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第3章:虚構の王国と洗脳された信者たち
第28話 閉ざされた山
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午前5時15分。
山梨県の山中深部。
夜明け前の森は、濃密な朝霧に包まれ、視界はわずか数メートル先までしか利かない。
湿度を含んだ冷気が、衣服の隙間から入り込み、体温を奪っていく。
佐藤任三郎は、道なき急斜面を登っていた。
高級スーツの裾は泥に汚れ、革靴は既に泥濘にまみれている。それでも、彼の歩調は機械のように一定のリズムを保っていた。
後ろに続くのは、グレタ・ヴァイスと小林弥生だ。
「……ハァ、ハァ……き、キツい……」
弥生が荒い息を吐き、木の幹に手をついた。
彼女の背負っているジュラルミンケース――大量の解毒剤と医療機器が詰まった荷物は、10キロ近い重量がある。普段は空調の効いたラボにいる彼女にとって、この行軍は拷問に近い。
「大丈夫か、ヤヨイ。荷物を持つぞ」
先頭を行くグレタが、涼しい顔で振り返る。彼女は元特殊部隊員だ。この程度の山歩きは散歩にもならないのだろう。
「……平気。これがないと、みんなを助けられないから」
弥生は首を振り、気丈に顔を上げた。
「それに、社長だって荷物持ってるし……弱音吐いてられない」
佐藤は立ち止まり、コンパスと地図を確認した。
「……予定より遅れています。現在地は標高800メートル地点。施設の裏手まで、あと直線距離で1.5キロ」
数値だけを淡々と告げる。
焦りはない。焦燥は判断を曇らせるノイズだ。
だが、その胸の内には、数時間前に触れた「温もり」の記憶が、鮮明に残っていた。
――出撃の直前。
オフィスの玄関でのことだ。
装備を整え、靴紐を結んでいた佐藤の元へ、子猫のダシがトテトテと歩み寄ってきた時のこと。
『ミャウ』
ダシは佐藤の革靴の上に、ちょこんと座り込んだ。
行かないで、と引き止めるように。あるいは、連れて行って、とせがむように。
佐藤はしゃがみ込み、ダシを両手でそっと掬い上げた。
ダシは抵抗しなかった。
それどころか、佐藤の大きな掌の中にすっぽりと収まり、自ら体の力を抜いて、液状化するようにリラックスし始めたのだ。
掌に伝わる、柔らかな毛並みの感触。
トクトクと速く打つ心臓の鼓動。
そして、お腹の底から響いてくる、ゴロゴロというエンジン音。
ダシは金色の瞳を細め、佐藤の手のひらに頬を擦り付けた後、コテンと横になり、無防備なお腹を晒した。
絶対的な信頼。
この巨大な人間は、決して自分を傷つけない。守ってくれる存在だ。
そう信じきっている姿。
(……君はいいですね。世界がどれほど混沌としていても、私の手の中なら安全だと思っている)
佐藤は親指で、ダシの顎の下を優しく撫でた。
ダシは気持ちよさそうに目を閉じ、ピンク色の肉球がついた前足で、佐藤の指をギュッと抱きしめ返した。
その小さな爪が、微かに皮膚を刺激する。
痛みではない。命の感触だ。
「……必ず、帰りますよ」
佐藤はダシに――そして自分自身に約束した。
この小さな命が待つ場所へ、五体満足で戻る。
そして、今この森の向こうで助けを待っている襟華と千尋も、必ず連れて帰る。
彼にとって、「家族」と呼べる存在はもういないと思っていた。
だが、今の彼には、守るべき「チーム」と、帰るべき「家」がある。
佐藤は森の湿った空気を深く吸い込んだ。
肺が冷気で満たされ、思考が研ぎ澄まされる。
「……行きますよ」
彼は再び歩き出した。
その背中は、以前よりも一回り大きく、そして強固に見えた。
★★★★★★★★★★★
同時刻。山梨県、『ミライ・アカデミー』。
外界から隔絶されたその施設は、異様な静けさと、張り詰めた緊張感に包まれていた。
大食堂。
体育館ほどの広さがある空間に、数百人の参加者が集められていた。
長テーブルに並んで座らされ、無言で朝食を摂っている。
メニューは、具のない薄いスープと、パサパサのパン一つ。
食器が触れ合うカチャカチャという音と、咀嚼音だけが響く。私語は厳禁だ。
壁際には、警棒を持った白いポロシャツのスタッフたちが、監視の目を光らせている。
その一角に、田中襟華の姿があった。
彼女は昨夜、脱走を試みて捕まった後、独房のような反省部屋に監禁されていたが、朝食の時間だけはこうして連れ出されていた。
見せしめのためだ。
彼女の頬は赤く腫れ、服は埃で汚れている。手首には、結束バンドの痕が赤く残っていた。
(……クソッ)
襟華はスープを睨みつけた。
悔しい。情けない。
潜入のプロとして、こんな無様な失敗をするなんて。
隣の席には、昨夜彼女を密告した青年・タカシが座っていた。
彼は襟華と目を合わせようとせず、震える手でスプーンを口に運んでいる。罪悪感と、それ以上の恐怖に支配されているのだ。
彼の首には、「優良生徒」を示す赤い札がかけられている。仲間を売って手に入れた勲章だ。
襟華は周囲を見渡した。
渡辺千尋の姿が見当たらない。
彼女はVIP棟にいたはずだ。無事なのだろうか。それとも、もう……。
不安が胸を締め付ける。
通信機は壊された。GPSもジャミングされているだろう。
ここは地図にない牢獄だ。誰も助けに来ないかもしれない。
食堂の正面にある、100インチの大型モニター。
普段は西園寺レオの説法ビデオや、成功者の体験談がエンドレスで流されている場所だ。
だが、この朝食の時間だけは違っていた。
「世の中のニュースを知る」という名目で、地上波のテレビ番組が流されているのだ。
もちろん、これは西園寺の計算だ。
経済不安、凶悪犯罪、政治の腐敗。そういったネガティブなニュースを見せることで、「外の世界は地獄だ」「ここだけが安全な楽園だ」と刷り込むための洗脳装置。
午前8時00分。
画面が切り替わり、朝の情報番組『愛永のモーニング・カフェ』が始まった。
お馴染みのテーマ曲と共に、松本愛永が爽やかな笑顔で登場する。
『おはようございます! 今日も素敵な一日を……と言いたいところですが、今日は緊急特集です』
愛永の顔が、ふっと真剣なものに変わった。
スタジオの空気が引き締まる。
襟華は顔を上げた。
スプーンを持つ手が止まる。
(……愛永姉さん?)
『本日のタイトルは……「若者を食い物にする”夢の王国”の正体」』
画面に、おどろおどろしいフォントで書かれたフリップが出される。
そこに列挙されている手口。
・SNSでの巧みな勧誘
・外部との連絡遮断
・高額な借金の強要
・「家族や友人はドリームキラーだ」という教え
それはまさに、今ここにいる参加者たちが体験していることそのものだった。
食堂の中に、ざわめきが広がる。
虚ろだった参加者たちの目に、微かな光――疑問の色が宿り始める。
『最近、山間部の施設に若者を集め、集団生活の中で洗脳的なセミナーを行っている団体の情報が、番組に多数寄せられています』
愛永がカメラを射抜くように見つめた。
その視線は、テレビの前の主婦たちではなく、今まさにこの食堂にいる若者たちに向けられているようだった。
彼女は知っているのだ。この時間に、この施設でテレビが見られていることを。
これは放送ではない。通信だ。
『彼らは言います。「ここなら変われる」「成功できる」と。……でも、少しだけ考えてみてください』
愛永が優しく、語りかけるように言う。
『本当にあなたを成功させたいなら、なぜあなたのスマホを取り上げ、大切な家族との連絡を断たせるのでしょうか? なぜ、あなたに嘘をつかせ、友人を勧誘させるのでしょうか?』
図星を突かれたタカシが、スプーンを取り落とした。
カチャン、という音が静寂に響く。
スタッフたちが慌て始めた。
「な、なんだこの放送は!」
「チャンネルを変えろ! リモコンはどこだ!」
だが、リモコンが見当たらない。
厨房の奥で、配膳係に扮した渡辺千尋が、リモコンをゴミ箱の奥底に隠していたからだ。
『それは、あなたを成功させるためではありません』
愛永の声が、食堂に朗々と響き渡る。
『あなたから”考える力”を奪い、都合の良い奴隷にするためです。……あなたは、誰かの財布になるために生まれてきたわけじゃないはずです』
愛永の隣に座っていたコメンテーターが、さらに追撃する。
『これは法的に見ても、監禁罪や詐欺罪に抵触する可能性が高いですね。現在、警察当局も重大な関心を寄せているという情報があります』
警察。
その単語が出た瞬間、会場の空気が決定的に変わった。
「ここは楽園ではない」「犯罪の現場かもしれない」
参加者たちが、お互いの顔を見合わせる。
隣にいる人の目は、輝いていますか? それとも、何かに怯えていますか?
愛永の問いかけが、彼らの心に突き刺さる。
そこにいるのは「成功者」などではない。薄汚れた服を着て、粗末な食事を啜る、搾取され尽くした「被害者」の群れだ。
魔法が解けた。
洗脳という名の強固な城壁に、亀裂が入ったのだ。
「……消せ! コンセントを抜けぇ!」
幹部の男が叫び、テレビのコードを力任せに引き抜いた。
プツン。
画面が消え、食堂に静寂が戻る。
だが、もう手遅れだ。
一度芽生えた疑念は、消すことができない。
(……届いたよ、愛永姉さん)
襟華はテーブルの下で、小さく拳を握りしめた。
震えが止まっていた。
外の世界は、まだ自分たちを見捨てていない。
チーム「Octogram」の連携は、電波が遮断されていても、こうして繋がっているのだ。
「……おい、貴様!」
苛立ったスタッフが、襟華の襟首を掴んだ。
「ニヤニヤするな! お前だろ! お前が何か情報を漏らしたんだろ!」
八つ当たりだ。
襟華は逃げなかった。
腫れ上がった顔で、スタッフを睨み返す。その目には、もう怯えはない。
「……ビビってんの?」
「あ!?」
「聞こえなかった? アンタらの洗脳、もう解けかかってるって言ってんのよ」
襟華は周囲の参加者たちに視線を向けた。
「みんな、聞いたでしょ? ここはヤバい場所なんだよ。……目を覚ましなよ!」
「黙れぇッ!!」
スタッフが警棒を振り上げた。
襟華は身構える。
その時。
ズズズズズズ……ンッ!!
遠くで、地響きのような重低音が響いた。
雷鳴ではない。
もっと物理的な、巨大な質量が衝突し、何かが破壊される音。
食堂の窓ガラスがビリビリと震える。
「な、なんだ!? 地震か!?」
スタッフたちが狼狽え、警棒を下ろす。
違う。
襟華にはわかった。
これは、助けに来た「彼ら」の足音だ。
施設の裏手。高いコンクリート塀の向こう側。
鬱蒼とした森の中から、三つの影が現れた。
泥だらけのスーツを着た男。
コンバットナイフを持った金髪の女。
そして、巨大なケースを背負った小柄な女。
佐藤任三郎たちが、到着したのだ。
閉ざされた山を越え、要塞の壁を前にして、反撃の狼煙が上がろうとしていた。
山梨県の山中深部。
夜明け前の森は、濃密な朝霧に包まれ、視界はわずか数メートル先までしか利かない。
湿度を含んだ冷気が、衣服の隙間から入り込み、体温を奪っていく。
佐藤任三郎は、道なき急斜面を登っていた。
高級スーツの裾は泥に汚れ、革靴は既に泥濘にまみれている。それでも、彼の歩調は機械のように一定のリズムを保っていた。
後ろに続くのは、グレタ・ヴァイスと小林弥生だ。
「……ハァ、ハァ……き、キツい……」
弥生が荒い息を吐き、木の幹に手をついた。
彼女の背負っているジュラルミンケース――大量の解毒剤と医療機器が詰まった荷物は、10キロ近い重量がある。普段は空調の効いたラボにいる彼女にとって、この行軍は拷問に近い。
「大丈夫か、ヤヨイ。荷物を持つぞ」
先頭を行くグレタが、涼しい顔で振り返る。彼女は元特殊部隊員だ。この程度の山歩きは散歩にもならないのだろう。
「……平気。これがないと、みんなを助けられないから」
弥生は首を振り、気丈に顔を上げた。
「それに、社長だって荷物持ってるし……弱音吐いてられない」
佐藤は立ち止まり、コンパスと地図を確認した。
「……予定より遅れています。現在地は標高800メートル地点。施設の裏手まで、あと直線距離で1.5キロ」
数値だけを淡々と告げる。
焦りはない。焦燥は判断を曇らせるノイズだ。
だが、その胸の内には、数時間前に触れた「温もり」の記憶が、鮮明に残っていた。
――出撃の直前。
オフィスの玄関でのことだ。
装備を整え、靴紐を結んでいた佐藤の元へ、子猫のダシがトテトテと歩み寄ってきた時のこと。
『ミャウ』
ダシは佐藤の革靴の上に、ちょこんと座り込んだ。
行かないで、と引き止めるように。あるいは、連れて行って、とせがむように。
佐藤はしゃがみ込み、ダシを両手でそっと掬い上げた。
ダシは抵抗しなかった。
それどころか、佐藤の大きな掌の中にすっぽりと収まり、自ら体の力を抜いて、液状化するようにリラックスし始めたのだ。
掌に伝わる、柔らかな毛並みの感触。
トクトクと速く打つ心臓の鼓動。
そして、お腹の底から響いてくる、ゴロゴロというエンジン音。
ダシは金色の瞳を細め、佐藤の手のひらに頬を擦り付けた後、コテンと横になり、無防備なお腹を晒した。
絶対的な信頼。
この巨大な人間は、決して自分を傷つけない。守ってくれる存在だ。
そう信じきっている姿。
(……君はいいですね。世界がどれほど混沌としていても、私の手の中なら安全だと思っている)
佐藤は親指で、ダシの顎の下を優しく撫でた。
ダシは気持ちよさそうに目を閉じ、ピンク色の肉球がついた前足で、佐藤の指をギュッと抱きしめ返した。
その小さな爪が、微かに皮膚を刺激する。
痛みではない。命の感触だ。
「……必ず、帰りますよ」
佐藤はダシに――そして自分自身に約束した。
この小さな命が待つ場所へ、五体満足で戻る。
そして、今この森の向こうで助けを待っている襟華と千尋も、必ず連れて帰る。
彼にとって、「家族」と呼べる存在はもういないと思っていた。
だが、今の彼には、守るべき「チーム」と、帰るべき「家」がある。
佐藤は森の湿った空気を深く吸い込んだ。
肺が冷気で満たされ、思考が研ぎ澄まされる。
「……行きますよ」
彼は再び歩き出した。
その背中は、以前よりも一回り大きく、そして強固に見えた。
★★★★★★★★★★★
同時刻。山梨県、『ミライ・アカデミー』。
外界から隔絶されたその施設は、異様な静けさと、張り詰めた緊張感に包まれていた。
大食堂。
体育館ほどの広さがある空間に、数百人の参加者が集められていた。
長テーブルに並んで座らされ、無言で朝食を摂っている。
メニューは、具のない薄いスープと、パサパサのパン一つ。
食器が触れ合うカチャカチャという音と、咀嚼音だけが響く。私語は厳禁だ。
壁際には、警棒を持った白いポロシャツのスタッフたちが、監視の目を光らせている。
その一角に、田中襟華の姿があった。
彼女は昨夜、脱走を試みて捕まった後、独房のような反省部屋に監禁されていたが、朝食の時間だけはこうして連れ出されていた。
見せしめのためだ。
彼女の頬は赤く腫れ、服は埃で汚れている。手首には、結束バンドの痕が赤く残っていた。
(……クソッ)
襟華はスープを睨みつけた。
悔しい。情けない。
潜入のプロとして、こんな無様な失敗をするなんて。
隣の席には、昨夜彼女を密告した青年・タカシが座っていた。
彼は襟華と目を合わせようとせず、震える手でスプーンを口に運んでいる。罪悪感と、それ以上の恐怖に支配されているのだ。
彼の首には、「優良生徒」を示す赤い札がかけられている。仲間を売って手に入れた勲章だ。
襟華は周囲を見渡した。
渡辺千尋の姿が見当たらない。
彼女はVIP棟にいたはずだ。無事なのだろうか。それとも、もう……。
不安が胸を締め付ける。
通信機は壊された。GPSもジャミングされているだろう。
ここは地図にない牢獄だ。誰も助けに来ないかもしれない。
食堂の正面にある、100インチの大型モニター。
普段は西園寺レオの説法ビデオや、成功者の体験談がエンドレスで流されている場所だ。
だが、この朝食の時間だけは違っていた。
「世の中のニュースを知る」という名目で、地上波のテレビ番組が流されているのだ。
もちろん、これは西園寺の計算だ。
経済不安、凶悪犯罪、政治の腐敗。そういったネガティブなニュースを見せることで、「外の世界は地獄だ」「ここだけが安全な楽園だ」と刷り込むための洗脳装置。
午前8時00分。
画面が切り替わり、朝の情報番組『愛永のモーニング・カフェ』が始まった。
お馴染みのテーマ曲と共に、松本愛永が爽やかな笑顔で登場する。
『おはようございます! 今日も素敵な一日を……と言いたいところですが、今日は緊急特集です』
愛永の顔が、ふっと真剣なものに変わった。
スタジオの空気が引き締まる。
襟華は顔を上げた。
スプーンを持つ手が止まる。
(……愛永姉さん?)
『本日のタイトルは……「若者を食い物にする”夢の王国”の正体」』
画面に、おどろおどろしいフォントで書かれたフリップが出される。
そこに列挙されている手口。
・SNSでの巧みな勧誘
・外部との連絡遮断
・高額な借金の強要
・「家族や友人はドリームキラーだ」という教え
それはまさに、今ここにいる参加者たちが体験していることそのものだった。
食堂の中に、ざわめきが広がる。
虚ろだった参加者たちの目に、微かな光――疑問の色が宿り始める。
『最近、山間部の施設に若者を集め、集団生活の中で洗脳的なセミナーを行っている団体の情報が、番組に多数寄せられています』
愛永がカメラを射抜くように見つめた。
その視線は、テレビの前の主婦たちではなく、今まさにこの食堂にいる若者たちに向けられているようだった。
彼女は知っているのだ。この時間に、この施設でテレビが見られていることを。
これは放送ではない。通信だ。
『彼らは言います。「ここなら変われる」「成功できる」と。……でも、少しだけ考えてみてください』
愛永が優しく、語りかけるように言う。
『本当にあなたを成功させたいなら、なぜあなたのスマホを取り上げ、大切な家族との連絡を断たせるのでしょうか? なぜ、あなたに嘘をつかせ、友人を勧誘させるのでしょうか?』
図星を突かれたタカシが、スプーンを取り落とした。
カチャン、という音が静寂に響く。
スタッフたちが慌て始めた。
「な、なんだこの放送は!」
「チャンネルを変えろ! リモコンはどこだ!」
だが、リモコンが見当たらない。
厨房の奥で、配膳係に扮した渡辺千尋が、リモコンをゴミ箱の奥底に隠していたからだ。
『それは、あなたを成功させるためではありません』
愛永の声が、食堂に朗々と響き渡る。
『あなたから”考える力”を奪い、都合の良い奴隷にするためです。……あなたは、誰かの財布になるために生まれてきたわけじゃないはずです』
愛永の隣に座っていたコメンテーターが、さらに追撃する。
『これは法的に見ても、監禁罪や詐欺罪に抵触する可能性が高いですね。現在、警察当局も重大な関心を寄せているという情報があります』
警察。
その単語が出た瞬間、会場の空気が決定的に変わった。
「ここは楽園ではない」「犯罪の現場かもしれない」
参加者たちが、お互いの顔を見合わせる。
隣にいる人の目は、輝いていますか? それとも、何かに怯えていますか?
愛永の問いかけが、彼らの心に突き刺さる。
そこにいるのは「成功者」などではない。薄汚れた服を着て、粗末な食事を啜る、搾取され尽くした「被害者」の群れだ。
魔法が解けた。
洗脳という名の強固な城壁に、亀裂が入ったのだ。
「……消せ! コンセントを抜けぇ!」
幹部の男が叫び、テレビのコードを力任せに引き抜いた。
プツン。
画面が消え、食堂に静寂が戻る。
だが、もう手遅れだ。
一度芽生えた疑念は、消すことができない。
(……届いたよ、愛永姉さん)
襟華はテーブルの下で、小さく拳を握りしめた。
震えが止まっていた。
外の世界は、まだ自分たちを見捨てていない。
チーム「Octogram」の連携は、電波が遮断されていても、こうして繋がっているのだ。
「……おい、貴様!」
苛立ったスタッフが、襟華の襟首を掴んだ。
「ニヤニヤするな! お前だろ! お前が何か情報を漏らしたんだろ!」
八つ当たりだ。
襟華は逃げなかった。
腫れ上がった顔で、スタッフを睨み返す。その目には、もう怯えはない。
「……ビビってんの?」
「あ!?」
「聞こえなかった? アンタらの洗脳、もう解けかかってるって言ってんのよ」
襟華は周囲の参加者たちに視線を向けた。
「みんな、聞いたでしょ? ここはヤバい場所なんだよ。……目を覚ましなよ!」
「黙れぇッ!!」
スタッフが警棒を振り上げた。
襟華は身構える。
その時。
ズズズズズズ……ンッ!!
遠くで、地響きのような重低音が響いた。
雷鳴ではない。
もっと物理的な、巨大な質量が衝突し、何かが破壊される音。
食堂の窓ガラスがビリビリと震える。
「な、なんだ!? 地震か!?」
スタッフたちが狼狽え、警棒を下ろす。
違う。
襟華にはわかった。
これは、助けに来た「彼ら」の足音だ。
施設の裏手。高いコンクリート塀の向こう側。
鬱蒼とした森の中から、三つの影が現れた。
泥だらけのスーツを着た男。
コンバットナイフを持った金髪の女。
そして、巨大なケースを背負った小柄な女。
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