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第2章:七重奏のヒロイン・カオス編
第24話 七つ巴の修羅場
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火曜日の夜。
昨夜のゆき子との強制連行デートから一夜明け、俺、鈴木悠作は仕事を終えてアパート『ひまわり荘』に帰宅した。
体は重い。精神的にも摩耗している。
だが、玄関の前まで来た瞬間、中から漂ってくる「気配」と「匂い」に、俺は更に重いため息をつくことになった。
「……またか」
俺は玄関のドア――いや、日曜日にしずかが破壊して以来、壁に立て掛けてあるだけの「鉄の板」に手をかけ、ズズズ……と横にずらした。
隙間から漏れ出る光と喧騒。
そこには、物理法則を無視したような人口密度の空間が広がっていた。
「あ、悠作さん! お帰りなさい!」
エプロン姿でキッチンに立っているのは、トップランカー・高橋すず。
彼女の手には菜箸……ではなく、高級デパートのロゴが入った惣菜パックが握られている。
テーブルの上には、彼女が買ってきた色とりどりの高級惣菜が所狭しと並べられていた。
「今日は『和食御膳』です! 私が厳選した老舗の味ですよ!」
「……おう。料理はしないって約束だもんな」
「はい! 私が作るとキッチンが爆発するので、食べる専門&調達係に徹します!」
潔い。彼女なりの「ご飯担当」としての最適解なのだろう。
「師匠~! 遅いよ~! アタシ足が痺れてきた!」
部屋の真ん中で雑誌を広げているのは、ギャル探索者・山本ゆき子。
彼女の膝の上では、ポチがへそ天で爆睡している。
一見ほのぼのとした光景だが、ゆき子の太腿は小刻みに震え、顔には脂汗が滲んでいる。
「……重いのか?」
「当たり前っしょ! こいつ、寝ると漬物石みたいに重くなるんだもん! 推定200キロはあるよ!」
「なら下ろせよ」
「やだ! これはB級探索者としての筋トレなの! 師匠に認めてもらうための修行!」
根性があるのか馬鹿なのか分からない。
「……歩行リズムに乱れあり。疲労蓄積度40%。推奨:糖分の摂取」
部屋の隅でタブレットを操作しているのは、白衣の研究員・中村瞳。
相変わらずのデータ収集癖だ。
「悠作、お帰り。……ふぅ、今日は現場がハードだったわ」
窓際でプロテインをシェイクしているのは、S級ポーター・山田しずか。
彼女の背負っていた巨大コンテナは、部屋の隅に鎮座している。
「あら悠作様。本日の稼ぎはいかがでした? 利息の計算をしておきましたわよ」
上座で電卓を叩いているのは、骨董店主・加藤茜。
今日も商魂たくましい。
「う~……仕事終わりのビールが五臓六腑に染み渡るぅ……」
そして、テレビの前で既に出来上がっているのは、協会職員・伊藤みのり。
すず、ゆき子、瞳、しずか、茜、みのり。
合計6人。
狭い6畳間に、個性も職業もバラバラな美女たちがひしめき合っている。
酸素が薄い。そして何より、視覚的な情報量が多すぎる。
「……俺の家は、いつから女子寮になったんだ?」
俺はブーツを脱ぎながら呟いた。
誰も帰ろうとしない。むしろ、ここが自分たちの「基地」であるかのように振る舞っている。
「さあ悠作さん、座ってください! ビール冷えてますよ!」
「師匠、この雑誌のコーデどう思う?」
「……本日の夕食のカロリー計算、完了しました」
「悠作、私のプロテイン飲む?」
「おやおや、まずはご返済が先ですわよ?」
「だーかーら! 今は飲む時間なの! 乾杯!」
喧々諤々。
彼女たちの会話が飛び交う中、俺は部屋の隅に座り込んだ。
平穏とは程遠い。だが、不思議と居心地の悪さは感じないのが、自分でも毒されている証拠かもしれない。
その時だった。
ピンポーン。
チャイムが鳴った。いや、ドアは外れているので、正確には玄関脇の呼び鈴が押された音だ。
また客か? これ以上増えたら床が抜けるぞ。
「……はーい」
すずが小走りで玄関に向かう。
そこには、爽やかな笑顔の女性が立っていた。
「こんばんはー! 『ダンジョンマート』でーす! ご注文の品をお届けに上がりました♡」
コンビニの制服を着た、黒髪ロングの清楚な美女。
山口純子だ。
手には大きなレジ袋を提げている。
「あ、純子ちゃん! わざわざありがとう!」
「いえいえ! お店が忙しくて抜け出せなかったので、配達にしちゃいました!」
純子はニコニコと笑いながら、立て掛けられたドアの隙間から部屋に入ってくる。
これで7人目。
人口密度が限界突破した。
「悠作さん、お待たせしました! 追加のビールと、おつまみセットです!」
「おう、悪いな。……って、俺頼んでないぞ?」
「ふふっ、わかってますよぉ。悠作さんの顔を見れば、『あ、ビール切らしてるな』ってわかりますから♡」
純子は手際よくビールを冷蔵庫に入れ、おつまみをテーブルに広げた。
その甲斐甲斐しい動きに、他の女性陣が一瞬動きを止める。
「できる女」のオーラを感じ取ったのだ。
「あら、新しいお仲間?」
茜が目を細める。
「コンビニの店員さん? 可愛いー!」
ゆき子が無邪気に言う。
だが、純子の目は笑っていなかった。
彼女は部屋を見渡し、6人の女性たちを一人一人、値踏みするように観察した。
その瞳の奥には、スナイパー特有の冷徹な光が宿っている。
「……へぇ。随分と賑やかですね、悠作さん」
純子は俺の隣に座り、自然な動作で俺の肩に触れた。
距離が近い。
「皆さん、悠作さんと仲が良いんですねぇ。……でも」
純子は口元に妖艶な笑みを浮かべ、爆弾を投下した。
「悠作さんの『レシート履歴』を、過去3年分すべて把握しているのは……私だけですけどね?」
ピシリ。
部屋の空気が凍りついた。
「……え?」
すずの手から箸が滑り落ちそうになる。
「毎日何時に来店して、何を買って、どんな顔で帰っていくか。体調が悪い時は消化に良いものを、元気な時はガッツリしたものを……。悠作さんの体調管理は、私が一番完璧にできている自信があります♡」
純子は悪びれもせず、胸ポケットから分厚い束を取り出した。
それは、悠作が捨てずに受け取っていた過去のレシートの束だった。
「ほら。去年のクリスマスイブは、チキンとケーキを買って一人で過ごしましたよね? 一昨年の誕生日は、プレミアムビールを一本だけ贅沢してましたよね? ……ふふ、全部知ってますよ。貴方の『歴史』を」
重い。
愛が、重すぎる。
他の女性陣の顔が引きつる。
「(……この子、ヤバい)」
「(……情報の深度が違うわ)」
「(……データ収集の執念、私以上かもしれません)」
全員が戦慄した。
ここにいる誰もが、悠作に対して何らかの執着を持っているが、純子のそれは「日常の侵食度」において群を抜いていた。
コンビニという生活インフラを握られている恐怖。
「さあ悠作さん、今日は『イカの燻製』ですよね? 最近ハマってるって、購買データに出てますから♡」
純子は袋を開け、俺の口元にイカを差し出した。
俺は冷や汗を流しながら、それを食べた。
美味い。だが、背筋が寒い。
こうして、7人目の「守護天使」が正式に参戦し、俺のアパートは名実ともに「修羅場」と化したのだった。
喧騒が続く中、俺はふと息苦しさを感じて立ち上がった。
酒も料理も美味いが、常に視線に晒されている状況は、精神を削る。
少し、外の空気を吸いたい。
「……ちょっと、散歩してくる」
「えっ、何か買い忘れですか? 私が持ってきますよ?」
純子が即座に反応する。
「いや、いい。……腹ごなしだ。すぐに戻る」
適当な嘘をついて、俺は逃げるように部屋を出た。
背後で「あ、私も行く!」「悠作さん待って!」という声が聞こえたが、無視して階段を降りる。
夜の住宅街。
冷たい風が頬を撫でる。
アパートから少し離れた公園のベンチに座り、俺は深く息を吐いた。
「……はぁ。疲れる」
缶コーヒーを開ける。
静寂が心地よい。
ポチの散歩コースでもあるこの公園は、夜になると人通りが途絶え、俺だけの隠れ家になる――はずだった。
「……心拍数が安定しましたね」
隣から、冷静な声が聞こえた。
ビクッとして横を見ると、ベンチの端に、白衣を着た中村瞳が座っていた。
「……お前、いつの間に」
「貴方が部屋を出た直後です。解析眼で行動パターンを予測し、先回りしました」
瞳はタブレットを見せつけた。
そこには、俺のストレス値のグラフが表示されている。
部屋にいる時は赤色、今現在は緑色を示していた。
「……ストーカーもここまで来ると感心するよ」
「研究熱心と言ってください。……それに、私も少し、あの空間の『非論理的な熱量』に当てられて疲れました」
瞳は小さくため息をつき、眼鏡を外した。
素顔の彼女は、研究者というよりは、どこか儚げな美少女に見えた。
月明かりに照らされた横顔が、妙に大人びて見える。
「……隣、いいですか?」
「もう座ってるだろ」
「距離の問題です。……もう少し、近くでデータを取らせてください」
瞳は俺の方に詰め寄った。
肩が触れ合う距離。
彼女から漂うのは、薬品の匂いではなく、微かなシャンプーの香りだった。
「……悠作さん」
「ん?」
彼女は夜空を見上げながら、ポツリと言った。
「私、人間というものがよく分かりません。感情、衝動、非合理的な行動……。すべてが計算式に当てはまらないノイズだと思っていました」
「まあ、そんなもんだろ」
「でも、貴方を見ていると……そのノイズが、心地よく感じるのです」
瞳は俺の方を向き、真っ直ぐに瞳を合わせた。
「貴方の作る料理。貴方の戦い方。そして、あの騒がしい女性たちを受け入れる度量。……すべてが論理的ではないのに、結果として『最適解』を導き出している」
彼女の手が、俺の手に重なる。
冷たくて、細い指。
「教えてください。その計算式を。……いいえ、計算式なんてなくてもいい。ただ、貴方の隣で、その『解』を感じていたいのです」
それは、彼女なりの精一杯の告白だったのかもしれない。
研究対象としてではなく、一人の男性として。
「……難しく考えすぎだ」
俺は彼女の手を握り返したわけではないが、振り払うこともしなかった。
「腹が減ったら食う。眠くなったら寝る。大切なものが危ないなら守る。……それだけだよ」
「……シンプルですね」
「ああ。世の中、数式で割り切れないことの方が多いんだ」
瞳はふわりと笑った。
いつもの冷笑ではない、心からの笑顔。
「……そうですね。……今のこの『ドキドキ』も、数式では表せそうにありません」
彼女は俺の肩に頭を預けた。
静かな時間。
アパートの喧騒が嘘のようだ。
俺たちはしばらくの間、言葉もなく夜風に吹かれていた。
これが「デート」と呼べるものなのかは分からない。
だが、悪くない時間だった。
騒がしいヒロイン……いや、厄介な連中との生活の中で、こうした静寂もたまには必要だ。
「……帰るか」
「はい。データの収集は、また今度にしましょう」
瞳は残念そうに、しかし満足げに立ち上がった。
俺たちは並んでアパートへの道を戻る。
その途中、瞳が俺の袖を掴んだまま離さなかったことに、俺は気づかないフリをした。
昨夜のゆき子との強制連行デートから一夜明け、俺、鈴木悠作は仕事を終えてアパート『ひまわり荘』に帰宅した。
体は重い。精神的にも摩耗している。
だが、玄関の前まで来た瞬間、中から漂ってくる「気配」と「匂い」に、俺は更に重いため息をつくことになった。
「……またか」
俺は玄関のドア――いや、日曜日にしずかが破壊して以来、壁に立て掛けてあるだけの「鉄の板」に手をかけ、ズズズ……と横にずらした。
隙間から漏れ出る光と喧騒。
そこには、物理法則を無視したような人口密度の空間が広がっていた。
「あ、悠作さん! お帰りなさい!」
エプロン姿でキッチンに立っているのは、トップランカー・高橋すず。
彼女の手には菜箸……ではなく、高級デパートのロゴが入った惣菜パックが握られている。
テーブルの上には、彼女が買ってきた色とりどりの高級惣菜が所狭しと並べられていた。
「今日は『和食御膳』です! 私が厳選した老舗の味ですよ!」
「……おう。料理はしないって約束だもんな」
「はい! 私が作るとキッチンが爆発するので、食べる専門&調達係に徹します!」
潔い。彼女なりの「ご飯担当」としての最適解なのだろう。
「師匠~! 遅いよ~! アタシ足が痺れてきた!」
部屋の真ん中で雑誌を広げているのは、ギャル探索者・山本ゆき子。
彼女の膝の上では、ポチがへそ天で爆睡している。
一見ほのぼのとした光景だが、ゆき子の太腿は小刻みに震え、顔には脂汗が滲んでいる。
「……重いのか?」
「当たり前っしょ! こいつ、寝ると漬物石みたいに重くなるんだもん! 推定200キロはあるよ!」
「なら下ろせよ」
「やだ! これはB級探索者としての筋トレなの! 師匠に認めてもらうための修行!」
根性があるのか馬鹿なのか分からない。
「……歩行リズムに乱れあり。疲労蓄積度40%。推奨:糖分の摂取」
部屋の隅でタブレットを操作しているのは、白衣の研究員・中村瞳。
相変わらずのデータ収集癖だ。
「悠作、お帰り。……ふぅ、今日は現場がハードだったわ」
窓際でプロテインをシェイクしているのは、S級ポーター・山田しずか。
彼女の背負っていた巨大コンテナは、部屋の隅に鎮座している。
「あら悠作様。本日の稼ぎはいかがでした? 利息の計算をしておきましたわよ」
上座で電卓を叩いているのは、骨董店主・加藤茜。
今日も商魂たくましい。
「う~……仕事終わりのビールが五臓六腑に染み渡るぅ……」
そして、テレビの前で既に出来上がっているのは、協会職員・伊藤みのり。
すず、ゆき子、瞳、しずか、茜、みのり。
合計6人。
狭い6畳間に、個性も職業もバラバラな美女たちがひしめき合っている。
酸素が薄い。そして何より、視覚的な情報量が多すぎる。
「……俺の家は、いつから女子寮になったんだ?」
俺はブーツを脱ぎながら呟いた。
誰も帰ろうとしない。むしろ、ここが自分たちの「基地」であるかのように振る舞っている。
「さあ悠作さん、座ってください! ビール冷えてますよ!」
「師匠、この雑誌のコーデどう思う?」
「……本日の夕食のカロリー計算、完了しました」
「悠作、私のプロテイン飲む?」
「おやおや、まずはご返済が先ですわよ?」
「だーかーら! 今は飲む時間なの! 乾杯!」
喧々諤々。
彼女たちの会話が飛び交う中、俺は部屋の隅に座り込んだ。
平穏とは程遠い。だが、不思議と居心地の悪さは感じないのが、自分でも毒されている証拠かもしれない。
その時だった。
ピンポーン。
チャイムが鳴った。いや、ドアは外れているので、正確には玄関脇の呼び鈴が押された音だ。
また客か? これ以上増えたら床が抜けるぞ。
「……はーい」
すずが小走りで玄関に向かう。
そこには、爽やかな笑顔の女性が立っていた。
「こんばんはー! 『ダンジョンマート』でーす! ご注文の品をお届けに上がりました♡」
コンビニの制服を着た、黒髪ロングの清楚な美女。
山口純子だ。
手には大きなレジ袋を提げている。
「あ、純子ちゃん! わざわざありがとう!」
「いえいえ! お店が忙しくて抜け出せなかったので、配達にしちゃいました!」
純子はニコニコと笑いながら、立て掛けられたドアの隙間から部屋に入ってくる。
これで7人目。
人口密度が限界突破した。
「悠作さん、お待たせしました! 追加のビールと、おつまみセットです!」
「おう、悪いな。……って、俺頼んでないぞ?」
「ふふっ、わかってますよぉ。悠作さんの顔を見れば、『あ、ビール切らしてるな』ってわかりますから♡」
純子は手際よくビールを冷蔵庫に入れ、おつまみをテーブルに広げた。
その甲斐甲斐しい動きに、他の女性陣が一瞬動きを止める。
「できる女」のオーラを感じ取ったのだ。
「あら、新しいお仲間?」
茜が目を細める。
「コンビニの店員さん? 可愛いー!」
ゆき子が無邪気に言う。
だが、純子の目は笑っていなかった。
彼女は部屋を見渡し、6人の女性たちを一人一人、値踏みするように観察した。
その瞳の奥には、スナイパー特有の冷徹な光が宿っている。
「……へぇ。随分と賑やかですね、悠作さん」
純子は俺の隣に座り、自然な動作で俺の肩に触れた。
距離が近い。
「皆さん、悠作さんと仲が良いんですねぇ。……でも」
純子は口元に妖艶な笑みを浮かべ、爆弾を投下した。
「悠作さんの『レシート履歴』を、過去3年分すべて把握しているのは……私だけですけどね?」
ピシリ。
部屋の空気が凍りついた。
「……え?」
すずの手から箸が滑り落ちそうになる。
「毎日何時に来店して、何を買って、どんな顔で帰っていくか。体調が悪い時は消化に良いものを、元気な時はガッツリしたものを……。悠作さんの体調管理は、私が一番完璧にできている自信があります♡」
純子は悪びれもせず、胸ポケットから分厚い束を取り出した。
それは、悠作が捨てずに受け取っていた過去のレシートの束だった。
「ほら。去年のクリスマスイブは、チキンとケーキを買って一人で過ごしましたよね? 一昨年の誕生日は、プレミアムビールを一本だけ贅沢してましたよね? ……ふふ、全部知ってますよ。貴方の『歴史』を」
重い。
愛が、重すぎる。
他の女性陣の顔が引きつる。
「(……この子、ヤバい)」
「(……情報の深度が違うわ)」
「(……データ収集の執念、私以上かもしれません)」
全員が戦慄した。
ここにいる誰もが、悠作に対して何らかの執着を持っているが、純子のそれは「日常の侵食度」において群を抜いていた。
コンビニという生活インフラを握られている恐怖。
「さあ悠作さん、今日は『イカの燻製』ですよね? 最近ハマってるって、購買データに出てますから♡」
純子は袋を開け、俺の口元にイカを差し出した。
俺は冷や汗を流しながら、それを食べた。
美味い。だが、背筋が寒い。
こうして、7人目の「守護天使」が正式に参戦し、俺のアパートは名実ともに「修羅場」と化したのだった。
喧騒が続く中、俺はふと息苦しさを感じて立ち上がった。
酒も料理も美味いが、常に視線に晒されている状況は、精神を削る。
少し、外の空気を吸いたい。
「……ちょっと、散歩してくる」
「えっ、何か買い忘れですか? 私が持ってきますよ?」
純子が即座に反応する。
「いや、いい。……腹ごなしだ。すぐに戻る」
適当な嘘をついて、俺は逃げるように部屋を出た。
背後で「あ、私も行く!」「悠作さん待って!」という声が聞こえたが、無視して階段を降りる。
夜の住宅街。
冷たい風が頬を撫でる。
アパートから少し離れた公園のベンチに座り、俺は深く息を吐いた。
「……はぁ。疲れる」
缶コーヒーを開ける。
静寂が心地よい。
ポチの散歩コースでもあるこの公園は、夜になると人通りが途絶え、俺だけの隠れ家になる――はずだった。
「……心拍数が安定しましたね」
隣から、冷静な声が聞こえた。
ビクッとして横を見ると、ベンチの端に、白衣を着た中村瞳が座っていた。
「……お前、いつの間に」
「貴方が部屋を出た直後です。解析眼で行動パターンを予測し、先回りしました」
瞳はタブレットを見せつけた。
そこには、俺のストレス値のグラフが表示されている。
部屋にいる時は赤色、今現在は緑色を示していた。
「……ストーカーもここまで来ると感心するよ」
「研究熱心と言ってください。……それに、私も少し、あの空間の『非論理的な熱量』に当てられて疲れました」
瞳は小さくため息をつき、眼鏡を外した。
素顔の彼女は、研究者というよりは、どこか儚げな美少女に見えた。
月明かりに照らされた横顔が、妙に大人びて見える。
「……隣、いいですか?」
「もう座ってるだろ」
「距離の問題です。……もう少し、近くでデータを取らせてください」
瞳は俺の方に詰め寄った。
肩が触れ合う距離。
彼女から漂うのは、薬品の匂いではなく、微かなシャンプーの香りだった。
「……悠作さん」
「ん?」
彼女は夜空を見上げながら、ポツリと言った。
「私、人間というものがよく分かりません。感情、衝動、非合理的な行動……。すべてが計算式に当てはまらないノイズだと思っていました」
「まあ、そんなもんだろ」
「でも、貴方を見ていると……そのノイズが、心地よく感じるのです」
瞳は俺の方を向き、真っ直ぐに瞳を合わせた。
「貴方の作る料理。貴方の戦い方。そして、あの騒がしい女性たちを受け入れる度量。……すべてが論理的ではないのに、結果として『最適解』を導き出している」
彼女の手が、俺の手に重なる。
冷たくて、細い指。
「教えてください。その計算式を。……いいえ、計算式なんてなくてもいい。ただ、貴方の隣で、その『解』を感じていたいのです」
それは、彼女なりの精一杯の告白だったのかもしれない。
研究対象としてではなく、一人の男性として。
「……難しく考えすぎだ」
俺は彼女の手を握り返したわけではないが、振り払うこともしなかった。
「腹が減ったら食う。眠くなったら寝る。大切なものが危ないなら守る。……それだけだよ」
「……シンプルですね」
「ああ。世の中、数式で割り切れないことの方が多いんだ」
瞳はふわりと笑った。
いつもの冷笑ではない、心からの笑顔。
「……そうですね。……今のこの『ドキドキ』も、数式では表せそうにありません」
彼女は俺の肩に頭を預けた。
静かな時間。
アパートの喧騒が嘘のようだ。
俺たちはしばらくの間、言葉もなく夜風に吹かれていた。
これが「デート」と呼べるものなのかは分からない。
だが、悪くない時間だった。
騒がしいヒロイン……いや、厄介な連中との生活の中で、こうした静寂もたまには必要だ。
「……帰るか」
「はい。データの収集は、また今度にしましょう」
瞳は残念そうに、しかし満足げに立ち上がった。
俺たちは並んでアパートへの道を戻る。
その途中、瞳が俺の袖を掴んだまま離さなかったことに、俺は気づかないフリをした。
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