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一章(エレオノール視点)
娼婦の道へ
しおりを挟む継母は快く馬車を出してくれた。御者は何度も教会へと行くように説得してくれたが、エレオノールは決して首を縦に振らなかった。
花街近くで降ろしてもらう。御者はいつまでも去っていかない。ここで別れたら最後、暗い道へ行ってしまうエレオノールを心配しているのだろう。辛い思いをさせたくなくて、近くの路地を曲がり御者から姿を消す。エレオノールは敢えて別れの言葉を言わなかった。継母が嫌がらせで使いを寄越すと言っていた。会う機会はある。
娼館に着いた頃には、朝になっていた。雲一つない澄んだ空だった。昨夜、王宮を出て今、ここにいる。一夜にして王妃から娼婦になるという怒涛の展開に、物凄い人生経験を積んでいるのだと場違いに思う。
三階建ての立派な館には、大きな看板が建っている。
『クルチザンヌ』
紹介状にある名前だ。ここで間違いない。
薔薇のステンドグラス入りの荘厳な扉は閉まっているが、押せば開いた。中に入れば、自分はこれから娼婦として生きていくことになる。
迷いはなかった。エレオノールは足を踏み入れた。
──それから三ヶ月後。
とある酒場で、客はマスターに話を振った。
「なぁ、クルチザンヌの『エマ』って娘、知ってるかい?」
コップを磨いていたマスターは、ああ、と当然のように答えた。
「この界隈で知らない者はいませんよ。私も一度会いましたが良い娘でしたよ」
「会ったことあるのか?」
「まだ彼女が駆け出しの頃でしたので、金さえ払えば会えたんです。今思えばラッキーでした」
「じゃあマスターなら知ってんだろ。噂は本当なのかよ」
マスターは、ええ、と頷いた。
「『笑わない娼婦』でしたよ。本当にニコリともしない。愛想のない女でした」
「笑わせたら相手してくれるらしいな」
「そうかもしれませんが、私は会えただけで満足してしまいまして。そんな気は無くなってしまいましたよ」
「あ?なんでだよ。そのために行ったんだろ?」
そうなんですけどね、とマスターは蓄えたヒゲを動かした。
「彼女を見ていると不思議と心が安らいで、聖母様と相対しているような敬虔な気持ちになるのですよ」
「けいけん?まさか」
全く信じていない客に、マスターは頼まれていたビールを置いた。今は夏真っ盛り。客はビールを一気に飲み干して、満足げに息を吐いた。
「あぁうまい。働いた後のビールは最高だな。もう一杯」
マスターは直ぐに二杯目を注いだ。直ぐに口をつける。今度は半分まで飲んだところでビールを置いて、枝豆をつまむ。
「娼婦が聖母様なんてなぁ。その気も失せるわな。エマって娘、働く場所間違えてんじゃねぇか」
「いえいえ、ちゃんと彼女は娼婦ですよ。顔も声も可愛らしいですし、なにより謎めいた妖しい雰囲気があります。魅力的ですよ」
謎めいた、に客は反応した。それを指摘する前に、残りのビールを飲み干して、三杯目をオーダーした。ペースが早いのは、夏の暑さのせいだ。日が暮れても、残り火のように暑さが続く。
「もう一つの噂、知ってるか?」
「元王妃だという噂ですね」
マスターは軽い調子で答えた。その反応を見て、やはりデマか、と椅子にもたれる。
それはエマが、元王妃だという噂。
三ヶ月前に新国王が誕生し、それまで妻だったエレオノール妃との結婚を無効にし、愛人を王妃に据えた。元王妃のエレオノール妃は行方知れずだとか。丁度その時期だ。エマが現れたのは。しかもエマは元貴族の出だという。噂に信憑性を帯びてくる。
もちろん本気にする者なんかいない。眉唾ものだ。例え没落貴族になろうとも、爵位持ちと姻戚関係を結びたい輩は大勢いるし、結婚出来なくとも修道院へ送られる。貴族が娼婦になるなど聞いたことがない。
「さすがに王妃ではないでしょうが、気品は感じました。どこぞの貴族に仕込んでもらったのかもしれませんね」
マスターの言う通り、金持ちの貴族がパトロンとなって育てたのが真相だろう。でなけば三ヶ月でここまで話題にならない。雇われの身として娼館にいるのは、そのパトロンに捨てられたからか。
なんにせよ、稼いだ金が日々の酒代で消えていく貧乏人には高嶺の花だと、客はビールをあおった。
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