43 / 65
第43話 影響力の武器と未完成の教師
しおりを挟む
5月の爽やかな風が吹き抜ける土曜の朝。本日は本来なら、第四土曜日で学校は休日のはずだが、創立記念日との兼ね合いで、半日授業が行われる予定だ。
俺は通学中の電車内で、一冊の分厚いハードカバーに視線を落としていた。
ロバート・B・チャルディーニ著『影響力の武器――なぜ、人は動かされるのか』。
人間の行動心理を「返報性」「一貫性」「社会的証明」「好意」「権威」「希少性」という6つの原理で解き明かしたこの名著は、ビジネスにおける交渉術のバイブルであると同時に、人間関係という不確定なゲームを攻略するためのルールブックでもある。
「……一貫性の原理。人は一度決定を下すと、その決定と一貫した行動を取ろうとする圧力を受ける」
俺は心の中で反芻する。
これは日向翔太や、彼を取り巻く環境にも当てはまる。一度「自分は特別だ」と思い込んだ人間は、現実がその認識を否定し始めても、無理やりつじつまを合わせようとして自滅していく。
逆に、桜木マナのように一度「変わる」と決めた人間は、その新しい自分に相応しい行動を取ろうと努力し、成長のスパイラルに入る。
「次は、渋谷駅――」
アナウンスが流れ、俺は本を鞄にしまった。
周囲の学生たちが週末の予定に浮き足立つ中、俺の脳内はすでに、数時間後に控えた「新たなビジネス」の構想で埋め尽くされていた。
1限目の授業が始まる直前、1年A組の教室は普段とは違う種類の熱気に包まれていた。
今日から3週間、教育実習生がやってくるという噂が駆け巡っていたからだ。
男子生徒たちが「美人だといいな」「女子大生だろ?」と無邪気な期待を膨らませる中、チャイムと共に担任が入ってきた。
そして、その後ろから一人の女性が姿を現した瞬間、教室中の空気が一変した。
息を呑むような、純白の衝撃。
年齢は20歳前後だろうか。艶やかな黒髪はストレートのロングヘアで、歩くたびにサラサラと清楚に揺れている。
肌は陶器のように白く透き通り、大きな瞳には意思の強さと、春の日差しのような優しさが同居していた。
グレーのタイトスカートのスーツは、彼女のスレンダーながらも健康的なスタイルを上品に引き立てている。
派手な装飾は一切ない。しかし、その素材の良さと内側から滲み出る「品格」は、クラスのどの女子生徒とも一線を画す、大人の女性としての圧倒的な美貌を放っていた。
「……すげぇ、本物の美人だ」
「女優みたいじゃん……」
男子たちの感嘆の声がさざ波のように広がる。
彼女は教壇の中央に立つと、緊張した面持ちで、しかし凛とした声で口を開いた。
「初めまして。今日から3週間、皆さんと一緒に勉強させていただくことになりました、高村遥です。教科は現代文を担当します。未熟な点もあるかと思いますが、精一杯頑張りますので、よろしくお願いします」
深々とお辞儀をする姿からは、彼女の誠実さと「教師」という職業への真摯な想いが伝わってきた。
誰もが彼女に好感を抱き、敬意を払おうとした、その時だった。
「よっ! 遥姉ちゃん、久しぶり!」
空気を読まない大声が、静寂を切り裂いた。
声の主は、教室の中央付近に座る日向翔太だった。彼は椅子にふんぞり返り、まるで自分の手柄かのようにヘラヘラと手を振っている。
教室がざわめく。
「え、日向の知り合い?」
「姉ちゃんってどういうこと?」
困惑の視線が集まる中、高村実習生の顔が一瞬、強張った。
しかし、彼女はすぐに気を取り直し、教育者としての毅然とした態度で翔太に向き直った。
「日向くん。学校では『高村先生』と呼びなさい。ここは家ではありませんよ」
正論だ。公私の区別をつけるための、至極真っ当な指導。
だが、翔太にはその意図が通じない。
「えー、いいじゃん別に。ケチだなー」
彼は唇を尖らせ、つまらなそうに呟いた。
周囲の空気が急速に冷えていくのを、彼は感じ取れていない。
「TPO」という概念の欠如。
かつての「近所のお姉ちゃん」に対する甘えを、そのまま教室という公的な場に持ち込んでいるのだ。
(……救いようがないな)
俺は冷ややかに観察していた。
高村実習生の瞳の奥に、困惑と微かな失望の色が浮かんだのを俺は見逃さなかった。
彼女は真面目だ。一生懸命に教師になろうとしている。
その神聖な職場を、かつての「可愛い弟分」に土足で踏み荒らされたのだ。この小さな違和感は、やがて修復不可能な亀裂へと成長するだろう。
2限目の英語の授業中、教師が意地の悪い難問を出題した。
大学入試レベルの文法事項を含んだ、誰も手を挙げないような問題だ。
教師の視線が教室内を彷徨い、そして俺のところで止まった。
「では、西園寺。この一節を訳し、そこで使われている仮定法のニュアンスを説明してみろ」
俺は静かに立ち上がった。
教科書を見るまでもない。
「はい。『もし彼がその時、真実を知っていたならば、歴史は変わっていたかもしれない』。ここでの仮定法過去完了は、事実とは異なる過去を想定するだけでなく、書き手の『歴史が変わらなかったことへの無念』や『運命の不可逆性』に対する嘆きが含意されています」
完璧な回答。さらに文脈の裏にある情感まで補足した解説に、教師は目を見開き、満足そうに頷いた。
「……正解だ。よく勉強しているな、座っていいぞ」
着席する際、視界の端で高村実習生が熱心にメモを取っているのが見えた。
彼女は教室の後ろで授業見学をしていたのだ。
俺と目が合うと、彼女は驚いたように、しかし感心したような表情で小さく会釈をした。
俺も礼儀正しく会釈を返す。
翔太が見せた「馴れ馴れしさ」とは対極にある、「知性と礼節」によるコミュニケーション。
彼女の中で、俺という存在が強烈にインプットされた瞬間だった。
放課後、俺は図書室へと向かった。
カウンターで借りていた『失敗の本質』と『影響力の武器』を返却する。
司書の女性は、高校生が借りるには渋すぎるラインナップに苦笑していたが、俺は気にせず新たに2冊の本を借りた。
『ロジスティクス管理入門』と『データベース設計の基礎』。
次のビジネスに必要な知識だ。
帰宅後、俺は自室のワークチェアに深く身を沈め、舞に電話をかけた。
土曜の午後だが、彼女はすでに俺の指示を受けて動いているはずだ。
「お疲れ様です、玲央様。ご指示の件、進捗はいかがでしょうか」
「あぁ、舞。例の2つのプロジェクトについて、詳細を詰めた。メモの用意はいいか?」
俺は机上のホワイトボードに書かれた数字と図式を眺めながら、淡々と、しかし熱を込めて語り始めた。
「まず一つ目。オンラインFX取引プラットフォームの構築だ」
【プロジェクトA:FX革命】
投資額:システム構築・銀行提携保証金として3,000万円。
戦略:現在、1ドル=122円前後。円安トレンドにあるが、既存の銀行の外貨預金は手数料が高すぎる。往復で数円も抜かれるのは詐欺に近い。
俺たちが提供するのは、スプレッドを極限まで狭めたリアルタイム取引だ。
マーケティング:「外貨預金より手数料が安い」「24時間取引可能」という殺し文句で、主婦層やサラリーマンをターゲットにする。
後に「ミセス・ワタナベ」と呼ばれることになる、日本の個人投資家たちの爆発的なエネルギーを、俺たちのプラットフォームで総取りする。
未来予測:この事業の利益率は凄まじい。数年で数百億円規模の企業価値を生むだろう。レバレッジ規制が入る前の「黄金時代」を支配する。
「システムは堅牢性が命だ。絶対に落ちないサーバーと、約定力の高いカバー先を確保しろ。金に糸目はつけるな」
「承知いたしました。優秀なエンジニアチームを編成済みです」
舞の回答は頼もしい。
そして、俺は二つ目のプロジェクトへと話題を移した。
「次は、もっと泥臭いが、確実に『足元の金』を拾うビジネスだ」
【プロジェクトB:ネット宅配買取&アービトラージ】
事業内容:「箱に詰めて送るだけ」のネット宅配買取サービス。特にトレーディングカード、ゲーム、古本に特化する。
立ち回り:物流拠点:埼玉や千葉など、地価の安い場所に巨大倉庫を借りる。大量のアルバイトを雇用し、物流のハブとする。
データベース構築:バーコードを読み取るだけで、市場価格に基づいた査定額が瞬時に出るシステムを開発する。当時のブックオフなどは店員の「目利き」に頼っていたが、俺たちは「データ」で勝負する。
仕入れ戦略:自社の着メロサイト利用者に「要らないゲームを売って、着メロ代を稼ごう」という広告を打つ。金のない若年層から、大量の在庫を安く仕入れることができる。
「そして、ここからが錬金術だ。仕入れた商品をどうすると思う?」
「……国内で再販、でしょうか?」
「それもやる。だが本命は『裁定取引』だ」
俺は手元のカードを一枚、指で弾いた。
『ポケモンカード』。
日本ではブームが定着し、おもちゃ屋に行けば定価で買える。
だが、海の向こうのアメリカでは、アニメ放映開始直後で爆発的なブームが起きているにも関わらず、供給が全く追いついていない。
「今、アメリカの『eBay』では、日本のポケモンカードが信じられない高値で取引されている。特に初期版のリザードンなどは、宝石並みの価値がつく」
「なるほど……。安く仕入れた日本の在庫を、海外のオークションで売るのですね」
「その通りだ。これは『駿河屋』のようなモデルを10年前倒しにしつつ、越境ECで利益を最大化する戦略だ」
為替でマクロ経済を支配し、物販でミクロの需要を刈り取る。
この両輪が回れば、俺の資産は桁が変わるだろう。
「完璧な布陣です、玲央様。すぐに手配いたします」
「頼んだよ、舞。……ああ、それと。今日から教育実習生が来ている」
「実習生、ですか?」
「高村遥という女性だ。真面目だが、少し『教師』という幻想に囚われすぎているきらいがある。……まあ、俺が気にかけることでもないが」
少しだけ含みを持たせて、俺は通話を切った。
夕方、気分転換に散歩に出た俺は、いつもの公園でベンチに座る天童くるみを見つけた。
彼女は深めの帽子を目深に被っていたが、そのオーラまでは隠しきれていない。
俺が隣に座ると、彼女はパッと顔を輝かせた。
「あ、レオ! お疲れ様」
「奇遇だね、くるみさん。仕事の帰り?」
「うん。今日は雑誌の取材だったの。レオのおかげで、最近すごく忙しくなっちゃって」
彼女は嬉しそうに、少しだけ疲れた表情で微笑んだ。
以前の「売れないアイドル」の悲壮感は消え、今はプロフェッショナルとしての自信が垣間見える。
彼女の顔立ちは、やはり美しい。派手なアイドルメイクを落とした素顔に近い状態でも、肌のきめ細やかさと目鼻立ちの整い方は、万人が振り返るレベルだ。
「忙しいのは良いことだけど、無理はしないで。君の健康は、事務所の、いや俺にとっての最重要資産だからね」
「もう、また『資産』とか言うー。……でも、ありがとう。レオと話すと、なんか安心する」
彼女はそっと俺の肩に頭を預けようとして、慌てて「あ、誰かに見られたらマズイよね」と身を引いた。
その仕草が愛らしく、俺は苦笑した。
「スキャンダル対策も完璧だね。……今度、栄養価の高い差し入れを持っていくよ」
「本当? レオの手料理、また食べたいな」
他愛のない世間話。
巨額の金が動くビジネスの世界とは違う、穏やかな時間。
俺はこのバランスを大切にしていた。彼女たちの笑顔を守るためにも、俺は強くあり続けなければならない。
帰宅後、俺はリビングの窓辺に置かれた観葉植物に向かった。
青々と茂る葉は、部屋の空気を浄化し、俺の精神を安定させてくれる。
俺はキッチンの棚から、小さなボトルを取り出した。
『ハイポネックス』。植物用の液体肥料だ。
しかし、ただ与えるのではない。
「……適量は、水1リットルに対して1ミリリットル」
スポイトで慎重に計量し、ジョウロの水に溶かす。
薄すぎても効果がなく、濃すぎれば根腐れを起こす。
投資と同じだ。適切なリソースを、適切なタイミングで投下する。
「大きくなれよ」
俺は慈しむように、根元へ水を注いだ。
土が水を吸い込み、葉が微かに震える。
植物も、ビジネスも、そして人間関係も。
丁寧な観察と、適切なケアがあれば、必ず期待に応えてくれる。
俺は通学中の電車内で、一冊の分厚いハードカバーに視線を落としていた。
ロバート・B・チャルディーニ著『影響力の武器――なぜ、人は動かされるのか』。
人間の行動心理を「返報性」「一貫性」「社会的証明」「好意」「権威」「希少性」という6つの原理で解き明かしたこの名著は、ビジネスにおける交渉術のバイブルであると同時に、人間関係という不確定なゲームを攻略するためのルールブックでもある。
「……一貫性の原理。人は一度決定を下すと、その決定と一貫した行動を取ろうとする圧力を受ける」
俺は心の中で反芻する。
これは日向翔太や、彼を取り巻く環境にも当てはまる。一度「自分は特別だ」と思い込んだ人間は、現実がその認識を否定し始めても、無理やりつじつまを合わせようとして自滅していく。
逆に、桜木マナのように一度「変わる」と決めた人間は、その新しい自分に相応しい行動を取ろうと努力し、成長のスパイラルに入る。
「次は、渋谷駅――」
アナウンスが流れ、俺は本を鞄にしまった。
周囲の学生たちが週末の予定に浮き足立つ中、俺の脳内はすでに、数時間後に控えた「新たなビジネス」の構想で埋め尽くされていた。
1限目の授業が始まる直前、1年A組の教室は普段とは違う種類の熱気に包まれていた。
今日から3週間、教育実習生がやってくるという噂が駆け巡っていたからだ。
男子生徒たちが「美人だといいな」「女子大生だろ?」と無邪気な期待を膨らませる中、チャイムと共に担任が入ってきた。
そして、その後ろから一人の女性が姿を現した瞬間、教室中の空気が一変した。
息を呑むような、純白の衝撃。
年齢は20歳前後だろうか。艶やかな黒髪はストレートのロングヘアで、歩くたびにサラサラと清楚に揺れている。
肌は陶器のように白く透き通り、大きな瞳には意思の強さと、春の日差しのような優しさが同居していた。
グレーのタイトスカートのスーツは、彼女のスレンダーながらも健康的なスタイルを上品に引き立てている。
派手な装飾は一切ない。しかし、その素材の良さと内側から滲み出る「品格」は、クラスのどの女子生徒とも一線を画す、大人の女性としての圧倒的な美貌を放っていた。
「……すげぇ、本物の美人だ」
「女優みたいじゃん……」
男子たちの感嘆の声がさざ波のように広がる。
彼女は教壇の中央に立つと、緊張した面持ちで、しかし凛とした声で口を開いた。
「初めまして。今日から3週間、皆さんと一緒に勉強させていただくことになりました、高村遥です。教科は現代文を担当します。未熟な点もあるかと思いますが、精一杯頑張りますので、よろしくお願いします」
深々とお辞儀をする姿からは、彼女の誠実さと「教師」という職業への真摯な想いが伝わってきた。
誰もが彼女に好感を抱き、敬意を払おうとした、その時だった。
「よっ! 遥姉ちゃん、久しぶり!」
空気を読まない大声が、静寂を切り裂いた。
声の主は、教室の中央付近に座る日向翔太だった。彼は椅子にふんぞり返り、まるで自分の手柄かのようにヘラヘラと手を振っている。
教室がざわめく。
「え、日向の知り合い?」
「姉ちゃんってどういうこと?」
困惑の視線が集まる中、高村実習生の顔が一瞬、強張った。
しかし、彼女はすぐに気を取り直し、教育者としての毅然とした態度で翔太に向き直った。
「日向くん。学校では『高村先生』と呼びなさい。ここは家ではありませんよ」
正論だ。公私の区別をつけるための、至極真っ当な指導。
だが、翔太にはその意図が通じない。
「えー、いいじゃん別に。ケチだなー」
彼は唇を尖らせ、つまらなそうに呟いた。
周囲の空気が急速に冷えていくのを、彼は感じ取れていない。
「TPO」という概念の欠如。
かつての「近所のお姉ちゃん」に対する甘えを、そのまま教室という公的な場に持ち込んでいるのだ。
(……救いようがないな)
俺は冷ややかに観察していた。
高村実習生の瞳の奥に、困惑と微かな失望の色が浮かんだのを俺は見逃さなかった。
彼女は真面目だ。一生懸命に教師になろうとしている。
その神聖な職場を、かつての「可愛い弟分」に土足で踏み荒らされたのだ。この小さな違和感は、やがて修復不可能な亀裂へと成長するだろう。
2限目の英語の授業中、教師が意地の悪い難問を出題した。
大学入試レベルの文法事項を含んだ、誰も手を挙げないような問題だ。
教師の視線が教室内を彷徨い、そして俺のところで止まった。
「では、西園寺。この一節を訳し、そこで使われている仮定法のニュアンスを説明してみろ」
俺は静かに立ち上がった。
教科書を見るまでもない。
「はい。『もし彼がその時、真実を知っていたならば、歴史は変わっていたかもしれない』。ここでの仮定法過去完了は、事実とは異なる過去を想定するだけでなく、書き手の『歴史が変わらなかったことへの無念』や『運命の不可逆性』に対する嘆きが含意されています」
完璧な回答。さらに文脈の裏にある情感まで補足した解説に、教師は目を見開き、満足そうに頷いた。
「……正解だ。よく勉強しているな、座っていいぞ」
着席する際、視界の端で高村実習生が熱心にメモを取っているのが見えた。
彼女は教室の後ろで授業見学をしていたのだ。
俺と目が合うと、彼女は驚いたように、しかし感心したような表情で小さく会釈をした。
俺も礼儀正しく会釈を返す。
翔太が見せた「馴れ馴れしさ」とは対極にある、「知性と礼節」によるコミュニケーション。
彼女の中で、俺という存在が強烈にインプットされた瞬間だった。
放課後、俺は図書室へと向かった。
カウンターで借りていた『失敗の本質』と『影響力の武器』を返却する。
司書の女性は、高校生が借りるには渋すぎるラインナップに苦笑していたが、俺は気にせず新たに2冊の本を借りた。
『ロジスティクス管理入門』と『データベース設計の基礎』。
次のビジネスに必要な知識だ。
帰宅後、俺は自室のワークチェアに深く身を沈め、舞に電話をかけた。
土曜の午後だが、彼女はすでに俺の指示を受けて動いているはずだ。
「お疲れ様です、玲央様。ご指示の件、進捗はいかがでしょうか」
「あぁ、舞。例の2つのプロジェクトについて、詳細を詰めた。メモの用意はいいか?」
俺は机上のホワイトボードに書かれた数字と図式を眺めながら、淡々と、しかし熱を込めて語り始めた。
「まず一つ目。オンラインFX取引プラットフォームの構築だ」
【プロジェクトA:FX革命】
投資額:システム構築・銀行提携保証金として3,000万円。
戦略:現在、1ドル=122円前後。円安トレンドにあるが、既存の銀行の外貨預金は手数料が高すぎる。往復で数円も抜かれるのは詐欺に近い。
俺たちが提供するのは、スプレッドを極限まで狭めたリアルタイム取引だ。
マーケティング:「外貨預金より手数料が安い」「24時間取引可能」という殺し文句で、主婦層やサラリーマンをターゲットにする。
後に「ミセス・ワタナベ」と呼ばれることになる、日本の個人投資家たちの爆発的なエネルギーを、俺たちのプラットフォームで総取りする。
未来予測:この事業の利益率は凄まじい。数年で数百億円規模の企業価値を生むだろう。レバレッジ規制が入る前の「黄金時代」を支配する。
「システムは堅牢性が命だ。絶対に落ちないサーバーと、約定力の高いカバー先を確保しろ。金に糸目はつけるな」
「承知いたしました。優秀なエンジニアチームを編成済みです」
舞の回答は頼もしい。
そして、俺は二つ目のプロジェクトへと話題を移した。
「次は、もっと泥臭いが、確実に『足元の金』を拾うビジネスだ」
【プロジェクトB:ネット宅配買取&アービトラージ】
事業内容:「箱に詰めて送るだけ」のネット宅配買取サービス。特にトレーディングカード、ゲーム、古本に特化する。
立ち回り:物流拠点:埼玉や千葉など、地価の安い場所に巨大倉庫を借りる。大量のアルバイトを雇用し、物流のハブとする。
データベース構築:バーコードを読み取るだけで、市場価格に基づいた査定額が瞬時に出るシステムを開発する。当時のブックオフなどは店員の「目利き」に頼っていたが、俺たちは「データ」で勝負する。
仕入れ戦略:自社の着メロサイト利用者に「要らないゲームを売って、着メロ代を稼ごう」という広告を打つ。金のない若年層から、大量の在庫を安く仕入れることができる。
「そして、ここからが錬金術だ。仕入れた商品をどうすると思う?」
「……国内で再販、でしょうか?」
「それもやる。だが本命は『裁定取引』だ」
俺は手元のカードを一枚、指で弾いた。
『ポケモンカード』。
日本ではブームが定着し、おもちゃ屋に行けば定価で買える。
だが、海の向こうのアメリカでは、アニメ放映開始直後で爆発的なブームが起きているにも関わらず、供給が全く追いついていない。
「今、アメリカの『eBay』では、日本のポケモンカードが信じられない高値で取引されている。特に初期版のリザードンなどは、宝石並みの価値がつく」
「なるほど……。安く仕入れた日本の在庫を、海外のオークションで売るのですね」
「その通りだ。これは『駿河屋』のようなモデルを10年前倒しにしつつ、越境ECで利益を最大化する戦略だ」
為替でマクロ経済を支配し、物販でミクロの需要を刈り取る。
この両輪が回れば、俺の資産は桁が変わるだろう。
「完璧な布陣です、玲央様。すぐに手配いたします」
「頼んだよ、舞。……ああ、それと。今日から教育実習生が来ている」
「実習生、ですか?」
「高村遥という女性だ。真面目だが、少し『教師』という幻想に囚われすぎているきらいがある。……まあ、俺が気にかけることでもないが」
少しだけ含みを持たせて、俺は通話を切った。
夕方、気分転換に散歩に出た俺は、いつもの公園でベンチに座る天童くるみを見つけた。
彼女は深めの帽子を目深に被っていたが、そのオーラまでは隠しきれていない。
俺が隣に座ると、彼女はパッと顔を輝かせた。
「あ、レオ! お疲れ様」
「奇遇だね、くるみさん。仕事の帰り?」
「うん。今日は雑誌の取材だったの。レオのおかげで、最近すごく忙しくなっちゃって」
彼女は嬉しそうに、少しだけ疲れた表情で微笑んだ。
以前の「売れないアイドル」の悲壮感は消え、今はプロフェッショナルとしての自信が垣間見える。
彼女の顔立ちは、やはり美しい。派手なアイドルメイクを落とした素顔に近い状態でも、肌のきめ細やかさと目鼻立ちの整い方は、万人が振り返るレベルだ。
「忙しいのは良いことだけど、無理はしないで。君の健康は、事務所の、いや俺にとっての最重要資産だからね」
「もう、また『資産』とか言うー。……でも、ありがとう。レオと話すと、なんか安心する」
彼女はそっと俺の肩に頭を預けようとして、慌てて「あ、誰かに見られたらマズイよね」と身を引いた。
その仕草が愛らしく、俺は苦笑した。
「スキャンダル対策も完璧だね。……今度、栄養価の高い差し入れを持っていくよ」
「本当? レオの手料理、また食べたいな」
他愛のない世間話。
巨額の金が動くビジネスの世界とは違う、穏やかな時間。
俺はこのバランスを大切にしていた。彼女たちの笑顔を守るためにも、俺は強くあり続けなければならない。
帰宅後、俺はリビングの窓辺に置かれた観葉植物に向かった。
青々と茂る葉は、部屋の空気を浄化し、俺の精神を安定させてくれる。
俺はキッチンの棚から、小さなボトルを取り出した。
『ハイポネックス』。植物用の液体肥料だ。
しかし、ただ与えるのではない。
「……適量は、水1リットルに対して1ミリリットル」
スポイトで慎重に計量し、ジョウロの水に溶かす。
薄すぎても効果がなく、濃すぎれば根腐れを起こす。
投資と同じだ。適切なリソースを、適切なタイミングで投下する。
「大きくなれよ」
俺は慈しむように、根元へ水を注いだ。
土が水を吸い込み、葉が微かに震える。
植物も、ビジネスも、そして人間関係も。
丁寧な観察と、適切なケアがあれば、必ず期待に応えてくれる。
0
あなたにおすすめの小説
異世界帰りの俺、現代日本にダンジョンが出現したので異世界経験を売ったり配信してみます
内田ヨシキ
ファンタジー
「あの魔物の倒し方なら、30万円で売るよ!」
――これは、現代日本にダンジョンが出現して間もない頃の物語。
カクヨムにて先行連載中です!
(https://kakuyomu.jp/works/16818023211703153243)
異世界で名を馳せた英雄「一条 拓斗(いちじょう たくと)」は、現代日本に帰還したはいいが、異世界で鍛えた魔力も身体能力も失われていた。
残ったのは魔物退治の経験や、魔法に関する知識、異世界言語能力など現代日本で役に立たないものばかり。
一般人として生活するようになった拓斗だったが、持てる能力を一切活かせない日々は苦痛だった。
そんな折、現代日本に迷宮と魔物が出現。それらは拓斗が異世界で散々見てきたものだった。
そして3年後、ついに迷宮で活動する国家資格を手にした拓斗は、安定も平穏も捨てて、自分のすべてを活かせるはずの迷宮へ赴く。
異世界人「フィリア」との出会いをきっかけに、拓斗は自分の異世界経験が、他の初心者同然の冒険者にとって非常に有益なものであると気づく。
やがて拓斗はフィリアと共に、魔物の倒し方や、迷宮探索のコツ、魔法の使い方などを、時に直接売り、時に動画配信してお金に変えていく。
さらには迷宮探索に有用なアイテムや、冒険者の能力を可視化する「ステータスカード」を発明する。
そんな彼らの活動は、ダンジョン黎明期の日本において重要なものとなっていき、公的機関に発展していく――。
異世界ハズレモノ英雄譚〜無能ステータスと言われた俺が、ざまぁ見せつけながらのし上がっていくってよ!〜
mitsuzoエンターテインメンツ
ファンタジー
【週三日(月・水・金)投稿 基本12:00〜14:00】
異世界にクラスメートと共に召喚された瑛二。
『ハズレモノ』という聞いたこともない称号を得るが、その低スペックなステータスを見て、皆からハズレ称号とバカにされ、それどころか邪魔者扱いされ殺されそうに⋯⋯。
しかし、実は『超チートな称号』であることがわかった瑛二は、そこから自分をバカにした者や殺そうとした者に対して、圧倒的な力を隠しつつ、ざまぁを展開していく。
そして、そのざまぁは図らずも人類の命運を握るまでのものへと発展していくことに⋯⋯。
悪役貴族に転生したから破滅しないように努力するけど上手くいかない!~努力が足りない?なら足りるまで努力する~
蜂谷
ファンタジー
社畜の俺は気が付いたら知らない男の子になっていた。
情報をまとめるとどうやら子供の頃に見たアニメ、ロイヤルヒーローの序盤で出てきた悪役、レオス・ヴィダールの幼少期に転生してしまったようだ。
アニメ自体は子供の頃だったのでよく覚えていないが、なぜかこいつのことはよく覚えている。
物語の序盤で悪魔を召喚させ、学園をめちゃくちゃにする。
それを主人公たちが倒し、レオスは学園を追放される。
その後領地で幽閉に近い謹慎を受けていたのだが、悪魔教に目を付けられ攫われる。
そしてその体を魔改造されて終盤のボスとして主人公に立ちふさがる。
それもヒロインの聖魔法によって倒され、彼の人生の幕は閉じる。
これが、悪役転生ってことか。
特に描写はなかったけど、こいつも怠惰で堕落した生活を送っていたに違いない。
あの肥満体だ、運動もろくにしていないだろう。
これは努力すれば眠れる才能が開花し、死亡フラグを回避できるのでは?
そう考えた俺は執事のカモールに頼み込み訓練を開始する。
偏った考えで領地を無駄に統治してる親を説得し、健全で善人な人生を歩もう。
一つ一つ努力していけば、きっと開かれる未来は輝いているに違いない。
そう思っていたんだけど、俺、弱くない?
希少属性である闇魔法に目覚めたのはよかったけど、攻撃力に乏しい。
剣術もそこそこ程度、全然達人のようにうまくならない。
おまけに俺はなにもしてないのに悪魔が召喚がされている!?
俺の前途多難な転生人生が始まったのだった。
※カクヨム、なろうでも掲載しています。
チート魅了スキルで始まる、美少女たちとの異世界ハーレム生活
仙道
ファンタジー
リメイク先:「視線が合っただけで美少女が俺に溺れる。異世界で最強のハーレムを作って楽に暮らす」
ごく普通の会社員だった佐々木健太は、異世界へ転移してして、あらゆる女性を無条件に魅了するチート能力を手にする。
彼はこの能力で、女騎士セシリア、ギルド受付嬢リリア、幼女ルナ、踊り子エリスといった魅力的な女性たちと出会い、絆を深めていく。
ブラック国家を制裁する方法は、性癖全開のハーレムを作ることでした。
タカハシヨウ
ファンタジー
ヴァン・スナキアはたった一人で世界を圧倒できる強さを誇り、母国ウィルクトリアを守る使命を背負っていた。
しかし国民たちはヴァンの威を借りて他国から財産を搾取し、その金でろくに働かずに暮らしている害悪ばかり。さらにはその歪んだ体制を維持するためにヴァンの魔力を受け継ぐ後継を求め、ヴァンに一夫多妻制まで用意する始末。
ヴァンは国を叩き直すため、あえてヴァンとは子どもを作れない異種族とばかり八人と結婚した。もし後継が生まれなければウィルクトリアは世界中から報復を受けて滅亡するだろう。生き残りたければ心を入れ替えてまともな国になるしかない。
激しく抵抗する国民を圧倒的な力でギャフンと言わせながら、ヴァンは愛する妻たちと甘々イチャイチャ暮らしていく。
幼馴染達と一緒に異世界召喚、だけど僕だけ別な場所に飛ばされた先は異世界の不思議な無人島だった。
アノマロカリス
ファンタジー
よくある話の異世界召喚…
スマホのネット小説や漫画が好きな少年、洲河 愽(すが だん)。
いつもの様に幼馴染達と学校帰りの公園でくっちゃべっていると地面に突然魔法陣が現れて…
気付くと愽は1人だけ見渡す限り草原の中に突っ立っていた。
愽は幼馴染達を探す為に周囲を捜索してみたが、一緒に飛ばされていた筈の幼馴染達は居なかった。
生きていればいつかは幼馴染達とまた会える!
愽は希望を持って、この不思議な無人島でサバイバル生活を始めるのだった。
「幼馴染達と一緒に異世界召喚、だけど僕の授かったスキルは役に立つものなのかな?」
「幼馴染達と一緒に異世界召喚、だけど僕は幼馴染達よりも強いジョブを手に入れて無双する!」
「幼馴染達と一緒に異世界召喚、だけど僕は魔王から力を授かり人類に対して牙を剥く‼︎」
幼馴染達と一緒に異世界召喚の第四弾。
愽は幼馴染達と離れた場所でサバイバル生活を送るというパラレルストーリー。
はたして愽は、無事に幼馴染達と再会を果たせるのだろうか?
俺を振ったはずの腐れ縁幼馴染が、俺に告白してきました。
true177
恋愛
一年前、伊藤 健介(いとう けんすけ)は幼馴染の多田 悠奈(ただ ゆうな)に振られた。それも、心無い手紙を下駄箱に入れられて。
それ以来悠奈を避けるようになっていた健介だが、二年生に進級した春になって悠奈がいきなり告白を仕掛けてきた。
これはハニートラップか、一年前の出来事を忘れてしまっているのか……。ともかく、健介は断った。
日常が一変したのは、それからである。やたらと悠奈が絡んでくるようになったのだ。
彼女の狙いは、いったい何なのだろうか……。
※小説家になろう、ハーメルンにも同一作品を投稿しています。
※内部進行完結済みです。毎日連載です。
S級クラフトスキルを盗られた上にパーティから追放されたけど、実はスキルがなくても生産力最強なので追放仲間の美少女たちと工房やります
内田ヨシキ
ファンタジー
[第5回ドラゴンノベルス小説コンテスト 最終選考作品]
冒険者シオンは、なんでも作れる【クラフト】スキルを奪われた上に、S級パーティから追放された。しかしシオンには【クラフト】のために培った知識や技術がまだ残されていた!
物作りを通して、新たな仲間を得た彼は、世界初の技術の開発へ着手していく。
職人ギルドから追放された美少女ソフィア。
逃亡中の魔法使いノエル。
騎士職を剥奪された没落貴族のアリシア。
彼女らもまた、一度は奪われ、失ったものを、物作りを通して取り戻していく。
カクヨムにて完結済み。
( https://kakuyomu.jp/works/16817330656544103806 )
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる