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第三章

天秤の護り

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 魔霧の馬に乗って、僕らはどこかへ連れて行かれた。
馬が話したことにも驚いたが、『源』がこの魔霧の出所のことだと聞いて、さらに驚愕した。
 魔素は大気中に混ざっていて、天から降って来るモノだと教えられていた。誰に聞いても、それがこの世界の常識だと言うだろう。僕らを連れてい行ける所に『源』があると言われてもすぐには信じられない。魔素溜まりと言われたなら分かるが、源と言われては温泉の様に噴き出している想像しかできない。背に揺られながら、何度かその疑問を投げかけたが、馬は「行けば分かる」としか言わなかった。

 半信半疑で乗った馬だったけれど、触れた時の柔らかさとは反対に、乗った背は妙な硬さを持っていた。ちょうど低反発素材に似た感触だ。それに加え、始め裸馬の体だった背にあっという間に馬具が生じた。鐙に恐る恐る足を掛けて固さを確かめ、手綱を掴んで感触を確かめと、歩き出すまでに時間を有した。
 2頭が並んで進みだすと、魔霧がモーゼの海渡りみたいに分かれて先を見せる。その上、恐るべき速さだった。生きた馬で向かえば10日はかかるだろう大森林の奥へ、馬は1日もかからずに到達した。
 馬上でもジンさんは【猛禽の目】を使って位置を確認していたが、進むほどに難しい顔をしていた。

「このまま行くと、俺たちが戦った魔王の居城跡に着く」
「でも、あそこは元々の遺跡に戻ったはずだし……」

 魔王の城は、元々あった古代の城跡に魔素を使って実体化された城だった。古代の城を復元して作ったのかは知らないが、広大な範囲に外門から始まり、何重にも巡らされた壁の奥に迷路のような回廊を持つ城があった。そこに魔物たちが魔獣を従えて――――――ー。
 頭を振って過去の幻を追い払い、ただ前を見つめた。

 馬が足を停めたのは、やはり遺跡だった。
そして、むせるほどの濃厚な魔素の場。溜まっているだけじゃなく、本当にどこかに湧き出ている場所があるようだった。
 匂いもなくただただ喉に詰まるような圧迫感と、魔霧全体が魔獣の腹の中に仕舞われたような閉塞感を覚える。ジンさんも無意識だろう仕草で胸を押さえ、【遮断】を展開した。
 馬は、降りた僕らを案内するかのように時折振り返りながら、石積みと大きな柱の台だけがあちこちに残る遺跡の中を進んだ。そして、もっとも奥まった所で止まり、2頭並んで振り返った。
 
『コノ  石板二  触レ  中二  入レ』
魔賜ましノ  器ヲ   取リ戻ス  ノダ』

 切れ切れの言葉が、反響を伴って脳裏を走る。音が重なり不明瞭で不快な音になる。

「魔賜の器とはなんだ!?そして、お前たちはなんだ!?」

魔賜ましノ  器トハ  魔素ノ  天秤ナリ』
『我ラハ  神・グワーノスノ  恩寵ヲ   運ビ  護ル  モノ』

「グワーノスって…冥府の王?」

『是』

「その器は、どこにある?」

『器ハ  北ノ  魔ノ者二  掠奪サレタ』
『返サネバ  再ビ   大地ハ   魔王二   蹂躙サレ』
『ソシテ   恩寵ハ   涸レル   デアロウ』

 それだけ言い残して、僕らの疑問を顧みないまま馬は消えた。
恐ろしい宣告に衝撃を受けて、しばらくの間立ち竦んでいた。

 北に住む誰かが、この遺跡の中にある《魔賜の器》と言われる魔素に関係あるなにかを盗み出した。それが原因で、この途方もない魔素が吹き出し始め、魔王が出現した。その魔王は、僕らが討伐したが、原因はいまだに解決していない。放置すれば、第二の魔王が現れる。そして、グワーノスの恩寵である魔素が涸れる。
 混乱しながらも要約て話してみると、ジンさんも同じ解釈をしたらしく頷いた。
 冥府王の恩寵とは、魔素……魔素が涸れる?魔素が涸れれば、魔力を失う。僕らの世界で例えたら、電力を失うようなものか?そうなれば、人々の生活は荒れるだろう。

「北の魔の者って、アール・ケルドの人ってこと?」
「ここから見て北はアール・ケルドしかねぇだろうしな」
「……まずは、この遺跡の中だ」

 魔力なんてなくなっても、僕らは別にかまわない。元々は魔力なんて無い世界から来たんだ。でも、この世界で暮らす人間の1人として、混乱し荒廃した中で暮らしたくはない。

 僕らは石板に近づき、風化しざらついた表面を撫でた。何かしらの文字らしき溝は分かるが、なにが書かれているのかは知らない。ジンさんが手を止め、僕は手袋を脱いで触れた。
 あっと声を上げた瞬間、そこは苔むした石で組まれ、踝辺りまで魔霧に浸された通路だった。相変わらずの息苦しさだったが、発光苔の灯りで視界は明瞭だった。通路は奥へと繋がり、僕らは黙って先へと急いだ。【探索・気配探知】を展開しながら警戒しつつ進むと、行き止まりは大きな室だった。
 室の中央に、漆黒の石棺が置かれ、その蓋がわずかに傾いで開いた隙間からドライアイスの煙のように魔霧が漏れ出ていた。警戒を緩めずに、暗がりの四隅に視線を投げつつ石棺に近づいた。
正四角形の石棺は、顔が映るほど磨かれつるりとしていて、重量のありそうな蓋の表面にはさっきの石板上の文字らしきものが彫ってあった。その1つ1つが仄かに光っている。いや、輝きと言うよりは、光が蓋の表面を走っているような。

「誰かが、こいつで蓋を動かしたんだな……」

 ジンさんが石棺の脇に立て掛けられていた、折れた大剣の柄を蹴った。がしゃがしゃと不快な音を立てて、折れた剣は魔霧の溜まりへと消えた。

「さーて、これからどうしろと言うんだ?蓋を戻すってことじゃねぇよな?」
「器を取り戻して、この中に納める、だろうね?」
「じゃ、開けっ放し―――――」

 どちらが先なのかと考え始めた僕らは、なんとはなしに同時に蓋を撫でた。

――――我の恩寵を無にする者は、我の前に命を差し出せ。さもなくば、世の終焉を招くだろう。

 漆黒の稲妻が、室の天井を走った。稲妻は、声だった。

  
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