偽りの勇者

鷲野ユキ

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第四章

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携帯電話が鳴ったのは、とっぷり日も暮れた頃合いだった。険しくなってしまった眉間に指を当て、微かに震えて自己主張するそれを手に取れば見知らぬ番号からのコールだった。
「もしもし、設楽ですが」
「ああ、刑事さん、ですか?」
電話先の声は、男性の声だった。少し高めの声。誰かしら、それに私のことを刑事だなんて。けれどこれはあの子の声じゃない。それに彼には私の正体を明かしたはず。では誰が?
「あの、俺の親父が刑事さんに会ってると思うんですけど、噴水公園で」
そこまで言われて聡子は思い出した。レイプ犯が死んだとき、そこから逃げる背の高い何者かの姿を見たと主張していた息子をもつ、穏やかなご老人の顔。そういえばその息子が海外出張から帰ってきたら私に連絡するようには言ったけれど。
しかし本物の刑事らが、彼のもとへと聞き込みしに行ったはずだ。その報告を私は林刑事から聞いている。
それに今さら。レイプ事件と村上慧の事件は直接関係がないと証明されたではないか、まさにこのご子息の発言によって。田嶋修一は背が低い。あの場にいたのは田嶋修一ではなかったのだ。だから関係など、今さら。
だが、いずれにせよ〈勇者〉の正体は明らかにしなければならないだろう。彼にまつわる資料に細分に目を通した彼女は、そう強く思うようになっていた。このままではいけない、なにかが掛け違っている。そう思わせるものがあった。
「ええ、そう、設楽さん?ですよね?設楽さん以外の刑事さんに話を聞いてもらえたもんだからすっかり俺忘れてて。さっき思い出したんです、親父から設楽さんの連絡先渡されてたの。でもたぶん他の人から話は聞いてるかなとも思ったんですけど、一個思い出したからそれで」
「思い出した?なにを……」
「それなんですけど、なんというかこう……電話だと説明しづらいんで、今から噴水公園に来ていただく、というのは可能ですかね?」
今から。聡子はちらりと腕の時計に目をやった。18時。
「わかりました、おそらく18時半頃には着けるかと思います」
「じゃあ俺あの公園の近くに住んでるんで、着いたらこの番号に電話してもらっていいですか?すぐ向かいますから」
「ありがとうございます。けれどすみません、夕飯時に」
「いえ、大丈夫です。それにたぶん暗い方が説明しやすいと思うので」
電話を切って辺りを見回せば、ほとんどの職員が仕事を終えて去ったようだった。だが品川はまだどこかにいるのだろう、ゲージの中には光る目があった。しかし気の急く聡子はそれに気がつかなかった。鞄の中に事件の資料を突っ込んで、あわてて出口へと向かう。
資料は持った、携帯も。車のキーと、コート。それらに気を取られていた彼女は、足元におかれたそれを蹴飛ばしてしまった。
痛い、と思うより早く、けたたましい犬の鳴き声が響く。ギャンギャン、狂ったようにそれは吠える。与えられる攻撃に怯え、命の危機を感じて本能的にわめき立てる声。
うるさい、思わず彼女はそう叫びそうになった。ああうるさい、どうやったらこの子を静かにすることができる?この生き物を、もう二度と吠えたりしないようにするには?そう、首をたたき切って――。
そこで品川があわてて戻ってきた。どうやら尋常ではない愛犬の鳴き声に呼ばれて戻ってきたようだった。
「おい設楽なにやってんだ!」
そこで彼女は現実に呼び戻された。いったい私は今なんと?
「あ、すみません……ちょっと急ぎで慌ててたもので、この子のゲージを蹴ってしまったようで」
「そんなに急ぐたぁ……彼氏でも出来たのか?」
「残念ながら。そんなことばかり言ってると、そのうちセクハラで訴えますよ」
「それは困る。まあ急ぎなら早く行け。この子は俺がなんとかするから」
「すみません」
そう断りを入れて聡子は品川のもとを離れた。村上慧の件で、とは言いづらかった。あれはもう終わったと他ならぬお前がいってたんじゃないのか、それをなぜほじくりかえしている?そう問われたら、なんと返せばいいのかわからなかった。
本当は、自分だって終わったことにしておきたかった。地中に深く埋めて、もう見えないように。だがそのなにかは、地中から這いずり出ようとしていた。それがそのものによる意思なのかはわからない。だが、賽は投げられていたのだ。恐らく、はじめから。

公園の近くにパーキングがないことを失念してしまっていた。約束の時間より15分ほど遅れて聡子が目撃者の男性に電話を掛けると、すぐにその人が現れた。家が近いと言っていたが、本当にそのようだった。
「すみません、遅くなってしまって」
「いえ、こちらこそ急にすみませんでした。ついさっき思い出したもんで、早くお伝えしておきたくって」
今まで忘れていたようなこと。それはとるに足りないことなのかもしれない。だが、それでも伝えるべきだと判断したなにか。
以前に合ったご隠居にそっくりな人だった。その人―笠原努というらしい、が、一応と言って警察にも伝えただろう情報を改めて彼女に告げる。
「あそこに電灯があるの見えますか?」
彼らが立っているのは公園の西口、慧が事件を目撃したという時計がある東口とはちょうど真反対の場所だった。
その入り口からすぐ、公園は生い茂る木々によって全貌を隠されてしまっている。だがちょうど落葉も終わった時期だからなのだろう、その枝枝の隙間から、辛うじて中央に存在する噴水が見てとれた。そして、その先に広がる暗闇。
「ええと、噴水を囲むように設置されているベンチの近くにあるやつですか?だと3つ、光っているように見えますが」
そう聡子は答えながら違和感を感じていた。あれ、事件のあった茂みの近く、そうこの目撃者のお父様が座っていたベンチの脇にもあったような気がするのだけど。
「実は、外灯は4つあるんです。でも、ひとつは壊れてしまっていてつかない。それがちょうど、事件のあった場所の近くのやつなんです」
良かった、記憶は間違っていなかったみたい。頷く聡子に、笠原は彼女が一度ここに来たことがあるのを思い出したのだろう。こうも続けた。
「じゃあ、噴水の左右にミラーがあるのもご存じですよね?ほら、よく道路にあるやつ」
それも聡子は覚えていた。なぜこんなところにあるのだろう。そう不思議に思ったことも。
「だいぶ昔に、小さな子供が噴水に落ちて亡くなったことがありましてね、それでつけられたみたいです。公園の外からも、あの辺りが見えるようにって」
そう言われた聡子は、茂みの間からその鏡を見た。確かにうっすらだが、噴水が見える。反対側の道路からも、きっと同じように見えるのだろう。おそらく、もうひとつの外灯が壊れていなければ、もっと明瞭に見えたのだろうが。
「そうです、あれが壊れてなければ、もっとはっきり見えただろうし、警察もすんなり信じてくれたと思うんですが」
「確かに、これではほとんど……肝心の現場付近から、東口の辺りまでがぜんぜん見えませんね」
いったい笠原はこの暗がりのなかに何を見たというのだろう、村上慧も。
いぶかしげに彼女がそういうと、笠原氏は「その鏡のなかに黒い影を見たんだ」と言った。
「あの鏡のなかに?」
そんなの見えるのだろうか。疑いの眼差しに苦笑しながら、その男性はこうも言った。
「じゃあ私があの辺りをちょっと走って来ますから、刑事さんはそこからあのミラーを見ていてください」、と。
言われるままに彼女が凝視していると、なんだかうっすら光る影が、役立たずの外灯の脇を走り去るのが見えた。なるほど、よくはわからないが、それでも辛うじてその影の背丈はわかる。一緒に壊れた外灯が映り込んでいるからだ。だが、警察が見間違いではないかと切り捨てたのも納得がいく。それほどには不明瞭だった。まして、犯人は自殺だと被害者も証言していたのだ。それをわざわざ疑うこともしなかっただろう。
「どうです、見えましたか?」
しばらくして笠原が戻ってきた。「ええ。外灯のお陰で背が高いってわかったんですね?」
「そうです、ちょうどあの外灯の上の方に札がかかっているんですが見えますか?」
「ええと……なんだかキラキラ光ってるやつですか?」
「そうです。あれ、修理予定の札なんですけどね」
そういえばそんなものがぶら下がっていた気がする。なんだかピカピカして眩しかった。それもそのはず、ご丁寧に工事現場にありそうな、反射材のテープが貼られていたのだ。
「なにとっくに予定日を過ぎてるんで直すつもりもなかったんでしょう、さすがに今回のことがあって近々直すとは聞いてますけど。で、その札の辺り。札が隠れたように見えたから、たぶんその影はこのくらい背が高かったのかなって」
その外灯の下まで彼らは歩み寄る。告知のつもりにしては、それはずいぶん高い位置にあった。自然と彼女は見あげる形となる。慣れた首の角度。
「じゃあ逃げ去るその背の高い影は、笠原さんのようにリフレクターつきのウェアを着ていたということですかね?」
脳裏に浮かんだ姿を振り払いつつ、一番可能性の高そうな犯人像を思い浮かべる。暗い公園にいても違和感のない姿。今聡子の目の前に立つ彼のようなランナー。村上慧も見たといっていた、光るなにか。だが、確か……紋章やバッジのような大きさだと言っていなかったか?
「俺もそう思ってこないだ来た刑事さんに言ったんですけどね、けどそれにしてはほんとにねえ、微かに光る程度だったんですよ。自分でもよくあれに気づいたなって思うくらい」
「あなたが見たのはランナーではないと?」
「ええ、こうやって走りながら回りを見てると、まあみんなピカピカ光ってるんですよね。確かに俺たちは公園の外周沿いを走るんで、車に轢かれるのが一番怖いんで。それぞれ対策してるんですよね」
そういう彼も、対策はぬかりない。家の近くで車に轢かれて死ぬなんて滑稽すぎると、彼の妻がウェアやらバンドやらを用意してくれたのだという。
「でね、俺の家は西口に面したとこにありましてね、そこから走りはじめて公園を一周してるんです。一周っていってもそこまで広い訳じゃない、500メートルやそこら、ゆっくり走っても5分もかかりません。で、走り始めて反対側、東口に通りかかったときに、そこに自転車が停まってたのを思い出して」
「自転車?」
東口には、同じく事件を目撃した村上慧がいるはずだった。アホみたいに突っ立ってるしかできなかった。自転車のハンドルを握りしめ、そこに呆然と立つ彼の姿が目に浮かぶ。
「その自転車の脇に、男の子がいませんでしたか?」
聡子はそう彼に問いかけた。
「いえ、見ていません。俺が見たのは自転車だけ。で、それで思い出したんです。あの、微かに光っていた小さなものは、よくチャリの鍵とかにつけるリフレクターのキーホルダーなのかなって。ほら、かわいいのも今たくさん出てるじゃないですか、キャラクターのとか、ハートのとか。そういうやつ。娘が持ってるもんで、それで思い出したんです」
彼が思い出したものとはそれのことだったのだろう。聡子に娘から借りたのだろう、ピンク色のお花型のリフレクターを持って事件現場に立っていて欲しいと言うと、笠原は走って西口の方まで行ってしまった。どうやら自分が見たものを再確認したいようだったが、一人残された聡子は不安に押し潰されそうだった。
どういうことなのだろう。彼は同じ頃現場付近にいた村上慧を見ていないという。彼が見たのは自転車だけ。いや、彼が見たのは村上慧のものとは違う自転車なのではないか。
しばらくして、満足そうな顔をして彼が戻ってきた。「そうそう、こんな感じでした、やっぱり」
「その、確認したいのですが、最初あなたが東口を通った時に、その自転車はあったんですよね?」
「ええ、そうなんです。で、つぎに西口を通ったとき、鏡越しになにか見えた気がしまして。いややっぱり怖いじゃないですか、夜の公園。だからつい、中を見る癖がついちゃって。お化けとか出たら嫌だなって、なにせ昔、噴水で死んでる子がいるんですから」
鏡をわざわざ覗くほうがよほど怖い気もしたが、それは怖いもの見たさというものもあるのかもしれない。
「で、さっきのはなんだろうなって思いながら東口に着いて、そうしたらさっきの自転車が消えている。で、なんだろうと思ったら、犬の鳴き声と人の叫び声がするじゃないですか」
このときの犬と人が第一発見者なのだという。彼らは恐れも知らず、彼が外周を走っている間に、西口から東口へと突っ切って走ったらしい。そして、凄惨な事件現場を目撃した。
「でもあの人たちはそんな影見てないっていうんですよ。自分達は懐中電灯も持っていたし、そんな怪しいやつがいたらコタロー……その犬の名前らしいんですがね、そいつが黙ってないと。なんならあなたが見たのはこの懐中電灯の光なんじゃないですかって。あんなにピカピカなんかしていやしません、俺が見た光はたぶん、これの反射光だったんだから」
よほど取り合ってもらえなかったのがくやしかったのだろう。彼はリフレクターを握りしめ、そこまで一息に言った。
「それは、警察には?」
「自転車の件は言いました。けど、野次馬が自転車で来たんじゃないですかって」
「でも、家を出られてすぐに見たということは、事件発生前からあったということですよね?そして事件後なくなっている。なら野次馬なんかじゃない、むしろ……」
「そうですよ、だからこないだ来てくれた刑事さん、ええと林とかいったかな、その人にはもう一度同じことを教えて、調べるようにお願いしたんですが、けれど肝心の自転車の特徴を俺、覚えてなくって。まあ、たぶんありきたりなやつだったんだと思います、色とかもよく見えなかったんですけど。その刑事にこの自転車ではありませんかって写真見せられたんですけど、ぜんぜんわからなくって」
林刑事が目撃者に見せた自転車の写真。それはもしかしたら、村上慧のものなのかもしれない。林刑事も、やはり違和感を持っているのだ、村上慧の証言に。
「でも、犯人が例えば自転車のカギにリフレクターをつけていたとして、その自転車も消えているとすれば、辻褄が合いますよね?」
犯人は背が高くて、自転車カギにリフレクターをつけている。そして事件後、自転車でその場から逃走している。
そんな人物、ひとりしかいないじゃない。
慧くん、あなたは――あなたは、本当はここで何をしていたの?

親切な目撃者に礼を述べ、彼女は暗い道をとぼとぼと歩く。状況はすべて一方向を向いている。けれどなぜそうなのかの理由がわからない。
もう一度、田嶋修一に会ったほうがいいのかもしれない。過去の事件。彼は、本当に逆恨みだけで茜を殺したのか?あいつらが嘘をついているんだ。その証言は、本当に嘘だったのか?田嶋吾郎は、子供二人の証言のみによって死刑にされてしまった――。それは本当に、正しかったのか?
頭のなかに、すかすかの綿を詰められたような感じだった。うまく働かない。なんだかすべてがどこか遠くで起こった出来事のような気がしてきた。事実そうだったらよかったのに、けれどそんな都合のいいことはない。疲れているのだ、脳が。これ以上考えても意味がないと言っている。そうだわ確かに私は疲れているのだ。疲労は思考力を低下させる。今日はここまでにしよう、また明日、田嶋修一にくわしく話を聞いて――。
そんなことを考えながらパーキングまで歩いていたものだから、突然視界に入った、疲れた顔の女に出くわして聡子はひどく驚いてしまった。悲鳴を喉に押し込んだ聡子が改めてその女を見れば、なんてことはない、単に鏡に写った自分の姿だった。
自分で自分の疲れ顔に驚くなんて、よっぽどだわ。
公園入り口の脇に添えられた、申し訳程度のミラー。公園内にあったものよりひどく貧相なそれは、どうやら近隣住民がむりやり入り口に生える木にくくりつけただけのものだった。
なんだかやたらと鏡のある公園ね。そう思う聡子の脇を、車がビュンビュン走っていく。東口、西口が住宅街に面しているのに対し、北口は大きな通りに繋がっていた。だが公園内は木が生い茂っており見通しが悪い。これは公園内で遊ぶ子供が万一飛び出して来てしまったとき、ドライバーに注意を促すために設置したのかもしれない。彼女はそう理解した。現に来るときこの道を通ったけれど、無意識に彼女はミラーを確認していたからだ。
そうしてたどり着いた車のなかで、聡子はしばらく身体を休める。アイドリング禁止、そう書かれた看板のなか肩身が狭かったが、少し暖めてからでないと調子が出にくいものだ、車も人も。
さて人心地ついたところで、ふたたびケータイが自己主張を始める。ヴーッ、ヴーッという振動音。やはり知らない番号。億劫ながらもそれに出れば、困惑気味の男の声が聞こえてきた。
「もしもし、あの、村上くんの叔母さんですか?」
オバサン?失礼しちゃうわ、誰かしら。そこで聡子は思い出した。もう一件の身分詐称。
そうだわ私、彼の叔母を装ってお店に入ったわ。創作和食料理「ともしび」に。ということは、この電話の主はあの店主だろうか。
「え、ええ。なにかありましたか?その、慧のことで。なにかお仕事に差し障りでも」
「いえ、なにかあったというほどではないんです、むしろ仕事はよくやってくれてるんですけどね」
電話越しの男が安堵のため息をつくのが聞こえた。レイプ事件の目撃者といい、バイト先の店主といい、今日はなんだかやたらと村上慧の関係者が現れる。やはり事件は終わっていなかったのだ。その答えが聡子の胸を刺す。
「いえね、ずっと村上くん調子悪いみたいで。まああんな事件のあとで、すっかり元気なほうがおかしけれど。最近はうちもガラガラなもんで19時に上がってもらってるんですけどね、けどなんだか最近様子がおかしいらしくって」
「様子がおかしい?」
「どこまで本当かわからんのですが、うちのバイトで菊川というのがおりまして。彼女も19時上がりなんですけど、なんだか最近村上くんに後を尾けられている気がする、なんて言い出すもんですから」
「後を?単に帰るのが同じ方向なだけなのでは?」
「私もそう言いました。実際途中まで一緒らしいんですよね、方向が。けれどわざわざ自転車を押してついてくるのはおかしいって。さっさと自転車に乗って先に帰ればいいのにって」
確かに不自然だ。しかも菊川というのは、あのときレジにいた、無愛想な女の子ではなかったか。あんなネクラなんてありえない。そう慧が言われたと証言する常連客のセリフが脳内に浮かぶ。じゃあ、慧くんが一方的にストーカーしてるってこと?そんな、まさか。
「いやまさか。まさかとは思うんですけど。おそらく彼女の被害妄想でしょう。彼女がおかしいんでしょうよ。けどひとつ、気にかかることが」
「なにが?」
「その、店から、包丁が一丁無くなってるようなんです。刺身を切る用の包丁が」
刺身包丁。その言葉を聞いて、聡子は強く頭を殴られたような衝撃を受けた。
そうだわ、こんなに近くにあったんだわ。刀に似たその刃物。
「それを、村上慧が持っていったと?」
「いえ、滅相もない!甥っ子が刃物をもって女の子の後をつけてるようだ、なんて叔母さんに連絡しませんよ。むしろ逆です、菊川のそれが被害妄想なら、護身のつもりで持っていったのかなと。そうしたら村上君が危ないじゃないですか。でも警察に連絡するほどか判断に迷ってしまって、とりあえずあなたにお電話したんです、気を付けてくださいって」
電話越しの店主は、自分が村上慧にあらぬ嫌疑をかけたと思われてはたまらない、とばかりに弁明を繰り返す。けれどその言葉はまったく彼女の耳になど入らなかった。
〈真の勇者〉の象徴である、刀。長い刃物は、刺身包丁なのはないか。そしてそれは、過去の事件、彼らの両親の命を絶った凶器でもある。しかしそれを勇者の装備品だとなぜ思ったのか?
彼らの両親さえも、裁かれるべき罪を持っていたとでもいうのだろうか?そしてそれを裁いたのは、刃物を持つもの。
では、勇者の正体は――。
「彼らが店を出たのは何分ほど前ですか?」
「7時10分くらいには着替えて帰っていたかと」
聡子は腕の時計に目をやる。19時30分。自転車だと20分の距離。歩いてどのくらい?今、彼らはどこにいる?車で駅まで戻るか、それとも。
「わかりました、ありがとうございます。ちょっと探してみますね」
電話を切った彼女は、車のエンジンを切った。そうして再び夜の外へと飛び出す。
一番可能性の高いのはまさしくここだ。人気の少ない公園。もし彼が、なんらかの理由で粛清を行うとすれば、まさにこの場所こそがうってつけのはずだ。依然として理由などわからない。菊川が何をしたというのだろう。けれど彼は、罪を与えるべきだと判断した。
下手に探し回るよりは、ここで待っていたほうが。考えながら聡子は来た道を戻る。戻る途中、例の飛び出し注意用のミラーに、なにかが映ったような気がした。疲れた女の顔なんかじゃない、キラリとしたなにかをもった背の高い影が、ヒラヒラとする重いものを引きずっている。
それを追い、彼女は公園に入っていった。噴水脇にたたずむ二つの影。その影は、どこか空中を見ているようだった。三方向からの外灯の光を逆光に浴びており、姿がよく見えない。けれど背の高い人物であることは確かだった。時折、光を反射する何かが胸元にいた。
向かいから犬を連れた初老の男がやってきた。そして、その目の前で起こっている現象に、思わず立ちすくむ。ギャンギャンと吠えたてる犬。うるさい、聡子はそう思ったが、その影は気にもせずひたすらに空中に向かってなにかを呟いているようだった。
空中?いや、彼が見ていたものは。
「ようやく出てきたな、田嶋吾朗。この、偽物の勇者気取りが。正しいのは俺なんだ、いまからそれを証明してやる!」
何かに怯えた声だった。声変わりを終えて、それでもまだあどけさの残る低い声。その声は、屹立するミラーに向けられていた。
ミラー?違う、まるでそこに映る自分自身に怯えているかのような。
薄暗い闇の中、生ぬるいなにかが飛び散るのを聡子は感じた。
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