死者からの検索履歴、削除しますか? ~デジタル遺品整理室の暗号解読~

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第一章:開かずのフォルダと遺された愛

第5話 ゲーマーの遺言

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神保町の地下、スパイスと古書の匂いが染み付いた『デジタル・アーカイブス社』。
 今日の所長・阿部邦彦の機嫌は、外の天気と同様に曇り模様だった。

「……石川。なんだこの茶色い物体は」
「スコーンです。先日の残りで作ってみました」
「小麦粉の配合が間違っている。あと焼き時間が30秒長い。岩石かと思ったぞ」

 阿部さんは私が持参した手作りスコーンを齧りもせずに批評し、デスクの端へ追いやった。
 相変わらずの減点主義だ。私はムッとして反論しようとしたが、その時、重たいスチールドアがノックされた。

「……客だ。石川、その岩石を片付けろ」
「岩石じゃありません!」

 私は慌てて皿を隠し、ドアを開けた。
 そこに立っていたのは、初老の夫婦だった。
 二人とも仕立ての良い服を着ているが、その背中は丸まり、深い疲労の色が滲んでいる。

「こちらで……パソコンのパスワードを解除していただけると聞いて……」
「はい、承っております。どうぞ、お掛けください」

 私が案内すると、夫婦は互いに身を寄せ合うようにしてソファに座った。
 夫の方が、大きな紙袋から一台のデスクトップPCの本体を取り出した。自作PCだろうか、側面が透明なアクリル板になっており、内部のファンや配線が見える。埃っぽく、少しタバコの匂いがした。

「依頼人は、あなた方ですか?」

 阿部さんがモニター越しに声をかける。
 夫――田所と名乗った男性は、重い口を開いた。

「息子の、和人のものです。……先日、部屋で亡くなっているのを見つけました。心不全でした」
「……ご愁傷様です」
「息子は……ここ十年間、部屋から一歩も出ていませんでした。いわゆる『引きこもり』です」

 田所さんは、恥じるように視線を落とした。

「学校を中退してから、ずっと昼夜逆転の生活でした。私たちとも顔を合わせず、食事もドアの前に置いておくだけ。部屋からはいつも、カチカチというマウスの音と、何やら叫ぶような独り言が聞こえていました」
「……」
「情けない話です。親として、何もしてやれませんでした。葬儀も身内だけで済ませました。世間様に顔向けできませんから」

 隣で奥様がハンカチで目元を抑える。
 愛する息子を亡くした悲しみよりも、「恥」や「後悔」が勝っているように見える。それは、見ていてあまりに辛い光景だった。

「依頼内容は?」

 阿部さんが短く問う。

「このパソコンの……処分をお願いしたいのです。中身を見ずに、完全に初期化して、中古屋に売るなり廃棄するなりしてほしい。ただ、金融機関の口座情報だけは残っているかもしれないので、もしあればそれだけ抽出していただきたい」
「中身は見たくない、と?」
「……見ても、ろくなものはないでしょう。ゲームか、アニメか、あるいは私たちへの恨み言か。……これ以上、あの子に失望したくないんです」

 田所さんの言葉は、諦めに満ちていた。
 十年間の断絶。その溝は、死によって永遠に埋まらないものになってしまったのだろうか。

「……分かりました。お預かりします」

 阿部さんはPCを受け取ると、慣れた手つきでケーブルを繋ぎ始めた。
 電源を入れる。
 七色に光るゲーミングPCのLEDが、薄暗い地下室を派手に照らす。
 ファンの回転音が、唸るように響いた。

「OSはWindowsだが、ブートローダーが特殊だな。……パスワードは?」
「分かりません。あの子とは、もう何年も会話らしい会話をしていませんでしたから」

 阿部さんは無言でキーボードに向かった。
 カタカタ、ッターン。
 リズミカルな打鍵音が響く。

「……石川、コーヒーを淹れろ」
「はい」
「いつものやつじゃない。棚の奥にある『ゲイシャ』だ」

 私は驚いて阿部さんを見た。パナマ産の最高級豆だ。普段は「ここぞという時」にしか出さない虎の子。
 阿部さんは何も言わず、画面を睨み続けている。
 私は急いで豆を挽き始めた。ハンドドリップで丁寧に湯を落とすと、華やかな酸味と甘い香りが広がる。

 コーヒーを出し終える頃には、ロック解除のプログレスバーは100%に達していた。

「開いたぞ」

 阿部さんの声に、田所さん夫婦がビクリと肩を震わせた。

「中身を確認する。……デスクトップは整理されているな。アイコンは最低限だ」

 阿部さんがマウスを操作する。
 田所さんは「見たくない」と言っていたが、その視線は吸い寄せられるように画面に向いていた。
 やはり、気にはなるのだ。十年間、息子が何をしていたのか。

「……金融資産のデータはない。ネット銀行の履歴も空だ。このPCにあるのは、ほぼ一つのアプリケーションだけだ」
「アプリケーション?」
「MMORPGだ。『エターナル・スフィア』。十年以上続いている老舗のオンラインゲームだな」

 阿部さんがアイコンをクリックする。
 壮大なオーケストラの音楽と共に、ゲームのログイン画面が表示された。
 『ID: KAZU_KING』。パスワードはブラウザに保存されていたため、そのまま自動ログインが進む。

「ゲーム……やっぱり、遊んでばかりいたんですね」

 田所さんが深いため息をついた。

「あの子は、現実から逃げて、こんな虚構の世界に閉じこもって……」
「虚構、か」

 阿部さんが鼻で笑った。

「あんたらにとっちゃそうかもしれんが、本人にとっちゃどうかな。……おい、見ろ」

 画面が暗転し、ゲームの世界が表示された。
 そこは、石造りの巨大な広場だった。中世ヨーロッパ風の街並み。
 しかし、異様な光景が広がっていた。

 キャラクターが、多い。
 画面を埋め尽くすほどの、無数のアバターたち。
 騎士、魔法使い、エルフ、獣人。色とりどりの装備を身につけた何千、何万というプレイヤーキャラクターが、広場に整列していた。
 そして、全員が「喪服」のような黒い装備や、追悼を表す白い花のエフェクトを身につけている。

『……?』

 田所さん夫婦が言葉を失う。
 チャットログが、滝のように流れていた。

『KAZUさん、今までありがとう』
『あなたがいたから、このギルドは最高の居場所でした』
『現実が辛かった時、KAZUさんの言葉に救われました』
『ゆっくり休んでください、僕らの英雄』
『R.I.P. KAZU_KING』

「な、なんですか、これ……?」

 田所さんが震える声で尋ねる。

「追悼式だ」

 阿部さんが静かに答えた。

「このゲーム内での、息子さんの葬儀だよ」

 阿部さんがキャラクターを操作し、広場の中央へ進める。
 そこには、立派な石碑のようなオブジェクトが設置されていた。
 周囲のプレイヤーたちが、次々とその前で「祈る」エモーションを行っている。

「息子さんのアバター『KAZU_KING』は、このサーバー最大手ギルドのマスターだったようだ。ギルドメンバー数、500人以上。同盟ギルドを含めれば数千人を束ねる、トッププレイヤーだ」
「ギルド……マスター……?」
「単にゲームが上手いだけじゃ、人はついてこない。統率力、公平な判断力、そして何より、仲間を思いやるカリスマ性がなければ、この規模の組織は維持できない」

 阿部さんがチャットログを遡る。
 そこには、生前の和人さんが残したメッセージがあった。

『みんな、失敗してもいい。俺がカバーするから、思いっきり楽しめ』
『Aさん、最近ログインしてないけど、リアルで何かあった? 無理するなよ』
『ここは俺たちの第二の家だ。誰一人、置いていかない』

「……これが、あの子の言葉?」

 奥様が口元を押さえる。

「家では……『うるさい、飯を置け』としか言わなかったあの子が……」
「ここでは、誰よりも頼られるリーダーだったんだ」

 阿部さんは、ある一人のプレイヤーからの個別メッセージを開いた。
 『Subaru』という名前のキャラクターからの長文メールだ。

『KAZUさんへ。
 突然の訃報を聞いて、まだ信じられません。
 3年前、僕が学校でイジメにあって、死にたいと思っていた時。
 KAZUさんは一晩中、チャットで話を聞いてくれましたね。
 「ここにはお前の居場所がある。だからリアルでも死ぬな」って言ってくれたこと、一生忘れません。
 おかげで僕は今、大学に通えています。
 KAZUさんは、僕の命の恩人です。
 本当に、本当にありがとうございました』

「命の……恩人……」

 田所さんが眼鏡を外し、涙を拭った。

「私は……あの子を、何もしていない、社会のゴミだと思っていました。部屋に閉じこもって、人生を浪費しているだけだと」
「場所が違っただけだ」

 阿部さんはモニターから視線を外さずに言った。

「彼はこのディスプレイの向こう側で、確かに生きていた。戦って、仲間を守って、誰かの人生を救っていた。……それを『虚構』と呼ぶなら、現実の会社で出世することだって、ただの『役職ごっこ』と変わらないんじゃないか?」

 阿部さんの言葉は、鋭く、しかしどこか温かかった。
 田所さんは、PCのモニターに手を伸ばした。
 画面の中では、まだ無数のプレイヤーたちが、光のエフェクトを空に放っている。
 それはまるで、和人さんの魂を送る灯籠流しのようだった。

「……和人。お前、こんなにたくさんの友達がいたんだな……」

 田所さんの背中が震える。
 奥様も、夫の肩に顔を埋めて泣き崩れた。
 十年間、閉ざされていたドアの向こう側。
 そこには、親の知らない息子の、輝かしい「生」があったのだ。

 私はそっとキッチンへ下がり、フライパンを温めた。
 何か、温かいものをお出ししたい。
 阿部さんが目で合図を送ってくる。『あれを作れ』と。

 数分後。
 私は湯気の立つ皿を二つ、テーブルに運んだ。
 黄色い卵が鮮やかな、オムライスだ。
 阿部さん特製のデミグラスソースがかかっている。

「……これは?」
「オムライスです。少し、召し上がりませんか」

 田所さん夫婦は、涙で濡れた顔を上げた。
 スプーンを手に取り、一口運ぶ。
 ふわとろの卵と、バターライスの優しい味が口に広がる。

「……懐かしい味だ」

 田所さんが呟いた。

「和人が小さい頃……ファミレスに行くと、いつもオムライスを頼んでいたんです。ケチャップで顔を描いてやると、嬉しそうに笑って……」
「あの子、大好きだったわね……」

 思い出話が溢れ出す。
 引きこもっていた十年の苦い記憶が、オムライスの湯気と共に、少しずつ薄れていくようだった。
 阿部さんは、自分もマグカップでコーヒーを啜りながら、ぼそりと言った。

「このPC、どうしますか。初期化しますか?」

 田所さんは首を横に振った。

「いいえ。……このまま、持っておきます。この中には、あの子の生きた証が詰まっている。私たちが知らなかった、立派な息子の姿が」
「賢明な判断だ。……アカウントは維持しておきます。たまにログインして、彼が守った世界を見てやるといい」

 帰り際。
 田所さんはPCを、来た時よりもずっと大切そうに抱きしめていた。
 その顔には、もう「恥」の色はない。
 息子を誇りに思う、父親の顔だった。

「ありがとうございました。……最後に、あの子と会話ができた気がします」

 深々と頭を下げて去っていく二人を見送りながら、私はドアを閉めた。
 静かになった地下室。
 ゲーミングPCのファンの音が消え、いつものサーバーの駆動音だけが残る。

「……阿部さん」
「なんだ」
「阿部さんって、意外とゲーマーなんですね。あのゲームのこと、詳しかったじゃないですか」
「一般教養だ。セキュリティの脆弱性を調査したことがあるだけだ」

 阿部さんは素っ気なく答えると、また自分のデスクに戻っていった。
 でも、私は見ていた。
 さっき、田所さんたちが帰る直前、阿部さんがこっそりと自分のPCで何かを操作していたのを。
 画面の端に映っていたチャットログ。
 阿部さんのアカウントと思われるキャラクターが、一言だけメッセージを送っていた。

『Good Game. KAZU_KING』

 それは、ゲーマーたちが互いの健闘を称え合う、最高の賛辞だ。

 私はニマリと笑いながら、オムライスの皿を片付けた。
 この不愛想な所長の下で働くのも、案外悪くないかもしれない。
 洗い物をしながら、私はふと、自分のポケットの中のスマホを意識した。
 姉のスマホ。
 そこにも、私の知らない姉の「生きた証」が残されているのだろうか。
 いつか、私もそれを知る勇気が持てるだろうか。

 地下室の夜は更けていく。
 誰かのログアウトは、残された誰かの新しいログインの始まりなのかもしれない。
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