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【第2章:最初のバズ「ヴィンテージPR」】
第6話 ターゲットを射抜く瞳
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駅前の喫茶店。紫煙が漂うボックス席で、高橋すずは手元の小瓶を見つめていた。
彼女がその液体を口に含んだ瞬間、不機嫌に歪んでいた唇が、驚きによって微かに震えたのを佐藤任三郎は見逃さなかった。
「……何、これ。本当に酒なの?」
「日本人が『日本酒』と呼んでいるものとは、別次元の存在だ」
任三郎は、冷徹な微笑を浮かべ、背もたれに深く身を預けた。
「それは、誰にも理解されず、暗闇の中で10年間放置された『絶望の結晶』だ。君の言葉と同じだよ、すず。鋭すぎて、複雑すぎて、既存の枠組みには収まらなかった異分子だ」
「……おじさん、喋り方がキモいんだけど。でも、この味は……嫌いじゃない。甘ったるい嘘がついてない気がする」
「いい感性だ。君のその『嘘を嫌う直感』こそが、俺が求めていた最後のピースだ」
任三郎は、すずの射抜くような視線を真っ向から受け止めた。
彼女はまだ17歳。だが、その瞳の奥には、2026年の日本を騒がせることになる「毒舌の女王」としての片鱗が既に宿っている。大人が作り上げた綺麗な虚飾を、無邪気な残酷さで切り裂く力。
「すず。俺はこれから、この酒を『失われた10年の記憶』という名前で世界に売る。君には、その最初の『証言者』になってもらいたい」
「……証言者?」
「ああ。企業が金で雇うインフルエンサーのような、お仕着せの言葉はいらない。君の言葉でいい。この酒を飲んで、君が感じた『毒』を、そのままネットの海へ放り投げろ。それが、この死にかけた蔵を救うための、最初の点火になる」
すずは鼻で笑ったが、その指先はまだ空になった小瓶を弄んでいた。
「私が何か言ったところで、何が変わるっていうの。世界は今日も、つまんない嘘で回ってるのに」
「変えてみせるさ。俺という計算機と、君という火種があればな」
任三郎はテーブルの上に、もう一つ、今度は正式な名刺ではなく、QRコードだけが印刷された一枚のカードを置いた。2016年、まだQRコードを情報の入り口として使いこなす文化は一般的ではない。だが、だからこそ、それは「選ばれた者」への招待状としての機能を果たす。
「気が向いたら、そこを覗いてみるといい。君がいつも軽蔑している『大人』が、本気で世界を欺こうとしている景色が見られるはずだ」
佐藤酒造へ戻ると、事務所の前には見慣れない黒塗りの高級セダンが停まっていた。
玄関を開けると、張り詰めた空気の中で、紗季とみのりが、石像のように硬直して立っていた。
応接室のソファに座っていたのは、先ほどの銀行員・青山ではない。
鋭いキャッツアイ。
知性を感じさせる強い顎のライン。そして、一切の隙を感じさせないダークグレーのパンツスーツ。
渡辺千尋。地方銀行本部から「不良債権の整理」のために送り込まれた、冷徹な審査官だ。
「――お帰りなさい、佐藤任三郎さん。東京で派手に燃え尽きたと聞いていたけれど、こんな田舎で灰を弄っていたのね」
千尋の言葉は、冬の風よりも鋭く任三郎の頬を掠めた。
任三郎は表情を変えず、コートを脱いでみのりに手渡した。
「渡辺千尋。相変わらず、他人の不幸を嗅ぎつけるのが早いな。銀行の『死神』という異名は、伊達ではないらしい」
「無駄な挨拶は抜きにしましょう。青山から聞いたわ。3日間で3000万円? 統計学的に見て、この死に体の蔵がそんな数字を叩き出す確率は、0.001%にも満たない。私は、あなたのそんなギャンブルに付き合わされるほど暇ではないの」
千尋はテーブルの上に、さらに分厚い書類の束を置いた。
「これは法的整理の手続き書よ。今、この場でサインすれば、お父様の行方不明も含めて、可能な限り穏便に済ませるよう手配してあげる。それが、元同僚としての私の『慈悲』よ」
任三郎と千尋は、かつて東京のビジネスシーンで激しく火花を散らした間柄だった。
任三郎がPRで「虚像」を作り上げれば、千尋が数字という「実像」でそれを暴く。二人は、光と影のような関係だった。
「慈悲か。あいにくだが、俺の辞書にその言葉はない」
任三郎は、千尋の目の前に、先ほど蔵で磨き上げさせた一本の黒いボトルを置いた。
ラベルはない。ただ、琥珀色の液体が中で静かに揺れている。
「千尋。お前の信じる『数字』には、この10年という歳月の重みは加算されているか?」
「……何が言いたいの?」
「この酒は、お前たちが『価値なし』と判定し、資産リストから除外したゴミだ。だが、俺はこれを『失われた10年の記憶』と定義した。2016年の今、日本人は何を求めていると思う?」
任三郎は、窓の外を指差した。
「バブルの崩壊から立ち直り、震災を経て、オリンピックに向かって狂乱しようとしているこの国で、人々は心のどこかで『失われた時間』に怯えている。自分がどこで道を間違えたのか、何を手放してしまったのか。この酒は、その喪失感に対する、唯一の解答になる」
「……ポエムはいいわ、任三郎。そんな曖昧な感情で、3000万が動くとでも?」
「動く。PRは数学だと言ったはずだ」
任三郎はスマートフォンを操作し、既に稼働し始めているInstagramの画面を千尋に見せた。
「見ていろ。ターゲットは、年収3000万以上のエグゼクティブ、そしてその予備軍である野心的な若者たちだ。彼らは、単に美味しい酒を求めているんじゃない。『自分が価値を見出した』という優越感と、一つの伝統を絶滅から救ったという『正義の快感』を求めているんだ。俺は、その心理のボタンを、今この瞬間から連打し始める」
千尋の瞳に、微かな動揺が走った。
画面に映る写真は、2016年の日本に存在するどの広告よりも、洗練され、そして「本能」に訴えかけるクオリティを持っていた。
「3日よ。1秒でも過ぎれば、私は即座に執行の手続きに入る」
「ああ。3日後、お前は回収予定リストを書き換えることで、本部の評価を上げることになるだろう。せいぜい、祝杯用のグラスを用意しておくんだな」
千尋は無言で立ち上がり、踵を鳴らして去っていった。
残された紗季とみのりは、ようやく肺に溜まっていた息を吐き出した。
「お兄ちゃん……渡辺さん、本当に怖かった……」
「任三郎さん、あの、本当に……大丈夫なんですよね?」
任三郎は二人に背を向け、蔵へと続く廊下を歩き出した。
「準備を急げ。古酒は『10年の沈黙』として生まれ変わる。紗季は古伊万里の皿を全て出せ。みのりは、SNSの反応を1分単位で記録しろ。……世界が、俺たちの『翻訳』に気づく瞬間が来るぞ」
蔵の中。
任三郎は再び、高橋すずのアカウントをチェックした。
彼女はまだ、何も投稿していない。
だが、任三郎にはわかっていた。彼女の中に放り込んだ「毒」という名の美酒が、今、彼女の魂を侵食しているはずだ。
深夜。
ついに、佐藤酒造のInstagramに最初の変化が現れた。
フォロワー数が、不自然な速度で、しかし確実に跳ね上がり始めたのだ。
六本木、銀座、パリ。
任三郎がジオタグで仕掛けた「未来の釣り糸」に、世界の感度の高い連中が食いつき始めている。
そして――。
高橋すずが、Twitterに一枚の写真を投稿した。
それは、任三郎が渡した小瓶と、彼女の不機嫌そうな横顔。
添えられた言葉は、短く、破壊的だった。
『大人がゴミだと言った酒が、私の中の毒を溶かした。最悪で、最高の味』
「――さて」
任三郎は、暗い蔵の中でスマートフォンの光に照らされ、残酷なまでに美しい微笑を浮かべた。
彼女がその液体を口に含んだ瞬間、不機嫌に歪んでいた唇が、驚きによって微かに震えたのを佐藤任三郎は見逃さなかった。
「……何、これ。本当に酒なの?」
「日本人が『日本酒』と呼んでいるものとは、別次元の存在だ」
任三郎は、冷徹な微笑を浮かべ、背もたれに深く身を預けた。
「それは、誰にも理解されず、暗闇の中で10年間放置された『絶望の結晶』だ。君の言葉と同じだよ、すず。鋭すぎて、複雑すぎて、既存の枠組みには収まらなかった異分子だ」
「……おじさん、喋り方がキモいんだけど。でも、この味は……嫌いじゃない。甘ったるい嘘がついてない気がする」
「いい感性だ。君のその『嘘を嫌う直感』こそが、俺が求めていた最後のピースだ」
任三郎は、すずの射抜くような視線を真っ向から受け止めた。
彼女はまだ17歳。だが、その瞳の奥には、2026年の日本を騒がせることになる「毒舌の女王」としての片鱗が既に宿っている。大人が作り上げた綺麗な虚飾を、無邪気な残酷さで切り裂く力。
「すず。俺はこれから、この酒を『失われた10年の記憶』という名前で世界に売る。君には、その最初の『証言者』になってもらいたい」
「……証言者?」
「ああ。企業が金で雇うインフルエンサーのような、お仕着せの言葉はいらない。君の言葉でいい。この酒を飲んで、君が感じた『毒』を、そのままネットの海へ放り投げろ。それが、この死にかけた蔵を救うための、最初の点火になる」
すずは鼻で笑ったが、その指先はまだ空になった小瓶を弄んでいた。
「私が何か言ったところで、何が変わるっていうの。世界は今日も、つまんない嘘で回ってるのに」
「変えてみせるさ。俺という計算機と、君という火種があればな」
任三郎はテーブルの上に、もう一つ、今度は正式な名刺ではなく、QRコードだけが印刷された一枚のカードを置いた。2016年、まだQRコードを情報の入り口として使いこなす文化は一般的ではない。だが、だからこそ、それは「選ばれた者」への招待状としての機能を果たす。
「気が向いたら、そこを覗いてみるといい。君がいつも軽蔑している『大人』が、本気で世界を欺こうとしている景色が見られるはずだ」
佐藤酒造へ戻ると、事務所の前には見慣れない黒塗りの高級セダンが停まっていた。
玄関を開けると、張り詰めた空気の中で、紗季とみのりが、石像のように硬直して立っていた。
応接室のソファに座っていたのは、先ほどの銀行員・青山ではない。
鋭いキャッツアイ。
知性を感じさせる強い顎のライン。そして、一切の隙を感じさせないダークグレーのパンツスーツ。
渡辺千尋。地方銀行本部から「不良債権の整理」のために送り込まれた、冷徹な審査官だ。
「――お帰りなさい、佐藤任三郎さん。東京で派手に燃え尽きたと聞いていたけれど、こんな田舎で灰を弄っていたのね」
千尋の言葉は、冬の風よりも鋭く任三郎の頬を掠めた。
任三郎は表情を変えず、コートを脱いでみのりに手渡した。
「渡辺千尋。相変わらず、他人の不幸を嗅ぎつけるのが早いな。銀行の『死神』という異名は、伊達ではないらしい」
「無駄な挨拶は抜きにしましょう。青山から聞いたわ。3日間で3000万円? 統計学的に見て、この死に体の蔵がそんな数字を叩き出す確率は、0.001%にも満たない。私は、あなたのそんなギャンブルに付き合わされるほど暇ではないの」
千尋はテーブルの上に、さらに分厚い書類の束を置いた。
「これは法的整理の手続き書よ。今、この場でサインすれば、お父様の行方不明も含めて、可能な限り穏便に済ませるよう手配してあげる。それが、元同僚としての私の『慈悲』よ」
任三郎と千尋は、かつて東京のビジネスシーンで激しく火花を散らした間柄だった。
任三郎がPRで「虚像」を作り上げれば、千尋が数字という「実像」でそれを暴く。二人は、光と影のような関係だった。
「慈悲か。あいにくだが、俺の辞書にその言葉はない」
任三郎は、千尋の目の前に、先ほど蔵で磨き上げさせた一本の黒いボトルを置いた。
ラベルはない。ただ、琥珀色の液体が中で静かに揺れている。
「千尋。お前の信じる『数字』には、この10年という歳月の重みは加算されているか?」
「……何が言いたいの?」
「この酒は、お前たちが『価値なし』と判定し、資産リストから除外したゴミだ。だが、俺はこれを『失われた10年の記憶』と定義した。2016年の今、日本人は何を求めていると思う?」
任三郎は、窓の外を指差した。
「バブルの崩壊から立ち直り、震災を経て、オリンピックに向かって狂乱しようとしているこの国で、人々は心のどこかで『失われた時間』に怯えている。自分がどこで道を間違えたのか、何を手放してしまったのか。この酒は、その喪失感に対する、唯一の解答になる」
「……ポエムはいいわ、任三郎。そんな曖昧な感情で、3000万が動くとでも?」
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任三郎はスマートフォンを操作し、既に稼働し始めているInstagramの画面を千尋に見せた。
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画面に映る写真は、2016年の日本に存在するどの広告よりも、洗練され、そして「本能」に訴えかけるクオリティを持っていた。
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千尋は無言で立ち上がり、踵を鳴らして去っていった。
残された紗季とみのりは、ようやく肺に溜まっていた息を吐き出した。
「お兄ちゃん……渡辺さん、本当に怖かった……」
「任三郎さん、あの、本当に……大丈夫なんですよね?」
任三郎は二人に背を向け、蔵へと続く廊下を歩き出した。
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蔵の中。
任三郎は再び、高橋すずのアカウントをチェックした。
彼女はまだ、何も投稿していない。
だが、任三郎にはわかっていた。彼女の中に放り込んだ「毒」という名の美酒が、今、彼女の魂を侵食しているはずだ。
深夜。
ついに、佐藤酒造のInstagramに最初の変化が現れた。
フォロワー数が、不自然な速度で、しかし確実に跳ね上がり始めたのだ。
六本木、銀座、パリ。
任三郎がジオタグで仕掛けた「未来の釣り糸」に、世界の感度の高い連中が食いつき始めている。
そして――。
高橋すずが、Twitterに一枚の写真を投稿した。
それは、任三郎が渡した小瓶と、彼女の不機嫌そうな横顔。
添えられた言葉は、短く、破壊的だった。
『大人がゴミだと言った酒が、私の中の毒を溶かした。最悪で、最高の味』
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