【完】王妃の座を愛人に奪われたので娼婦になって出直します

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一章(エレオノール視点)

密かな協力者

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 一つ一つの詩は短い。十数ページ続く詩も音にしてしまえば短い。もともと薄い本というのもあって、読み慣れていないエマでも直ぐに終わってしまうほどだった。

 時間にしておよそ十分ほど。エマは本を閉じてペレに返した。

「不思議なものだな」

 ペレは膝に本を置いて、手で表紙を滑らせた。俯いているからか、鋭い瞳が見えないおかげか、うなだれているようにも見えた。

「不思議とは?」
「意味もわからないのに音だけが聞けるところ」

 それもそうだ。音だけを唱えられる点だけをみれば、まるで楽器のようだ。
 
「確かに不思議ですね」
「これは死んだ母が読んでいた本でな。暗誦するほど好きだったらしい。最後の言葉はおそらく、この本のどれかの一片だ」

 聞き覚えがある音があった、とペレは言った。

 死んだ母が最後に残した言葉。外の国のアビア国は国教が異なるから、中々表立って調べられなかったのかもしれない。だからこんな国にまでやって来て、こんな娼婦を頼って来たのだろうか。
 エマも実母を亡くしていた。同じ共通点を見つけると、自然と親しみを感じた。
 なんとなく、鋭い眼差しが優しく見える。

「これの意味が知りたい。訳してみろ」

 次から次へと無理難題を押し付けてくる。エマは面倒な客に当たってしまったと今更に後悔した。
 改めて本を観察する。薄いのに重厚な本。紺に金糸があしらわれて、装丁にかなりこだわりがあるようだ。

「私に詩作の心得はありませんから」
「難しいのは分かってる」
「ですが、それだけ仰々しい作りなら、訳されてこの国にも出版されているかもしれません」

 訳書が存在すればの話だが、その探し方にしても、どちらにせよ辞書は必要だ。

「書店よりは図書館の方が辞書の取り扱いが豊富でしょうから、明日にでも行ってみます」
「なら私は、この本の出どころでも探してみるか」

 こんな男らしい人が、己のことを「私」と言うのに違和感を感じてしまうのは、少し無礼かもしれない。金持ちであれば、育ちも良いのは当然。外の国の人にとってここの言葉は外国語だから、母国語だったら「俺」と話すのかもしれない。
 ふと、一階でなにやら騒ぎ声が聞こえた。下は下で盛り上がっているらしい。ここは娼館なのに、エマとペレは色恋沙汰とは離れた場所にいる。

「詩か。考えたこともなかった」

 ペレは本に目を落として、ポツリと呟いた。アビア国にも詩はある。考えたことも無いと言ったのは、ひとえに彼自身の生い立ちからだろう。詩と縁のない人生を送ってきたこの人の中身を、詮索するような無粋な真似をエマはしない。
 異国の地まで母の面影を探しに来た。その事実だけでエマには十分だった。
 
 

 
 早速、翌日に図書館へ繰り出す。エマは人目をはばかって目深に帽子を被っていた。娼婦は夢を売る職業。おいそれと街中で遭遇するような軽率な行動は禁じられている。

 図書館は昼間というのもあり人はまばらだった。職員にラ・シーヌ語の辞書を出してもらい、共用のテーブルに腰掛ける。辞書類は貸出禁止だ。作業は図書館の開館時間のみに限られる。
 エマは昨日、書き写した詩のメモを広げ、早速、翻訳を開始しようとする。

 ふと、前に何者かが座る。顔は帽子で見えないが、口元の髭は見て取れた。どこぞかの紳士の出で立ちだが、彼らが持ち歩くステッキの音はしなかった。

「──珍しいことをしていますね」

 声で誰か直ぐに分かった。エマは警戒を和らげた。

「ジョースターさん」

 彼はハットのツバを指で押し上げて顔を見せてくれた。紛れもなく酒場のマスター、ジョースターだ。

「奇遇ですね。こんな所で」
「ええ全く」

 ──とは思わない。エマはこの日、あらかじめジョースターと会う約束をしていた。

「先日は驚きました。まさかうちの酒場にいらっしゃるとは」
「驚かせたかったんです」
「いけませんよ。貴女は売れっ子なんですから。あんな物騒な所に行くのはおやめください」
「物騒だなんて。ジョースターさんのお店じゃないですか」
「ならず者の集まりです。現に、隣に座っていた男が貴女に手を出そうとしていた」

 確かに。ジョースターが助け舟を出さなかったら、あの男に触れられていた。少し目を合わせただけだったのに、簡単に落とせてしまった。

「気をつけます。それで、今日は説教だけですか?」

 ジョースターは思わせぶりに口元に人差し指を当てた。そしてエマが広げている辞書を手に取るふりをして、下に何かを忍ばせた。酒場のマスターならではの器用な手つきだ。

 ジョースターは酒場の主人であり、エマの協力者だった。大したことは頼んでいない。ときどき、ちょっもした噂を流してもらっているだけだ。

「ジョースターさん、手首の調子はどうですか?」
「痛めたと言うほどでもありません。絶好調ですよ」
「そう。心配していたんです。良かった」

 重たい死体を扱ったのだ。他に頼む人がいなかったとはいえ、一人で大変だっただろう。ジョースターには感謝してもしきれない。
 酒場に行った時に聞きたかったが、周りの目を警戒して、今の今まで聞けなかった。
 
「酒場に来た城の兵士たちも、貴女の噂をしていましたよ」
「ジョースターさんが流してくださるおかげです」
「そろそろ、お耳に入る頃かと」
「そうですね。準備をしておかないと」

 短いやり取りで、ジョースターは立ち上がる。過度な接触はしないほうがいい。情報は受け取っている。詳細はそれを見ればいい。

 立ち去ろうとする間際、ジョースターは僅かに顔をこちらに向けた。

「アビアの男は調べておきましょうか?」
「必要ありません」
「そうですか。では」

 シルクハットを掲げて、ジョースターは去っていく。紳士に扮した彼のステッキがコツコツと響く。おそらく、エマに聞かせているのだろう。音が聞こえなくなる頃、ジョースターが置いていった辞書の下の物を抜き取る。手のひらの小さな手紙だった。封もちゃんとしてある。館に戻ってから読もうと懐にしまい込み、エマは翻訳を再開した。 



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