9 / 38
第1章:覚醒と変身
第9話 紫煙の診療所
しおりを挟む
新宿・歌舞伎町の最深部。
ラブホテルと風俗店がひしめく路地裏は、昼間だというのに薄暗く、腐った生ゴミと安っぽい香水の匂いが漂っていた。
井上健太郎は、コートの襟を立て、サングラスで顔を隠して歩いていた。
右顔面の感覚がない。
今朝起きた時には、顔の右半分が完全に麻痺していた。術後の後遺症か、拒絶反応か。
数日後に迫ったパーティー。このままでは出席はおろか、人前に出ることさえできない。
毒島に紹介された「裏の医者」の元へ急ぐ足取りは重かった。
「……ミャア」
不意に、ゴミ集積所の陰から弱々しい声が聞こえた。
井上は足を止めた。
無視して通り過ぎようとしたが、その声は雨に濡れたアスファルトに染み入るように、あまりにも寂しげだった。
段ボール箱の中を覗き込むと、そこには泥にまみれた小さな毛玉がいた。
折れ曲がった耳。丸い顔。
スコティッシュフォールドだ。それも、血統書付きと思われる美しいシルバータビーの毛並み。
だが今は、ガリガリに痩せ細り、片目が目ヤニで塞がっている。
(……お前も、捨てられたのか)
ペットショップで売れ残ったのか、飼い主に飽きられたのか。
「価値がない」と判断され、ゴミのように廃棄された命。
それは、かつて西園寺家で「不要品」として扱われた自分自身と重なった。
「……ついてこい」
井上は衝動的に、その小さな体を拾い上げた。
コートの懐に入れると、驚くほど軽く、そして微かに温かかった。
雑居ビルの4階。
『診察中』と手書きされたボロボロの札が下がるドアをノックする。
「……鍵、開いてるわよ」
中から聞こえたのは、やる気のない、けだるげな女の声だった。
ドアを開けると、そこは濃密な紫煙の世界だった。
6畳ほどの狭い部屋。壁一面に怪しげな薬品の瓶や人体模型が並んでいる。
中央の診察台には書類や漫画雑誌が散乱し、その奥の回転椅子に、一人の女が沈み込んでいた。
山崎桃子。29歳。
無造作に束ねたブロンドの髪。ヨレヨレのタンクトップの上に、薄汚れた白衣を羽織っている。
その唇には煙草がくわえられ、アンニュイな瞳が煙の向こうから井上を見上げていた。
「……アンタが、毒島の言ってた『顔のいい金蔓』?」
桃子は煙を天井に吐き出すと、面倒くさそうに立ち上がった。
足元は踵を踏み潰したスニーカーだ。
「……井上だ」
「知ってる。……で、症状は?」
井上は無言でサングラスを外した。
桃子の目が、僅かに見開かれた。
彼女は煙草を灰皿に押し付けると、井上の顔に近づき、冷たい指先で頬に触れた。
「……綺麗」
それは、患者を心配する医者の声ではなかった。
美しい美術品、あるいは精巧な死体を見つけた愛好家のような、湿り気を帯びた声だった。
「凄いバランスね。骨格から弄ってる。……これ、執刀医はシュタイン? あの偏屈ジジイの最高傑作じゃない」
「……分かるのか?」
「分かるわよ。あいつの作る顔には『死の匂い』がするから。……で、神経がいかれて麻痺が出たってわけね」
桃子は手際よく井上の顎を掴み、左右に動かした。
「右顔面神経の圧迫ね。術後の浮腫みが神経に触れてる。……放っておけば一生動かなくなるわよ」
「治せるか?」
「治せるけど……痛いわよ?」
桃子はニヤリと笑うと、棚から注射器と怪しげな色の薬液を取り出した。
消毒もせず、いきなり頬に針を突き立てる。
ズブリ、という鈍い感触と共に、焼けるような熱さが注入される。
「ぐっ……!」
井上は呻き声を上げたが、桃子は顔色一つ変えずに薬液を押し切った。
針が抜かれる。数秒後、顔の中で暴れていた痛みが嘘のように引いていった。
「……動かしてみなさい」
言われるままに口角を上げてみる。動く。引き攣りもなく、スムーズに。
「……助かった」
「お礼は毒島に請求しとくわ。……それより」
桃子は再び煙草に火をつけると、興味深そうに井上の懐を見た。
コートの隙間から、灰色の小さな耳が覗いている。
「そのバッグの中身、何?」
「……来る途中で拾った」
井上が仔猫を取り出すと、桃子は「ふーん」と鼻を鳴らし、乱暴に猫の首根っこを掴んで持ち上げた。
「スコティッシュフォールドね。遺伝子疾患が出やすい品種よ。……こいつもアンタと同じ、人間のエゴで作られた『作り物』ってわけか」
「……生きてるか?」
「ギリギリね。栄養失調と結膜炎。……ついでだわ、診てあげる」
桃子はテキパキと仔猫に点滴を打ち、目薬をさした。
口は悪いが、その手つきは驚くほど優しく、的確だった。
「……よし。これで死にはしないわ。……ねえ、アンタ」
桃子は唐突に白衣を脱ぎ捨てた。
下のタンクトップ姿があらわになり、白く華奢な鎖骨が覗く。
「今から暇?」
「は?」
「治療は終わったけど、経過観察が必要なのよ。アンタの顔と、その猫の様子を見るため。……だから、私とデートしなさい」
こうして、井上健太郎と山崎桃子の奇妙なデートが始まった。
場所は、西麻布の隠れ家的なフレンチレストラン。
井上の完璧なスーツ姿と、桃子のちぐはぐな格好のカップルは、店内で異様な存在感を放っていた。足元には、キャリーバッグに入った仔猫が眠っている。
「……おい、もっとマシな服はなかったのか」
「私のワードローブにドレスなんてないわよ。文句あるなら帰るけど?」
桃子は悪びれもせず、高級な赤ワインをグラス並々と注ぎ、水のように煽った。
「……で、経過観察というのは、これのことか?」
「そうよ。咀嚼。物を噛む動作は、顔の筋肉を一番使うの。……ほら、肉食べてみて」
桃子は自分の皿の肉を切り分け、フォークで井上の口元に差し出した。
井上は渋々口を開き、肉を噛んだ。違和感はない。
「うん、いい動きね。……でも、笑い方がダメ」
「笑い方?」
「作り笑いが下手すぎるのよ。鏡の前で練習したんでしょ? 筋肉が強張って『私は演技してます』って書いてあるわ」
桃子はテーブル越しに身を乗り出し、井上の頬に手を添えた。
その距離、わずか数センチ。タバコと薬品の匂いが、井上の鼻腔をくすぐる。
「もっと力を抜きなさい。……アンタの顔は、もうアンタのものなの。灰谷守の仮面じゃない」
「……なぜ、俺の前の名前を?」
「毒島から聞いたわ。復讐のために顔を変えた狂人だってね」
桃子は楽しそうに目を細めた。
「私、好きなのよ。歪んだ人間が。……アンタのその顔、最高に歪んでてゾクゾクするわ」
彼女は指先で、井上の目尻から顎のラインをなぞった。
「ねえ、契約しない? 専属医契約よ。アンタのその顔、私が管理してあげる。……メンテナンスが必要なんでしょ? 痛み止めも、睡眠薬も、あるいは敵を殺すための毒も、私が全部用意してあげる」
井上はグラスを置いた。
目の前の女は、危険だ。倫理観が欠如している。
だが、今の自分に必要なのは、正義の医者ではない。地獄まで付き合ってくれる共犯者だ。
「報酬は?」
「金はいらない。……その代わり、アンタの身体が壊れる最期の瞬間まで、私に見せなさい。アンタが復讐でボロボロになっていく様を、特等席で見たいの」
変態的な要求だ。
だが、井上はその狂気に、どこか親近感を覚えた。
「……いいだろう」
井上は桃子の手を取り、その指先に口付けた。
演技ではない。自然に出た動作だった。
桃子が驚いたように目を瞬かせ、それから、今までで一番深い笑みを浮かべた。
「交渉成立ね、私の美しい患者さん」
デートを終え、井上がアマン東京のスイートルームに戻ったのは深夜だった。
広大なリビングの静寂に、小さな呼吸音が混じる。
井上はキャリーバッグを開けた。
中から、灰色の仔猫が恐る恐る顔を出した。
桃子の治療のおかげか、目ヤニも取れ、ぱっちりとした瞳が部屋の明かりに輝いている。
「……ようこそ、俺の城へ」
井上は仔猫を抱き上げ、ソファに下ろした。
仔猫は最初こそ警戒して身を縮めていたが、ふかふかのクッションの感触に驚いたように目を見開き、前足でふみふみと感触を確かめ始めた。
そして、コロンと転がると、無防備にお腹を見せてくねくねと背中を擦り付けた。
「ミャウ! ミャッ!」
まるで「ここ気に入った!」と言わんばかりの喜びようだ。
井上は微笑み、冷蔵庫から温めたミルクを用意した。
小皿に注ぐと、仔猫は夢中で舐め始めた。ピンク色の小さな舌が忙しなく動く。
飲み終わると、仔猫は満足げに顔を洗い、井上の膝の上によじ登ってきた。
そして、そこで丸くなると、すぐに寝息を立て始めた。
ゴロゴロゴロ……。
小さな喉から伝わる振動が、井上の冷え切った心にじんわりと染み込んでいく。
「……温かいな」
井上はそっと、その柔らかな背中を撫でた。
折れた耳。灰色の毛並み。
人間によって作られ、捨てられ、そして拾われた命。
「名前は……『ハイ』だ」
井上は呟いた。
灰谷のハイ。
燃え尽きた灰のハイ。
そして、Highへ登るためのハイ。
「俺とお前は同類だ。……これからは、俺が守ってやる」
ハイは夢の中で「むにゃ」と口を動かし、井上の指をぎゅっと抱きしめた。
復讐の鬼と化した井上にとって、この小さな温もりだけが、人間としての心を繋ぎ止める唯一の錨になるのかもしれなかった。
窓の外には東京の夜景。
井上は膝の上のハイを守るように手を添えながら、決意を新たにした。
明後日のパーティー。
必ず、生き残ってみせる。
ラブホテルと風俗店がひしめく路地裏は、昼間だというのに薄暗く、腐った生ゴミと安っぽい香水の匂いが漂っていた。
井上健太郎は、コートの襟を立て、サングラスで顔を隠して歩いていた。
右顔面の感覚がない。
今朝起きた時には、顔の右半分が完全に麻痺していた。術後の後遺症か、拒絶反応か。
数日後に迫ったパーティー。このままでは出席はおろか、人前に出ることさえできない。
毒島に紹介された「裏の医者」の元へ急ぐ足取りは重かった。
「……ミャア」
不意に、ゴミ集積所の陰から弱々しい声が聞こえた。
井上は足を止めた。
無視して通り過ぎようとしたが、その声は雨に濡れたアスファルトに染み入るように、あまりにも寂しげだった。
段ボール箱の中を覗き込むと、そこには泥にまみれた小さな毛玉がいた。
折れ曲がった耳。丸い顔。
スコティッシュフォールドだ。それも、血統書付きと思われる美しいシルバータビーの毛並み。
だが今は、ガリガリに痩せ細り、片目が目ヤニで塞がっている。
(……お前も、捨てられたのか)
ペットショップで売れ残ったのか、飼い主に飽きられたのか。
「価値がない」と判断され、ゴミのように廃棄された命。
それは、かつて西園寺家で「不要品」として扱われた自分自身と重なった。
「……ついてこい」
井上は衝動的に、その小さな体を拾い上げた。
コートの懐に入れると、驚くほど軽く、そして微かに温かかった。
雑居ビルの4階。
『診察中』と手書きされたボロボロの札が下がるドアをノックする。
「……鍵、開いてるわよ」
中から聞こえたのは、やる気のない、けだるげな女の声だった。
ドアを開けると、そこは濃密な紫煙の世界だった。
6畳ほどの狭い部屋。壁一面に怪しげな薬品の瓶や人体模型が並んでいる。
中央の診察台には書類や漫画雑誌が散乱し、その奥の回転椅子に、一人の女が沈み込んでいた。
山崎桃子。29歳。
無造作に束ねたブロンドの髪。ヨレヨレのタンクトップの上に、薄汚れた白衣を羽織っている。
その唇には煙草がくわえられ、アンニュイな瞳が煙の向こうから井上を見上げていた。
「……アンタが、毒島の言ってた『顔のいい金蔓』?」
桃子は煙を天井に吐き出すと、面倒くさそうに立ち上がった。
足元は踵を踏み潰したスニーカーだ。
「……井上だ」
「知ってる。……で、症状は?」
井上は無言でサングラスを外した。
桃子の目が、僅かに見開かれた。
彼女は煙草を灰皿に押し付けると、井上の顔に近づき、冷たい指先で頬に触れた。
「……綺麗」
それは、患者を心配する医者の声ではなかった。
美しい美術品、あるいは精巧な死体を見つけた愛好家のような、湿り気を帯びた声だった。
「凄いバランスね。骨格から弄ってる。……これ、執刀医はシュタイン? あの偏屈ジジイの最高傑作じゃない」
「……分かるのか?」
「分かるわよ。あいつの作る顔には『死の匂い』がするから。……で、神経がいかれて麻痺が出たってわけね」
桃子は手際よく井上の顎を掴み、左右に動かした。
「右顔面神経の圧迫ね。術後の浮腫みが神経に触れてる。……放っておけば一生動かなくなるわよ」
「治せるか?」
「治せるけど……痛いわよ?」
桃子はニヤリと笑うと、棚から注射器と怪しげな色の薬液を取り出した。
消毒もせず、いきなり頬に針を突き立てる。
ズブリ、という鈍い感触と共に、焼けるような熱さが注入される。
「ぐっ……!」
井上は呻き声を上げたが、桃子は顔色一つ変えずに薬液を押し切った。
針が抜かれる。数秒後、顔の中で暴れていた痛みが嘘のように引いていった。
「……動かしてみなさい」
言われるままに口角を上げてみる。動く。引き攣りもなく、スムーズに。
「……助かった」
「お礼は毒島に請求しとくわ。……それより」
桃子は再び煙草に火をつけると、興味深そうに井上の懐を見た。
コートの隙間から、灰色の小さな耳が覗いている。
「そのバッグの中身、何?」
「……来る途中で拾った」
井上が仔猫を取り出すと、桃子は「ふーん」と鼻を鳴らし、乱暴に猫の首根っこを掴んで持ち上げた。
「スコティッシュフォールドね。遺伝子疾患が出やすい品種よ。……こいつもアンタと同じ、人間のエゴで作られた『作り物』ってわけか」
「……生きてるか?」
「ギリギリね。栄養失調と結膜炎。……ついでだわ、診てあげる」
桃子はテキパキと仔猫に点滴を打ち、目薬をさした。
口は悪いが、その手つきは驚くほど優しく、的確だった。
「……よし。これで死にはしないわ。……ねえ、アンタ」
桃子は唐突に白衣を脱ぎ捨てた。
下のタンクトップ姿があらわになり、白く華奢な鎖骨が覗く。
「今から暇?」
「は?」
「治療は終わったけど、経過観察が必要なのよ。アンタの顔と、その猫の様子を見るため。……だから、私とデートしなさい」
こうして、井上健太郎と山崎桃子の奇妙なデートが始まった。
場所は、西麻布の隠れ家的なフレンチレストラン。
井上の完璧なスーツ姿と、桃子のちぐはぐな格好のカップルは、店内で異様な存在感を放っていた。足元には、キャリーバッグに入った仔猫が眠っている。
「……おい、もっとマシな服はなかったのか」
「私のワードローブにドレスなんてないわよ。文句あるなら帰るけど?」
桃子は悪びれもせず、高級な赤ワインをグラス並々と注ぎ、水のように煽った。
「……で、経過観察というのは、これのことか?」
「そうよ。咀嚼。物を噛む動作は、顔の筋肉を一番使うの。……ほら、肉食べてみて」
桃子は自分の皿の肉を切り分け、フォークで井上の口元に差し出した。
井上は渋々口を開き、肉を噛んだ。違和感はない。
「うん、いい動きね。……でも、笑い方がダメ」
「笑い方?」
「作り笑いが下手すぎるのよ。鏡の前で練習したんでしょ? 筋肉が強張って『私は演技してます』って書いてあるわ」
桃子はテーブル越しに身を乗り出し、井上の頬に手を添えた。
その距離、わずか数センチ。タバコと薬品の匂いが、井上の鼻腔をくすぐる。
「もっと力を抜きなさい。……アンタの顔は、もうアンタのものなの。灰谷守の仮面じゃない」
「……なぜ、俺の前の名前を?」
「毒島から聞いたわ。復讐のために顔を変えた狂人だってね」
桃子は楽しそうに目を細めた。
「私、好きなのよ。歪んだ人間が。……アンタのその顔、最高に歪んでてゾクゾクするわ」
彼女は指先で、井上の目尻から顎のラインをなぞった。
「ねえ、契約しない? 専属医契約よ。アンタのその顔、私が管理してあげる。……メンテナンスが必要なんでしょ? 痛み止めも、睡眠薬も、あるいは敵を殺すための毒も、私が全部用意してあげる」
井上はグラスを置いた。
目の前の女は、危険だ。倫理観が欠如している。
だが、今の自分に必要なのは、正義の医者ではない。地獄まで付き合ってくれる共犯者だ。
「報酬は?」
「金はいらない。……その代わり、アンタの身体が壊れる最期の瞬間まで、私に見せなさい。アンタが復讐でボロボロになっていく様を、特等席で見たいの」
変態的な要求だ。
だが、井上はその狂気に、どこか親近感を覚えた。
「……いいだろう」
井上は桃子の手を取り、その指先に口付けた。
演技ではない。自然に出た動作だった。
桃子が驚いたように目を瞬かせ、それから、今までで一番深い笑みを浮かべた。
「交渉成立ね、私の美しい患者さん」
デートを終え、井上がアマン東京のスイートルームに戻ったのは深夜だった。
広大なリビングの静寂に、小さな呼吸音が混じる。
井上はキャリーバッグを開けた。
中から、灰色の仔猫が恐る恐る顔を出した。
桃子の治療のおかげか、目ヤニも取れ、ぱっちりとした瞳が部屋の明かりに輝いている。
「……ようこそ、俺の城へ」
井上は仔猫を抱き上げ、ソファに下ろした。
仔猫は最初こそ警戒して身を縮めていたが、ふかふかのクッションの感触に驚いたように目を見開き、前足でふみふみと感触を確かめ始めた。
そして、コロンと転がると、無防備にお腹を見せてくねくねと背中を擦り付けた。
「ミャウ! ミャッ!」
まるで「ここ気に入った!」と言わんばかりの喜びようだ。
井上は微笑み、冷蔵庫から温めたミルクを用意した。
小皿に注ぐと、仔猫は夢中で舐め始めた。ピンク色の小さな舌が忙しなく動く。
飲み終わると、仔猫は満足げに顔を洗い、井上の膝の上によじ登ってきた。
そして、そこで丸くなると、すぐに寝息を立て始めた。
ゴロゴロゴロ……。
小さな喉から伝わる振動が、井上の冷え切った心にじんわりと染み込んでいく。
「……温かいな」
井上はそっと、その柔らかな背中を撫でた。
折れた耳。灰色の毛並み。
人間によって作られ、捨てられ、そして拾われた命。
「名前は……『ハイ』だ」
井上は呟いた。
灰谷のハイ。
燃え尽きた灰のハイ。
そして、Highへ登るためのハイ。
「俺とお前は同類だ。……これからは、俺が守ってやる」
ハイは夢の中で「むにゃ」と口を動かし、井上の指をぎゅっと抱きしめた。
復讐の鬼と化した井上にとって、この小さな温もりだけが、人間としての心を繋ぎ止める唯一の錨になるのかもしれなかった。
窓の外には東京の夜景。
井上は膝の上のハイを守るように手を添えながら、決意を新たにした。
明後日のパーティー。
必ず、生き残ってみせる。
11
あなたにおすすめの小説
ダンジョンでオーブを拾って『』を手に入れた。代償は体で払います
とみっしぇる
ファンタジー
スキルなし、魔力なし、1000人に1人の劣等人。
食っていくのがギリギリの冒険者ユリナは同じ境遇の友達3人と、先輩冒険者ジュリアから率のいい仕事に誘われる。それが罠と気づいたときには、絶対絶命のピンチに陥っていた。
もうあとがない。そのとき起死回生のスキルオーブを手に入れたはずなのにオーブは無反応。『』の中には何が入るのだ。
ギリギリの状況でユリアは瀕死の仲間のために叫ぶ。
ユリナはスキルを手に入れ、ささやかな幸せを手に入れられるのだろうか。
クラス転移したからクラスの奴に復讐します
wrath
ファンタジー
俺こと灞熾蘑 煌羈はクラスでいじめられていた。
ある日、突然クラスが光輝き俺のいる3年1組は異世界へと召喚されることになった。
だが、俺はそこへ転移する前に神様にお呼ばれし……。
クラスの奴らよりも強くなった俺はクラスの奴らに復讐します。
まだまだ未熟者なので誤字脱字が多いと思いますが長〜い目で見守ってください。
閑話の時系列がおかしいんじゃない?やこの漢字間違ってるよね?など、ところどころにおかしい点がありましたら気軽にコメントで教えてください。
追伸、
雫ストーリーを別で作りました。雫が亡くなる瞬間の心情や死んだ後の天国でのお話を書いてます。
気になった方は是非読んでみてください。
裏切られ続けた負け犬。25年前に戻ったので人生をやり直す。当然、裏切られた礼はするけどね
魚夢ゴールド
ファンタジー
冒険者ギルドの雑用として働く隻腕義足の中年、カーターは裏切られ続ける人生を送っていた。
元々は食堂の息子という人並みの平民だったが、
王族の継承争いに巻き込まれてアドの街の毒茸流布騒動でコックの父親が毒茸の味見で死に。
代わって雇った料理人が裏切って金を持ち逃げ。
父親の親友が融資を持ち掛けるも平然と裏切って借金の返済の為に母親と妹を娼館へと売り。
カーターが冒険者として金を稼ぐも、後輩がカーターの幼馴染に横恋慕してスタンピードの最中に裏切ってカーターは片腕と片足を損失。カーターを持ち上げていたギルマスも裏切り、幼馴染も去って後輩とくっつく。
その後は負け犬人生で冒険者ギルドの雑用として細々と暮らしていたのだが。
ある日、人ならざる存在が話しかけてきた。
「この世界は滅びに進んでいる。是正しなければならない。手を貸すように」
そして気付けは25年前の15歳にカーターは戻っており、二回目の人生をやり直すのだった。
もちろん、裏切ってくれた連中への返礼と共に。
最上級のパーティで最底辺の扱いを受けていたDランク錬金術師は新パーティで成り上がるようです(完)
みかん畑
ファンタジー
最上級のパーティで『荷物持ち』と嘲笑されていた僕は、パーティからクビを宣告されて抜けることにした。
在籍中は僕が色々肩代わりしてたけど、僕を荷物持ち扱いするくらい優秀な仲間たちなので、抜けても問題はないと思ってます。
処刑された勇者は二度目の人生で復讐を選ぶ
シロタカズキ
ファンタジー
──勇者は、すべてを裏切られ、処刑された。
だが、彼の魂は復讐の炎と共に蘇る──。
かつて魔王を討ち、人類を救った勇者 レオン・アルヴァレス。
だが、彼を待っていたのは称賛ではなく、 王族・貴族・元仲間たちによる裏切りと処刑だった。
「力が強すぎる」という理由で異端者として断罪され、広場で公開処刑されるレオン。
国民は歓喜し、王は満足げに笑い、かつての仲間たちは目を背ける。
そして、勇者は 死んだ。
──はずだった。
十年後。
王国は繁栄の影で腐敗し、裏切り者たちは安穏とした日々を送っていた。
しかし、そんな彼らの前に死んだはずの勇者が現れる。
「よくもまあ、のうのうと生きていられたものだな」
これは、英雄ではなくなった男の復讐譚。
彼を裏切った王族、貴族、そしてかつての仲間たちを絶望の淵に叩き落とすための第二の人生が、いま始まる──。
薬師だからってポイ捨てされました!2 ~俺って実は付与も出来るんだよね~
黄色いひよこ
ファンタジー
薬師のロベルト=グリモワール=シルベスタは偉大な師匠(神様)とその脇侍の教えを胸に自領を治める為の経済学を学ぶ為に隣国に留学。逸れを終えて国(自領)に戻ろうとした所、異世界の『勇者召喚』に巻き込まれ、周りにいた数人の男女と共に、何処とも知れない世界に落とされた。
『異世界勇者巻き込まれ召喚』から数年、帰る事違わず、ロベルトはこの異世界で逞しく生きていた。
勇者?そんな物ロベルトには関係無い。
魔王が居るようだが、倒されているのかいないのか、解らずとも世界はあいも変わらず巡っている。
とんでもなく普通じゃないお師匠様とその脇侍に薬師の業と、魔術とその他諸々とを仕込まれた弟子ロベルトの、危難、災難、巻き込まれ痛快世直し異世界道中。
はてさて一体どうなるの?
と、言う話のパート2、ここに開幕!
【ご注意】
・このお話はロベルトの一人称で進行していきますので、セリフよりト書きと言う名のロベルトの呟きと、突っ込みだけで進行します。文字がびっしりなので、スカスカな文字列を期待している方は、回れ右を推奨します。
なるべく読みやすいようには致しますが。
・この物語には短編の1が存在します。出来れば其方を読んで頂き、作風が大丈夫でしたら此方へ来ていただければ幸いです。
勿論、此方だけでも読むに当たっての不都合は御座いません。
・所々挿し絵画像が入ります。
大丈夫でしたらそのままお進みください。
友人(勇者)に恋人も幼馴染も取られたけど悔しくない。 だって俺は転生者だから。
石のやっさん
ファンタジー
パーティでお荷物扱いされていた魔法戦士のセレスは、とうとう勇者でありパーティーリーダーのリヒトにクビを宣告されてしまう。幼馴染も恋人も全部リヒトの物で、居場所がどこにもない状態だった。
だが、此の状態は彼にとっては『本当の幸せ』を掴む事に必要だった
何故なら、彼は『転生者』だから…
今度は違う切り口からのアプローチ。
追放の話しの一話は、前作とかなり似ていますが2話からは、かなり変わります。
こうご期待。
戦場帰りの俺が隠居しようとしたら、最強の美少女たちに囲まれて逃げ場がなくなった件
さん
ファンタジー
戦場で命を削り、帝国最強部隊を率いた男――ラル。
数々の激戦を生き抜き、任務を終えた彼は、
今は辺境の地に建てられた静かな屋敷で、
わずかな安寧を求めて暮らしている……はずだった。
彼のそばには、かつて命を懸けて彼を支えた、最強の少女たち。
それぞれの立場で戦い、支え、尽くしてきた――ただ、すべてはラルのために。
今では彼の屋敷に集い、仕え、そして溺愛している。
「ラルさまさえいれば、わたくしは他に何もいりませんわ!」
「ラル様…私だけを見ていてください。誰よりも、ずっとずっと……」
「ねぇラル君、その人の名前……まだ覚えてるの?」
「ラル、そんなに気にしなくていいよ!ミアがいるから大丈夫だよねっ!」
命がけの戦場より、ヒロインたちの“甘くて圧が強い愛情”のほうが数倍キケン!?
順番待ちの寝床争奪戦、過去の恋の追及、圧バトル修羅場――
ラルの平穏な日常は、最強で一途な彼女たちに包囲されて崩壊寸前。
これは――
【過去の傷を背負い静かに生きようとする男】と
【彼を神のように慕う最強少女たち】が織りなす、
“甘くて逃げ場のない生活”の物語。
――戦場よりも生き延びるのが難しいのは、愛されすぎる日常だった。
※表紙のキャラはエリスのイメージ画です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる