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第26話 怪物の青田買いと春の貝
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1999年5月。ゴールデンウィーク最終日。 快晴の空の下、俺は書斎でスケジュールの最終確認をしていた。
鷹森の排除、モバイルECの仕込み、そして「ハンセン・ナチュラル」への投資。 やるべきことは全て、この連休中に完了した。
明日からは再び、学園という「戦場」へ戻ることになる。 俺はPCを閉じ、少し凝り固まった体をほぐすために、散歩へ出ることにした。
午後。
投資の興奮を冷ますため、俺は散歩に出た。
向かったのは、マンションからほど近い有栖川宮記念公園だ。
新緑が美しい園内は、家族連れやカップルで賑わっている。
池のほとりのベンチで、鳩に餌をやっている女性の姿を見つけた。
花村結衣先輩だ。
今日の彼女は、パステルイエローのカーディガンに、ふんわりとした白いスカートを合わせている。
春の妖精のような装いだ。
艶やかな黒髪が肩にかかり、少し垂れ気味の大きな瞳が優しく細められている。
制服姿の時も目を引くが、私服姿の彼女は、その柔らかな雰囲気とプロポーションの良さが際立ち、道行く男性たちが思わず足を止めるほどの「美少女」オーラを放っていた。
「……鳩もお腹が空いているようですね」
俺が声をかけると、結衣先輩はビクリとして顔を上げ、俺を見てパァッと笑顔になった。
「あ! 王子様だぁ! こんにちは~!」
「こんにちは、花村先輩。……王子様はやめてくださいと、何度言えば」
「え~? だって王子様だもん。あの日、空から助けてくれたし」
彼女はクスクスと笑い、隣のスペースを空けてくれた。
俺は失礼して腰を下ろした。
ふわりと甘いバニラの香りが漂う。
「お一人ですか?」
「うん。セイラちゃん誘ったんだけど、お家の用事があるって。……最近セイラちゃん、すごく忙しそうで心配なの」
結衣先輩の表情が少し曇る。
親友である霧島セイラの家の事情を、彼女なりに察しているのだろう。
詳しいことは知らされずとも、友人が苦しんでいるのを感じ取り、心を痛めている。
その純粋な優しさが、セイラにとっては救いであり、同時に重荷にもなっているのかもしれない。
「霧島先輩なら大丈夫ですよ。彼女は強い人です」
「うん……そうだよね。セイラちゃんは強いもんね」
結衣先輩は自分に言い聞かせるように頷いた。
そして、俺の顔を覗き込むようにして上目遣いになった。
「ねえねえ、西園寺くん。……もしセイラちゃんが困ってたら、また助けてあげてね?」
「……どうして僕に?」
「ん~、なんとなく? 西園寺くんって、いじわるそうに見えて、本当は優しいから。……それに、セイラちゃんも西園寺くんのこと、悪く言ってないもん」
野生の勘というやつだろうか。
彼女には、人の本質を見抜く不思議な力があるようだ。
俺は苦笑しつつ、頷いた。
「善処します。……先輩の大切なご友人ですからね」
「わぁい! ありがとう! ……あ、これあげる!」
彼女はバッグから飴玉を取り出し、俺の手のひらに乗せた。
イチゴ味のキャンディ。
子供扱いされているような気もするが、彼女からの報酬なら悪くはない。
「……じゃあ私、そろそろ帰るね! 明日学校でね~!」
彼女は手を振り、軽やかに駆け出していった。
スカートの裾が翻り、春風のような余韻を残していく。
嵐のようなビジネスの世界に身を置く俺にとって、彼女のような存在は貴重な清涼剤だ。
俺は飴の包み紙を開き、口に放り込んだ。
甘酸っぱい味が広がった。
公園を出た後、俺は夕食の買い出しに向かった。
目指すはいつもの東急本店デパ地下。
今日のテーマは「春の名残」。
鮮魚コーナーで、大粒のあさりを見つけた。
愛知県産の天然物だ。殻の模様が鮮やかで、しっかりと口を閉じている。これは身が詰まっている証拠だ。
青果コーナーでは、旬の終わりの菜の花を。
少し苦味のあるこの野菜は、貝の出汁と相性が抜群だ。
さらに、サラダ用に有機栽培のベビーリーフ、新玉ねぎ、フルーツトマトを購入。
スープ用に、牛スネ肉と香味野菜も。
ワインセラーで選んだのは、イタリア産の白ワイン『ソアヴェ・クラシコ』。
ガルガーネガ種主体のこのワインは、フレッシュな酸味と微かなアーモンドの香りが特徴で、ボンゴレのような魚介系パスタには鉄板の組み合わせだ。
両手に荷物を抱え、帰宅。
すぐに調理に取り掛かる。
あさりは塩水に浸け、暗い場所に置いて砂抜きをする。このひと手間が味を左右する。
その間に、コンソメスープを仕込む。
牛スネ肉と野菜を水からじっくりと煮出し、卵白を使ってアクを吸着させながら濾していく。
透き通った琥珀色のスープ――コンソメ・ドゥーブルを作るには時間がかかるが、今日は圧力鍋を使って時短テクニックを駆使する。
菜の花はさっと塩茹でし、冷水に取って色止めをする。
ニンニクはみじん切り、唐辛子は種を抜いて輪切りに。
パスタを茹で始める。表示時間より1分短く。
フライパンにオリーブオイルとニンニク、唐辛子を入れ、弱火でじっくり香りを出す。
あさりを投入し、白ワインを回しかけて蓋をする。
数分後、殻が開く音が次々と響く。
蓋を開けると、磯の香りが爆発的に広がった。
あさりを一度取り出し、残った煮汁に茹で汁を加えて乳化させる。
ここが最重要ポイントだ。
油と水分を完全に一体化させ、とろみのあるソースを作る。
そこにパスタと菜の花、あさりを戻し入れ、強火で煽(あお)る。
ソースを麺に吸わせるように絡めれば、完成だ。
ダイニングテーブルに料理を並べる。
『あさりと菜の花のボンゴレビアンコ』。
あさりの旨味が溶け出した黄金色のソースが、パスタに絡みついている。
菜の花の緑と唐辛子の赤が彩りを添える。
サイドメニューは『新玉ねぎとフルーツトマトのグリーンサラダ』、そして『自家製コンソメスープ』。
グラスに、よく冷えたソアヴェを注ぐ。
「いただきます」
まずはパスタから。
フォークで巻き取り、口へ運ぶ。
……美味い。
あさりの濃厚な出汁とニンニクのパンチ、そして白ワインの風味が渾然一体となり、口の中で弾ける。
菜の花のほろ苦さが、味に深みを与えている。
乳化したソースは麺との絡みが抜群で、店で食べる味を凌駕していると自負できる出来だ。
そこに白ワインを流し込む。
キリッとした酸味が、口の中をリセットし、次の一口を誘う。
無限に食べられそうだ。
サラダは、新玉ねぎの甘みとフルーツトマトの酸味が絶妙で、シンプルなドレッシングが素材の味を引き立てている。
そしてコンソメスープ。
一口飲むと、牛の旨味が凝縮された深い味わいが広がり、身体の芯から温まる。
手間をかけた甲斐があった。
一人での食事だが、寂しさは感じない。
自分の作った料理を、最高の状態で味わう贅沢。
これこそが、大人の休日の楽しみ方だ。
俺はゆっくりと時間をかけて、春の味覚を堪能した。
ワイングラスを洗い終え、俺はクローゼットを開けた。
明日から着る制服を取り出す。 クリーニングから戻ってきたばかりのシャツに、念のため自らアイロンを当てる。
スチームの音と共に、シワが消え、パリッとした生地に仕上がっていく。
部屋は、昨日の掃除のおかげでまだ塵一つなく整っている。
「……準備万端だ」
俺はアイロンの電源を切り、窓の外の夜景を見上げた。 長かった連休が終わる。
休息は十分。明日からまた、完璧な「西園寺玲央」を演じきろう。
鷹森の排除、モバイルECの仕込み、そして「ハンセン・ナチュラル」への投資。 やるべきことは全て、この連休中に完了した。
明日からは再び、学園という「戦場」へ戻ることになる。 俺はPCを閉じ、少し凝り固まった体をほぐすために、散歩へ出ることにした。
午後。
投資の興奮を冷ますため、俺は散歩に出た。
向かったのは、マンションからほど近い有栖川宮記念公園だ。
新緑が美しい園内は、家族連れやカップルで賑わっている。
池のほとりのベンチで、鳩に餌をやっている女性の姿を見つけた。
花村結衣先輩だ。
今日の彼女は、パステルイエローのカーディガンに、ふんわりとした白いスカートを合わせている。
春の妖精のような装いだ。
艶やかな黒髪が肩にかかり、少し垂れ気味の大きな瞳が優しく細められている。
制服姿の時も目を引くが、私服姿の彼女は、その柔らかな雰囲気とプロポーションの良さが際立ち、道行く男性たちが思わず足を止めるほどの「美少女」オーラを放っていた。
「……鳩もお腹が空いているようですね」
俺が声をかけると、結衣先輩はビクリとして顔を上げ、俺を見てパァッと笑顔になった。
「あ! 王子様だぁ! こんにちは~!」
「こんにちは、花村先輩。……王子様はやめてくださいと、何度言えば」
「え~? だって王子様だもん。あの日、空から助けてくれたし」
彼女はクスクスと笑い、隣のスペースを空けてくれた。
俺は失礼して腰を下ろした。
ふわりと甘いバニラの香りが漂う。
「お一人ですか?」
「うん。セイラちゃん誘ったんだけど、お家の用事があるって。……最近セイラちゃん、すごく忙しそうで心配なの」
結衣先輩の表情が少し曇る。
親友である霧島セイラの家の事情を、彼女なりに察しているのだろう。
詳しいことは知らされずとも、友人が苦しんでいるのを感じ取り、心を痛めている。
その純粋な優しさが、セイラにとっては救いであり、同時に重荷にもなっているのかもしれない。
「霧島先輩なら大丈夫ですよ。彼女は強い人です」
「うん……そうだよね。セイラちゃんは強いもんね」
結衣先輩は自分に言い聞かせるように頷いた。
そして、俺の顔を覗き込むようにして上目遣いになった。
「ねえねえ、西園寺くん。……もしセイラちゃんが困ってたら、また助けてあげてね?」
「……どうして僕に?」
「ん~、なんとなく? 西園寺くんって、いじわるそうに見えて、本当は優しいから。……それに、セイラちゃんも西園寺くんのこと、悪く言ってないもん」
野生の勘というやつだろうか。
彼女には、人の本質を見抜く不思議な力があるようだ。
俺は苦笑しつつ、頷いた。
「善処します。……先輩の大切なご友人ですからね」
「わぁい! ありがとう! ……あ、これあげる!」
彼女はバッグから飴玉を取り出し、俺の手のひらに乗せた。
イチゴ味のキャンディ。
子供扱いされているような気もするが、彼女からの報酬なら悪くはない。
「……じゃあ私、そろそろ帰るね! 明日学校でね~!」
彼女は手を振り、軽やかに駆け出していった。
スカートの裾が翻り、春風のような余韻を残していく。
嵐のようなビジネスの世界に身を置く俺にとって、彼女のような存在は貴重な清涼剤だ。
俺は飴の包み紙を開き、口に放り込んだ。
甘酸っぱい味が広がった。
公園を出た後、俺は夕食の買い出しに向かった。
目指すはいつもの東急本店デパ地下。
今日のテーマは「春の名残」。
鮮魚コーナーで、大粒のあさりを見つけた。
愛知県産の天然物だ。殻の模様が鮮やかで、しっかりと口を閉じている。これは身が詰まっている証拠だ。
青果コーナーでは、旬の終わりの菜の花を。
少し苦味のあるこの野菜は、貝の出汁と相性が抜群だ。
さらに、サラダ用に有機栽培のベビーリーフ、新玉ねぎ、フルーツトマトを購入。
スープ用に、牛スネ肉と香味野菜も。
ワインセラーで選んだのは、イタリア産の白ワイン『ソアヴェ・クラシコ』。
ガルガーネガ種主体のこのワインは、フレッシュな酸味と微かなアーモンドの香りが特徴で、ボンゴレのような魚介系パスタには鉄板の組み合わせだ。
両手に荷物を抱え、帰宅。
すぐに調理に取り掛かる。
あさりは塩水に浸け、暗い場所に置いて砂抜きをする。このひと手間が味を左右する。
その間に、コンソメスープを仕込む。
牛スネ肉と野菜を水からじっくりと煮出し、卵白を使ってアクを吸着させながら濾していく。
透き通った琥珀色のスープ――コンソメ・ドゥーブルを作るには時間がかかるが、今日は圧力鍋を使って時短テクニックを駆使する。
菜の花はさっと塩茹でし、冷水に取って色止めをする。
ニンニクはみじん切り、唐辛子は種を抜いて輪切りに。
パスタを茹で始める。表示時間より1分短く。
フライパンにオリーブオイルとニンニク、唐辛子を入れ、弱火でじっくり香りを出す。
あさりを投入し、白ワインを回しかけて蓋をする。
数分後、殻が開く音が次々と響く。
蓋を開けると、磯の香りが爆発的に広がった。
あさりを一度取り出し、残った煮汁に茹で汁を加えて乳化させる。
ここが最重要ポイントだ。
油と水分を完全に一体化させ、とろみのあるソースを作る。
そこにパスタと菜の花、あさりを戻し入れ、強火で煽(あお)る。
ソースを麺に吸わせるように絡めれば、完成だ。
ダイニングテーブルに料理を並べる。
『あさりと菜の花のボンゴレビアンコ』。
あさりの旨味が溶け出した黄金色のソースが、パスタに絡みついている。
菜の花の緑と唐辛子の赤が彩りを添える。
サイドメニューは『新玉ねぎとフルーツトマトのグリーンサラダ』、そして『自家製コンソメスープ』。
グラスに、よく冷えたソアヴェを注ぐ。
「いただきます」
まずはパスタから。
フォークで巻き取り、口へ運ぶ。
……美味い。
あさりの濃厚な出汁とニンニクのパンチ、そして白ワインの風味が渾然一体となり、口の中で弾ける。
菜の花のほろ苦さが、味に深みを与えている。
乳化したソースは麺との絡みが抜群で、店で食べる味を凌駕していると自負できる出来だ。
そこに白ワインを流し込む。
キリッとした酸味が、口の中をリセットし、次の一口を誘う。
無限に食べられそうだ。
サラダは、新玉ねぎの甘みとフルーツトマトの酸味が絶妙で、シンプルなドレッシングが素材の味を引き立てている。
そしてコンソメスープ。
一口飲むと、牛の旨味が凝縮された深い味わいが広がり、身体の芯から温まる。
手間をかけた甲斐があった。
一人での食事だが、寂しさは感じない。
自分の作った料理を、最高の状態で味わう贅沢。
これこそが、大人の休日の楽しみ方だ。
俺はゆっくりと時間をかけて、春の味覚を堪能した。
ワイングラスを洗い終え、俺はクローゼットを開けた。
明日から着る制服を取り出す。 クリーニングから戻ってきたばかりのシャツに、念のため自らアイロンを当てる。
スチームの音と共に、シワが消え、パリッとした生地に仕上がっていく。
部屋は、昨日の掃除のおかげでまだ塵一つなく整っている。
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