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別れの言葉①
「モリス、もういい。止めろ」
馬車を止めさせる。老体の身で御者をしてくれていたが、これでも体力を消耗する。グレンは馬車から降りた。
ナセル国の都を出てから少し経つ。馬車を止めた目と鼻の先には、次の街が見えていた。
「悪いがお前はあの街で馬を拾って、ラジュリーへ戻ってくれ。ナセル王の崩御と、新王が即位した件はここに書いておいた。陛下に渡しておいてくれ」
「殿下は?戻らないのですか?」
グレンは馬車に目線を送った。
「ラジュリーには戻らない。ここで別れよう。今までよく仕えてくれた」
「お待ち下さい。帰国しないのは止めませんが、殿下一人では危険です」
「アニーの金の瞳が発動したら、止められるのは俺しかいない」
「止めてください。大体、火も起こせないような坊っちゃんが、一人で彼女を守っていくなど無理です」
「そ、そうだろうか」
従者は大いに頷いた。そうも自信満々だとこちらも自信を無くしてくる。
「人の世話をしたことのない殿下は知らぬと思いますが、人一人の世話に一人では足らぬのですよ。私がどれだけ苦労してきたか、良い機会ですから学んでください」
「俺が日頃から迷惑かけてるような言い方をするな」
「そうは言っておりません。アニー嬢は今眠っておられますが、もう三日食事をしていないのでしょう?殿下に彼女の世話をお任せしますから、雑事は私がすべて請け負います」
睡眠薬の効果がどれほど持続するかは分からないが、目覚めたら彼女に事情を説明しなければならないし、何より早急な食事が必要となる。モリスの言うことは最もだった。
「しかし、ラジュリー国へは報告しなければならない」
「そもそも、殿下はどこに行くつもりだったのですか」
「トラド国に山買ってあるだろ。あそこ行こうかと」
トラドはナセルと国境を接する国だ。南に位置するから、冬でも暖かいという。グレンは数年前に山を一つ買って、そのまま土地を貸してちょっとした小遣い稼ぎをしていた。
「あそこなら人目に触れないし、これから迎える冬でも過ごしやすい。アニーは直ぐに体が冷たくなるから、最適だと思うんだが」
「山暮らしするのなら、ある程度の装備も必要です」
「山小屋がある。隠居しようと思って色々詰め込んである。荒らされていなければ、掃除すれば使えるはずだ」
「準備が良いことで…。であれば、国を越えるなら彼女をある程度、回復させる必要があるかと。とにかく一旦、あそこの街に立ち寄りましょう」
話がまとまった所で、グレンは馬車に戻る。横たわるアニーの顔を覗くと、目を覚ましていた。ぼんやり天井を見上げで、反応が薄い。衰弱しているのは明らかだった。
グレンと目が合うと、彼女は静かに涙を浮かべた。
「エイドス様は…?」
馬車はゆっくり走り出す。馬車の振動で、涙は落ちていく。
「既に王都を発っている」
「わたし…化け物だから、エイドス様は私のこと嫌いになったの…?」
「そうじゃない。貴女が大切だから、手放したんだ」
アニーの目にハンカチを乗せる。彼女は直ぐに自分で目元を押さえた。
「エイドス陛下は貴女に人を殺させてしまったのを悔やんでいた。私に託す時に、とても貴女を心配していた」
やがて嗚咽が聞こえ始める。グレンはそれ以上、言葉をかけられなかった。
街に着いて、宿に泊まる。宿の者に食事を頼んでから、グレンは再度アニーに言った。
「貴女に酷い言葉をかけたのは、わざとだ。分かるだろう。エイドス陛下は、貴女の為に言った」
ベッドに横たわるアニーは、拒絶するかのように耳を貸さなかった。宿の者が食事を持ってくる。グレンはテーブルの上に置くよう指示した。宿の者が下がってから、グレンは言う。
「粥だ。少しでも食べて欲しい」
アニーは壁を向く。肩を震わせる。見ていられず、グレンもそっと部屋を出た。
彼女は食事をせず、ただ泣き続けた。それだけエイドスに対する愛情が深かったのだろう。そんな彼女を本当に連れて行ってしまって良いものなのかと真剣に考えた。今からでも彼女を彼の元へ帰すべきなのではとも考えた。
泣き続ける日が続いたある日、アニーの部屋に入ると、テーブルの粥が少し減っているように見えた。相変わらず壁を向いていたが、良い進歩だと思っていた。
次の日に直ぐ発覚した。彼女は粥を宿にいる猫に食べさせていた。目撃したグレンは、その場で止めさせた。
「貴女の食事だ。貴女が食べるものだ」
アニーは腕の中の猫を撫でる。骨の浮き出た指を見て、グレンも我慢できなくなった。
粥を自分の口に含んで、アニーに口移しで食べさせる。彼女からはくぐもった拒絶の声が上がる。衰えた体力では何の抵抗にもなっていなかった。
嚥下を確認してから口を離す。グレンはスプーンをアニーに持たせた。
「食べないならもう一度同じことをする」
アニーは怯えた顔をする。スプーンで粥をすくって、震えながら自ら食べた。
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