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しおりを挟むノアが自室に戻ってきたのは、随分夜になってからだった。扉が開いてマリアが出迎えると、ノアはそっと指を絡ませた。
「これからは毎日遅くなる。待っていないで先に休んでいなさい」
はい、とは言ったものの守る気は無かった。そんな無礼な真似は出来ない。
「湯浴みはされますか?」
「入れるのか?」
「準備はさせております。必要なければ、着替えのお手伝いをします」
「先も言ったが、私の世話は必要ない。長い移動で疲れているだろう。私に構わずともよい」
何をそんなに遠慮するのだろうか。マリアは不思議で仕方なかった。
「王太后さまの女官をしておりましたから、心得はございます。契約を守るだけです」
ノアはうつむき加減になる。うなだれているように見えた。
「私も守りたい。だが貴女に触れられると、守れなくなりそうになる」
「──私からは、触れてはなりませんか」
「そうなる。…湯浴みをしてくる。休んでいろ」
指が離れる。彼の熱い体温が残った。
ベットで横になっていると、湯浴みを終えたノアが静かに入ってきた。寝たふりをしていたマリアは、そっと彼を覗き見る。ベットの端で背を向けていた。
契約を結ぶにあたって、いくつか決め事を取り交わした。
ノアからの要求は、二人のときは名で呼ぶこと。
マリアからの要求は、房事をしないことだった。
──よくこの条件を飲んだと思う。マリアが提案したとき、彼は顔色一つ変えずに頷いた。だが内心では動揺していたに違いない。
マリアはもうあの悲劇を繰り返したくなかった。子を失った苦しみは、いまもここにある。
静かな寝息が聞こえてきた。本当に静かな。大きな背中を横目に見ながら、マリアも目を閉じた。
王太后が貸してくれた化粧が得意だという女官は、マリア付きとなった。マリアはてっきり化粧だけしてくれるものだと思っていたが、身の回りの世話も一手に引き受けるという。
女官はニコリともしない冷たい印象の人だった。黒髪に細い首が印象的だった。
彼女はマリアの意見も全く聞かずに独断で衣装を選び着せ、素早く化粧を施し、さっと髪をまとめ上げた。驚くべき早技に、マリアはずっとポカンとしていた。
リボンがこれでもかとあしらわれた黄色のドレス。ダイヤの耳飾りとネックレスを身につけ、化粧は頬に赤みをもたせた程度のささやかなものだったが、目元の絶妙な色遣いで、随分はっきりして見えた。
「凄いわ。ありがとう」
女官は光栄ですと言った。聞けば彼女はとある伯爵の令嬢。子爵の娘に仕えるなど屈辱的だろうに、そんな素振りは全く見せなかった。
既にノアは朝から執務室に籠もっている。マリアは扇子を広げて入室した。
かつて先王が執務を行っていた場所だから、どんな設えなのかは知っていた。
奥に執務机が置かれ、陛下は窓を背にして座る。机の上には報告書や請願書が山のように積み上げられ、補佐官が一つ一つ中身を確認してより分けていた。
マリアが突然やって来たので、ノアを初め周囲の者たちも騒然とした。
そんなこと微塵も気にしていない顔でゆっくり近づき、カーテシの礼を取る。マリアはゆったりと微笑んだ。
「どうした」
ノアがやっと言う。政務中のためか、マリアの知るいつもの彼よりも表情が険しい。
「夜しか陛下にお会いできないというのも寂しいものですよ」
「昼食を共に取ろう」
「陛下の貴重なご政務の時間を削るような真似はしたくありません」
ノアはこちらをじっと見てくる。真意を測りかねているようだ。
マリアは微笑みのまま部屋を見回す。部屋の一画に、テーブルと長椅子が置かれている。マリアはそこに座った。追随していた女官から本を受け取ると、おもむろに広げた。
気遣いの出来る女官から背中にクッションを当ててもらう。
ノア初め周りから奇異の目を向けられる。わざとらしくさも今気づいたかのように扇子を広げた。
「私のことはお気になさらず」
「マリア、今は政務中だ」
「重々承知しております。なにも聞いておりませんし、申しませんからお気になさらず」
「マリア」
「私は公妾ですよ。今、陛下の傍に侍らないでどうしますの」
諭すように言い放つ。
王太后から明かされた国教の変更。その件をノアはマリアには一切話さなかった。マリアにその「役目」を負わせる気が無いとしても、公妾であることに違いはない。政務公務には顔を出すのが公式寵妃の責務。それを知らない訳でも無いだろうに。
「そういうものなのか」
どうやら知らなかったようだ。マリアは流石に呆れながら肯定した。
「…そうなのか」
と、彼は呟いた。周囲の補佐官はノアとマリアを交互に見ながら出方を伺っている。マリアは彼らを無視して本を読み始めた。
しばらくの沈黙。
ノアは何事も無かったかのように、政務を再開する。マリアも読書にいそしんだ。
報告書やら嘆願書を持って次々と人がやって来る。その度にマリアはひしひしと視線を感じた。
自分がいることで、王の政務に口出ししていると思わせる。それが狙いだった。
勿論、政務の内容も聞き逃さないように耳をそばだてる。若干十八歳、もう十九歳になる彼は、その若さで国を背負い大きな改革に挑もうとしていた。
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