29 / 50
二章(ジョン視点)
11
しおりを挟むエレオノールは、あの日と同じ真っ赤な衣装を身にまとっていた。客の男たちに囲まれて、共に食事をしている。空の酒瓶がテーブルに並び、グラスの酒も減っていて、それなりに食事が進んでいることが伺える。男たちは口々にエレオノールへと何かを話しているが、彼女はほとんど反応せず、目の前の食事に集中している。
元貴族らしく背筋を伸ばし、ナイフとフォークで切り取った肉を口に運ぶ。洗練された淀みない所作で、それは妻であった頃と変わらない。
だが、まとう雰囲気は全く違っていた。酷く人を引き付ける魔力を持ちながら、まるで一人だけ別世界にいるような、孤高の存在。女神のような、神に近い存在。
ジョンは縫い留められたようにその場から動けなかった。会うのが目的だった。会って、話を──
「なぁエマ!そろそろ俺にもチャンスをくれよ!」
ドン、とジョンを押しのけエマの隣に男が座る。よろけたジョンを侍従が支える。無礼な行いだが、今は変装している身。腹は立つがむやみにトラブルを起こすのは得策ではない。侍従もよく分かっていて、男を咎めない。
エマは無礼な男も無視して食事をしている。
「エマ!お前のために新しい屋敷を買ったんだ。そこで俺と暮らそう」
男の発言に他の男が反応する。
「おい!エマは俺と交渉してんだ。邪魔すんな」
「何言ってやがる。相手にされてねぇじゃねぇか。潔く諦めて帰りな」
喧嘩腰の態度に、他の男が仲裁に入る。
「まぁまぁ落ち着いて。エマさんは食事中ですよ。食事を終えてから改めて話を聞きましょう」
「仕切ってんじゃねぇぞボンクラがぁ!」
「わ、私もエマさんの為に宝石を用意してきたんです。他の方たちも同じです。順番は守ってください」
そうだそうだと声が上がる。他の娼婦たちと話をしていた男たちも、みなエレオノールに注目して、抗議の声を上げていた。
まるで皆がエレオノール目当てのように、割り込んできた一人の男に非難が集中する。
ヤジを飛ばされた男は初めは、うるさい!と大声で抵抗していたが、やがて他の男たちに羽交い締めにされ、店の外へと連れ出されていった。
一騒動が終わると、何事もなかったかのようにまた酒場はもとに戻る。男たちの一致団結に呆気にとられたが、最初から最後まで顔色一つ変えずに、ひたすら食事を続けているエレオノールにも驚く。
佇まいは女神の神聖さがあるのに、まるで女王のような振る舞いだ。しかも何もしていない。
「恐ろしい方ですね」
従者の耳打ちに、ジョンはかろうじて頷かなかった。頷いたら、この雰囲気に気圧されていると認めることになる。それは王としての矜持が許さなかった。
「この様子なら、なんの心配もいらなさそうだな」
この目で見てもまだ信じられないが、認めるしかない。エマは間違いなくエレオノールだった。そして娼婦だというのに男を手玉に取っている。王妃だった頃の面影は全く無く、あの頃よりも何倍も魅力的な女へと成長していた。
ジョンが手を差し伸べる程の悲惨な目には遭っていない。むしろ娼婦であることが天職であるかのような、そんな気さえもした。
であればもうここに用はない。このまま帰ろう。そう思ったときだった。
「はぁ、やっぱり笑ってくれねぇな」
客の一人がそう呟く。相手をしていた娼婦が、酒を注ぎながらそりゃそうよ、と答える。
「それがエマの常套句だもの」
「笑わせたら相手してくれんだろ」
「デマよデマ。四六時中一緒に暮らしてるアタシだって、笑ったトコ見たことないもの」
笑わない?ジョンは引っかかって、思わずその男に声をかけた。
「エマという女は、笑わないのか」
「あ?あんちゃん知らないのか?」
「有名だよ。笑わないエマ。聞いたことない?」
「初めて来たものでな」
すると男と娼婦はからかうようにケラケラと笑った。
「お坊ちゃん。初めてでエマに会えるとはラッキーだな」
「そうよ。最近じゃ本当に人気で、滅多に一階に降りてこなかったんだから」
「なぜ笑わない。娼婦は愛嬌で客を取るのだろう」
「さあ?でもエマは笑わなくたって、誘惑は上手だからね。男たちが自分になら笑ってくれるかもって期待させて、そうやって客を取ってきたんだ。上手だよね」
娼婦はエレオノールの評判を下げたいらしい。隣の男はそんなにいじけるなよ、と言って娼婦の頬にキスした。
汚い場面を目にして、ジョンは顔を背けた。もういい。一先ずは帰ろうと踵を返しかけた時に、一つの視線を捉えた。
注目されることに慣れているジョンは、誰かが自分を見ているのに直ぐに気づいた。
視線を探す。赤いものが目につく。
ジョンは目を見張る。
エレオノールが、こちらを見ていた。
食事を終えたばかりのエレオノールは、椅子に座ったまま、ジョンへと顔を向けていた。
気のせいではなかった。ジョンは今、エレオノールがこちらを見ているとはっきり自覚できた。
青い大きな瞳。
ジョンも見つめる。エレオノールの無表情からは、真意が分からない。
エレオノールが立ち上がる。周囲の男たちの呼びかけにも答えず、エレオノールはジョンの前で止まった。
数秒の間。沈黙が流れる。
ふ、とエレオノールが微笑む。ジョンは目を見開いた。
「あ…、エ──」
「どうぞお二階へ。よいワインを用意しておりますの」
見間違いじゃない。いま、確かに笑った…?
幻のような一瞬の出来事に、これは現実なのかと疑いたくなる。
このまま帰ろうとしていたジョンの手に、エレオノールが触れる。柔らかく、少し冷たい手だった。
700
あなたにおすすめの小説
幼馴染最優先の婚約者に愛想が尽きたので、笑って家出しました ― 笑顔で去っただけなのに、なぜ泣いているのですか
ラムネ
恋愛
侯爵令嬢リオナは、婚約者アルベルトが「幼馴染が可哀想だから」と約束を破り続ける日々に耐えていた。領地再建の帳簿も契約も、実はリオナが陰で支えていたのに、彼は「君は強いから」と当然のように扱う。決定的な侮辱の夜、リオナは怒らず泣かず、完璧な笑顔で婚約指輪だけを返して屋敷を去った――引継ぎは、何一つ残さずに。
翌日から止まる交易、崩れる資金繰り、露出する不正。追いすがるアルベルトを置き去りに、リオナは王立監査院の臨時任官で辺境へ。冷徹と噂される監察騎士レオンハルトと共に、数字と契約で不正を断ち、交易路を再生していく。
笑顔で去っただけなのに、泣くのは捨てた側だった。
白い結婚だったので、勝手に離婚しました。何か問題あります?
夢窓(ゆめまど)
恋愛
「――離婚届、受理されました。お疲れさまでした」
教会の事務官がそう言ったとき、私は心の底からこう思った。
ああ、これでようやく三年分の無視に終止符を打てるわ。
王命による“形式結婚”。
夫の顔も知らず、手紙もなし、戦地から帰ってきたという噂すらない。
だから、はい、離婚。勝手に。
白い結婚だったので、勝手に離婚しました。
何か問題あります?
私を裏切った夫が、後悔しているようですが知りません
藤原遊
恋愛
政略結婚として、公爵家に嫁いだ私は
愛のない夫婦関係を「仕事」だと思い、正妻の役目を果たしてきた。
夫が愛人を持つことも、
その子を屋敷に迎え入れることも、黙って受け入れてきた。
けれど――
跡取りを、正妻の子ではなく愛人の子にする。
その言葉を、人前で軽く口にした瞬間。
私は悟ったのだ。
この家では、息子を守れないと。
元々、実家との間には
「嫡子以外の子は実家の跡取りにする」という取り決めがあった。
ならば話は簡単だ。
役目を終えた私は、離縁を選ぶ。
息子と共に、この家を去るだけ。
後悔しているようですが――
もう、私の知るところではありません。
「君は完璧だから、放っておいても大丈夫」と笑った夫。~王宮から私が去ったあと「愛していた」と泣きついても、もう手遅れです~
水上
恋愛
「君は完璧だから、放っておいても大丈夫だ」
夫である王太子はそう笑い、泣き真似が得意な見習い令嬢ばかりを優先した。
王太子妃セシリアは、怒り狂うこともなく、静かに心を閉ざす。
「左様でございますか」
彼女は夫への期待というノイズを遮断し、離縁の準備を始めた。
【完結】亡くなった人を愛する貴方を、愛し続ける事はできませんでした
凛蓮月@騎士の夫〜発売中です
恋愛
【おかげさまで完全完結致しました。閲覧頂きありがとうございます】
いつか見た、貴方と婚約者の仲睦まじい姿。
婚約者を失い悲しみにくれている貴方と新たに婚約をした私。
貴方は私を愛する事は無いと言ったけれど、私は貴方をお慕いしておりました。
例え貴方が今でも、亡くなった婚約者の女性を愛していても。
私は貴方が生きてさえいれば
それで良いと思っていたのです──。
【早速のホトラン入りありがとうございます!】
※作者の脳内異世界のお話です。
※小説家になろうにも同時掲載しています。
※諸事情により感想欄は閉じています。詳しくは近況ボードをご覧下さい。(追記12/31〜1/2迄受付る事に致しました)
「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある
柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった
王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。
リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。
「わかりました。あなたには、がっかりです」
微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。
結婚初夜、「何故彼女が死んでお前が生きているんだ」と夫に言われました
ましゅぺちーの
恋愛
侯爵令嬢のアリサは婚約者だった王太子テオドールと結婚した。
ちょうどその半年前、アリサの腹違いの妹のシアは不慮の事故で帰らぬ人となっていた。
王太子が婚約者の妹のシアを愛していたのは周知の事実だった。
そんな彼は、結婚初夜、アリサに冷たく言い放った。
「何故彼女が死んでお前が生きているんだ」と。
「君は大丈夫だろ?」と可哀想な元恋人を選択した夫。~今さら復縁を迫っても、愛は既に錆び付いています~
水上
恋愛
夫と白い結婚をして、傾いた領地を努力と苦労の末に立て直した伯爵令嬢ヴィクトリア。
夫との関係も良好……、のように見えていた。
だが夫は「君は強いから」と、めそめそ泣く元恋人を優先し、ヴィクトリアの献身を踏みにじった。
その瞬間、彼女の恋心は錆び付き始めた。
「私が去ったら、この領地は終わりですが?」
愛想を尽かした彼女は、完璧な微笑みの裏で淡々と離縁の準備を始める。
これは、有能な妻が去り、無能な夫が泥沼に沈むまでを描く、冷徹な断罪劇。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる