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私は貴方を知っている

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 服を脱がせて、毛布に包む。抱き抱えて二階に上がろうとした所で、モリスが村から帰ってきた。モリスは管理していた村人と交渉をして地代を請求しない代わりに、時々彼らから食料やら雑品を融通してもらっていた。荷物を乗せているであろうラバが、外で鼻を鳴らしているのが聞こえる。

「モリス、湯を沸かしてくれ」
「何がありました」
「冬の川に入った」
「え!?お二人ともですか?」
「炭もあったろう。あれも持ってきてくれ。部屋を温めたい」

 腕の中のアニーの震えが止まらない。モリスは何か言いたげだったが聞いていられなかった。今度こそ二階へ上がった。

 ベッドに寝かせる。着替えてはいたが髪が濡れていて、乾かすにはタオルで包む術しかない。グレンはとにかくあるだけの毛布を被せて、モリスがやって来るのを待った。

 果たしてモリスがやって来る。彼は火鉢に炭を入れて持ってきて、火かき棒でつついて火の勢いを強くしてくれた。

「助かる」
「アニーさんは大丈夫ですか?」
「すぐ引き上げたから大丈夫な筈だ」
「殿下もお着替えにならないと」

 言われてから、自分の始末を何もしていなかったのに気づいた。アニーが優先で、それどころでは無かったのもある。グレンはいつの間にか眼鏡が無くなっていたのにも気づいた。おそらくは飛び込んだ時に、流されたのだろう。

 モリスにアニーを任せて、着替えるために一旦、下に降りる。張り付いた服を脱がすのに苦労していると、ふと、前にもこんなことがあったのを思い出した。

 冬の川から彼女を引き上げ、氷のように冷え切った体を温めた過去。どうして忘れていたのだろう。彼女の為に柔肌の感触を覚えておかないようと、自分の記憶から消し去ろうとしたのかもしれない。

 もしかしたら彼女も思い出そうとしているのかもしれない。だからあんな馬鹿げた要求をしてきたのなら、断固として拒絶しなければならない。忘れている方が絶対に幸せなのだから。だが、自分と過ごした日々を思い出して欲しい自分もいる。こんなことを考えてしまうのは寒さのせいだ。独りよがりの願望でなく、理性を働かせなければ。
 やっと服を脱がし、乾いた服に身を包む。彼女に温かい飲み物を飲ませるために湯を沸かしに行った。





 何かがおかしい。そう思った頃には、この生活が始まっていた。初めは、あの人と引き裂かれて恨んでいた。あの人が恋しくて仕方なかったのに、何故か、何も思い出せなかった。あの人を思い出そうとしても何も覚えていない。あの人と過ごした日々があった筈なのに何も無い。この恋い慕う気持ちだけが残っていて、あの人がどんな人だったのかも思い出せない。

 どうして?何を覚えているの?覚えているのは、金の瞳。二つ重なったあの瞳。違う。知らない。私が愛しているのはあの人だけ。

 強く思い込めば思い込むほど、金の瞳がこちらを見てくる。アニーは恐ろしかった。

 何度も夢を見た。どこかの建物の中で手を引かれて歩く。微笑んでいるのは、あの人じゃない、金の瞳。

 本を朗読した記憶が蘇る。聞いてくれた人は──

 何かが触れる感触。大きな腕に抱かれて、その腕の中で、アニーは幸せだった。隙間無く身体をくっつけて、背中がじんわりと温かった。その人は誰?

 
 アニーは目を開ける。大きな腕が視界に入る。背中の温かさ。知っている。この温もりを、経験したことがある。あの時と同じ幸福感に包まれて、アニーは目を閉じた。
 
 この人を覚えている。本を読んだ日々。手を何度も繋いで、歩いた日々。綺麗な金の瞳。この人だ。この人こそ、自分が愛した人。

 
 彼に温めてもらったお陰で、冬の川に身を投げても、アニーはただ寒い思いをしただけで、全く体調は悪くならなかった。目を覚まし、普段通りに起き上がったアニーは、グレンにこっぴどく怒られた。いくら何でも冬の川に入るなんて危険過ぎるだの、たまたま直ぐ引き上げたから大事に至らなかっただの、懇懇と説教された。アニーとしては、この人が自分の愛する人だと気づいたから、反省よりも喜びが勝って、ついつい笑ってしまった。

「何がおかしいんだ」

 低い声で言われる。アニーは口元を両手で隠して、顔を横に振った。目元は笑っていたから、ますます彼を怒らせてしまったようだ。

「全く分かっていないようだからもう一度言うが、冬の川は危険だ。ただ共寝をするためだけに身を投げるなど馬鹿げている。あのまま流されていたら死んでいたんだぞ。君を託したエイドスの為にも、貴女は生きなければ」
「あの人は関係ありません」

 グレンは説教を止める。アニーの真意を測りかねているらしい。

「…とにかく、今後一切こんなのは無しだ。心臓に悪い。試すような真似は、これっきりにしてくれ」
「思い出したの」

 グレンの手を握る。やっぱり、覚えのある手。

「今みたいに身体を温めてもらったことがあります。あれは貴方だった」
「…………」
「あの時と同じだった。間違いない。あの人はグレンだった」
「それを確かめるために、同衾どうきんなどと言ったのか?」

 アニーは頷く。微笑むと、逆にグレンは眉をひそめた。

「なんて軽率な真似を。そんな事の為に冬の川に飛び込むなど」
「何度も言わないで。こうして分かったのだからいいじゃありませんか」
「聞けばいいだろう」
「じゃあ何故最初に言ってくれなかったのですか。恋人だと」

 グレンは固まる。何故そんな反応をするのか。アニーは不安になる。

「もしかして、違うのですか?」
「そういう関係ではなかった」
「じゃあ私、恋人でも無い人と一緒に裸で寝ていたのですか?」
「そこは思い出せていないのだな」
「え?」

 どうしてそういう経緯になったのか。彼は簡潔に教えてくれた。今みたいに冬の川に落ちた自分をグレンが助け、当時は体を温める器具が無かったから、やむを得ず体で温めたのだと言った。

「申し訳なかったと思っている」
「でも私はとても嬉しかった。幸せな気持ちでした。この気持ちは、私だけが感じたものですか?グレンも同じ気持ちだったのではないですか?」
「ちょっと待ってくれ」
「なんですか?」
「その言い方だと、その…そういうことなのか?」
「はっきり言ってください」

 でもグレンは言いあぐねている。顔を横に向けて短くなった前髪をかき上げて、少し照れているようにも見えた。

 二人はちゃんと服を着ていた。今回は裸にはなっていなかった。暖房の火鉢に入った炭はすっかり冷たくなっていたが、それほど寒くなかった。ベッドの上で向かい合って座って話をしていたが、彼はベッドから降りようとした。

「待って。まだ話の途中です」
「俺からは無い」
「さっき言いかけていたではないですか」
「腹が減ったろう。何か作ってくる」

 呼んでも、グレンは無視してベッドを降りてしまった。アニーも追いかける。

「そういうことって何ですか?」
「忘れてくれ」
「私の質問に答えていません」
「忘れた」
「嘘つき。グレン、答えて」

 階段を降り一階へ。そこでモリスと遭遇する。彼は先んじて何か料理を作ってくれていた。鍋を掻き回している。

「アニーさん、良かった。回復されましたか」
「モリスさん、私、グレンと恋人でしたか?」
「は…?」
「アニー止めろ」
「私、グレンを愛しています」
「…え…?ええ!?」

 モリスは驚いて二人を交互に見つめる。持っていたお玉を落としてしまって、慌てて拾っていた。

「い、いつの間に!?わわ私は知りません!」
「前にも同じように体を温めてもらったのを思い出したんです。私はグレンと暮らしていました。私とグレンはどういう関係だったんですか」
「かか関係!?関係で言えばとても仲睦まじく」
「止めろ!」

 グレンの言葉にモリスは自分で口を塞いだ。それでも驚いた顔のまま、やはりアニーとグレンにキョロキョロと視線を向けている。その様が面白くて、アニーはくすりと笑った。


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