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一章(エレオノール視点)
笑えない
しおりを挟む口角を指で持ち上げて笑顔を作ってみる。鏡の前で人工的に作った偽りの笑みを見て、エレオノールは直ぐに止めた。
娼婦になって四ヶ月が過ぎた。お客を取るようになって、自分なりに人を籠絡する術を身につけてきたつもりではある。
だがいまいち、今ひとつ、どうしてこんな自分を買ってくれるのか、分からずにいた。
娼婦とは名ばかりで、実際、エレオノールは本当の意味での客の相手をしたことが一度もなかった。
覚悟を決めて迎えた最初の客は、たまたまエレオノールが王宮時代に懇意にしていた服飾デザイナーだった。
そもそもデザイナーは娼婦を買うためではなく、娼婦に服を売りつけにきていた。そこにエレオノールを見つけ仰天して話を聞こうと買ってくれたのだ。彼は王宮でも有名な愛妻家だった。
デザイナーはエレオノールの身の上を心底同情してくれて、一銭にもならないのに服やら宝石やらを拵えて貢いでくれた。
デザイナーの貢ぎ方が豪快だったせいか、エレオノールは一目置かれ、一夜限りの安い客が買えるような値段設定はされず、それなりの裕福な人に買われるようになった。
商人、もちろん貴族もいた。エレオノールは三年、王宮で過ごしたが、基本夫には部屋に籠りきりだったため、公式の場以外で外に出ることはほとんど無かった。その公式の場ですらも、度々、出席を禁じられたり、病欠しろと命じられたりしたので、貴族でもエレオノールの顔を知らない者は多くいた。
金持ちだからだろうか。彼らは女を抱くためだけに娼館に来ているのではなかった。新たな愛人探しだったり、娼婦でしか知り得ない情報を欲しがったりする者もいた。
エレオノールが持っている情報は、ほとんどが国の中枢に関わる機密ばかりだった。迂闊に話すわけにはいかない。だが、持っている雰囲気は出せた。特に貴族間でしか理解できないような符牒を使うと、効果てきめんだった。彼らは情報を欲しがる。エレオノールは当たり障りのない話を小出しにする。すると次を期待して何度もやって来る。
そうやって引き伸ばしていくと、変な方向へと話題になっているとエレオノールは聞かされた。
なんでも、エマを笑顔にしたら、相手してくれるのだと言う。
相手にすると言うのは、床を共にするという意味である。そんな噂をポニーから教えてもらったエレオノールは、首をかしげた。
「どうしてそんな噂になっているの?」
「だってエマさん、笑わないじゃん」
言われてハッとした。そうだ。笑っていない。
散々、ジョンとココットに無表情だと罵られてきた。だからエレオノールは出来るだけ笑顔でいようと決めていたのに、毎日を生きるのに必死で、いつの間にかそんなことをすっかり忘れていた。
娼婦として愛想のないのは致命的だ。でも、なのに、致命的じゃなかった。
笑わなくても、やっていけていた。
むしろ笑わないことが武器になっていた。
「ねぇ笑ってよ」
ポニーの笑顔の催促に応えて、エレオノールは笑いかけたつもりだった。
なのにポニーは不機嫌になった。
「笑ってよ」
「笑ってるでしょう?」
「ぜんぜん!」
ほら!と、渡された手鏡で自分の顔を見てみる。無表情のままのエレオノールの「笑顔」が映っていた。
笑っているつもりなのに、笑っていなかった。エレオノールは手鏡を伏せて膝の上に置いた。
「あれ?顔色悪いよエマさん」
「…そうみたい」
もう休むね、と言って自室に戻る。
部屋の鏡に向かって微笑む。でも顔は変わらなかった。
笑えなくなっていた。いつの間に、こんなことに。
最後に笑ったのはいつだろう。いや、笑ったと思っていたのは自分だけで、本当はずっと笑えていなかったのかもしれない。
指で吊り上げてみる。いびつな笑み。こんな顔、おかしい。エレオノールは顔を覆った。
陰気な女。ココットの声が風に乗って聞こえてくる。
「陰気な女…そうね」
でもそうしたのは、あなた達じゃない。
再び笑える日は来る。いつか、必ず。その日は遠くない。
笑うのはその日までのお預けなのだ。
そう言い聞かせて鏡に背を向けたエレオノールの顔は、暗い笑みをたたえていた。
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