ケンショウ学級

小鉢 龍(こばち りゅう)

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六時間目:囚人達のジレンマ

『囚人達のジレンマ』

この実験は思考実験と呼ばれる分野にあたり、生命倫理や現行技術では不可能な事象の証明など、実際には出来ないこと(道徳的に不可能であるとされること)に対して哲学的思考をもって探求する方法である。

『囚人達のジレンマ』はその中でも有名であり、人々の道徳的思考や自分と他者の利益に関する思考を見つめる課題である。同様に思考実験として有名なものでは『シュレーディンガーの猫』や『テセウスの船』、『臓器くじ』などが挙げられる。

『囚人達のジレンマ』で問われるのは、自己の利益を我慢してまで再大多数の利益を得るという選択を取ることができるか?にある。

・ある犯罪を犯した2人の共謀犯が逮捕された。囚人となった彼らは取り調べの中である提案を受ける。

「もし君が真実を言い、一方が黙秘した場合には君を釈放し、一方に全ての罪をかぶせる」、「もし2人が真実を言ったのならお互いに懲役5年とする」、「もし2人とも黙秘をしたならお互いの懲役は2年とする」という提案だった。

この場合、2人の再大の利益を考えるならば黙秘をするのがベストな選択と言える。
ただし、自分だけの利益を考えた場合には真実を伝え、一方が黙秘する場合が1番である。しかし、そうお互いが考え両者が真実を語った場合にはお互いに長い懲役を課されることとなり不利益をこうむる。


僕達を苦しめ続けた『ケンショウ学級』はこうして4人の生存者を残して終わるはずだった。

だけどアイツがそんなことで満足するわけがなかったんだ。

目を覚ましたそこは何も無い狭い空間だった。

「……っ。ここはどこだ?みんなは?」

そこに春馬や佐野くんら原田さんの姿はない。奇妙なまでに真っ白の部屋は畳2畳分にも満たない狭さで、壁が凸凹している椅子に座っているのがやっとらの空間だった。

目の前には机代わりになりそうな突起に、パネルと専用のペンが置かれていた。

「密室……パネルにペン、いったい何をさせようって言うんだ?」

僕の服はいつの間にか、元着ていた制服に戻っていた。足枷もなくなっていたが、足枷によって擦れた傷は治っていなかったので夢でした。なんてオチにはならないようだ。

そう、まだアイツの実験は続いているのだろう。

そんなことを考えていると、その小さな空間に放送が流れ出した。

「優秀な諸君おはよう。君たち4人は幾つもの検証を実施し見学し、その真偽のほどを僕と一緒に見届けてくれた。最後に君たちに僕から提案をしたい」

ここまできても姿を現すでもなく、変声機で声を変えている白々しさに吐き気がする。なにが提案だ。

「これから君たち4人には選択肢が2つ用意される。手元にパネルとペンがあるだろう?」

奇妙な空間に用意されていたこのパネルとペンは、最後の実験の道具ということなのだろう。

「君たちはあの教室で聞いたね。そして、僕も真実を答えた君たちは「この教室に犯人がいる」か?と問い、僕は「この教室に犯人がいる」と確かに答えた。

君たちに用意された選択肢はまさしくそれだ。そこにあるパネルに『犯人と思う人の名前を書く』のか『何も書かない』かだ」

僕はその放送を聞きながら、あの時春馬が僕に言った言葉を思い返していた。無意識に僕は拳を握りしめている。

「君たちのいる部屋には毒ガスを散布する装置が備え付けられている。

誰かがパネルに名前を書き、もしそれがアイツの名前と一致した場合には正解した人を解放し、不正解者と回答をしなかった人には致死率100%の毒ガスを散布する」

もしこのパネルに名前を書きアイツを当てることができたらクリア。もし、違った人の名前を書いたら罪のない友達を殺すことになるのか……

「ただし、誰もそのパネルに名前を書かない場合には殺傷力を弱めた毒ガスを全員のいる部屋に散布します。弱い毒ガスであれば致死率は20%どほど、5人に1人は死ぬ計算だけど運が良ければ4人とも生きて解放されることになります」

これは……あの本に書いてあったアレに似ている。

 僕はアイツの説明を聞いた時に『囚人達のジレンマ』という思考実験があったことを思い出した。

今回は色々と付け足されている部分があるけれど、根底にあるのは同じだと思う。

道徳的に倫理的に考えた場合、今回は名前を書かないことが再大多数の利益につながる。致死率も5分の1と考えたら、これまでの陰惨な実験からすれば、まだマシな方と言えるだろうし。

でも、もしも誰かが名前をパネルに書いた場合には名前を書かなかった人は100%死ぬ。ならば当てずっぽうでも書いた方が3分の1の確率で生き残れるのだから名前を書いた方が良いのか?

「君たちの未来を決める選択だよく考えてください。制限時間は10分とします、残り時間が1分になったらお知らせしますね」

そう言って放送が切れる音がした。無音が頭の中で響く。キーーンと耳鳴りの様な感覚と、自分の息遣いだけが聞こえていた。

当たり前だけど誰かと相談ができるわけでもない。他の3人もこの問いに向き合っているのだろう。

再大多数の利益か自己の利益か。ここまで僕達は色んな心理実験を目にしてきた。その中でも『ミルグラムの実験』と『スタンフォードの監獄実験』では、大切なことを学んだ気がする。

閉鎖された空間の中で、人はどこまでも残酷になれる。

今僕は自分の思考、いや脳という閉鎖された空間の中で残酷な自分と、それを懸命に否定しようとする自分とがせめぎ合っているのだった。


監獄生活の6日目、亮二の亡骸を前に春馬が言ったことを僕は何度も思い出していた。

「……藍斗、このケンショウ学級を共に終わりにしよう。次の実験では僕の名前を書くんだ」

自白。そう、これは自分が犯人だと名乗り出たことに他ならない。アイツの正体は春馬?

嘘だろ。だって春馬は僕の親友で、スポーツ万能で、誰とでも気さくに話すことができて、女子からも人気があって、正義感が強くて、僕の憧れだった。

信じたくないだけど、これまでも確かに春馬を疑わなければならない場面はあった。

委員長と話したモニターの反転映像も今にして思えば本当だったのかもしれない。春馬の左肩には傷がなかったけれど、右肩は確認していない。だけど、その前の見学検証の時に僕がふいにぶつかった時の春馬は過敏な反応をしていた。もしかすると、右肩が傷んだのではないのか?

僕はペンを手に持った。

ここに春馬の名前を書けば、僕は助かるのかもしれない。だけど、もしも春馬が自白を僕にしかしていなかった場合には原田さんと佐野くんが死んでしまうかもしれない。だったら僕はこのまま何も書かずにペンを置くのが正解なんじゃないのか?

それに、もう1つ気になることがある。アイツは確かに「この教室に犯人がいる」と答えていたけれど、この教室とはどこを指していたのか?

アイツに問いただした皆がいた教室その中に犯人はいる。だけど、アイツは何故「君たちのいるその教室には……」と答えなかったのか?暗くてよく見えないアイツが映し出されるその場所も『教室』だったとしたら?

犯人は僕達のいた教室とアイツの居た教室の2つの教室にいることになる。つまり複数犯であることをアイツは公言したんじゃないだろうか?そうなると春馬のあの言葉の真意も見えてくる。

ケンショウ学級を終わりにする。もし、さっきの説が真実であったとしたら僕達の居た教室にいる犯人は『春馬』で、アイツの居た教室の犯人『○○』を春馬は知っている?それを僕と春馬で回答すればケンショウ学級を行ってきた2人を殺すことができる。つまり、ケンショウ学級そのものを今後一切出来ないようにすることができるってことなのではないか?

「どうすれば良いんだよ……くそっ」

僕は頭を抱えて、髪をくしゃくしゃにかいた。制限時間は刻一刻と迫ってきているのだけれど、それを確かめる術もない。

「待てよ……そうだよ、全員が抜け出せる可能性は0じゃない!」

僕達に提示された未来は3つ。

1つはアイツの名前を書き自分(正当者)だけが生き残る。

1つは誰も名前を書かず80%の確率で生き残る。

1つは自分は名前を書かず誰かが名前を書いたことによって100%死ぬ。

「この3つだけしかないように一見見えるけれど、でもそうじゃない!」

もし全員が春馬が知るモニターの向こうのアイツの名前を書くことが出来たなら、全員が生き残る。という第4の未来が現れる。

「……いや、これは」

もしこの仮説が当たっていたとしたら、春馬は“モニター越しのアイツ“ではない。僕らの教室にいた犯人は春馬なのだから、モニター越しの犯人は別の人物だということになる。

だとしたらあの教室に春馬と居た僕と佐野くん、原田さんという可能性も無いわけで……でも、何か引っかかる。

拭いきれないこの違和感の正体はなんだ?1番初めから思い出す必要があるのかもしれない。最初の犠牲者。えっと……

「あの日、2年生だけは部活がないと言われていた。野比先生の左頬には大きなガーゼが貼られていた。それは『パブロフの犬』での唾液を観測する手術を既に行っていたから……」

クラスで初めて犠牲となったのは小野さん。第一実験室の中で気絶をして罰を受け殺された。野比先生は僕達が死ねと望んだことでアイツによって絞殺された。罰か……

「罰は基本的には電気ショック……でも口でそう言われても本来恐怖はそこまでない。なのに僕らを従わせることが出来たのは……」

そうか、違う。最初の犠牲者は小野さんじゃない。僕らの目の前で初めて電気ショックの罰を受けたのは、ビデオを見ている時に出ていこうとした佐野くん達を止めた……

「……大上先生が『アイツ』?」

その可能性が見えた瞬間、僕は何故か納得してしまった。

「死人を確認した人はいない。電気ショックによる罰は大上先生が初めてで僕らに恐怖を植え付けた。でも……」

僕達は罰によって電気ショックを受ける友達を何人も見た。その時と大上先生の時とで違いがあったことに意識は向いていなかった。当たり前だ、普通に生きてきた中学生が人の死を初めて目の前で見せつけられる。あまりにも大きすぎる印象に隠れて、不自然な部分に目がいかなかった。

「大上先生の電気ショックの時だけ、光があまりにも強かった。まるでその光の中で何かが入れ替えられるのを隠すかのように……」

大上先生は佐野くん達を止めるために、自分で施錠した扉の前にいた。そこで、電気ショックによる罰が執行されたわけだけれど、もしあの光が扉の向こうに用意されていた他の死体や人形と自分を入れ替える為の演出だったとしたら?

あれだけの閃光、絶叫の中で扉が開いたとして誰か気づけただろうか?もし気づいたとして、それでも大上先生が変わり身をしただなんて突飛な考えをする生徒がいただろうか?

生徒が死ぬ度に菊の花が机に置かれていた。動物実験などをする際には、学者達は自分で育てて、その命を頂戴して実験を行うこともあると聞いたことがある。その時に育てた動物の愛着がわかないなんて言いきれない。

30日間で菊の花が枯れたことはなかった。初日に死んでしまった小野さんの菊の花も最後まで白く可憐に咲いていた。枯れる度にきっと花を生け変えていたのだろう。そこまで拘る犯人ならもし大上先生の死に思うことがあるならば教壇に菊の花があっても良かったんじゃないか?

アイツが妙に先生のような素振りに拘ったのも、実験対象とは言え、僕達のことを生徒だと思っていたからだとしたら。

「--さぁ、いよいよ残り時間は1分を切ったよ」

僕にあの本を渡したのも、そこにヒントを書いたのも全てはどこかで自分のことを見つけられるように仕組んでいたんじゃないか?

あまりにも飛躍した考えだけれども、もし春馬が僕に自分の名前を書くように言ったように、アイツもこのケンショウ学級から解放されたいと願っていたら。それらの行動に合点がいくんじゃないのか? 

もしこの答えが4番目の未来だったとして、果たして佐野くんと原田さんはこのことに気がつくだろうか?

原田さんならもしかしたら柔軟な発想で辿り着くかもしれないし、佐野くんなら直感とかひねくれた考えで見事に当てるかもしれない。

僕はペンをしっかりと握り直した。

「大上先生か春馬か……」

ペンを動かすと、少し歪にではあるけれどもそこに文字を写し出していく。

「では、そこまで。ペンを置いてください」

僕は震えながら握っていたペンを離した。カランと小さな音がしてペンはパネルの上に落ちていった。

もっと出来ることがあったんじゃないかと、今更になって思う。

僕は実験の恐ろしさを知っていたのに誰に伝えるでもなく、何か解決策を導き出すわけでもなく、誰かを救うことなんてできやしなかった。

「ああ……神様。なんで僕達がこんなことになったっていうの?」

シューーッと音をたてながらそれは密室の中に散布され始めた。

皆はなんて書いたんだろう?原田さんは誰の名前も書かなかったかもしれないな。佐野くんは名前っていうかアイツへの文句とかを書いてたりしそうだな。

「……ふふっ」

春馬はアイツの名前を書いただろうか。あぁでも、春馬には恨まれるかな?

呼吸ができなくなり、僕は必死で息を吸い込んだ。だけど、酸素が行き渡ることはなく、僕は全身から血の気が引いていくのを感じていた。

身体から力が抜けて僕はパネルに顔を埋めた。

「原田さんに気持ち伝えとけばよかったな……」

ひどい頭痛が始まり、あまりの苦しさに僕は喉を押さえた。だけどどれだけ吸っても呼吸が楽になることはなく、鈍器で殴られる様な頭痛が繰り返される中で意識を失った。

筋肉が弛緩して緩んだ顎が開き、よだれがパネルに垂れていく。

僕は結局、アイツの名前を書くことはなかった。大上と始めに書き、それをぐちゃぐちゃに塗り消して、「春馬」と書こうとしている途中で時間が来たのだ。

時間が足りなかった訳じゃない。ただ僕は春馬が例えアイツだったとしても、親友に死んで欲しくなかったんだ。

僕らは後悔するのが遅すぎる。でも、例え僕の命が無くなろうとも春馬の命を奪うことなどできなかったし、春馬に死んで欲しくないと本心から思った。


だから、僕は……最後の最期に自分が選んだ選択にだけは後悔は無いと。胸を張って、そうして息を引き取ったのだった。
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