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小屋での生活①
しおりを挟む小屋の暮らしには、そこまで苦労しなかった。世話を頼んでいた村人は親切な人で、頻繁に食糧やら木炭などの燃料を持ってきてくれるし、モリスは一時期、家財の職人をしていたので、村人に木の切り出しを請け負って貰えば、後は椅子でもテーブルでも、ベッドすら難なく作り上げてしまった。
となると王族であるグレンが出来ることと言えば、嗜みとして覚えた狩りぐらいで、これでよくアニーと二人で小屋暮らしなどと言えたものだと自嘲する。あの時はとにかく必死で、勢いでなんとかなると思っていた。アニーと再会して、少なからず浮足立っていたのかもしれない。
そのアニーからは、エイドスから自分を引き離した張本人だとして目の敵にされている。そう仕向けたのは、紛れもない自分なのだから言い訳のしようがない。これでアニーが生きようとしてくれることこそが重要だった。生きていれば良い事も巡ってくるだろう。少なくとも今は、何の陰謀にも巻き込まれる恐れはない。それだけでも十分、彼女を幸せに出来ていると自負していた。
が、それもモリスとマーサがいるからだった。
マーサは猫の名で、普段は山を駆け巡っているが、食事の時だけひょっこりやって来る。アニーは猫の為にせっせと食事を用意した。
一方モリスとは、老体ということでアニーが彼の手伝いをしていた。自然、モリスと居る時間の方が多く、グレンは邪魔をしない程度に二人に関わるしか出来なかった。
ただそれても、アニーと二人きりになる時がある。グレンはその時間がやって来るのを待つのが何よりも心浮き立つ瞬間だった。
深夜、アニーの部屋を訪ねる。アニーは既にベッドに眠っていて、モリスが手作りした小さな丸テーブルには、夜でもランプの火が小さく灯っている。別れ際のエイドスの助言に従って、灯りをを絶やさないように見守るのが、グレンの役目だった。
事前にアニーには了承を取っている。夜の暗がりが怖いのも確かだし、ランプの油を補充しなければならず、また誤って火事になる恐れもあったから、渋々、と言った様子での了承ではあったが。
初めは警戒して中々眠ってくれなかった彼女も、何日か経つ頃には慣れてきたのか、今ではグレンが入る頃にはすっかり眠っていてくれるようになった。
彼女の安らかな寝顔を見ていると心底安心する。別れてからの彼女を、グレンは知らない。知らないからこそ、出来るだけ大事にしてやりたい。そう思うのは、グレンだけではない。あの男もきっと、それを望んで手放した。
アニーの寝顔を見るだけでは、夜はあまりにも長い。グレンはランプの僅かな灯りを頼りに、持ち込んだ本を捲った。この時ばかりは邪魔な前髪を除ける。音を立てないように読んでいると、ふと、布団が動くのを目の端に捉えた。グレンは目を前髪で隠した。
見れば、ただの寝返りだった。こちらを向いて眠るアニーは、静かな寝息を立てている。布団から肩が出ていたので、グレンはそっと引き上げた。
「……エイドス様…」
近づいたからこそ聞いてしまった寝言。どんな夢を見ているのだろうか。幸せな夢であって欲しい。グレンはそっと椅子に戻った。
マーサが朝からいないという。朝方眠っていたグレンは、一階に降りてその話を聞いた。正しくは、アニーがモリスに話しているのを聞いた、だが。
アニーは猫に与える皿を持っていた。皿には小魚が乗っているが、全く手を付けられていない。それを見てグレンは直ぐにピンときた。
「香草のせいだろう」
言うと、アニーは小魚を見た。魚の上には、香り付けと保存のために香草が乗っていた。
「ローズマリーなんですけど…マーサは嫌いなんですか?」
アニーはグレンに問う。それがごく自然だったので、慣れていないグレンの方が反応が遅れた。
「…マーサだけじゃない。一般的に猫は嫌いだ。それで寄り付かなかったんだろう」
アニーは頷いた。作り直すと言って、竈へ向かっていった。
モリスと二人になって、グレンは声を落として言った。
「びっくりした」
「え?どうしてです?」
「初めて普通に話してくれた」
モリスは吹き出す。何故そんな反応をするのか、グレンには分からなかった。
「アニーさんはよく殿下の話をされますよ」
「彼女が?まさか」
「肉より魚が好きだとか。キノコが嫌いだとか。そういう話です」
食事はアニー担当だ。なら彼女が同居人の好き嫌いを気にするのは当たり前だろう。モリスの言い方は誇張だった。
「モリスから見て、彼女は元気に見えるか?」
「そりゃあ見えますよ。よくマーサを追いかけてますし、この間はズボンを履きたいと仰られて、流石に断りましたが。薪拾いも積極的で助かってます」
モリスには心を許しているのがよく分かった。グレンはそんな彼女を見たことがなかった。仕方のないことだが、良い気はしない。
「僭越ながら申し上げたいのですが」
改まって言い出したモリスに、グレンは顔を向ける。老人は、短く貯えた白いヒゲを撫でた。
「そろそろ殿下も髪を落とされてはいかがですか」
「前髪をか?」
「今の暮らしには向きません。人も来ませんし、そうしているのは殿下も不便でしょう」
「アニーが怖がる」
「隠しているから怖がるのかもしれませんよ。常に晒しておけば彼女も慣れるでしょう」
自分の前髪をつまんで見る。確かに邪魔で見辛くはある。その分、音や気配で補ってきた。長年これで来たのだから晒している方が違和感がありそうだ。
髪を退けた先では、アニーが猫の為に魚を料理し直していた。ローズマリーの匂いを取るために一度茹でから、身をほぐし粥のような物に作り上げている。
鮮明な彼女の後ろ姿に、グレンは目を細める。いつこちらを振り向いて来るかもしれないと思うと変に焦って、髪で目を隠す。意外と自分は小心者だ。
ふいに猫の声が聞こえた。見れば直ぐ足元に猫が来ていた。グレンの足元に顔を擦りつけて、こちらを見上げてくる。グレンは猫を抱き上げた。
「マーサ帰ってきたぞ」
声をかければアニーは簡単に振り返った。喜びの笑みを向ける相手が猫だと分かっていても、グレンも彼女と同じ気持ちだった。
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