむね同情を寄せている。その状態で彼を起訴したところで、無事に彼を刑務所に送れる自信もなかった。ならばいっそ、不起訴処分で罪を着せてしまおうか?だがそこまでの手持ちも揃わない。
ならば犯人が他にいるのだろう。だが誰が?そこで止まってしまった状態であったから、藁にもすがる気持ちでこの資料を手にしたのも確かだった。
そこからの彼らの仕事は早かった。田嶋修一の現在を調べ、レイプ事件を再び調査して、〈自称勇者〉の捜査本部にも協力を仰いで。そうして判明したのは、意外な事実であった。
「すみません、設楽聡子さん、いらっしゃいますか?」
そう声をかけてやって来たのは、30代くらいの男性だった。
「ええと、設楽……ですか?ええ、いまお呼びしますね」
対応したのは佐々木だった。彼は小走りで聡子のデスクまで駆け寄ると、
「設楽さん、お客さんです」とささやくように彼女に伝えた。
「私に?」
「ええ、男の人。もしかして彼氏とかですか?」
その言葉に、聡子はチラリと入り口に目を向けて、
「だったらよかったんだけど」とだけ返しておいた。余計な気遣いどうもありがとう。
彼女はつかつかと入口に佇む男性の元へと歩いて行った。誰かしら、私に用だなんて。
「すみません、お待たせしました。私が設楽ですが」
「ああ、設楽先生。お忙しいところ申し訳ありません。私、捜査一課の林といいます」そう言って彼は黒い警察手帳を聡子に見せた。
ああ、これが本当の刑事さん。私とは違う、本物の。
「捜査一課……刑事さん?」
「ええ」
けれどなぜ刑事が私のところに?思い当たったのは、さんざん慧の前で刑事を偽ってしまったその事だった。
でもあれは、彼が一方的にそう思っていただけだし。私は混乱を避けるため、彼に合わせただけなんだから。でもどうしよう、身分詐称とかで私のこと捕まえに来たのだとしたら。
「あの、私になにか?」気持ち声が震えていたかもしれない。だがそんな些細なことに刑事は気がつかなかったようで、
「村上茜殺害の件で、少しご相談が」
とすんなり返してきた。
「村上……慧くんのお姉さんの」
「はい。その彼の証言の中から浮かび上がってきた、田嶋修一の件についても」
「なにかわかったんですか?」
「ええ。簡潔にいってしまえば、田嶋修一は村上茜殺しに関しては限りなく黒に近い」
「やっぱり」
「けれど、立川市女子大生強姦事件や、〈自称勇者〉による木村聖殺害への関連性はいまのところ見つけられないのです。なのでできれば、村上慧くんへ伺いたい点がありまして」
ついこないだまで限りなく黒に近かったはずの慧は、どうやら重要参考人までランクを落とすことになったらしい。
「それは……まだ混乱しているみたいなので何ともですが。とりあえず、詳細をまず教えていただけませんでしょうか」
そう言って彼女は、刑事をラウンジまで連れ出した。
どこまでも殺風景だった。まあ本来、積極的に客を呼び入れるところでもないので飾り立てる必要などないのだろう。とりあえず座れればいいだろ、くらいの感覚で置かれた古びたソファを刑事に勧める。
商品ラインナップの変わり映えのしない自販機で缶コーヒーを一本買い彼に差し出すと、
「すみません、私コーヒー飲めなくて。どうぞお気遣いなく」とやんわりと返されてしまった。
なんだ、刑事がみんなありがたがってコーヒー飲んでる訳でもないのね。
そう思いプルタブを開けながら、彼女も席に着いた。
「田嶋修一についてですが」
座るや否や、林刑事は喋り始めた。そんなに忙しいのかしら。いや忙しいに決まってる。早いとこ犯罪者を捕まえなければならないのだもの。
「田嶋修一は現在42歳。定職には就かず――というより就けず、ですね、で生活保護で八王子市内に一人で暮らしていました」
「八王子?すぐ隣じゃない、それは偶然?」
「いえ、田嶋修一が村上姉弟を恨んでいたのは本当のようです。田嶋は振興所を使って、村上姉弟のことを追っていた」
「じゃあやっぱり、田嶋修一が?」
「細かい捜査はまだこれからですが、けれど田嶋は兄の起こしたあの事件のせいで、相当苦労を強いられたようです」
そこから先は聡子が推理した通りであった。仕事はクビになり、妻からは離婚を言い渡され、とまあ怒濤の転落劇だったらしい。
「動機は逆恨み、さらには憎き相手の居場所も把握していた。これといったアリバイもなく、さらに疑わしいことには」
「まだなにかあるんですか?」
「田嶋は最初、築地の方の寿司屋で板前をしてたんですよね。高校卒業後家を出て、いわゆる修行期間を過ごして、彼を板前として雇ってくれるオーナーに出会った。結局事件のせいでそこを追い出されてしまうんですが、そこで使っていた道具というのが」
「道具?」
「刺身包丁です。ほら、兄が起こした事件の際の凶器と同じ」
「まさか」
そうか、刀のはずがない。そんなもの、持っている人間など限られる。けれど両親を殺した長い刃物、恐ろしい刃物が、彼にはそう見えたのかもしれない。人を切り殺すために使う、刀のようだと。
「今その刃物を鑑定に出しています。切り口が同じなら、田嶋が黒です。それと、現場から見つかった正体不明のDNA。白い毛髪です、それが一致すれば言い逃れできません」
「じゃあ慧くんは、容疑者から外されるのね?」
「もちろん。ですが今のところ、〈自称勇者〉とレイプ犯殺害の犯人が関連付けられない」
「あ、あの。レイプ犯の方は、現場から逃げ去る背の高い影を見たって慧くんと、あと」
「ああ、近隣住民で一人いたんですよね。その方も背の高い影を見たと仰っていたそうで。いえ、その証言を無視してしまった担当刑事もまあアレなんですが、それでも田嶋修一とは繋がらないんですよね」
「なぜ」
「田嶋吾朗は確かにガタイのいい大男だったようですが、弟の方は160センチもないんですよね。ええ、設楽さんの方が大きいくらいに」
「私より?」
背の高い影。彼らはそう口にしていた。なのに私より小さい?そんなのありえない。ならば彼らの見たものは田嶋修一ではなかったのか。
「それに、〈自称勇者〉の方」
「え、ええ」
「あの、まだマスコミに公表していないので、くれぐれも内密にしておいてほしいんですが」
と彼は前置きしてから、
「どうも木村聖を殺害したのは、同じ高校の生徒らのようなんです」と小声で続けた。
「同じ高校の生徒……ら?ということは、複数人による犯行だったってことですか?」つられる形で聡子も小声で返す。誰も聞いてなんかないのに。
犯人は複数犯かもしれません。つまり、勇者は何人もいると?
前に見たテレビの内容がフラッシュバックする。
「ええ。昨晩、八王子駅周辺に寝泊まりしているホームレスを、集団暴行しているところを通報されて、そこから」
ホームレスを集団暴行。勇者とはおよそ程遠い行為であるが、なぜ自分たちのことを憚りもなく〈勇者〉などと名乗れたのか?
「そうでしたか……しかし彼らはなぜ自分のことを勇者などと」
「自分はあの事件の担当ではないのでなんともですが、ホームレスを暴行していたのはこの世に邪魔だと思ったから、と言っているそうです。街の景観を削ぐし、不衛生で良くないからと。恐らく、木村聖も似たような理由なんでしょう。確かに木村は不良でしたし。けれどだからといって殺していいはずなんてないんですがね」
「でも、凶器は?凶器はどうなりました?木村聖と村上茜は似たような殺され方をしていた。まるで、刃渡りの長い、刀のようなもので殺されていたと。その高校生らのうちの誰かが、そんな物騒なものを持っていたというんですか?」
「どうにも、居合刀っていうんですか?そういう刀だと二、三万程度でネットで買えるらしくて。そりゃあ本物の刀と比べると切れ味なんかも悪いんでしょうが刃物は刃物です。人を刺し殺すことぐらいはできる。包丁なんかとはちがう、立派な武器です。なんでもゲームでよく勇者が持っているらしいじゃないですか」
「刀を?あの、エクスカリバーとか、そういうのじゃなくって?」
「もちろんエクスカリバーも出てきますでしょうけど、ええとムラサメとか、マサムネとか。そういうのが日本古来のレアな武器として登場するようですよ」
「はあ、そうなんですか」
「ただ、バラすには刀身の細い刀は向かないから、家にあった出刃包丁で一生懸命たたっ切ったらしいですけど」
そこまで喋って林刑事は一息つくと、
「とまあ、無事事件が解決しつつあるのはありがたいことなんですが、けれどそうすると彼がしきりに言っている〈勇者〉と木村慧くんの繋がりはなくなってしまうんですよね。それだけちょっと気になりまして、それで」
と続けて口を閉じた。先生ならなにかお分かりになるんでしょう?まるでそう促すような表情で聡子を見据える。
だが、わからないのは聡子も一緒だった。お姉さんを殺したのが田嶋修一だっていうのはわかる。これは単なる逆恨み。
だけどそれ以外はすべて空中分解してしまった。
彼自身の正しさを証明するための二つの事件が関係ないのなら、なぜ慧は、田嶋修一を正義の味方であるはずの勇者であると――田嶋修一は正しいことをしているはずだ、と思ったのか?
「それは……まだわからないんです。まだ記憶が混乱しているみたいで」
「そうですか。……できれば念のため、彼からもう一度目撃情報を聞いておきたかったんですが。その様子だと、まだ素人が口出ししない方が良さそうですね。まあ、犯人もじきに捕まるでしょう。とりあえず、私としてはこの件のホシが捕まればいいことですから。無理を言ってすみませんでした」
ふう、と一息ついて彼は立ち上がった。
「それでは私はこれで。先生のお陰でこの事件は解決したといっても過言ではありません。ありがとうございました」
「いえ、私は慧くんの証言を再構築しただけですから」そう遠慮がちに聡子が返せば、
「いえいえとんでもない。先生こそまるで本物の刑事のようじゃありませんか。ではこれで」と返ってきた。
ああなんだ、最初からバレてたのね。
けれどその役目もこれで本当におしまいだ。
だって、彼はただの哀れな被害者、悲劇のヒーローなだけだったのだから。それが証明できて、本当に良かった。
あとは時間がすべて解決してくれるでしょう。きっとそのうち、〈勇者〉なんて言わなくなる。あれは一時的な混乱がもたらしただけなのだから。じきに普通に戻れる。
ただそれだけ。
聡子はまだ胸にくすぶるモヤモヤを吐き出すかのように息をつくと、ぬるくなった缶コーヒーを飲み干しソファを立った。
無事眠りに落ちた慧を見届けて、彼らはそのまま研究棟へと足を向ける。称賛とも皮肉とも取れるその言葉を受けて、聡子は「ずっと刑事さん、刑事さんって呼ばれてたから、その気になっちゃったのかもしれないわ」と返した。
「でも確かに。佐々木刑事、なんて。ちょっとかっこよくないですか?俺」
刑事かあ。確かに子どもの頃はドラマの刑事に憧れてたんですよねぇ。佐々木はまんざらでなさそうだ。
確かに犯人推理だなんて、いつもの自分からはかけ離れている。私の役割はこんなんじゃないのに、なんだかついその気になってしまって。犯人は田嶋修一。けれどそうとしか思えない。この私の推理を、本部がはたして聞き入れてくれるだろうか。
「まあとにかく早いとこ犯人が捕まってくれれば、無事俺たちもこの件から降りられますしね」
そうだ、そうすれば私は彼を自由にしてあげられる。自由?そうよ自由じゃない。彼は被害者。世間から後ろ指を指されることなんてないのだから。
けれどそこからどうしていくのだろう、一人で。
一人で生きていけるほど、彼は正常に戻れるのかしら。いえ、戻せるのだろうか、私は。
いいえ、そこまでの責任なんて私にはない。あの子と私は赤の他人。
下手に刑事だの、叔母だの関係ない役割を自分に課してしまったから、なんだか他人事で済まされないような気がして。
この先は警察の、本物の刑事の役割だ。少なくとも、彼の錯乱の原因を特定できたのだ。自分に与えられた役割は十二分に果たしているはず。あとは田嶋修一を洗い出して、それがヒットすればすべて終わりだ。
彼には、ゆっくり時間をかけて回復してもらう。それしかないだろう。
品川が帰ってきた。今日はいつものワンちゃんはいなかった。
「お疲れ様です、部長。あれ今日はあの犬は?」
「ああ、一旦容疑者んとこに返してきた」
「えっ、返しちゃっていいんですか?」あんなにかわいがっていたのに。驚いた様子で佐々木が問う。
「タダでは返さんよ。特別に病室にペット持ち込み可にしてもらって、監視カメラをつけさせてもらった」
「監視カメラとは……ずいぶん強引な手段に出ましたね」
「なんだってそんな面倒なこと。だってあの犬の飼い主は今んところ心神喪失状態の犯行のため、責任能力を問えないって不起訴処分に傾いてるんでしょう?」
「そうなんだけどなぁ。けどメッタ刺しにしておいて殺すつもりはなかったじゃ被害者遺族は納得しないだろ。一応最後の砦のつもりなんだが、唯一心を許しているあの犬っころになら自分の罪を告白するんじゃないかと」
「あれ部長、あのワンちゃんを手なずけて、容疑者を嫉妬させて本性をさらけ出させる作戦はどうしたんですか?」
ならば部長はようやくあきらめたのだろうか。うるさい犬がいなくなって清々したわ。内心思いながら聡子は言った。
「どうしようもないだろ、そもそもなつかねぇんだから。だが少なくともあのカイちゃんに会えない間は堪えてたらしい。あれだな、すぐに自分は自由になれるとでも思ってたのかもな。医療観察処分で大人しくしてれば自宅謹慎に持ち込めるとでも」
「もしそうだとしたら、計画的犯行ってことになりますけど」
「だろ?やっぱりなんというか、怪しいんだよな、あの女。詐病してるんなら相当な女優だぜ。ちゃんと罪を償ってから転職でもした方がいい」
そこで聡子は品川に、慧の話から浮上した新たな容疑者のことを伝えた。どうか本部に進言して、田嶋修一のことも洗ってみてほしい、と。
「第三の容疑者……ねぇ。まあ不倫相手はアリバイがあったことだし、弟君が本当にやってないっていうんなら、そりゃあ他の誰かがやったに決まってる。で、そこで出てきたのが〈自称勇者〉で、彼は自分があたかも被害者のふりをして、自分を追いやった村上姉弟に復讐をしている、と。まあつまらんサスペンス張りには辻褄は通るけどなぁ、ならなんでレイプ犯や木村聖まで殺したんだ?」
「それは恐らく、自分は正しい……悪いやつをこの世から静粛して、正しいことをしているのだと思わせるパフォーマンスなのではないかと」
「パフォーマンスねぇ。まあ捜査本部も行き詰まってるし、一応鑑定資料として渡しといてやる。報告書、急いで書けよ」
「はい、わかりました。ありがとうございます、部長」
聡子の作成した鑑定書を、警察はそれなりに重要と捉えてくれたようだった。
もちろん彼らは、聡子に真犯人を探して欲しくて慧の身元を引き渡したわけではない。
できるならば彼が犯人である方がありがたかった。けれど凶器も見つからない、なにより動機もわからない、世間は彼におおむね同情を寄せている。その状態で彼を起訴したところで、無事に彼を刑務所に送れる自信もなかった。ならばいっそ、不起訴処分で罪を着せてしまおうか?だがそこまでの手持ちも揃わない。
ならば犯人が他にいるのだろう。だが誰が?そこで止まってしまった状態であったから、藁にもすがる気持ちでこの資料を手にしたのも確かだった。
そこからの彼らの仕事は早かった。田嶋修一の現在を調べ、レイプ事件を再び調査して、〈自称勇者〉の捜査本部にも協力を仰いで。そうして判明したのは、意外な事実であった。
「すみません、設楽聡子さん、いらっしゃいますか?」
そう声をかけてやって来たのは、30代くらいの男性だった。
「ええと、設楽……ですか?ええ、いまお呼びしますね」
対応したのは佐々木だった。彼は小走りで聡子のデスクまで駆け寄ると、
「設楽さん、お客さんです」とささやくように彼女に伝えた。
「私に?」
「ええ、男の人。もしかして彼氏とかですか?」
その言葉に、聡子はチラリと入り口に目を向けて、
「だったらよかったんだけど」とだけ返しておいた。余計な気遣いどうもありがとう。
彼女はつかつかと入口に佇む男性の元へと歩いて行った。誰かしら、私に用だなんて。
「すみません、お待たせしました。私が設楽ですが」
「ああ、設楽先生。お忙しいところ申し訳ありません。私、捜査一課の林といいます」そう言って彼は黒い警察手帳を聡子に見せた。
ああ、これが本当の刑事さん。私とは違う、本物の。
「捜査一課……刑事さん?」
「ええ」
けれどなぜ刑事が私のところに?思い当たったのは、さんざん慧の前で刑事を偽ってしまったその事だった。
でもあれは、彼が一方的にそう思っていただけだし。私は混乱を避けるため、彼に合わせただけなんだから。でもどうしよう、身分詐称とかで私のこと捕まえに来たのだとしたら。
「あの、私になにか?」気持ち声が震えていたかもしれない。だがそんな些細なことに刑事は気がつかなかったようで、
「村上茜殺害の件で、少しご相談が」
とすんなり返してきた。
「村上……慧くんのお姉さんの」
「はい。その彼の証言の中から浮かび上がってきた、田嶋修一の件についても」
「なにかわかったんですか?」
「ええ。簡潔にいってしまえば、田嶋修一は村上茜殺しに関しては限りなく黒に近い」
「やっぱり」
「けれど、立川市女子大生強姦事件や、〈自称勇者〉による木村聖殺害への関連性はいまのところ見つけられないのです。なのでできれば、村上慧くんへ伺いたい点がありまして」
ついこないだまで限りなく黒に近かったはずの慧は、どうやら重要参考人までランクを落とすことになったらしい。
「それは……まだ混乱しているみたいなので何ともですが。とりあえず、詳細をまず教えていただけませんでしょうか」
そう言って彼女は、刑事をラウンジまで連れ出した。
どこまでも殺風景だった。まあ本来、積極的に客を呼び入れるところでもないので飾り立てる必要などないのだろう。とりあえず座れればいいだろ、くらいの感覚で置かれた古びたソファを刑事に勧める。
商品ラインナップの変わり映えのしない自販機で缶コーヒーを一本買い彼に差し出すと、
「すみません、私コーヒー飲めなくて。どうぞお気遣いなく」とやんわりと返されてしまった。
なんだ、刑事がみんなありがたがってコーヒー飲んでる訳でもないのね。
そう思いプルタブを開けながら、彼女も席に着いた。
「田嶋修一についてですが」
座るや否や、林刑事は喋り始めた。そんなに忙しいのかしら。いや忙しいに決まってる。早いとこ犯罪者を捕まえなければならないのだもの。
「田嶋修一は現在42歳。定職には就かず――というより就けず、ですね、で生活保護で八王子市内に一人で暮らしていました」
「八王子?すぐ隣じゃない、それは偶然?」
「いえ、田嶋修一が村上姉弟を恨んでいたのは本当のようです。田嶋は振興所を使って、村上姉弟のことを追っていた」
「じゃあやっぱり、田嶋修一が?」
「細かい捜査はまだこれからですが、けれど田嶋は兄の起こしたあの事件のせいで、相当苦労を強いられたようです」
そこから先は聡子が推理した通りであった。仕事はクビになり、妻からは離婚を言い渡され、とまあ怒濤の転落劇だったらしい。
「動機は逆恨み、さらには憎き相手の居場所も把握していた。これといったアリバイもなく、さらに疑わしいことには」
「まだなにかあるんですか?」
「田嶋は最初、築地の方の寿司屋で板前をしてたんですよね。高校卒業後家を出て、いわゆる修行期間を過ごして、彼を板前として雇ってくれるオーナーに出会った。結局事件のせいでそこを追い出されてしまうんですが、そこで使っていた道具というのが」
「道具?」
「刺身包丁です。ほら、兄が起こした事件の際の凶器と同じ」
「まさか」
そうか、刀のはずがない。そんなもの、持っている人間など限られる。けれど両親を殺した長い刃物、恐ろしい刃物が、彼にはそう見えたのかもしれない。人を切り殺すために使う、刀のようだと。
「今その刃物を鑑定に出しています。切り口が同じなら、田嶋が黒です。それと、現場から見つかった正体不明のDNA。白い毛髪です、それが一致すれば言い逃れできません」
「じゃあ慧くんは、容疑者から外されるのね?」
「もちろん。ですが今のところ、〈自称勇者〉とレイプ犯殺害の犯人が関連付けられない」
「あ、あの。レイプ犯の方は、現場から逃げ去る背の高い影を見たって慧くんと、あと」
「ああ、近隣住民で一人いたんですよね。その方も背の高い影を見たと仰っていたそうで。いえ、その証言を無視してしまった担当刑事もまあアレなんですが、それでも田嶋修一とは繋がらないんですよね」
「なぜ」
「田嶋吾朗は確かにガタイのいい大男だったようですが、弟の方は160センチもないんですよね。ええ、設楽さんの方が大きいくらいに」
「私より?」
背の高い影。彼らはそう口にしていた。なのに私より小さい?そんなのありえない。ならば彼らの見たものは田嶋修一ではなかったのか。
「それに、〈自称勇者〉の方」
「え、ええ」
「あの、まだマスコミに公表していないので、くれぐれも内密にしておいてほしいんですが」
と彼は前置きしてから、
「どうも木村聖を殺害したのは、同じ高校の生徒らのようなんです」と小声で続けた。
「同じ高校の生徒……ら?ということは、複数人による犯行だったってことですか?」つられる形で聡子も小声で返す。誰も聞いてなんかないのに。
犯人は複数犯かもしれません。つまり、勇者は何人もいると?
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「ええ。昨晩、八王子駅周辺に寝泊まりしているホームレスを、集団暴行しているところを通報されて、そこから」
ホームレスを集団暴行。勇者とはおよそ程遠い行為であるが、なぜ自分たちのことを憚りもなく〈勇者〉などと名乗れたのか?
「そうでしたか……しかし彼らはなぜ自分のことを勇者などと」
「自分はあの事件の担当ではないのでなんともですが、ホームレスを暴行していたのはこの世に邪魔だと思ったから、と言っているそうです。街の景観を削ぐし、不衛生で良くないからと。恐らく、木村聖も似たような理由なんでしょう。確かに木村は不良でしたし。けれどだからといって殺していいはずなんてないんですがね」
「でも、凶器は?凶器はどうなりました?木村聖と村上茜は似たような殺され方をしていた。まるで、刃渡りの長い、刀のようなもので殺されていたと。その高校生らのうちの誰かが、そんな物騒なものを持っていたというんですか?」
「どうにも、居合刀っていうんですか?そういう刀だと二、三万程度でネットで買えるらしくて。そりゃあ本物の刀と比べると切れ味なんかも悪いんでしょうが刃物は刃物です。人を刺し殺すことぐらいはできる。包丁なんかとはちがう、立派な武器です。なんでもゲームでよく勇者が持っているらしいじゃないですか」
「刀を?あの、エクスカリバーとか、そういうのじゃなくって?」
「もちろんエクスカリバーも出てきますでしょうけど、ええとムラサメとか、マサムネとか。そういうのが日本古来のレアな武器として登場するようですよ」
「はあ、そうなんですか」
「ただ、バラすには刀身の細い刀は向かないから、家にあった出刃包丁で一生懸命たたっ切ったらしいですけど」
そこまで喋って林刑事は一息つくと、
「とまあ、無事事件が解決しつつあるのはありがたいことなんですが、けれどそうすると彼がしきりに言っている〈勇者〉と木村慧くんの繋がりはなくなってしまうんですよね。それだけちょっと気になりまして、それで」
と続けて口を閉じた。先生ならなにかお分かりになるんでしょう?まるでそう促すような表情で聡子を見据える。
だが、わからないのは聡子も一緒だった。お姉さんを殺したのが田嶋修一だっていうのはわかる。これは単なる逆恨み。
だけどそれ以外はすべて空中分解してしまった。
彼自身の正しさを証明するための二つの事件が関係ないのなら、なぜ慧は、田嶋修一を正義の味方であるはずの勇者であると――田嶋修一は正しいことをしているはずだ、と思ったのか?
「それは……まだわからないんです。まだ記憶が混乱しているみたいで」
「そうですか。……できれば念のため、彼からもう一度目撃情報を聞いておきたかったんですが。その様子だと、まだ素人が口出ししない方が良さそうですね。まあ、犯人もじきに捕まるでしょう。とりあえず、私としてはこの件のホシが捕まればいいことですから。無理を言ってすみませんでした」
ふう、と一息ついて彼は立ち上がった。
「それでは私はこれで。先生のお陰でこの事件は解決したといっても過言ではありません。ありがとうございました」
「いえ、私は慧くんの証言を再構築しただけですから」そう遠慮がちに聡子が返せば、
「いえいえとんでもない。先生こそまるで本物の刑事のようじゃありませんか。ではこれで」と返ってきた。
ああなんだ、最初からバレてたのね。
けれどその役目もこれで本当におしまいだ。
だって、彼はただの哀れな被害者、悲劇のヒーローなだけだったのだから。それが証明できて、本当に良かった。
あとは時間がすべて解決してくれるでしょう。きっとそのうち、〈勇者〉なんて言わなくなる。あれは一時的な混乱がもたらしただけなのだから。じきに普通に戻れる。
ただそれだけ。
聡子はまだ胸にくすぶるモヤモヤを吐き出すかのように息をつくと、ぬるくなった缶コーヒーを飲み干しソファを立った。
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