19 / 50
19. お父様の笑顔
しおりを挟む「エレアノール……」
ノックスが呼んでいる。
私はここよと伝えたかったけれど、声は掠れ、ヒューヒューと空気のとおる音が鳴るだけだった。
瞼を少しだけ持ち上げてみると、明るさで目の奥が刺すように痛む。
しかし、だんだん目が慣れてくると、目前に美しい光景が広がっていることに気づいた。
キラキラ光る小さなシャンデリアが吊るされた天蓋には金細工の白百合が咲き乱れ、そこから四方に伸びるカーテンが陽光を柔らかく透かしている。
それがふわり、ふわりと動くのを目で追っていると、二つの人影が視界に入ってきた。
「「エレアノール!」」
競うように私の顔を覗き込むお父様とノックスは、「私が」「俺が」と言いながら押し合っている。
やがて、お尻を捩じ込むようにしてベッドサイドの椅子に座ったお父様は、そっと私の手を握って目を潤ませた。
ノックスも、お父様の後ろから私を心配そうに覗き込んでいる。
二人の様子をぼんやり見ていると、お父様がじろりとノックスを睨んだ。
「…………水!」
「まさか俺を押し退けておいて、さらに顎で使う気なのか!?」
ノックスは目を剥いてお父様に噛みついたけれど、ブツブツ文句を言いつつも、結局は慌しくテーブルの方へグラスを取りに行った。
スプーンで掬った少しの水を口に含ませてもらいながら聞いた話によると、私はどうやら三日間目覚めなかったらしい。
それからしばらくは、もどかしい日々が続いた。
目が覚めてからもぼんやりしては眠ることを繰り返し、意識がはっきりしてからも萎えた体は思うように動かせない。
結局、私が多少活動できるようになったのは、目覚めてから一週間後のことだった。
そして私はこの一週間、ずっと気になっていたことがあった。
お父様とノックスがやけに仲よしなのだ。
とくにノックスは公爵、公爵とお父様のあとを雛鳥のようについて回っていて、今も何かの書類を見せながら真剣な顔でお父様に意見を求めている。
無口なはずのお父様もノックスとは話が弾むらしく、まだ出会って間もないにもかかわらず、とても息が合うようだった。
「お父様とノックスは、ずいぶん仲よくなったのね?」
「…………手が掛かる、生徒」
「は、はぁ~? 師事した覚えはないんだが!? ていうか、なんでエレアノールと話すときは片言なんだよ! おかしいだろ!」
たしかに、お父様って私といるときはいつも真顔だし、話し方も片言……というかほぼ単語よね。今回は長い方よ。
私もお父様と楽しく話したいのにとしょんぼりしていると、ノックスはそんな私とお父様を見比べて、焦ったようにお父様を肘で小突いた。
「お、おい、エレアノールが傷ついてるだろ!」
お父様はしばらく真顔で黙っていたけれど、やがて軽く息を吐くと、私の隣に座って両手で顔を覆った。
「私は……家族と居ると、つい顔が緩んでしまうんだ」
「それは、いけないことなの? 私、お父様の緩んだお顔が見たいわ」
「笑顔が下手くそで……いつも怯えられる。獰猛な獣が獲物に噛みつくときの顔だといって。だから子どもたちの前では、なるべく感情を出さないようにしていた」
お父様は、顔を覆った手を少し下げて目だけを出すと、困ったように眉を下げてこちらを見た。
内面を知っているのだから、少しぐらい笑顔が不器用でも怯えるわけないのに……
「もうっ、大丈夫よ。少しぐらい齧っても、お父様なら許してあげる」
私がいたずらっぽくそう言うと、お父様は弾かれたように顔から手を放し、目を丸くしてこちらを見た。
獰猛な獣が噛みつくときの顔ってどんなかしら、と胸の前で手を組んで期待の眼差しを向ける。
するとお父様は、くしゃりと鼻の頭に皺を寄せて笑った……のだと思う。
「まあ!」
顔が緩むと言っていたけれど、緩んではいない。むしろ、あらゆる顔の筋肉に力が入っている。
たしか、ヴァルケルへ来た日の挨拶でも凄みのある笑顔を浮かべていたけれど、今思えばあれは心から笑っていなかったからこそ「凄みのある笑顔」と呼べる範囲に収まったのだろう。
(心から笑うほど顔が人間から離れていくなんて不思議ね! それに……)
「威嚇する熊さんみたいでかわいい! お父様の笑顔が見られて嬉しいわ」
お父様とたくさん話せることが嬉しくて、ニコニコしてしまう。
すると、お父様は感激したような声を出して、私をぎゅっと抱きしめた。
「ああ、エレアノール! 先ほどからアメリアと同じことばかり言うんだな。さすが私たちの娘!」
「お母様と? きっとお母様もお父様の笑顔が大好きなのね!」
お父様に頬擦りされて、親子二人できゃきゃと笑い合っていると、呆れた様子のノックスが目に入った。
そういえば、お父様とノックスは真剣に何かを話し合っていたわよね。
「二人は何の話をしていたの? 邪魔してしまったかしら」
「いや、大丈夫だ。操演の宝珠の話をしていた。俺たちは件の男爵令嬢が、宝珠の力でイシルディア王とマルセルを操っていると考えている」
「ええ。それは、私も同じ意見だわ」
ノックスは真剣な顔で頷いた。
「だが、宝珠の回収は慎重を期す必要がある」
「そうね。宝珠を回収しようとして操られたら危険だもの」
マルセルや陛下のことは一刻も早く解放しなければならないけれど、だからといって代わりにお父様が操られた、なんてことになっては大変だ。
外務大臣がシャンベル男爵令嬢の言いなりになったら、他国を巻き込んで何が起こるかわかったものではない。
4
あなたにおすすめの小説
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
『冷徹社長の秘書をしていたら、いつの間にか専属の妻に選ばれました』
鍛高譚
恋愛
秘書課に異動してきた相沢結衣は、
仕事一筋で冷徹と噂される社長・西園寺蓮の専属秘書を務めることになる。
厳しい指示、膨大な業務、容赦のない会議――
最初はただ必死に食らいつくだけの日々だった。
だが、誰よりも真剣に仕事と向き合う蓮の姿に触れるうち、
結衣は秘書としての誇りを胸に、確かな成長を遂げていく。
そして、蓮もまた陰で彼女を支える姿勢と誠実な仕事ぶりに心を動かされ、
次第に結衣は“ただの秘書”ではなく、唯一無二の存在になっていく。
同期の嫉妬による妨害、ライバル会社の不正、社内の疑惑。
数々の試練が二人を襲うが――
蓮は揺るがない意志で結衣を守り抜き、
結衣もまた社長としてではなく、一人の男性として蓮を信じ続けた。
そしてある夜、蓮がようやく口にした言葉は、
秘書と社長の関係を静かに越えていく。
「これからの人生も、そばで支えてほしい。」
それは、彼が初めて見せた弱さであり、
結衣だけに向けた真剣な想いだった。
秘書として。
一人の女性として。
結衣は蓮の差し伸べた未来を、涙と共に受け取る――。
仕事も恋も全力で駆け抜ける、
“冷徹社長×秘書”のじれ甘オフィスラブストーリー、ここに完結。
地味な私を捨てた元婚約者にざまぁ返し!私の才能に惚れたハイスペ社長にスカウトされ溺愛されてます
久遠翠
恋愛
「君は、可愛げがない。いつも数字しか見ていないじゃないか」
大手商社に勤める地味なOL・相沢美月は、エリートの婚約者・高遠彰から突然婚約破棄を告げられる。
彼の心変わりと社内での孤立に傷つき、退職を選んだ美月。
しかし、彼らは知らなかった。彼女には、IT業界で“K”という名で知られる伝説的なデータアナリストという、もう一つの顔があったことを。
失意の中、足を運んだ交流会で美月が出会ったのは、急成長中のIT企業「ホライゾン・テクノロジーズ」の若き社長・一条蓮。
彼女が何気なく口にした市場分析の鋭さに衝撃を受けた蓮は、すぐさま彼女を破格の条件でスカウトする。
「君のその目で、俺と未来を見てほしい」──。
蓮の情熱に心を動かされ、新たな一歩を踏み出した美月は、その才能を遺憾なく発揮していく。
地味なOLから、誰もが注目するキャリアウーマンへ。
そして、仕事のパートナーである蓮の、真っ直ぐで誠実な愛情に、凍てついていた心は次第に溶かされていく。
これは、才能というガラスの靴を見出された、一人の女性のシンデレラストーリー。
数字の奥に隠された真実を見抜く彼女が、本当の愛と幸せを掴むまでの、最高にドラマチックな逆転ラブストーリー。
好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】
皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」
「っ――――!!」
「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」
クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。
******
・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。
【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます
腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった!
私が死ぬまでには完結させます。
追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。
追記2:ひとまず完結しました!
『有能すぎる王太子秘書官、馬鹿がいいと言われ婚約破棄されましたが、国を賢者にして去ります』
しおしお
恋愛
王太子の秘書官として、陰で国政を支えてきたアヴェンタドール。
どれほど杜撰な政策案でも整え、形にし、成果へ導いてきたのは彼女だった。
しかし王太子エリシオンは、その功績に気づくことなく、
「女は馬鹿なくらいがいい」
という傲慢な理由で婚約破棄を言い渡す。
出しゃばりすぎる女は、妃に相応しくない――
そう断じられ、王宮から追い出された彼女を待っていたのは、
さらに危険な第二王子の婚約話と、国家を揺るがす陰謀だった。
王太子は無能さを露呈し、
第二王子は野心のために手段を選ばない。
そして隣国と帝国の影が、静かに国を包囲していく。
ならば――
関わらないために、関わるしかない。
アヴェンタドールは王国を救うため、
政治の最前線に立つことを選ぶ。
だがそれは、権力を欲したからではない。
国を“賢く”して、
自分がいなくても回るようにするため。
有能すぎたがゆえに切り捨てられた一人の女性が、
ざまぁの先で選んだのは、復讐でも栄光でもない、
静かな勝利だった。
---
【完結】ひとつだけ、ご褒美いただけますか?――没落令嬢、氷の王子にお願いしたら溺愛されました。
猫屋敷 むぎ
恋愛
没落伯爵家の娘の私、ノエル・カスティーユにとっては少し眩しすぎる学院の舞踏会で――
私の願いは一瞬にして踏みにじられました。
母が苦労して買ってくれた唯一の白いドレスは赤ワインに染められ、
婚約者ジルベールは私を見下ろしてこう言ったのです。
「君は、僕に恥をかかせたいのかい?」
まさか――あの優しい彼が?
そんなはずはない。そう信じていた私に、現実は冷たく突きつけられました。
子爵令嬢カトリーヌの冷笑と取り巻きの嘲笑。
でも、私には、味方など誰もいませんでした。
ただ一人、“氷の王子”カスパル殿下だけが。
白いハンカチを差し出し――その瞬間、止まっていた時間が静かに動き出したのです。
「……ひとつだけ、ご褒美いただけますか?」
やがて、勇気を振り絞って願った、小さな言葉。
それは、水底に沈んでいた私の人生をすくい上げ、
冷たい王子の心をそっと溶かしていく――最初の奇跡でした。
没落令嬢ノエルと、孤独な氷の王子カスパル。
これは、そんなじれじれなふたりが“本当の幸せを掴むまで”のお話です。
※全10話+番外編・約2.5万字の短編。一気読みもどうぞ
※わんこが繋ぐ恋物語です
※因果応報ざまぁ。最後は甘く、後味スッキリ
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる