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25. 誠実さの代償
しおりを挟む先程まで苦笑いしていたのが嘘かのような険しい表情に、全員が一瞬で静まり返る。
イシルディアの王子を保護したまでは良いけれど、それを知らせなかったのは、たしかにイシルディアへの敵対行為ともとれる。
この場合、エドゥアルド殿下はイシルディアの王子とは知らなかったと言い張らなければならない。そのうえで殺されそうなところを保護したのだと主張すれば、むしろ個人としては恩を売ることもできる。
エドゥアルド殿下はお父様の発言に動揺しながらも返事をしようと口を開いたけれど、彼が言葉を発する前にノックスが大きな声を上げた。
「俺は、親父に自分がイシルディアの第一王子だと言ったことは一度もない! それに俺が俺の意志でここへ来て、俺の意志でここに残ったんだ!」
「はは、エドゥアルド殿が気づいていなかったわけはないでしょう。そしてノックス殿下に帰る意思がなくても、イシルディアへ知らせるのが筋というものです。でなければ、含むところがあったのかと思われても仕方ない。違いますか?」
お父様は外務大臣の顔で、冷ややかにノックスの言葉を切り捨てていく。
エドゥアルド殿下は顔を蒼白にしてごくりと喉を鳴らすと、先ほどと同じように深々と頭を下げた。
「申し訳ない。おっしゃるとおり、私はノックスがイシルディアの第一王子であることを確信していた。だが、二歳の子どもがあんなに暗い目で帰りたくない、帰れないと言った場所に送り返すなど、私にはとてもできなかったのだ。だが、このことは私の独断で、ヴァルケルの民は預かり知らぬこと。こんなことを言えた義理ではないが、どうか私の首ひとつで収めてはいただけまいか」
「親父!!」
「ノックス、すまない。私は未熟だが、この国を……民を守りたいのだ」
ノックスは紙のような顔色でエドゥアルド殿下を背に庇い、お父様に縋るような目を向けた。
ルーカスがなぜか私に「ねえ、疲れてない? 椅子持ってこようか?」などと言ってくるけれど、ルーカスはエドゥアルド殿下が心配ではないのだろうか。
お父さまが厳しい顔でエドゥアルド殿下を見下ろす様子をハラハラしながら見守っていると、椅子を持ってきたルーカスが私を半ば無理矢理座らせ、それから護衛騎士のように斜め後ろに立った。
すると、お父様がちらりとルーカスに目を向ける。
「ヴァルケルの方に観劇いただけるなんて光栄ですね」
「とてもお上手でしたよ閣下。ご覧ください、ノックスなんか半べそです」
「お、俺は泣いてない!」
お父さまは苦笑いを浮かべると、突然頭を下げて「失礼なことをした。お詫び申し上げる」と謝罪した。
困惑した様子のエドゥアルド殿下とノックスを見ながら、お父様は肩をすくめる。
「ですが、今のやり取りで私はエドゥアルド殿を殺し、ヴァルケルをさらなる混乱に陥れることもできた。あなたは第一王子とは知らなかったと言い張るべきでした。この場で明言せよなどと言われても、聞く必要はありません。どうか、民のためにも下手に出るのはおやめください。あなたの誠実さを利用しようとする人間は、残念ながらとても多い」
「あ、ああ、すまない。いや、違うな。……感謝する。あなたは私に教えようとしてくれたのだな」
お父様はどうやら、エドゥアルド殿下の危うさを指摘したくて一芝居打ったらしい。
エドゥアルド殿下は一気に脱力して、弱々しいながらも微笑みを浮かべている。
ノックスも、ぼそりと「さすが毒舌腹黒公爵」と呟いてお父様に睨まれていたけれど、心底ほっとした顔をしていた。
お父様はエドゥアルド殿下が表舞台から遠ざけられ、こうした交渉の場を経験してこなかったことを理解している。
そして彼の人柄を好ましく思っていて、応援したい気持ちなのだと思う。
ということは、一連の補償についても私と同じ結論に至っているはずだ。
ヴァルケルで目にした優美なデザインや独自の建築技術、そしてお見舞いに来てくださった方々から集めた情報を思い返しながら、やはりあれしかないわねと頷く。
「技術提供よ!」
私が突然何の脈絡もないことを言い放ったものだから、全員が私のほうを一斉に見た。
しかし、お父様やノックスは私の言わんとしていることがわかったのだろう。異議なしという顔をしている。
一方、エドゥアルド殿下は補償の話だと言っても理解できない様子で首を傾げた。ルーカスも少し驚いたような顔をしている。
ヴァルケルの人たちは芸術や技術の分野に非常に高い誇りを持っているけれど、それはあくまでも『創造の喜び』であり、あまり商業的な観点を持っていない。彼らにとって何かを創り出すことはあくまでも自己表現であって、競争や利益追求とは結びつかないようなのだ。
たとえば、他国なら特許を取得して利益を最大化しようと考えるような分野でも、ヴァルケルの人々は「私の作品、素敵でしょう? あなたの作品も素敵ね!」と互いを称賛して終わってしまう。
そういった価値観が根づいているから、技術提供で利益を得るという発想に至らないのだと思う。
けれど、ヴァルケルが持つ圧倒的な技術力はイシルディアから見れば垂涎の的であり、国の発展に寄与するに違いない。
それに、ヴァルケルにも技術提供によるロイヤリティ収入や、共同事業を通じて利益を還元する仕組みを構築すれば、双方にとって良いことずくめだ。
最高の解決策よねと自画自賛して頷いていると、お父様とノックスは微笑ましそうに私を見た。
この二人は端からその方向性で考えていたはずだけれど、私の良い気分を邪魔しないようにしてくれているのだろう。
ちなみにヴァルケル勢はというと、エドゥアルド殿下は目から鱗という顔で固まり、ルーカスはキラキラした目で私を見つめている。
「エレアノールちゃんは、もしかしてフィディア神の化身なの!?」
ルーカスは相変わらず目をキラキラさせているけれど、さっき守護神の性質が国民に反映されるって言っていたわよね。そして、ヴァルケルの国民はポンコツだって話だったわ。つまりフィディア神はポンコツということになるから、『フィディア神の化身』は褒め言葉ではないんじゃないかしら。
ノックスも同じことを思ったのか、微妙な顔をしている。けれど、おたくの神はポンコツですよねなどと言えるはずがないので、体をもぞもぞさせるだけで口を噤んだ。
ただ、ルーカスからはフィディア神を敬愛する気持ちがひしひしと伝わってくる。
みんなが守護神を憎んでいるわけではないのねと嬉しい気持ちになったそのとき、城がうねるようにぐらりと揺れた。
「な、なに!?」
揺れは一度だけで収まったけれど、城は今もメリメリと軋む音を上げている。
地震とは違う奇妙な揺れは、何か良くないことが起きていると感じさせるにはじゅうぶんだった。
「ずいぶん変な揺れ方をしますね。これはヴァルケルではよくあることですか?」
「いや……こんな揺れは初めてだ」
お父様とエドゥアルド殿下も、さすがに戸惑いを隠せない様子だ。
再び揺れることを警戒してしばらくじっとしていると、侍従がノックもせずに部屋へ駆け込んできた。
「エ、エドゥアルド様……空が!!」
よっぽど急いだのか、侍従はそれだけいうと膝に手をついてゼェゼェと喘いだ。
ざわざわと胸騒ぎがするなか、全員で急いでバルコニーへ出て空を見上げる。
ほんの一時間ほど前に、雲ひとつない青空を眺めてその美しさに感動したはずなのに……今はその青空に、破れたような大きな裂け目ができている。
そしてその裂け目からは、底知れぬ闇が覗いていた。
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