フォロワー100万人の裏側、全部晒します。~炎上コンサルタント・佐藤任三郎の処刑ログ~

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第3章:虚構の王国と洗脳された信者たち

第26話 ダブル・インフィルトレーション

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 時計の針を、潜入作戦の前夜、午後8時に戻そう。
 佐藤任三郎のオフィスは、芳醇なバターと、森の香りに包まれていた。

 キッチンに立つ佐藤の前には、見事な牛フィレ肉の塊が鎮座している。
 佐々木紘子が調達した、最高級の黒毛和牛だ。
 今夜のメニューは、イギリスの伝統料理にして、肉料理の最高峰の一つ『ビーフ・ウェリントン』。
 フィレ肉をキノコのペーストと生ハムで包み、さらにパイ生地で覆って焼き上げる、極めて手のかかる料理だ。

「……明日の作戦は、敵の懐に飛び込む危険な賭けです」

 佐藤はフライパンでフィレ肉の表面を強火で焼き固め、肉汁を閉じ込める。

「成功を祈って、今夜は少し贅沢をしましょう」

 彼は手際よく作業を進める。
 マッシュルーム、エシャロット、ニンニク、タイムを微塵切りにし、水分がなくなるまでじっくりと炒めて作った「デュクセル」。これが味の深みを決める。
 ラップの上に生ハムを隙間なく並べ、その上にデュクセルを塗り広げる。
 中央に焼いたフィレ肉を置き、海苔巻きの要領でしっかりと巻き込む。
 冷蔵庫で冷やして形を落ち着かせた後、さらにパイ生地で包み、表面に卵黄を塗って艶を出す。ナイフで美しい飾り模様を入れるのも忘れない。

 200度のオーブンへ投入。
 焼き上がりを待つ間、佐藤はワインを開けた。
 ブルゴーニュ産の『ピノ・ノワール』。
 ラズベリーやチェリーのような赤い果実の香りと、湿った土やキノコのニュアンスを持つこのワインは、ビーフ・ウェリントンの森の香りと完璧に同調する。

「……焼き上がり」

 オーブンから取り出したパイは、黄金色に輝いていた。
 ナイフを入れる。サクッ、という軽快な音。
 断面は芸術的だ。外側のサクサクしたパイ、塩気の効いた生ハム、黒いデュクセルの層、そして中心にはロゼ色に火の通ったフィレ肉。

「どうぞ。……熱いうちに」

 テーブルで待っていた佐々木紘子が、目を輝かせた。
 今日の彼女は、古着の着物をリメイクしたドレスを纏い、いつにも増してミステリアスな雰囲気を漂わせている。
 彼女はフォークとナイフを使い、大きめにカットしたウェリントンを口に運んだ。
 パイの香ばしさ、キノコの旨味、そしてとろけるようなフィレ肉の食感。

「……んんッ」

 紘子が官能的なため息を漏らす。

「複雑ね。……何層もの味のベールが、舌の上で一枚ずつ剥がされていくみたい。そして最後に残るのは、圧倒的な肉の存在感」

 彼女はワインを流し込み、うっとりとグラスを見つめた。

「最高よ、任三郎。……この料理だけで、私がトラックの運転手役を引き受けた価値があるわ」

「それは光栄です」

 佐藤も自分の分を口にし、ワインを啜った。
 完璧な火入れ。
 手間を惜しまないこと。それが佐藤の流儀であり、このチームの強さの源泉だ。

「……ねえ、任三郎」

 紘子が頬杖をつき、悪戯っぽく微笑んだ。

「明日の潜入……あの子たち、大丈夫かしら?」
「襟華と千尋ですか? ……心配はしていません。彼女たちはプロです」
「そうね。でも、相手は『カルト』よ」

 紘子の瞳が、ガラス玉のように冷たく光る。

「私が調べた限り、西園寺レオはただの守銭奴じゃない。……彼は本気で『王国』を作ろうとしている。洗脳された人間は、時としてゾンビよりも厄介よ。痛みを感じないし、迷いもないから」

 彼女は佐藤の手の甲に、自分の手を重ねた。

「だから、あなたにお守りを渡しておくわ」

 紘子はバッグから、小さな金属製のケースを取り出した。
 中には、見たこともない形状の通信機が入っていた。

「軍用の広帯域無線機。ジャミング環境下でも、周波数を自動でホッピングして接続を維持できる優れものよ。……これがあれば、最悪の状況でも彼女たちの『SOS』を拾えるはず」

「……感謝します。またツケが増えましたね」
「いいのよ。……その代わり」

 紘子はテーブルの下で、佐藤の足に自分の足を絡ませた。

「無事に終わったら、次はデザートまでフルコースでお願いね? ……朝までたっぷりと」
「……善処します」

 濃厚な肉料理と、甘美な共犯関係。
 その夜の晩餐は、これから始まる地獄巡りへの、最後の燃料補給だった。

 そして現在。
 山梨県、『ミライ・アカデミー』。
 外界から隔絶されたその施設は、異様な熱気と、冷たい静寂が同居していた。

 田中襟華が連行されたのは、「一般寮」と呼ばれる古びた体育館だった。
 薄汚れたマットが敷き詰められ、数百人の若者が雑魚寝をさせられている。プライバシーなど欠片もない。
 壁には『感謝』『成功』『秒速』といったスローガンが書かれた垂れ幕がびっしりと貼られ、スピーカーからは西園寺レオの説法テープが大音量で流され続けている。

『君たちは選ばれた! 過去を捨てろ! 家族を捨てろ! 新しい自分に生まれ変わるんだ!』

「……うわ、最悪」

 襟華は配給された毛布を被り、周囲を観察した。
 参加者たちの目は、一様に虚ろだ。
 借金苦のフリーター、就活に失敗した学生、居場所のない家出少女。
 社会のレールから弾き出された彼らにとって、ここは「最後の希望」に見えるのだろう。
 襟華の隣にいた痩せた青年が、ブツブツと呟いている。

「やるぞ……俺はやるぞ……月収100万……タワマン……」

 夕食の時間。
 配られたのは、具のない薄いスープと、パサパサのパンだけだった。

「感謝していただきましょう!」

 スタッフの号令に合わせて、全員が機械的に唱和する。

「いただきます!」

 襟華はスープを鼻に近づけ、クンクンと匂いを嗅いだ。
 微かだが、鼻を刺すような甘い薬品臭。

(……これ、何か入ってる)

 以前、小林弥生から教わった知識が脳裏をよぎる。

 『向精神薬や軽い覚醒剤を食事に混ぜるのは、洗脳の常套手段よ。判断力を鈍らせ、高揚感を与えるためにね。独特の甘い匂いがするから気をつけて』

 襟華はパンを食べるふりをして、スープをこっそりと袖口に染み込ませたタオルに含ませた。証拠確保だ。
 周囲の参加者たちは、何も疑わずにスープを啜り、恍惚とした表情を浮かべている。
 ここは地獄だ。

 一方、「VIP棟」と呼ばれる旧校舎の特別室。
 こちらは打って変わって、高級ホテルのような内装だった。
 ふかふかのベッド、ルームサービスのような食事。
 だが、部屋の四隅には監視カメラが設置され、赤色灯が常に点滅している。

「……趣味が悪いわね」

 渡辺千尋は、出されたフィレ肉を切り分けながら呟いた。
 彼女の設定は「資産家の未亡人」。
 カモとして扱われているが、それは同時に「金づるとして逃さない」という監視の対象でもある。

 コンコン。
 ノックと共に、スーツ姿の男が入ってきた。
 この施設の幹部、「教育部長」を名乗る男だ。

「いかがですか、当施設は。……外界のノイズを忘れて、リラックスできていますか?」
「ええ、素晴らしいわ。……でも、少し寂しいわね。話し相手もいなくて」

 千尋はグラスを揺らし、妖艶な流し目を送った。
 男が反応する。

「では、私が少しお話し相手になりましょう」

 千尋の話術が火を噴く。
 男の自尊心をくすぐり、承認欲求を満たし、警戒心を解きほぐしていく。
 30分後、男はすっかり上機嫌になり、口を滑らせ始めていた。

「実はね、奥様。ここはただのセミナー施設じゃないんです。……我々は『国』を作ろうとしている」
「国?」
「ええ。今の日本は腐っている。だから我々が、新しい有権者を育てるんです。……西園寺先生の言葉に絶対服従し、指示通りに投票し、SNSで世論を作る『兵隊』をね」

 男は窓の外、一般寮の方を指差した。

「あそこにいる貧乏人たちは、そのための捨て駒です。……薬と睡眠不足で思考能力を奪い、徹底的に再プログラムする。完成すれば、彼らは死ぬまで我々のために働き、金を貢ぎ続ける『永久機関』になるんですよ」

 千尋は背筋が凍るのを感じた。
 金儲けだけではない。
 これは、人間を「部品」に変える工場だ。
 紘子の言っていた「狂信」の正体はこれか。

 午後8時。全体集会。
 体育館に、全ての参加者が集められた。
 照明が落ち、大音量の音楽とレーザー光線が乱舞する。
 まるでクラブか、アイドルのライブ会場のような演出。

「Ladies and Gentlemen!! お待たせしました! 我らが救世主、西園寺レオの登場です!!」

 スモークの中から、純白のスーツを着た男が現れた。
 西園寺レオ。
 整った顔立ちだが、その目は爬虫類のように冷たく、一切の感情が読み取れない。

「みんな、愛してるぜぇぇぇ!!」

 彼が手を広げると、会場が揺れるほどの歓声が上がった。

「レオ様ー!」「ありがとうー!」「人生変わりましたー!」

 参加者たちが涙を流し、床に頭を擦り付けて祈る者さえいる。
 集団ヒステリー。
 プロジェクションマッピングで壁一面に映し出される「成功」「富」「幸福」の文字が、視覚的にも彼らを圧倒する。

 その狂乱の渦中で、襟華と千尋だけが、冷めた目でステージを見つめていた。
 二人の視線が交差する。

 (……こいつはヤバい)
 (……完全にイカれてるわね)

 言葉はなくても、意思は通じた。
 これは、生半可な覚悟で手を出してはいけない領域だ。

 深夜2時。
 消灯時間を過ぎた一般寮。
 見回りのスタッフが去ったのを確認し、襟華は毛布から抜け出した。
 目指すは、本館にある事務室。そこに、さらわれた被害者の名簿や、監禁場所の手がかりがあるはずだ。

 彼女は闇に紛れて廊下を進む。
 靴底に仕込んだGPSが、佐藤に位置情報を送っているはずだ。
 だが。
 角を曲がろうとした時、襟華は足を止めた。

 廊下の奥から、奇妙な足音が聞こえてくる。
 ズルッ、ズルッ……。
 足を引きずるような、不規則なリズム。
 現れたのは、数人の若者たちだった。
 だが、その様子がおかしい。
 焦点の合わない目。半開きの口。手には懐中電灯を持っているが、その光はあさっての方向を向いている。

「……あ、あ……」
「……みまわり……みまわり……」

 うわ言のように繰り返している。
 洗脳済みの信者たちだ。
 彼らはスタッフに命じられ、寝ずの番をさせられているのだ。薬の影響か、疲労の極致か、もはや人間としての意思を感じさせない「生ける屍」のような姿。

 彼らが通路を塞いでいる。
 襟華は息を呑み、物陰に身を隠した。
 強行突破は不可能だ。見つかれば大声を出され、スタッフが集まってくる。
 
 この施設は、想像以上に深く、暗い闇に沈んでいた。
 脱出の難易度は、タナカのアジトの比ではない。
 襟華は冷たい汗が背中を伝うのを感じながら、闇の中で息を殺した。
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