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第2章:エルフの難民と温泉リゾート
第17話 【幕間】王国の現状・その1
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荒野の夜は静かだ。
かつては死を予感させる静寂だったが、今は違う。マザーの駆動音が心臓の鼓動のように響き、風が防風林を揺らす音が聞こえる。それは、生活の息吹が宿る、安らぎの静寂だった。
居住ユニットのリビング。
俺はソファに深く身を沈め、読みかけの本を閉じた。
ふと足元を見ると、そこには至福の塊が転がっていた。
「くぅ……すぅ……」
シルバーウルフの幼体、シロだ。
つい先日、俺とマザーの力作である「ミスリル製マイホーム」が完成したばかりだというのに、この甘えん坊は結局、夜になると俺の部屋に入り浸っていた。
今は毛足の長いラグの上で仰向けになり、真っ白で無防備なお腹を天井にさらけ出している。
野生動物としての警戒心は、どこかの荒野に置き忘れてきたらしい。
「……平和だな」
俺は屈み込み、その柔らかいお腹をそっと撫でた。
温かい。
シロは夢現のまま「むにゃ」と口を動かし、俺の手に前足を絡めてきた。
肉球の感触が心地よい。
口元が緩んでいる。どんな夢を見ているのだろうか。マザー特製のミルク煮をお腹いっぱい食べる夢か、それともエルフの子供たちと追いかけっこをする夢か。
『マスター。シロちゃんの脳波は「極めて幸福」な状態を示しています。おそらく、夢の中で大きな骨付き肉を追いかけているのでしょう』
天井のスピーカーから、マザーが囁くような声量で教えてくれる。
「そうか。……いい夢を見ろよ」
俺はブランケットをシロにかけてやり、照明を落とした。
この温かな日常が、ずっと続けばいい。
そう願いながら、俺も寝室へと向かった。
だが、俺は知らなかった。
俺たちがこうして穏やかな眠りについている頃、遠く離れた王国では、静かなる「崩壊」が音を立てて始まろうとしていることを。
★★★★★★★★★★★
同時刻。王国北部の森林地帯。
焚き火の爆ぜる音が、ピリピリとした空気を裂いた。
「――クソッ! なんだこれは!」
罵声と共に、銀色の剣が地面に叩きつけられた。
勇者カイルだ。
彼は苛立たしげに髪をかきむしり、投げ捨てた自らの愛剣『聖剣エクスカリバー・レプリカ』を睨みつけていた。
白銀の刀身を持つ、国宝級の魔剣。
だが、今のその姿は、かつての輝きを失いつつあった。
刀身の中ほどに、赤黒いしみが浮き出ている。
錆だ。
魔力を帯びたミスリル合金は、本来錆びることなどあり得ない。メンテナンスさえ行き届いていれば、千年でも輝き続けるはずの代物だ。
「おい、ミリア! 浄化魔法をかけろと言っただろ! 全然落ちないじゃないか!」
カイルが怒鳴りつけると、焚き火の向こうで書物を読んでいた賢者の少女ミリアが、不機嫌そうに顔を上げた。
「かけましたわよ、もう三回も。これ以上やったら、魔剣に付与されている属性魔法まで消し飛んでしまいますわ」
「じゃあなんで錆びるんだよ! 今日のオーク討伐だってそうだ。切れ味が悪くて、三撃もかかったぞ! いつもなら一撃で両断できるのに!」
カイルは喚き散らす。
今日の戦闘は散々だった。
たかがオークの群れ相手に、前衛のカイルが仕留め損ない、後衛のミリアと聖女エレナに負担がかかったのだ。ここ数週間、ずっとこんな調子だ。
「……カイル様。もしかして、手入れの仕方が間違っているのではないでしょうか?」
おずおずと口を開いたのは、聖女エレナだ。
彼女は心配そうに聖剣を見つめている。
「魔剣の手入れには、専用の『聖油』と、魔力回路を調整するための特殊な砥石が必要だと聞いたことがあります。アルドさんは、毎晩それを……」
「あいつの名前を出すな!!」
カイルが激昂した。
エレナはビクリと肩を震わせて口をつぐむ。
「アルド、アルド、アルド! どいつもこいつも、あんな『地味な整備屋』がいなくなったくらいで大騒ぎしやがって! 俺は勇者だぞ!? 剣の手入れくらい、見よう見まねでできる!」
カイルは腰のポーチから、高級そうな布と瓶を取り出した。
王都の道具屋で買わせた、最高級のメンテナンスキットだ。
彼は布にオイルを染み込ませ、乱暴に刀身を擦った。
「こうやって磨けばいいんだろ! なあ!?」
ゴシゴシと力任せに擦る。
だが、錆は落ちない。
それどころか、微細な「ピキッ」という音が鳴った。
「……あ?」
カイルの手が止まる。
錆びていた部分を中心に、蜘蛛の巣のような細い亀裂が走っていた。
「ひ、ヒビ……? 嘘だろ、聖剣だぞ!?」
顔色が青ざめる。
聖剣の魔力回路は、極めて繊細だ。
アルドがいた頃は、彼が毎晩、顕微鏡のような魔導ルーペを使い、針の先ほどの魔力を流し込んで、目に見えない歪みを矯正していたのだ。
それを知らず、ただ表面を磨き、戦闘で魔力を無茶苦茶に流し込み続けた結果がこれだ。
約一ヶ月分の金属疲労と魔力負荷の蓄積。それが今、限界を迎えようとしていた。
「ち、違う……俺のせいじゃない……」
カイルは後ずさり、震える声で呟いた。
「あいつだ……アルドだ! あいつが、出て行く前に呪いをかけたんだ! そうに決まってる! 『手入れをしてないせいだ』とか適当なことを言って、実は時限式の劣化魔法を仕込んでいきやがったんだ!」
責任転嫁。
自分の無能さを認めたくない一心で、彼は歪んだ結論に飛びついた。
「そうだ……卑怯な奴め! 恩を仇で返しやがって! 次に会ったらただじゃおかないぞ!」
ミリアとエレナは顔を見合わせた。
彼女たちも薄々は気づいていた。
野営の結界がすぐに消えてしまうこと。
魔導コンロの火力が安定せず、食事が焦げたり生焼けだったりすること。
馬車の車輪が軋み、乗り心地が最悪になっていること。
その全てが、かつてアルドが黙ってこなしていた仕事だったことを。
だが、口には出せない。
彼女たちもまた、アルドを「地味で不要だ」と切り捨てた共犯者なのだから。
今さら「彼が必要だった」などと認めることは、自分たちの過ちを認めることになる。
「……ええ、そうですわね。きっとあの男の嫌がらせですわ。本当に、最後まで迷惑な人」
ミリアは自分に言い聞かせるように同意した。
焚き火の炎が揺れる。
聖剣に入った亀裂は、彼らのパーティの絆に入った亀裂そのものだった。
★★★★★★★★★★★
同時刻。王都、魔導管理局・中央制御室。
そこは、蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。
「第3セクター、結界強度低下! 規定値を割り込みます!」
「魔力供給ライン、圧力が安定しません! 逆流現象を確認!」
「な、何が起きているんだ!? 昨日までは正常だっただろうが!」
局長である初老の男が、真っ赤な顔で怒鳴り散らしていた。
目の前の巨大なクリスタルスクリーンには、王都を覆う防衛結界の状態が表示されている。
そこかしこに「ERROR」の赤い文字が点滅し、不吉な警報音が鳴り響いている。
「原因は不明です! メインシステムの魔導回路に、謎のノイズが走っています!」
若い技師が悲鳴のような報告を上げる。
「ノイズだと? 浄化装置は動いているんだろうな?」
「はい、フル稼働しています! ですが、除去が追いつきません! まるで……今まで堰き止められていた澱が、一気に噴き出してきたような……」
「ええい、役立たず共め! アルドを呼べ! 彼ならこの程度のトラブル、すぐに直していたぞ!」
局長が叫ぶと、室内に一瞬、気まずい沈黙が流れた。
「……きょ、局長。アルド・グレイフィールド特級技師は……先月、勇者パーティからの要請で解雇され、国外追放処分になりましたが」
「……あ」
局長は口を開けたまま固まった。
そうだ。自分でハンコを押したのだ。
『予算削減のため』『古い技術しか持たないロートルは不要』という大臣の言葉に同調し、長年の功労者を切り捨てたのは自分たちだった。
「ば、馬鹿な……。あいつがいなくなっただけで、こんなことになるはずがない! システムは自動化されているんだぞ!」
「そ、それが……」
別の技師が、青ざめた顔で一枚の羊皮紙を持ってきた。
それは、アルドが残していった業務引継書――ではなく、ただのメモ書きだった。
「アルド氏の机に残されていたメモです。『システムの中枢回路には、設計段階からの欠陥がある。自動修復機能だけでは魔力カスが蓄積し、いずれ暴走する。俺が毎日手動でバイパス処理をして誤魔化していたが、それも限界だ。俺がいなくなったら、毎日午前2時に第4バルブを手動開放してガス抜きをしろ。さもなくば、一ヶ月もたずにパンクする』……と」
「…………」
全員が息を呑んだ。
一ヶ月。
アルドが追放されてから、ちょうど三週間が経とうとしている。
期限は目前だったのだ。
「な、なぜそれを早く言わんのだ!」
「『負け犬の書き置きなど読む価値はない』と言って捨てたのは局長ではありませんか!」
技師の悲痛な叫び。
その時、ズズズン……という地鳴りが響いた。
制御室の照明が明滅する。
「ま、まずい! 第4バルブだ! 今すぐ誰か行って開放しろ!」
「無理です! あそこはすでに高濃度の魔素が充満する危険区画です! 防護服なしでは即死します!」
「防護服はどうした!?」
「あ、あれも……『アルド専用装備』として、彼と一緒に廃棄処分に……」
詰んだ。
局長はその場にへたり込んだ。
誰も知らなかったのだ。
この巨大な王都の安全が、たった一人の男の、泥臭い献身と職人技によって支えられていたことを。
そして、その男を追い出した代償が、これほど重くのしかかってくることを。
「あ、アルド……。戻ってきてくれ……!」
誰かの呻くような声が、警報音にかき消された。
王都の夜空に張られた見えない盾に、ピキリと亀裂が入った音を、聞いた者はまだいない。
だが、崩壊へのカウントダウンは、確実に始まっていた。
★★★★★★★★★★★
再び、テラ・テルマエ。
静かな寝息が聞こえる寝室。
シロが「わふっ」と寝言を言い、足をピクリと動かした。
夢の中で獲物を捕まえたらしい。
その振動で目を覚ました俺は、薄目を開けて時計を見た。
午前2時すぎ。
まだ夜明け前だ。
「……ん、どうしたシロ。悪い夢でも見たか?」
俺は寝ぼけ眼でシロの頭を撫でた。
シロは俺の手に鼻先を押し付け、再び安らかな寝息を立て始めた。
窓の外を見る。
星が綺麗だ。
王都の方角の空が、なんとなく淀んで見える気もしたが、気のせいだろう。
「……まあ、関係ないか」
俺はあくびを噛み殺し、再び布団を被った。
明日はミスリルを使って、新しい農具を作る予定だ。リーリャたちも楽しみにしている。
忙しくなるぞ。
何も知らない俺とシロは、互いの体温を感じながら、再び幸福な夢の中へと落ちていった。
王国の悲鳴など届かない、温かく平和な夜だった。
かつては死を予感させる静寂だったが、今は違う。マザーの駆動音が心臓の鼓動のように響き、風が防風林を揺らす音が聞こえる。それは、生活の息吹が宿る、安らぎの静寂だった。
居住ユニットのリビング。
俺はソファに深く身を沈め、読みかけの本を閉じた。
ふと足元を見ると、そこには至福の塊が転がっていた。
「くぅ……すぅ……」
シルバーウルフの幼体、シロだ。
つい先日、俺とマザーの力作である「ミスリル製マイホーム」が完成したばかりだというのに、この甘えん坊は結局、夜になると俺の部屋に入り浸っていた。
今は毛足の長いラグの上で仰向けになり、真っ白で無防備なお腹を天井にさらけ出している。
野生動物としての警戒心は、どこかの荒野に置き忘れてきたらしい。
「……平和だな」
俺は屈み込み、その柔らかいお腹をそっと撫でた。
温かい。
シロは夢現のまま「むにゃ」と口を動かし、俺の手に前足を絡めてきた。
肉球の感触が心地よい。
口元が緩んでいる。どんな夢を見ているのだろうか。マザー特製のミルク煮をお腹いっぱい食べる夢か、それともエルフの子供たちと追いかけっこをする夢か。
『マスター。シロちゃんの脳波は「極めて幸福」な状態を示しています。おそらく、夢の中で大きな骨付き肉を追いかけているのでしょう』
天井のスピーカーから、マザーが囁くような声量で教えてくれる。
「そうか。……いい夢を見ろよ」
俺はブランケットをシロにかけてやり、照明を落とした。
この温かな日常が、ずっと続けばいい。
そう願いながら、俺も寝室へと向かった。
だが、俺は知らなかった。
俺たちがこうして穏やかな眠りについている頃、遠く離れた王国では、静かなる「崩壊」が音を立てて始まろうとしていることを。
★★★★★★★★★★★
同時刻。王国北部の森林地帯。
焚き火の爆ぜる音が、ピリピリとした空気を裂いた。
「――クソッ! なんだこれは!」
罵声と共に、銀色の剣が地面に叩きつけられた。
勇者カイルだ。
彼は苛立たしげに髪をかきむしり、投げ捨てた自らの愛剣『聖剣エクスカリバー・レプリカ』を睨みつけていた。
白銀の刀身を持つ、国宝級の魔剣。
だが、今のその姿は、かつての輝きを失いつつあった。
刀身の中ほどに、赤黒いしみが浮き出ている。
錆だ。
魔力を帯びたミスリル合金は、本来錆びることなどあり得ない。メンテナンスさえ行き届いていれば、千年でも輝き続けるはずの代物だ。
「おい、ミリア! 浄化魔法をかけろと言っただろ! 全然落ちないじゃないか!」
カイルが怒鳴りつけると、焚き火の向こうで書物を読んでいた賢者の少女ミリアが、不機嫌そうに顔を上げた。
「かけましたわよ、もう三回も。これ以上やったら、魔剣に付与されている属性魔法まで消し飛んでしまいますわ」
「じゃあなんで錆びるんだよ! 今日のオーク討伐だってそうだ。切れ味が悪くて、三撃もかかったぞ! いつもなら一撃で両断できるのに!」
カイルは喚き散らす。
今日の戦闘は散々だった。
たかがオークの群れ相手に、前衛のカイルが仕留め損ない、後衛のミリアと聖女エレナに負担がかかったのだ。ここ数週間、ずっとこんな調子だ。
「……カイル様。もしかして、手入れの仕方が間違っているのではないでしょうか?」
おずおずと口を開いたのは、聖女エレナだ。
彼女は心配そうに聖剣を見つめている。
「魔剣の手入れには、専用の『聖油』と、魔力回路を調整するための特殊な砥石が必要だと聞いたことがあります。アルドさんは、毎晩それを……」
「あいつの名前を出すな!!」
カイルが激昂した。
エレナはビクリと肩を震わせて口をつぐむ。
「アルド、アルド、アルド! どいつもこいつも、あんな『地味な整備屋』がいなくなったくらいで大騒ぎしやがって! 俺は勇者だぞ!? 剣の手入れくらい、見よう見まねでできる!」
カイルは腰のポーチから、高級そうな布と瓶を取り出した。
王都の道具屋で買わせた、最高級のメンテナンスキットだ。
彼は布にオイルを染み込ませ、乱暴に刀身を擦った。
「こうやって磨けばいいんだろ! なあ!?」
ゴシゴシと力任せに擦る。
だが、錆は落ちない。
それどころか、微細な「ピキッ」という音が鳴った。
「……あ?」
カイルの手が止まる。
錆びていた部分を中心に、蜘蛛の巣のような細い亀裂が走っていた。
「ひ、ヒビ……? 嘘だろ、聖剣だぞ!?」
顔色が青ざめる。
聖剣の魔力回路は、極めて繊細だ。
アルドがいた頃は、彼が毎晩、顕微鏡のような魔導ルーペを使い、針の先ほどの魔力を流し込んで、目に見えない歪みを矯正していたのだ。
それを知らず、ただ表面を磨き、戦闘で魔力を無茶苦茶に流し込み続けた結果がこれだ。
約一ヶ月分の金属疲労と魔力負荷の蓄積。それが今、限界を迎えようとしていた。
「ち、違う……俺のせいじゃない……」
カイルは後ずさり、震える声で呟いた。
「あいつだ……アルドだ! あいつが、出て行く前に呪いをかけたんだ! そうに決まってる! 『手入れをしてないせいだ』とか適当なことを言って、実は時限式の劣化魔法を仕込んでいきやがったんだ!」
責任転嫁。
自分の無能さを認めたくない一心で、彼は歪んだ結論に飛びついた。
「そうだ……卑怯な奴め! 恩を仇で返しやがって! 次に会ったらただじゃおかないぞ!」
ミリアとエレナは顔を見合わせた。
彼女たちも薄々は気づいていた。
野営の結界がすぐに消えてしまうこと。
魔導コンロの火力が安定せず、食事が焦げたり生焼けだったりすること。
馬車の車輪が軋み、乗り心地が最悪になっていること。
その全てが、かつてアルドが黙ってこなしていた仕事だったことを。
だが、口には出せない。
彼女たちもまた、アルドを「地味で不要だ」と切り捨てた共犯者なのだから。
今さら「彼が必要だった」などと認めることは、自分たちの過ちを認めることになる。
「……ええ、そうですわね。きっとあの男の嫌がらせですわ。本当に、最後まで迷惑な人」
ミリアは自分に言い聞かせるように同意した。
焚き火の炎が揺れる。
聖剣に入った亀裂は、彼らのパーティの絆に入った亀裂そのものだった。
★★★★★★★★★★★
同時刻。王都、魔導管理局・中央制御室。
そこは、蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。
「第3セクター、結界強度低下! 規定値を割り込みます!」
「魔力供給ライン、圧力が安定しません! 逆流現象を確認!」
「な、何が起きているんだ!? 昨日までは正常だっただろうが!」
局長である初老の男が、真っ赤な顔で怒鳴り散らしていた。
目の前の巨大なクリスタルスクリーンには、王都を覆う防衛結界の状態が表示されている。
そこかしこに「ERROR」の赤い文字が点滅し、不吉な警報音が鳴り響いている。
「原因は不明です! メインシステムの魔導回路に、謎のノイズが走っています!」
若い技師が悲鳴のような報告を上げる。
「ノイズだと? 浄化装置は動いているんだろうな?」
「はい、フル稼働しています! ですが、除去が追いつきません! まるで……今まで堰き止められていた澱が、一気に噴き出してきたような……」
「ええい、役立たず共め! アルドを呼べ! 彼ならこの程度のトラブル、すぐに直していたぞ!」
局長が叫ぶと、室内に一瞬、気まずい沈黙が流れた。
「……きょ、局長。アルド・グレイフィールド特級技師は……先月、勇者パーティからの要請で解雇され、国外追放処分になりましたが」
「……あ」
局長は口を開けたまま固まった。
そうだ。自分でハンコを押したのだ。
『予算削減のため』『古い技術しか持たないロートルは不要』という大臣の言葉に同調し、長年の功労者を切り捨てたのは自分たちだった。
「ば、馬鹿な……。あいつがいなくなっただけで、こんなことになるはずがない! システムは自動化されているんだぞ!」
「そ、それが……」
別の技師が、青ざめた顔で一枚の羊皮紙を持ってきた。
それは、アルドが残していった業務引継書――ではなく、ただのメモ書きだった。
「アルド氏の机に残されていたメモです。『システムの中枢回路には、設計段階からの欠陥がある。自動修復機能だけでは魔力カスが蓄積し、いずれ暴走する。俺が毎日手動でバイパス処理をして誤魔化していたが、それも限界だ。俺がいなくなったら、毎日午前2時に第4バルブを手動開放してガス抜きをしろ。さもなくば、一ヶ月もたずにパンクする』……と」
「…………」
全員が息を呑んだ。
一ヶ月。
アルドが追放されてから、ちょうど三週間が経とうとしている。
期限は目前だったのだ。
「な、なぜそれを早く言わんのだ!」
「『負け犬の書き置きなど読む価値はない』と言って捨てたのは局長ではありませんか!」
技師の悲痛な叫び。
その時、ズズズン……という地鳴りが響いた。
制御室の照明が明滅する。
「ま、まずい! 第4バルブだ! 今すぐ誰か行って開放しろ!」
「無理です! あそこはすでに高濃度の魔素が充満する危険区画です! 防護服なしでは即死します!」
「防護服はどうした!?」
「あ、あれも……『アルド専用装備』として、彼と一緒に廃棄処分に……」
詰んだ。
局長はその場にへたり込んだ。
誰も知らなかったのだ。
この巨大な王都の安全が、たった一人の男の、泥臭い献身と職人技によって支えられていたことを。
そして、その男を追い出した代償が、これほど重くのしかかってくることを。
「あ、アルド……。戻ってきてくれ……!」
誰かの呻くような声が、警報音にかき消された。
王都の夜空に張られた見えない盾に、ピキリと亀裂が入った音を、聞いた者はまだいない。
だが、崩壊へのカウントダウンは、確実に始まっていた。
★★★★★★★★★★★
再び、テラ・テルマエ。
静かな寝息が聞こえる寝室。
シロが「わふっ」と寝言を言い、足をピクリと動かした。
夢の中で獲物を捕まえたらしい。
その振動で目を覚ました俺は、薄目を開けて時計を見た。
午前2時すぎ。
まだ夜明け前だ。
「……ん、どうしたシロ。悪い夢でも見たか?」
俺は寝ぼけ眼でシロの頭を撫でた。
シロは俺の手に鼻先を押し付け、再び安らかな寝息を立て始めた。
窓の外を見る。
星が綺麗だ。
王都の方角の空が、なんとなく淀んで見える気もしたが、気のせいだろう。
「……まあ、関係ないか」
俺はあくびを噛み殺し、再び布団を被った。
明日はミスリルを使って、新しい農具を作る予定だ。リーリャたちも楽しみにしている。
忙しくなるぞ。
何も知らない俺とシロは、互いの体温を感じながら、再び幸福な夢の中へと落ちていった。
王国の悲鳴など届かない、温かく平和な夜だった。
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◇
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――これは、小さな牧場から始まる大きな物語。
――世界に抗いながら、共に暮らすことを選んだ者たちの、優しい日常譚。
※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。
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