深夜のコンビニで「死にそうな美女」に豚汁を奢ったら、翌日会社で鬼上司がチラチラ見てくる件

ken

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第1章:深夜の密会と餌付け

第6話 もう一人の「限界OL」

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 営業二課を統べるのが「氷の女帝」李雪ならば、隣の営業一課に君臨するのは「炎の女王」だ。

「ちょっと李課長! 今月の合同会議の議題、また勝手に差し替えたでしょ!」

 フロアに響き渡る、よく通るハスキーボイス。
 カツカツと攻撃的な足音を響かせて二課のシマに乗り込んできたのは、山下恭子課長だ。
 年齢は28歳。李課長より2つ年下だが、同期入社のライバルである。
 燃えるような情熱的な仕事ぶりと、感情豊かな言動。そして小柄ながらメリハリのあるスタイルを強調したオフィスカジュアルは、常に社内の注目の的だ。

「差し替えた覚えはありません。優先順位を最適化しただけです」

 対する李雪は、PC画面から目を離さずに淡々と返す。
 絶対零度の氷と、灼熱の炎。
 二人の間に火花が散る瞬間、フロアの気温が数度下がった気がした。

「最適化? 貴女のそれは『合理化』と言う名の切り捨てよ! 一課の案件を後回しにするなんて、私の美学が許さないわ!」
「美学で数字は作れませんよ、山下課長。それに、声が大きいです」
「むぅーっ! その可愛げのない言い方! だから貴女は『氷の女帝』なんて呼ばれるのよ!」

 山下課長は頬を膨らませて地団駄を踏んだ。
 怒っているのだが、その仕草がいちいち小動物的というか、あざと可愛いため、男性社員たちは「あ、今日も山下課長がプリプリしてる、眼福」という顔で眺めている。
 李課長が「畏怖」の対象なら、山下課長は「愛玩」の対象といったところか。

「……橋本。私のコーヒーが空になったわ。入れてきて」
「あ、はい」

 俺は、トバッチリを食らう前に給湯室へ退避することにした。
 すれ違いざま、山下課長が俺を見上げてくる。身長差30センチ。

「あ、橋本くん! 貴方からも言ってやってよ、この鉄仮面に! 『もっと情熱を持ってください』って!」
「はは……まあ、課長には課長の考えがあると思いますので……」
「もう、貴方もいっつも煮え切らないわね! 図体はデカイのに!」

 彼女はプイッと顔を背けた。
 どうやら俺は、彼女の中で「図体ばかりの頼りないクマさん」として認識されているらしい。
 まあ、それでいい。俺の仕事は、この強烈な二人の上司の間で、緩衝材として静かに生きることだ。

 その日の深夜24時過ぎ。
 俺はいつものコンビニで、いつもの「彼女」と合流していた。

 今日の李雪は、紺色のジャージ姿だ。Tシャツの文字は『平常心』。
 昼間の山下課長とのバトルで乱れた心を整えようという意思を感じる。

「こんばんは、師匠」
「お疲れ様です。今日は大変でしたね、昼間」
「……ふん。あの『炎上クイーン』の相手をすると、無駄にカロリーを消費するわ」

 彼女はブツブツと文句を言いながらも、その表情はどこか楽しげだ。
 喧嘩するほど仲が良い、というやつだろうか。
 俺たちは並んでスイーツコーナーへ向かった。

「で、今日の処方箋は?」
「そうですね……あの人の熱気に当てられた後は、少し冷たくて、かつ上品な甘さでクールダウンしましょう」

 俺が提案しようとした、その時だった。

「うぅ……糖分……糖分が足りない……死ぬ……」

 自動ドアが開くと同時に、怨念のような低い呻き声が聞こえてきた。
 俺と李雪は顔を見合わせ、声の方を向いた。

 そこにいたのは、深めにフードを被ったグレーのパーカー姿の女性だった。
 下はショートパンツにレギンス。足元はモコモコのスリッパ。
 完全に「近所のコンビニに部屋着で来ました」というスタイルだ。

 彼女はふらつく足取りで店内に入ってくると、俺たちのいるスイーツコーナーへ直行してきた。
 その顔が見えた瞬間、俺は息を呑んだ。

 ノーメイクだが、パッチリとした大きな瞳と、特徴的なぽってりとした唇。
 昼間の華やかなオーラは消え失せ、今はただの「エネルギー切れの玩具」のようになっているが、間違いない。
 山下恭子課長だ。

(……マジかよ)

 まさか、一課の課長までこのコンビニの常連だったとは。
 俺は隣の李雪を見た。
 彼女もまた、瓶底メガネの奥で目を点にしている。
 だが、すぐに「関わりたくない」というオーラを出して、俺の背中の陰に隠れた。
 賢明な判断だ。もしここで、ジャージ姿の李雪と部屋着の山下課長が遭遇したら、昼間の比ではない化学反応が起きかねない。

 山下は、俺たちの存在など目に入っていない様子で、スイーツの棚に張り付いた。

「うぅ……どれ……どれが正解なの……? 誰か……誰か私に正解を教えて……」

 彼女は棚の前で頭を抱えている。
 シュークリームを手に取っては戻し、プリンを見ては溜息をつく。
 決定的な決断力不足。
 昼間の「私の美学が許さない!」と啖呵を切っていた姿とは真逆の、優柔不断な姿だ。

(……この人も、限界なんだな)

 俺の中に、奇妙な連帯感と、放っておけないお節介心が湧き上がってくる。
 昼間、あんなに気を張って戦っているのだ。夜くらい、誰かに甘えたいときもあるだろう。

 俺は背後の李雪に、背中で合図を送った。

 『行きますよ』

 李雪は小さく溜息をつき、しかし止めることはしなかった。
 彼女もまた、ライバルのこの無様な姿を見て、何か思うところがあるのかもしれない。

 俺は一歩踏み出し、山下の横に立った。
 そして、努めて低く、穏やかな声で話しかける。

「……迷っているなら、おすすめがありますよ」

 山下はビクッと肩を震わせ、恐る恐る顔を上げた。
 潤んだ瞳が俺を見上げる。
 俺は眼鏡を外した「オフモード」だ。彼女は俺が、昼間「煮え切らない」と罵った橋本だとは気づいていない様子だった。

「……お兄さん、誰?」
「通りすがりの、甘党です」

 俺は棚から『プレミアムロールケーキ』を手に取った。

「今の貴方に必要なのは、これです」
「ロールケーキ……? でもそれ、クリームだけじゃ物足りないのよ……もっとこう、ガツンと脳に来る甘さが欲しいの……」
「ええ、分かります。だから、これだけじゃありません」

 俺は隣の棚から、ホイップクリームがたっぷり入ったチューブを取り出した。

「これを、ロールケーキの中心に『追いクリーム』するんです。限界まで」
「……えっ」
「さらに、その上からケーキシロップをひとかけ。……コンビニで作れる、即席『極厚マシマシ・パンケーキ風ロール』の完成です」

 山下の目が、カッと見開かれた。
 その瞳に、生気が戻っていく。

「……天才?」
「いえ、ただの食いしん坊です」
「すごい……その発想はなかったわ……! 追いクリーム……なんて甘美な響き……!」

 彼女はロールケーキとホイップを宝物のように抱きしめた。
 そして、俺を見て目を輝かせた。

「お兄さん、ありがとう! 貴方、ドラえもんみたいね!」
「……は?」
「私の願いを叶えてくれたからよ! ああ、これで生き返れるわ……!」

 彼女は「ドラえもん、ドラえもん」と嬉しそうに連呼しながら、スキップのような足取りでレジへ向かっていった。
 その背中は、昼間の威圧感が嘘のように小さく、愛らしかった。

「……ドラえもん、ね」

 俺は苦笑して呟いた。
 会社では「クマさん」扱いで、ここでは「ドラえもん」。
 どうやら俺は、彼女にとって「人間」として認識されるハードルが高いらしい。

「……何ニヤニヤしてるのよ、ドラえもん」

 背後から、低い声がした。
 振り返ると、李雪がジト目でこちらを睨んでいる。
 その視線には、明らかな不満――いや、嫉妬の色が混じっているように見えた。

「人助けですよ」
「ふん。あの女に塩を送るなんて、敵に加担する行為よ」
「でも、彼女が元気になれば、明日の会議もスムーズに進むかもしれませんよ?」
「……逆よ。元気が余って、余計に吠えるに決まってるわ」

 李雪は拗ねたように言いながら、俺の手からカゴを奪い取った。

「で、私の分は? もちろん、あの女のより美味しいんでしょうね?」
「もちろんです」

 俺は彼女の機嫌を取るべく、とっておきの提案をした。

「今日は、『雪見だいふく』を使いましょう。これを少し溶かして、熱い緑茶に浮かべる『雪見ぜんざい』風アレンジです。……上品で、冷たくて温かい。今の貴方にぴったりだ」

 李雪の表情が、一瞬で緩んだ。

「……いいわね。採用」

 彼女は満足げに雪見だいふくを手に取った。
 その横顔を見ながら、俺は内心で安堵のため息をつく。
 
 やれやれ。
 昼間は会社でバチバチにやり合い、夜はコンビニでスイーツを巡って間接的に張り合う。
 この二人の上司に挟まれる俺の胃袋は、休まる暇がない。

 だが、俺は知っている。
 彼女たちが、孤独な夜に何を求めているのかを。
 そしてそれを満たせるのが、今のところ世界で俺一人だけであることも。

 買い物を終え、店を出る。
 遠くの夜道を、山下がご機嫌で帰っていくのが見えた。
 その反対側へ、李雪が歩き出す。

「おやすみ、師匠。……明日は会社で寝ないようにね」
「善処します」

 俺たちは短く言葉を交わして別れた。
 帰り道、夜風に吹かれながら、俺はポケットの中の眼鏡に触れた。
 
 明日会社に行けば、また「冴えない橋本」に戻る。
 山下課長には「もっと覇気を出せ」と怒られ、李課長には冷たくあしらわれるだろう。
 だが、その裏側にある彼女たちの「甘い素顔」を知っている今、その叱責さえも、どこか心地よいBGMのように聞こえるかもしれない。

(……ま、悪くない日常か)

 俺は誰もいない夜道で、小さく肩をすくめた。
 俺の「コンシェルジュ」としての顧客リストに、また一人、手のかかる常連客が加わった夜だった。
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