偽りの勇者

鷲野ユキ

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第四章

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昼のこともあったから、バイト先に顔を出すのはやめておこうかな。そう思いもしたものの、なるべく早く日常に戻りたかった。学校でこうだったから、いきなり働き出すのはさすがに無理だろう。下手したらただ迷惑を掛けにいくだけになってしまう。
だから今日は顔だけ出しておこう。ごめんなさい、長くシフトに穴開けちゃって。ええ、徐々にでしたら入れると思います。大丈夫、何かしてた方が安心できるんです、だから。
人の良い店主はさぞかし自分のことを心配していてくれただろう。一刻も早く、丈夫な姿を見せて安心させてやりたい。あるいは鈴木は?もう村上くんいなくって大変だったんだから。そう言ってくれるだろう。大丈夫、俺は必要とされているはずなんだ。
けれど彼を迎え入れたのは、想像とは異なる世界だった。
「おはようございます」
彼がそう声をかけながら店内を見回せば、返ってきたのは白々しい視線のみ。ああでも、店長の息子がそっけないのはいつものことだ。だって彼からすれば、俺は憎き恋敵となるらしいから。バカみたい、俺は菊川のことなんてなんとも思っていないのに。
ほら、現に実に関心など無さそうに、菊川はレジの方からまるで風景の一部かのように、俺のことを見ているではないか。
ったく、こちとら被害者だっていうんだから、お世辞でもいいから大丈夫だった?とくらい声をかけてくればいいのに。そんな社交性すら持たないで、この子は将来大丈夫なのだろうか。
「あ、ああ、村上くん。もう大丈夫なのかい?その、いろいろ」
なんだかひどく憔悴した顔つきで、山郷店長が厨房から手を拭きながらやってきた。ああほら、やっぱり店長は優しいなぁ。さっき冷たい目付きで見られた気がするのは、きっと気のせいに違いない。
その山郷は、そんなに濡れているのか?と思うほどに執拗に手を拭っていた。その姿は丸っこいその体型と相まって、まるで落ち着きのないアライグマのようだった。
「はい、一応。無事犯人も捕まりましたし……。だから、そろそろ俺、復帰しようかなって、その報告に。すみませんでした、シフトに長く穴を開けてしまって」
「大丈夫、大丈夫だから、村上くんは無理しなくて」
そう山郷はうけあってくれたものの、ひどく落ち着きがない。これじゃよほど店長の方が無理しているんじゃないのか?そう慧が心配に思うほどに。
「でも店長、店長の方が無理してるように見えますけど……。大丈夫ですか?」
そう心配し返してみれば、返ってくるのは「大丈夫だから」の一点張り。
「でも……」
怪訝に思って慧がそれでも食い下がらずにいると、「おはようございます」とハキハキと挨拶しながら彼の脇を通っていくものがいた。
「ああ、鈴木さんおはよう」
いつものジーンズに、大きめのニット。慧がいつも、袖口がダボダボでイライラしないのかと思っていたその服装。だって、見るたびに袖を捲っているから。ああ、彼女は変わらない。
「お久しぶりです、鈴木さん」
慧はそう挨拶をかけ、そのままタイムカードのもとに行こうとする彼女のことを引き留めた。たぶん、気づかなかったのかもしれない、俺に。だって久しぶりだし、今は学校の制服姿だ。いつものバイトの格好じゃないから、きっと。
「いらっしゃいませ……って、ああなんだ村上くんかぁ。やだもう大丈夫なの?」
そう鈴木は、いつもの人懐っこい笑顔を彼に向けた。ほら大丈夫、俺を心配してくれる人はたくさんいる。
「ええ、犯人も捕まりましたし」
「ほんと良かったよね。みんな村上くんが犯人だなんて言い出すからさぁ。村上くんがお姉さん殺すわけないじゃん、ご両親だって殺されちゃっていないのにね」
「ええ、まあ……」
確かにそうだけれど。面と向かって、そんなこと言わなくっても。そんな思いが慧の頭をよぎる。いや違うよ、鈴木さんは俺のこと心配してくれてるんだから。
「慧くんがいない間大変だったんだから!売り上げも落ちちゃって、全然お客さん来ないし」
「え、そうなんですか?なんで?美味しいのに」
けれど見渡せば確かに客が全然入っていない。週の半ばというのもあるだろうが、けれど時刻は19時。いくらなんでも数グループぐらい入ってる時間だ。そう思い慧が問い返せば、「やだ、村上くんのせいに決まってるじゃん」と返してくる。
俺が?俺がこの店になにかしたって言うのか?それとも、姉を殺された弟のバイト先なんて、ろくでもないところに違いないとでも思われたのだろうか。違うよ俺は被害者なのに。それに犯人だってちゃんと捕まったんだ。
「ええとまあ、」
そこで鈴木は言葉を止めて、そばに佇む山郷の先、厨房で気だるげにしている彼の息子を見やる。つられて慧がそちらに目をやれば、鈴木が再度口を開いた。
「まあ、いろいろあって。レジだって違算金ばっかり出るし、ほんと変なことばっかりでうんざり」
そこで鈴木と慧の視線に気がついたのだろう、店長の息子が不機嫌そうにこう言い放った。
「ぜんぶそいつのせいだろ。そいつが呪われてるから、俺たちまでこんな目に遭ってんだろ」
「おい和弘、つまらん言いがかりはよせ」
山郷が息子を止めにはいるが、彼は全く聞く気がないようだった。さらに勢いをまして、厨房から怒りの形相も顕に慧の方へと向かってくる。
俺が呪われてる?ああ、それはごもっともでしょう。自分だってそうだとしか思えない。けれどそれとあなた方になんの関係が?
「お前が来たせいで、お袋は死んじまったんだ!」
「えっ……奥さん、亡くなられたんですか?」
返ってきたのは意外な事実だった。だって、体調が悪いだけだったでしょう?なのに、そんなに悪かったなんて知らなかったから。
でもなぜそれに、俺が関係してくるんだ。
「おいやめろ、和弘」
呆然としてしまった慧の態度を肯定だとでも捉えたのか、彼はさらに責め立てる。
「だってそうだろ、コイツがここに来た頃からだんだんお袋の体調が悪くなって来たんじゃないか。親父だって知ってるだろ」
「そんなのはただの偶然だ」
「いいや違う。だってコイツが捕まってる間、お袋回復してたじゃないか。なのにコイツの姉貴を殺した犯人とやらが捕まって、お前が釈放されたら急に死んじまった。ありえないだろ、そんな偶然。お前が外に出てこなければ、お袋はもっと生きられたかもしれないのに」
「やめんか和弘」
「そんな、そんなこと言われたって……」
「すまない、村上君。ぜんぶこの子の言いがかりだ、気にしないでくれ。売り上げが落ちたのはコイツの腕が悪いからだし、おおかた絹子はそれを憂いて先に逝っちまったのかもしれん」
「なんだよ、俺が悪いっていうのかよ!」
「少なくとも客足が減ったのはお前のせいだろ!俺が絹子の面倒を見てる間に、変なもんばかり出しやがって!せっかく俺と絹子で作ったこの店なのに、お前が台無しにしたんだろ、それを人のせいにするなんて、お前なんかもう俺の息子じゃない、この店から出てけ!」
「ちょ、ちょっと二人とも落ち着いてください!」
さすがにこの展開はまずいと思ったのだろう、鈴木が親子喧嘩の仲裁にはいる。慧も入ろうとは思ったが、なんだかどうでも良くなってきた。だって、こんな人のために何かしてやることないだろう。出ていけばいいんだ、こんなやつ。
「チッ、出ていってやるよこんなショボい店。俺の独創性を理解できないやつらなんか相手にしてられっかよ」
そう言い捨てて彼は店を後にした。しっかり去り際に「美姫ちゃん、あとでLINEいれるから。ごめんね」と菊川には言伝てをして。
「……なんだかすみません、俺が戻ってきたばっかりに」
なにも自分が謝る必要性は微塵も感じなかったが、仕方なしに慧は謝罪の言葉を山郷と鈴木に伝える。なんだって俺ばっかりこんな目に。みんな俺じゃなくって周りが悪いっていうのに。
「こちらこそ本当にすまない」
山郷がしきりに手を拭いながら、気まずそうに謝った。その態度を見て少し気分の回復した慧が「いいえ、大丈夫ですから」と返せば、
「だが本当に君がいなくて大変だったんだ。大丈夫だと思ってアイツに任せた私がバカだった。君がいてくれたらもっと事態はましだったと思う」と薄い頭を抱えながら店主が呻いた。
「はあ、……和弘さん、いったい何をやらかしたんですか?」
「それが……その」
言いづらそうな店主に代わり、鈴木が口を開いた。
「創作和食のお店なのに、急に創作イタリアン始めちゃったのよ。なんでも、そのほうが受けがいいって菊川さんにそそのかされたらしくて」
そう言ってちらりとレジの方をみれば、菊川があいかわらずぼんやりそこに立っていた。いい加減クビにすればいいのに、あんなやつ。
「まあ……確かにそのほうが広い層から受けはいいかもしれんが、けれど和食もまだまだ、料理の勉強途中のやつがいきなりイタリアンだなんてふざけるにもほどがある。」
なかば菊川をかばうような形で山郷が返せば、鈴木は少し不満げな顔をした。まあ、気持ちはわからなくない。あの子の良いところなんて見た目だけなのに。もしかしたら彼女はそう思っているのかもしれない。
「つまり美味しくなかったってことですか?」
「そうだろうな。なにせ一週間でこのざまだ。確かに下がる一方だったがここまでとは。和食ならアイツでもまあ大丈夫だと思った私が悪いんだ」
はあ、と深いため息をついて山郷がうなだれる。
「こんな状態だから、正直前ほどシフトは入れられないかもしれない。けれどまず離れてしまった顧客を取りもどさなけりゃ話にならん。それでもまた戻ってくれるのかい?」
「ええ、もちろんです。俺でよければ、明日からでも。頑張って取りもどしましょう!」
大丈夫、ほら、俺は必要とされている。
慧はそう笑顔で返すと、慣れ親しんだバイト先を後にした。

帰り道、慧はひどく上機嫌だった。なんなら鼻唄でも歌いそうな陽気さで、のんびり自転車を漕いでいた。
ああ本当に犯人が捕まってよかった。いつも通りに戻れてよかった。学校ではまだ腫れ物に触るかのような態度をみんなとっていたけれど、それもそのうちなくなるだろう。
ああ嫌だなぁ、高校生にもなって、みんなまだ子供なんだから。その点山郷店長も鈴木さんも大人だ。残念ながら息子さんは子供よりタチが悪かったけれど。
だから彼は気がつかなかった。いつもの習慣、無意識の行動。その足は今まで通りの道なりを漕いでいく。バイト先と家を結ぶ、あの公園。勇者を見た公園に来てしまったことを。
「やあ、また会ったな」
急に誰かに話しかけられた気がした。それに驚いて、自転車を止め辺りを見回せば、やや離れたところに背の高い時計が突っ立っているのを視界にとらえた。
ああここは、あの公園じゃないか。レイプ犯が死んで、背の高い影が去るのを目撃した場所。
バカだなぁ俺も。俺は何を見たんだろう。何かしらを見たのは違いない、現に俺以外にも誰かの影を見た人がいるという。けれどそれを〈勇者〉と間違うだなんて。そんな、ゲームの世界じゃあるまいし。そんなのそこらにいるわけないじゃないか。
それにもう関係ない。犯人は無事捕まりました、めでたしめでたし。先生もそう言ってた。俺は混乱していただけなのだから。まさかアイツが生きてるわけない、復讐しに来たのは弟の方だったんだ。死んだ人間がそんなこと出来るわけないだろう?
そう結論付けた慧の頭に、再び声が響く。
「また会おうって約束だったろう」
また会おう?誰だ、知らない、俺はそんな約束なんてしていない。でもこの声、嫌だ、俺は前に聞いたことがある。少し訛ったようなこの声。
「久しぶりだね、さとしくん」
はっきりと、そう聞こえた。その声は慧の後ろから。
金縛りにあったかのように硬直する慧の脇を、犬を連れたおばさんが通っていく。ジョギングするおじさん、学校帰りの子供たち。まるで彼らなどいないかのように通りすぎていく。
まだ六時前だ、確かに暗くはなっているけれど、けれど人通りもあるこんな場所に。
なぜコイツがいるんだ?お前は死んだんじゃなかったのか。
彼は振り向くことが出来なかった。振り向いて、もしまた目が合ってしまったら。背の高い彼の、鋭い眼光に睨まれでもしてしまったら。
次に殺されるのは俺だ。
勇者気取りの殺人犯。偽りの勇者に、死んだはずのその亡霊に。
「う、わぁぁぁぁぁあ!!」
彼は思わず叫びだしていた。驚いたのか、不審に思ったのか。足を止めて気味の悪いものを見るかのように、おじさんやおばさん、子供たちが彼を見る。
けれどそんな視線など今はどうでもよかった。そんなことよりも早く、逃げなければ。
彼は止めていた足を持ち上げ、必死になってペダルを漕ぐ。流れていく町の景色。はやく、とにかくここから離れるんだ。けれどどこへ?
行くあてもなく、見慣れているはずの街の、見慣れぬ場所を懸命に、めちゃくちゃに走る。大通りに出て気がつく。なんだ、いつもの道と一本違うだけだったのか。
遠くに逃げたつもりだったけれど、結局同じような場所をぐるぐるまわっているだけだった。どうすればいいんだ、どこへ逃げればいいっていうんだ。
一瞬慧の頭を、あの刑事の顔がよぎった。何かあったらここに連絡して。けれどもうあなたは私と会わない方がいいかもしれないわね。
そりゃそうだ、だってあの人は俺を騙していたんだもの。それに彼女の後輩とやらが来てくれたところで頼もしいとは思えなかった。そもそもあの人も刑事じゃなくって医者だっていうならなおさらだ。医者がなんの役に立つ。アイツをやっつけてくれるのか?そんなわけないだろう。
それに信じてもらえないに違いない。いい、慧くん。勇者はいないのよ。犯人は田嶋修一。田嶋吾郎はもうこの世にいないのだから。
じゃあ俺がさっき話しかけられたのはなんだ?誰だったっていうんだ、あの声、あの話し方。あいつ以外いないのに!
結局彼は家に戻ってきてしまった。だめだ、家だって危ないだろう、だって茜姉はここで殺されたんだぞ?俺だって、茜姉と同じ目に遭うかもしれない。バラバラにされて、それだけじゃなくて火をつけられるに決まってる、けれどここ以外どこに行けば?
友達の家?姉を殺した犯人に追われているんだ。そう説明したところで犯人は捕まったって言ってたのはお前だろ。そう返されてしまうだけだ。これ以上変なことをして、もうあいつらから嫌われるようなことはしたくない。
そうだ、鍵を閉めておけば。茜姉はうっかり鍵を開けっぱなしだったから家に入られて、殺されてしまったんだ。
だからいつもいってたのに、鍵ちゃんと閉めておけって。ああでもあいつは亡霊だ。この世の人間じゃないのだろう、だからあんな残酷なことを平気でする。俺はどうすればい?どうすれば――。
結局この日、彼は一睡することもできなかった。手にはキッチンにあった包丁を握りしめて、彼はひたすらに玄関をにらんでその夜を過ごした。
恐らく他の誰かが見れば、彼こそが殺人鬼に見えただろう形相で。

翌朝。どうやら少しうとうとしていたらしい。テレビの音で目が醒めた。こわばった手が握りしめる刃物をそっと降ろす。危ないな、落とたら怪我しちゃうじゃん。
遠い国で大きな地震があったこと、またどこかでテロがおこったこと、どこかの動物園で何かの赤ちゃんが生まれたこと。薄霧に包まれたような頭で、慧はそれをながめる。
〈自称勇者〉、逮捕。正体は被害者と同じ学校の同級生。OLバラバラ殺人、犯人は過去の事件の被告の弟。
ちらほらと、彼にまつわる事件の報道も流れてきた。二件のバラバラ殺人。関連があるかと思われたそれらは全くの別件。怖いですねえ、こんな立て続けに。けれど犯人が逮捕されて何よりです。
そう言えばシャワーも浴びていなかった。走り回って逃げてきて、そのままずっとこんな状態だったからひどく体が痛かった。出来るなら風呂に湯を張って、じっくり浸かっていたかった。けれどまだ油断はできまい。なにせ姉は朝殺されてしまったのだ。新しい朝、希望の朝であるこの時間帯に、大きな絶望をもたらされたのだから。
常に何かから監視されているような緊張を持って身体を洗い、そそくさと身体を拭いて制服に着替える。このままこの家にいるのは不安だった。きっとアイツはここを知っているに違いないのだし。
昼休みにでも、あの先生に電話してどこか住む場所を手配してもらおう。
田嶋吾郎はまだいるんです、そして俺を狙っているんだ。そうも話してみようか?せいぜいまた病院に戻されるのがオチだろう。確かにそのほうが安全かもしれない。けれどすぐにまた入院したら友人らはどう思うだろう。心配する?それとも、安心するのか?
いやだめだ、だって俺はバイトに行かなきゃならないんだ。立ち行かなくなったお店の再建。それに力を貸してくれと頼まれている。この俺の力が。
だからこうとだけ言っておこう。やっぱり俺、姉が死んだ家にいるのはつらいんです、思い出してしまうから。それだけで充分だ。
普通そうだろう、こんなところ、いて気分のいい場所じゃない。どこか違う場所がすぐに用意されるだろう。新しい生活を送るための。
ここでの生活だって、新しく始めたつもりだったのだけど。
木曜日。今日の授業はなんだったろう。こんなに眠いのだから授業どころではないかもしれない。あんまり堂々と居眠りしてしまったら怒られるだろうか。それとも謎の配慮によって、昨日みたいにまるで俺は空気かのようにそっとしておかれるだけだろうか。
気乗りはしなかったが、少なくともここにいるよりかは安全だ。さしもの亡霊も白昼堂々、学校を襲うなんてことはしないだろう。
教室に着けば、今日も水野が話しかけてきた。「おっはよー村上君。ニュース見たよ!!ほんと良かったよねぇ犯人捕まって」
ありがたい優しさだけど、彼女の存在が河野との間に亀裂をいれているので正直そっとしておいてほしかった。だが邪険に扱うわけにもいかない。せっかくクラスの人気者が俺を気にかけてくれているのだから。いままで俺のことなんて忘れていただろうに。
「これから裁判とかするの?村上君も出るんでしょう?裁判。すごいなぁ『異議あり』とかって言ってくるのかな、この犯人の弁護士」
まるでショーにでも出るかのような憧れをもって、水野が目を輝かせて問うてくる。
そんなドラマみたいなことないんじゃないかな。それに、そんな華やかな場所ではないはずだ。薄暗くて、重い空気で。怖い大人がいっぱいいる。あんなところにまた行くのは嫌だな。けれどやはり出廷しなければならなくなるのだろうか。まだその連絡は来ていないけれど。
「どうだろうね、まだわからないや」だからあいまいに答えることしかできなかった。「ふうん」そう言って彼女はぷいと自分の席に戻って行ってしまった。そして、他の誰かを捕まえてまたペラペラと喋り出す。
ほら、こんな程度なのに、俺への関心なんて。それに嫉妬するだなんてバカバカしい。いっそ通り越して河野が哀れで仕方がなかった。はやくいつも通りに戻ってくれよ河野。今まで通りゲームの話でも何でもしてくれよ。たとえそれが俺にとってつまらない話だったとしても、さも面白そうに笑ってみせるから。
どこか遠いところでそれらは行われているような感覚だった。体育、数学、化学、英語。睡眠不足がそうさせたのかもしれない。たかが一日徹夜したぐらいで大げさな。
昼休み、彼らのもとには行かなかった。一番後ろの自分の席で味気ないパンをついばみ、昼寝をする。まわりでは楽しそうな声。
文化祭、どうする?準備めんどくせぇなぁ。ざわざわざわ。彼をおいてにぎやかな明るい世界。
早くここから離れたかった。けれどほかに居場所もなかった。
すべての授業が終われば、慧は追い立てられるかのように学校を後にした。ほとんどの生徒が残っていた。文化祭の準備。気を遣ってくれたのだろう、水野が「村上君も手伝ってよ」と声をかけてくれたが、バイトがあるからと断った。事実そうだったし、余計なお世話なだけだった。いいんだここじゃなくっても。もっと俺を必要としてくれている場所があるから。
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