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26. 空は裂け、私たちは見捨てられた
しおりを挟む「なんだあれ……」
誰もがルーカスと同じ感想を抱いたはずだけれど、その答えがわかるはずもない。
ただ、あの裂け目に飲み込まれたら終わりだということだけは、本能的に理解していた。
みんなで呆然と空を見上げていると、裂け目はさらにじわりと大きくなった。
抵抗するようにじわじわ戻ろうとする力も働いているように見えるけれど、抗いきれない様子で裂け目は少しずつ広がっている。
「神は……ついにヴァルケルをお見捨てになったのだな……」
エドゥアルド殿下は、生気のない顔でぽつりと呟いた。
必死に守ろうとしていたものが、母にも等しい存在の手により終わりを迎えようとしている。そう考えているのなら、もう諦めて座り込んでしまいたい気持ちになっても仕方がないように思えた。
けれど、フィディア神がヴァルケルを見捨てるなんて考えられない。今だって、必死に助けようとしているはずだ。
それだけはわかって欲しくて口を開く。
「フィディア神は、ヴァルケルの民を今も変わらず愛しているはずで……」
「根拠のない慰めはやめてくれ!」
突然の大声に、びくりと肩が震える。
泣き出したいのを必死に我慢しているような顔で空を睨みつけているエドゥアルド殿下の姿は、胸が苦しくなるほどに痛々しい。
私が黙り込むと、エドゥアルド殿下は一瞬悔いるような表情でこちらを見たけれど、それでもこれ以上の慰めは不要だとでもいうように言葉を続けた。
「……これを見ればわかるだろう。百年前から終わりは決まっていた。私たちの足掻きなど、何の意味もなかったのだ」
いつも穏やかな笑顔を湛えていた彼の顔には、怒り、悲しみ、絶望……そんな負の感情をすべて混ぜ合わせたような表情が浮かんでいる。
――私には、彼の苦しみを取り除くことができない。
何の力にもなれない自分の無力さに思わず目を伏せ、右手首の内側をそっと撫でる。
回帰前に私が『願いの神威』を授かったのは、きっとヴァルケルを救うためだったのだ。
ヴァルケルの人々は神威を授かれないから。あの裂け目が広がれば、イシルディアもただでは済まないから。
けれど……
もう一度、不完全な紋をそっと撫でる。
私は神威を使えない。この国を救うことができない。
私は、無力だ。
それでも、空が裂けた理由だけはわかる。
「神威を授からないのも、天災が起こるのも、神に見捨てられたからじゃありません。神と私たちの関係は、一方的なものではないんです。民が神を愛さなければ神は民を救えないから……だから……」
「……つまり、この状況は民の責任だと言いたいのか?」
「ち、ちがいます! そうではなくて……」
エドゥアルド殿下は一切聞く気はないというように、拳をきつく握りしめて目を逸らした。
本当は、ヴァルケルを救うためにフィディア神とヴァルケルの民が力を合わせる必要がある、と言いたかったのだけれど、気が急いて切り出し方を間違えた気がする。
しかも、私も感覚としてわかるだけだから、目に見える根拠を示すことができない。
どう説明しようか困っていると、ずっと黙っていたお父様が口を開いた。
「まだ諦めるには早いですよ。裂け目が戻ろうと抗う力があるということは、ヴァルケルを守りたいと考えている誰かがいるのかもしれません。そうでしょう?」
「それは……だが……」
「さあ、一先ず座って話しましょう」
お父様がエドゥアルド殿下を労わるように接しているのを見て、自分の発言を恥じる。何よりもまず、傷ついている人の気持ちに寄り添うべきだったのに。
恥ずかしさと申し訳なさで顔を上げられず俯いていると、ルーカスが私の肩にそっと手を置いた。
「あのね、エレアノールちゃんの優しい気持ちはちゃんとわかってるよ。俺たちに、希望をくれようとしたんでしょう? だから、ありがとう」
ルーカスは決して顔色が良いとは言えなかったけれど、それでもニカリと明るい笑顔を浮かべた。
ノックスも労わるように私の頭をポンポンと撫でて、部屋へ戻るためにエスコートしてくれる。
執務室へ戻ると、先に戻っていたエドゥアルド殿下が落ち込んだ表情で待っていた。
「エレアノール嬢、先ほどは声を荒げて済まなかった」
「いえ、私の配慮が足りなかったんです。こちらこそ、申し訳ありませんでした。けれど、根拠がないわけではないんです。一言では説明できないのですけれど……」
「そうか。では、座ってゆっくり伺おう。それに、みなで話し合えば何か良い案が浮かぶかもしれない」
エドゥアルド殿下はそう言うと、ぎこちなく微笑んだ。
彼の言葉は自分に言い聞かせているようだったけれど、前向きな姿勢を見せようという意思が感じられるだけでも、少し落ち着きを取り戻せたのだろう。
それに彼が言ったとおり、きっとみんなで話し合えば良い案が浮かぶはずだ。
ソファへ腰かけると、緊張のせいか喉がカラカラなことに気づいた。
エドゥアルド殿下もこほこほと空咳をしていて、話し合いを始める前にお茶が欲しいわねと考えていると、おもむろにお父様が口を開いた。
「アンナ、お茶を」
意味がわからず、ポカンと口を開けたままお父様を見つめる。
アンナはこの場には連れてきていない。私が目覚めてからときどきお見舞いには来てくれていたけれど、お父様から別の命を受けているからと言ってほとんど別行動だった。お父様からの命なら、お父様が知らないはずはないのに。
もしかしたら、お父様も冷静なように見えて動揺しているのかもしれない。
そう考えていると、横から耳馴染みのある声が聞こえてきた。
「お待たせいたしました。こちら、ヴァルケルの限られた土地でしか採れない希少な茶葉を使用した『ティール緑茶』でございます」
反射的に声の方を振り向く。
すると、ミルクティー色の髪に榛色の目を持つ私の侍女――アンナが、なぜかメイド服に身を包んで当たり前のように給仕していた。
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