【完結】モブ平民の婚約者は当て馬令息

いづい そうこ

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第三話 同じ世界を知る人

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 屋敷の玄関前には朝の光が差し込み、秋の涼しい空気が漂っている。
 アルベルト様にもらった手袋を使いたかったけれど、まだ手袋を使うには早そうだ。例年寒いのは嫌いだから、秋が長く続きますように……だなんて思っていたけれど初めてはやく冬が来てほしいだなんて思っている自分にくすりと笑った。

「やあおはよう。さっそく行こうか」

 アルベルト様が自然に手を差し出しながら軽やかに微笑む。私は少し胸を高鳴らせながらも、頷き返した。

「はい、よろしくお願いします」

 手を取り合い、二人でゆっくりと学園へ向かう。今まで何度も通って見た光景だが、今日はなんだかいつもより特別に感じられた。
 
 落ち葉を踏む音を楽しみながら、二人でゆっくり歩く。

「あ、あそこのケーキ屋さん、最近できたんですよね。行ったことありますか?」
 
「ふむ、まだ行ったことはないな。フェリシアは?」
 
「いえ、まだなんです。でも、とても美味しいって噂を聞きましたよ」

 少し笑みを浮かべながらアルベルト様が答える。

「それは良い知らせだな。ならば今日の帰りにでも、一緒に行かないか?」
 
「わぁ、ぜひ! 甘いものがお好きなアルベルト様なら、きっと気に入ると思っていました」

 歩みを止めることなく、自然に会話を続ける二人。これまでこんなにお互いのことを話したことはなかったな、と思いながらも、話題は尽きることがなく、いつの間にか繋いだ手も離れずに、あっという間に学園の門へとたどり着いた。
 
 久しぶりの学園は――やはり大きい。見上げる校舎は、休暇前に見た景色と同じはずなのに、どこか新鮮に感じられた。
 手を繋いだまま二人で門をくぐると、校舎前の噴水付近で、にぎやかな人だかりと言い争う声が聞こえてきた。

 地べたに座り込む聖女。
 その横にしゃがみこみ、聖女の手を取る王太子。
 そして向かい合う公爵令嬢――。

(こ、これは――)

「某通信教育教材で見たやつだ……!!」
「某通信教育教材で見たやつだ……!!」

 寸分違わぬタイミング。完璧な発音。
 興奮して思わず呟いた私の言葉は、隣から響いたアルベルト様の声と、気味が悪いほど綺麗に重なり合った。

 ………隣?アルベルト様?

「……え??」
「……は??」

 驚いて隣を見ると、アルベルト様もまた、いつもの糸目を思い切り見開いて――綺麗なエメラルド色の瞳を剥き出しにして、こちらを凝視していた。

 状況を一旦整理したい。
 アルベルト様の口から“某通信教育教材ネタ”が出たということは、つまりアルベルト様は……。
 そう考えていると、フリーズしていたアルベルト様がようやく動き出した。

「ちょっと待ちたまえ。混乱している。つまり、フェリシア、君は、えーっと?」

 眉間に皺を寄せ、唸るように言う。いつもは飄々としているアルベルト様が、こんなに混乱しているのを見たのは初めてだった。今世でも、もちろん前世でも。

「アルベルト様。私も今、気持ちは同じです。ただ、ここには人が多すぎますし、落ち着いたところでお話ししたいです」

「す、すまない……柄にもなく混乱してしまったようだ。そうだな、ふむ。それでは……早く話したいのだが、講義は受けねばな。昼食の時、食堂ではなく、何か買ってどこかで食べながら話そうではないか」

「そうですね。なんだか、私以上に混乱しているアルベルト様を見ていたら、少し落ち着いてきました。とりあえず、このまま教室に向かいましょうか」

「う、うむ」

 そう言って、二人で教室へ向かう。
 噴水前では、公爵令嬢が聖女に何かしただの、していないだの言っていたようだが……まぁ、気にしなくてもよさそうだ。
 
***
 
 人気の少ない中庭の奥、木陰に置かれたベンチに並んで腰を下ろしていた。
 購買で買った軽食の包みはすでに空になり、遠くから聞こえるのは他の生徒たちのざわめきだけだ。ここなら、多少込み入った話をしても耳に入ることはないだろう。
 アルベルト様は小さく息をつき、こちらに視線を向ける。
 
「なるほど……つまり、君はここ最近になって前世の記憶を取り戻した、と?」

「はい。つい先日……アルベルト様が我が家にいらした、その朝だったと思います。アルベルト様は、いつ頃なのですか?」

「ふむ、僕の場合は少しややこしくてね。“思い出した”という表現だと、少し語弊があるかもしれない」

 アルベルト様は顎に手を当て、少し考えるように視線を泳がせた。

「詳しく話すと、休暇に入った初日に……少々不覚を取って、滑って頭を打ってしまってね。半日ほど、意識を失っていたのさ」

「――待ってください、それ初耳です。大丈夫なんですか!?」

「うむ、今は問題ない。だが、その意識を失っている間に……どう説明したものか」

 一度言葉を切り、アルベルト様は苦笑する。

「あの世界での“揺り籠から墓場まで”を、一通り経験したんだ」

「……待ってください、情報量が多いです」

「だろう? 僕もそう思う」

 軽く肩をすくめてから、彼は続けた。

「あの世界で赤ん坊として生まれて、成長して、働いて……普通の人生を送った。三十代くらいまでの記憶がある。死ぬ瞬間の記憶だけは欠落しているが」

「……」

「ごく普通の青年だったよ。普通に働いて、普通に暮らしていた。そしてこの物語も、普通に読んでいた。だから――自分が“出てきた”時は、さすがに腰を抜かしたよ」

「……私と、一緒です」

 思わずそう零すと、アルベルト様は少し目を見開き、それから穏やかに微笑んだ。

「そうか。……それで、目を覚ましたらベッドの上で、この体に戻っていた。時間も、頭を打ってから半日ほどしか経っていなくてね。最初は、ずいぶんと長い夢でも見たのかと思ったよ」

「そうだったんですね、だから……」
 
 だから、休暇に入ったあたりで、アルベルト様との関係が少し変わったのだろうと思った。あの世界を経験したアルベルト様がいたから、考え方や性格が少し柔らかくなったのかもしれない――以前よりも、私のことをちゃんと見てくれるようになったのだと感じる。

 私の呟きを拾ったアルベルト様は、少しだけ様子を窺うようにしながら言葉を続けた。

「……中身が、前世の言葉でいうところの、所謂“原作のアルベルト・レイブン”ではなくて、がっかりしたかい?」 

 どこか迷子になったような、不安を隠しきれない表情だった。その様子に胸がきゅっと締めつけられて、私は思わず、アルベルト様の手をそっと両手で包み込んだ。

「いいえ、誤解しています」

 首を横に振り、はっきりと言葉を選ぶ。

「私がアルベルト様との婚約を破棄したくないと思ったのは……実は、休暇に入ってからのアルベルト様がいるからなんです」

 そう告げると、アルベルト様は不思議そうに目を瞬かせ、少しだけ顔を上げてこちらを見た。

「以前は……そうですね。どこか距離がありました。政略的な婚約でしたし、私もそのつもりでいましたから」

 一度息を整え、続ける。

「でも、休暇に入ってから。アルベルト様は、ちゃんと私を見てくれるようになったんです」

「一緒に勉強して、話して、笑って……その積み重ねが、“あなたと一緒にいるのが楽しい”“ずっと一緒にいたい”って、そう思わせてくれました」

 少しだけ照れながらも、視線を逸らさずに言う。

「原作のアルベルト様も、もちろん素敵だと思います。でも――」

「今のあなたのほうが、私は好きです」

 アルベルト様は、目を丸くしたまま、しばらく何も言わなかった。キラキラしたエメラルドの瞳がよく見える。ふいに視線が揺れ、次の瞬間――

 頬が、みるみるうちに赤く染まっていく。

「……それは……」

 言葉を探すように一度視線を逸らし、空いた手でそっと口元を覆う。けれど隠しきれないほど、耳まで赤い。

「……反則だな」

 そう呟いた声は、いつもの飄々とした調子よりもずっと低く、少しだけ震えていた。
 やがて、意を決したようにこちらを見て、包まれていた手をそっと握り返す。

「僕も……君のことが好きだよ、フェリシア」

 逃げ場を与えないほど真っ直ぐな視線で、しかしどこか照れくさそうに続ける。

「前世がどうとか、原作がどうとか……正直、もうどうでもいい。今ここで、君と一緒に笑って、悩んで、歩いていきたいと思っている。それだけだ」

握られた手に、少しだけ力がこもる。

「だから……これからも、隣にいてくれるかい?」
 
「もちろんです……!」

 その瞬間、アルベルト様はためらうことなく、私をぐっと強く抱きしめた。私の頭を包み込むように、あたたかさと安心感が全身に伝わる。思わず息を呑み、わたしも無意識にアルベルト様の背中に手を回していた。
 耳元でふっと息が伝わる。きっと笑ったのだろう。抱きしめる力加減、アルベルト様のぬくもりと香りが、胸にじんわりと染み渡った。

 どれくらいそのままいたのだろう。もしかすると、全く時間は経っていなかったのかもしれない。遠くの生徒たちのざわめきが耳に入り、ようやく私たちは今いる場所を思い出し、少し照れながらそっと離れた。

「……私たち、時間が足りませんね」
 
「本当だな。まだまだ話したいことが山ほどあるぞ」

 お互い目を見つめ合い、自然に笑みがこぼれる。

「ちなみに、あの世界でもその口調だったのですか?」
 
「これか……不思議なことに、あの世界では普通の口調だったのだがな。今も自分では普通に話しているつもりなのに、勝手にこんな喋り方になってしまうのだよ」
 
 大袈裟に肩をすくめる様子に、思わず笑ってしまう。

「本当ですか?」
 
 笑いながら問いかけると、アルベルト様もくすりと微笑んだ。
 
「本当だとも……実は今、僕は関西弁を喋っている可能性もあるぞ」
 
「糸目で関西弁は……最後に裏切るやつですね……」

 二人して笑い合い、まだ続く会話に胸を躍らせながら、時間の経つのを忘れていた。

 けれど、学園の鐘はそんな私たちの気持ちを知る由もなく、次の時間を告げる。
 まだまだお互いに話し足りない気持ちを胸にしまい込みながら、放課後のケーキ屋さんの約束を思い出す。
 その楽しみを支えに、私は午後の講義へと気持ちを切り替えることにした。
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