【完】王妃の座を愛人に奪われたので娼婦になって出直します

112

文字の大きさ
10 / 50
一章(エレオノール視点)

本を携えて

しおりを挟む

「ラリー、完治したって」

 リリアンが知らせてくれた吉報に、エマは安堵して胸を撫で下ろした。

「ああ良かった。安心しました」
「あいつ、アンタのこと散々なじってたんだよ。全く人が良いんだから」
「誰だって恨み言は吐きたくなるものよ。病気なら尚更」

 梅毒と診断されたラリーは入院させられた。特効薬は無く、対処療法しか治療法はないが、初期に発覚したから進行は防げた。あばたも軽く、鼻も欠けていない。軽症のまま退院した。

 退院してからもラリーは娼婦としては復帰できず、金が稼げないからとクルチザンヌを辞めていた。
 エマはこの機会に娼婦から足を洗うように説得した。働き口はこちらで用意するからと言った。ラリーは反発してエマの話に耳を傾けなかったが、リリアンに代理として行ってもらうと、あっさりと受け入れた。病を指摘された時にエマを怒鳴りつけた後ろめたさからなのか、変な意地を張っていたらしい。一度、病気を移されて懲りてはいたのだろう。

 ラリーの働き口は、デザイナーのお針子だった。娼婦ほどは稼げないだろうが、有名貴族からのお下がりも貰える職場だ。上手くやればそれなりに金は入る。

 そんなラリーから完治したとの知らせが来たのだ。エマは嬉しくて鏡を見たが、相変わらず顔は笑っていなかった。

「…本当に良かった」
「なぁ、聞きたかったんだけど」
「何をですか?」
「アンタが、ラリーに梅毒を移した男を殺したって噂が立ってるんだ」

 信じちゃいないけどね、とリリアンは付け足した。

「私は殺してません」
「私はってなんだい。他の奴に殺させたとか?」

 リリアンは揚げ足を取ってきた。信じちゃいないと言った通り、冗談半分の口調で。

「ええ、そうですね」

 だからエマも冗談半分で返す。思わせぶりに扇子で口元を隠すと、完璧な冗談になって、リリアンは、くすりと笑ってくれた。

「悪い女だねぇ」
「ええ、悪い女なんです」

 正解は答えない。嘘はついてはいないけれど、敢えて言う必要もない。第一、リリアンを巻き込むつもりなど、さらさら無かった。エレオノールの目的が果たされるまで、彼女とは良き友人というだけの関係であり続けたかった。




 珍しい客が来たという。外の国の方だとか。それだけなら珍しくない。

「ラ・シーヌ語が話せる人?」

 ラ・シーヌ語とは、かつてのこの大陸の公用語だ。今は廃れて、一部の経典でしか扱われない古語だ。
 女神、ディアナ教の総本山は現在も使用されているというが、この国で話せる者はまずいない。

「そんな奴いないって言ったんだけどね。一回みんなに聞いてみろってうるさくてさ」

 女主人ヒルダの手に小袋が握られている。金に物を言わせても物が話せるわけでもなし。聞く場所を間違えてただの無駄遣いだ。もしかしたら主人から見当違いな命令をされているのかもしれない。エマはやって来た者に同情した。

「エマ、あんたみたいな頭良い娘が事情説明したら引き下がってくれるかもしれない。行ってくれるかい?」

 いくら金を積まれたとしても、営業妨害は明白。ただ金を積まれた手前、このまま用心棒を使って追い出したら、騙されたと思われるかもしれない。そこで実際に娼婦を使って穏便に引き下がってくれないかとエマにお鉢が回ってきたということだ。

 ヒルダの命令なら断るわけにはいかない。早速、店先へ出ると、そこには一人の男が立っていた。

「もし、ラ・シーヌ語の方でしょうか?」

 エマが問うと、男は頷いた。背が高く、兵士のように鍛えられた体躯だった。肌は褐色で黒髪。あまりに鋭い眼光に、子供だったら恐ろしくて泣き出してしまうかもしれない。
 外の国の人は、質の良い召し物を着ていた。紺の服に胸に金の飾緒が飾ってある。軍服のようだが、エマが目にするのは初めてだった。

「残念ですが、ラ・シーヌ語を話せる者はおりません。ディアナ教総本山でなければ、まず耳に出来ないかと」

 エマの話を聞いているのかいないのか、男は持っていた本を見せた。

「これを読んでみろ」
「ラ・シーヌ語を話せる者は」
「それはもう聞いた。読めるのか読めないのかを言え」

 鋭い瞳と同じく、物言いも高圧的な人だった。エマは読めませんと答えた。

「お力になれず申し訳ないのですが」
「これ、なんだと思う?」
「?経典では?」

 男は本を開いた。ラ・シーヌ語の文字が並んでいる。ずいぶんと古いのか、カビ臭いニオイがした。白い紙も経年劣化で黄ばんでいる。
 ふと、紙の余白に目がいった。経典であれば文字ばかりが並ぶはずだが、この本は余白が多い。文字も段落が異様に多い。
 こうしたものをエマは心当たりがあった。

「──もしかして、詩、でしょうか」

 エマの答えは男を大いに刺激したらしい。男は、にや、と不敵に笑うと、エマを抱き上げた。

「──!!な、なんですか急に!」

 男はステンドグラスの扉を片手で軽々と開けた。大きく重量があり、エマはもちろん男たちも開けるのに難儀しているというのに、こうも簡単に開けた者は初めてだった。

 一階の酒場にエマを担いだ大男が現れて、客たちはギョッとしていた。何人かはエマに何するんだ!と声を上げたが、男は完全に無視していた。

「ヒルダ」

 男が呼んだのは女主人だった。ヒルダも他の客と同じく驚いていたが、男に従って近づいた。

「なんだい?うちの娘を乱暴に扱わないでくれ」
「娘を買う」

 男は小袋を二つ出して近くのテーブルに置いた。初めにヒルダに渡した小袋よりも大きく、手のひらに余る大きさだった。
 思わぬ大金にヒルダは喜びよりも驚きが先行したのか、呆然としていた。エマも呆気にとられて、声が出なかった。
 大金を積まれて見慣れてはいたが、さすがにこんな大金は見たことが無かった。恐ろしく大金持ちだ。

「部屋を用意しろ」

 気が動転しているヒルダは、反応が遅れながらも、上に上がる階段を指さした。

「…エ、エマの部屋なら二階の一番奥だよ」
「いつまでいていい」
「そりゃあ、身心のままにって奴さ」

 よりによってディアナ教の文句を引用するとは。ディアナの啓示を受けた聖職者が従う時に使う言葉だ。神の身心のままに。私は神に従います。私はこの男に従いますと言っているのだ。
 エマ自身は全く了承していないのに。
 でも、これが本来の形なのだ。自分は娼婦。いままで清いままでいたほうがおかしかったのだ。


しおりを挟む
感想 15

あなたにおすすめの小説

幼馴染最優先の婚約者に愛想が尽きたので、笑って家出しました ― 笑顔で去っただけなのに、なぜ泣いているのですか

ラムネ
恋愛
侯爵令嬢リオナは、婚約者アルベルトが「幼馴染が可哀想だから」と約束を破り続ける日々に耐えていた。領地再建の帳簿も契約も、実はリオナが陰で支えていたのに、彼は「君は強いから」と当然のように扱う。決定的な侮辱の夜、リオナは怒らず泣かず、完璧な笑顔で婚約指輪だけを返して屋敷を去った――引継ぎは、何一つ残さずに。 翌日から止まる交易、崩れる資金繰り、露出する不正。追いすがるアルベルトを置き去りに、リオナは王立監査院の臨時任官で辺境へ。冷徹と噂される監察騎士レオンハルトと共に、数字と契約で不正を断ち、交易路を再生していく。 笑顔で去っただけなのに、泣くのは捨てた側だった。

白い結婚だったので、勝手に離婚しました。何か問題あります?

夢窓(ゆめまど)
恋愛
「――離婚届、受理されました。お疲れさまでした」 教会の事務官がそう言ったとき、私は心の底からこう思った。 ああ、これでようやく三年分の無視に終止符を打てるわ。 王命による“形式結婚”。 夫の顔も知らず、手紙もなし、戦地から帰ってきたという噂すらない。 だから、はい、離婚。勝手に。 白い結婚だったので、勝手に離婚しました。 何か問題あります?

私を裏切った夫が、後悔しているようですが知りません

藤原遊
恋愛
政略結婚として、公爵家に嫁いだ私は 愛のない夫婦関係を「仕事」だと思い、正妻の役目を果たしてきた。 夫が愛人を持つことも、 その子を屋敷に迎え入れることも、黙って受け入れてきた。 けれど―― 跡取りを、正妻の子ではなく愛人の子にする。 その言葉を、人前で軽く口にした瞬間。 私は悟ったのだ。 この家では、息子を守れないと。 元々、実家との間には 「嫡子以外の子は実家の跡取りにする」という取り決めがあった。 ならば話は簡単だ。 役目を終えた私は、離縁を選ぶ。 息子と共に、この家を去るだけ。 後悔しているようですが―― もう、私の知るところではありません。

「君は完璧だから、放っておいても大丈夫」と笑った夫。~王宮から私が去ったあと「愛していた」と泣きついても、もう手遅れです~

水上
恋愛
「君は完璧だから、放っておいても大丈夫だ」 夫である王太子はそう笑い、泣き真似が得意な見習い令嬢ばかりを優先した。 王太子妃セシリアは、怒り狂うこともなく、静かに心を閉ざす。 「左様でございますか」 彼女は夫への期待というノイズを遮断し、離縁の準備を始めた。

【完結】亡くなった人を愛する貴方を、愛し続ける事はできませんでした

凛蓮月@騎士の夫〜発売中です
恋愛
【おかげさまで完全完結致しました。閲覧頂きありがとうございます】 いつか見た、貴方と婚約者の仲睦まじい姿。 婚約者を失い悲しみにくれている貴方と新たに婚約をした私。 貴方は私を愛する事は無いと言ったけれど、私は貴方をお慕いしておりました。 例え貴方が今でも、亡くなった婚約者の女性を愛していても。 私は貴方が生きてさえいれば それで良いと思っていたのです──。 【早速のホトラン入りありがとうございます!】 ※作者の脳内異世界のお話です。 ※小説家になろうにも同時掲載しています。 ※諸事情により感想欄は閉じています。詳しくは近況ボードをご覧下さい。(追記12/31〜1/2迄受付る事に致しました)

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

結婚初夜、「何故彼女が死んでお前が生きているんだ」と夫に言われました

ましゅぺちーの
恋愛
侯爵令嬢のアリサは婚約者だった王太子テオドールと結婚した。 ちょうどその半年前、アリサの腹違いの妹のシアは不慮の事故で帰らぬ人となっていた。 王太子が婚約者の妹のシアを愛していたのは周知の事実だった。 そんな彼は、結婚初夜、アリサに冷たく言い放った。 「何故彼女が死んでお前が生きているんだ」と。

「君は大丈夫だろ?」と可哀想な元恋人を選択した夫。~今さら復縁を迫っても、愛は既に錆び付いています~

水上
恋愛
夫と白い結婚をして、傾いた領地を努力と苦労の末に立て直した伯爵令嬢ヴィクトリア。 夫との関係も良好……、のように見えていた。 だが夫は「君は強いから」と、めそめそ泣く元恋人を優先し、ヴィクトリアの献身を踏みにじった。 その瞬間、彼女の恋心は錆び付き始めた。 「私が去ったら、この領地は終わりですが?」 愛想を尽かした彼女は、完璧な微笑みの裏で淡々と離縁の準備を始める。 これは、有能な妻が去り、無能な夫が泥沼に沈むまでを描く、冷徹な断罪劇。

処理中です...