1 / 30
序章(娘:みのり)
序章
しおりを挟む
――毎月25日になると、私たちが宝物を失った日を思い出す。
濃厚な花の香りがする。
家の門をくぐって、すぐ右にある小さな庭。その一角に、煉瓦で囲われた花壇がある。
黄色いコスモスに薄ピンク色のシクラメン。ワインレッドのパンジーなど、色とりどりの花が咲いている。
少し前までは花の名前なんて全く詳しくなかったのに。
中谷みのりはその花壇の前でしゃがみ、手を合わせた。
「ただいま、ツナ」
この花壇の下で眠っている愛猫の名前を呼ぶ。彼女の声は少しだけ震えていた。
一年前の今日――10月25日、15年連れ添ったペットのツナが虹の橋を渡った。
亡くなる二週間前から食が細くなり、そこから飲まず食わずになってあっという間だった。
ツナが亡くなった当時、家族全員で大泣きした。
皆で相談した結果、亡骸は家の庭に埋葬することになり、今その場所は美しい花で埋め尽くされている。
「今日は和樹にも会えるから、楽しみにしていてね」
普段はこの家に帰ってこない弟の名を告げ、みのりは家の中へ入った。
「おかえり。仕事終わりにおつかい頼んじゃってごめんね。かつお節は買えた?」
「うん。ばっちり」
台所で夕食の支度をしている母の明美に、かつお節のパックを渡す。
「これ結構良いやつじゃないの?高かったでしょ」
「ツナに食べてもらうんだもん。良いやつにしてあげたいじゃん」
「それもそうね」
明美は笑った。
「そういえば、お父さんは今日早く帰って来れるって?」
「ええ。何が何でも帰るって。文の最後に赤色のビックリマークがついてたわ」
いつもは『。』で終わらせる父がそんな絵文字を使っているのを想像したみのりは、プスと吹き出す。
「良かった。和樹も18時にはこっち着く電車に乗れたらしいし、家族全員で夜ご飯食べれそうだね」
「そうね」
みのりは手洗いを終えると、リビングの端にあるツナの小さな仏壇にまた手を合わせた。
亡くなる一か月前の可愛らしい姿で、ツナが写真の中からこちらを見ている。
ツナは主にキジトラの毛色をしていたが、胸やお腹の辺り、そして眉間から口元にかけては白い毛で覆われている、いわゆる雑種猫だった。
台所で料理の音が聞こえ、みのりは振り返る。
「私手伝うよ」
「いいわよ。もう大体終わっちゃったから。テーブル片付けて準備してくれる?」
「わかった」
台所にかかっていたふきんを洗い、みのりはさっそくダイニングテーブルを拭く。
いつもは仕事で帰って来るのが遅い父の弘昌も、県外に住んでいる和樹も、今日は家に帰って来る。
お盆以来の家族全員のだんらんに、みのりの心は浮足立っていた。
***
「それで、雷が鳴ったら体をカチコチにして父さんの服の中に入って来てなぁ」
タンブラーに入ったお酒を煽った弘昌は、「本当に可愛かったなぁ」と笑う。
「ツナは本当に雷嫌いだったよな」
和樹が弘昌の話に同調して笑う。
「そうだね。私も今でも雷鳴ると、ツナ怖がってないかなって思っちゃう」
「天国でも雷って鳴るのかしら。そしたらあの子可哀想だわ」
真剣な明美の様子に、みのりは「極楽浄土っていうから、きっと鳴ってないんじゃない?」と適当に返す。
さっきまで盛り上がっていたツナの話がふと途切れて、「もう一年か」と弘昌が呟いた。
「あっという間だったわね」
明美の言葉に誰もが頷いた。
「最初、みのりがボロボロの子猫拾ってきた時はビックリしたわよ」
「しょうがないじゃん。私も野良猫だと思ったから連れ帰るつもりなかったけど、ついてくるんだもん。子猫がニャーニャー鳴きながら後ろついて来たら放っておけないでしょ」
ツナがこの家のペットになったのは、みのりが中学生の時、塾の帰りに子猫のツナと出会ったことがきっかけだった。
風が吹けば飛んでしまいそうなほどに小さくて細い体。
そんな体で一生懸命後をついてきたので、みのりは思わず立ち止まってしまった。
そうしたら爪を立てて胸元まで上って来たので、みのりは観念してその子猫を抱きしめた。
最初は驚いていた明美も、なんだかんだ弱っている子猫を見て絆されたらしく、お風呂に入れようと言い出した。
「お母さんそのせいで、最初らへんはツナに嫌われてたよね?」
当時のツナの刺々しい態度を思い出したみのりはふふと笑う。
「えー、そうだったっけ?俺覚えてねー」
「そりゃあんたはずっと部屋にこもってたから覚えてないでしょうよ」
首を傾げる和樹を、みのりは嫌味っぽくつつく。
「そうね。最初は大変だったわ。威嚇されたり手を引っ掛かれたり。お風呂で綺麗にしてあげたのがよっぽど嫌だったみたい」
「でも最終的にはツナもお母さんに懐いてたよね」
みのりの言葉に「ま、一番懐かれてたのは俺だけど」と和樹が胸を張る。その瞬間、和樹以外の全員が首を振った。
「ツナが一番懐いてたのはお父さんでしょ」
「お父さんよ」
「俺だぞ」
家族から総攻撃を受けた和樹は、「ちょっとした冗談じゃん」と口を尖らせる。
「でもでも、俺がリビングでゲームしてたら膝の上乗ったりしてたし」
「それで、お父さんが帰って来たら速攻鞍替えされてたやつね」
「だーもう、うるさいな」
皆が一斉に笑った。
ツナは中谷家にたくさんの幸せをもたらしてくれた。
中谷家のアイドルだったツナは今ここには居ないけど、確かにそれぞれの胸の中にいる。
そして、温かな今のこの家族が、ツナがここに居た証拠なのだ。
濃厚な花の香りがする。
家の門をくぐって、すぐ右にある小さな庭。その一角に、煉瓦で囲われた花壇がある。
黄色いコスモスに薄ピンク色のシクラメン。ワインレッドのパンジーなど、色とりどりの花が咲いている。
少し前までは花の名前なんて全く詳しくなかったのに。
中谷みのりはその花壇の前でしゃがみ、手を合わせた。
「ただいま、ツナ」
この花壇の下で眠っている愛猫の名前を呼ぶ。彼女の声は少しだけ震えていた。
一年前の今日――10月25日、15年連れ添ったペットのツナが虹の橋を渡った。
亡くなる二週間前から食が細くなり、そこから飲まず食わずになってあっという間だった。
ツナが亡くなった当時、家族全員で大泣きした。
皆で相談した結果、亡骸は家の庭に埋葬することになり、今その場所は美しい花で埋め尽くされている。
「今日は和樹にも会えるから、楽しみにしていてね」
普段はこの家に帰ってこない弟の名を告げ、みのりは家の中へ入った。
「おかえり。仕事終わりにおつかい頼んじゃってごめんね。かつお節は買えた?」
「うん。ばっちり」
台所で夕食の支度をしている母の明美に、かつお節のパックを渡す。
「これ結構良いやつじゃないの?高かったでしょ」
「ツナに食べてもらうんだもん。良いやつにしてあげたいじゃん」
「それもそうね」
明美は笑った。
「そういえば、お父さんは今日早く帰って来れるって?」
「ええ。何が何でも帰るって。文の最後に赤色のビックリマークがついてたわ」
いつもは『。』で終わらせる父がそんな絵文字を使っているのを想像したみのりは、プスと吹き出す。
「良かった。和樹も18時にはこっち着く電車に乗れたらしいし、家族全員で夜ご飯食べれそうだね」
「そうね」
みのりは手洗いを終えると、リビングの端にあるツナの小さな仏壇にまた手を合わせた。
亡くなる一か月前の可愛らしい姿で、ツナが写真の中からこちらを見ている。
ツナは主にキジトラの毛色をしていたが、胸やお腹の辺り、そして眉間から口元にかけては白い毛で覆われている、いわゆる雑種猫だった。
台所で料理の音が聞こえ、みのりは振り返る。
「私手伝うよ」
「いいわよ。もう大体終わっちゃったから。テーブル片付けて準備してくれる?」
「わかった」
台所にかかっていたふきんを洗い、みのりはさっそくダイニングテーブルを拭く。
いつもは仕事で帰って来るのが遅い父の弘昌も、県外に住んでいる和樹も、今日は家に帰って来る。
お盆以来の家族全員のだんらんに、みのりの心は浮足立っていた。
***
「それで、雷が鳴ったら体をカチコチにして父さんの服の中に入って来てなぁ」
タンブラーに入ったお酒を煽った弘昌は、「本当に可愛かったなぁ」と笑う。
「ツナは本当に雷嫌いだったよな」
和樹が弘昌の話に同調して笑う。
「そうだね。私も今でも雷鳴ると、ツナ怖がってないかなって思っちゃう」
「天国でも雷って鳴るのかしら。そしたらあの子可哀想だわ」
真剣な明美の様子に、みのりは「極楽浄土っていうから、きっと鳴ってないんじゃない?」と適当に返す。
さっきまで盛り上がっていたツナの話がふと途切れて、「もう一年か」と弘昌が呟いた。
「あっという間だったわね」
明美の言葉に誰もが頷いた。
「最初、みのりがボロボロの子猫拾ってきた時はビックリしたわよ」
「しょうがないじゃん。私も野良猫だと思ったから連れ帰るつもりなかったけど、ついてくるんだもん。子猫がニャーニャー鳴きながら後ろついて来たら放っておけないでしょ」
ツナがこの家のペットになったのは、みのりが中学生の時、塾の帰りに子猫のツナと出会ったことがきっかけだった。
風が吹けば飛んでしまいそうなほどに小さくて細い体。
そんな体で一生懸命後をついてきたので、みのりは思わず立ち止まってしまった。
そうしたら爪を立てて胸元まで上って来たので、みのりは観念してその子猫を抱きしめた。
最初は驚いていた明美も、なんだかんだ弱っている子猫を見て絆されたらしく、お風呂に入れようと言い出した。
「お母さんそのせいで、最初らへんはツナに嫌われてたよね?」
当時のツナの刺々しい態度を思い出したみのりはふふと笑う。
「えー、そうだったっけ?俺覚えてねー」
「そりゃあんたはずっと部屋にこもってたから覚えてないでしょうよ」
首を傾げる和樹を、みのりは嫌味っぽくつつく。
「そうね。最初は大変だったわ。威嚇されたり手を引っ掛かれたり。お風呂で綺麗にしてあげたのがよっぽど嫌だったみたい」
「でも最終的にはツナもお母さんに懐いてたよね」
みのりの言葉に「ま、一番懐かれてたのは俺だけど」と和樹が胸を張る。その瞬間、和樹以外の全員が首を振った。
「ツナが一番懐いてたのはお父さんでしょ」
「お父さんよ」
「俺だぞ」
家族から総攻撃を受けた和樹は、「ちょっとした冗談じゃん」と口を尖らせる。
「でもでも、俺がリビングでゲームしてたら膝の上乗ったりしてたし」
「それで、お父さんが帰って来たら速攻鞍替えされてたやつね」
「だーもう、うるさいな」
皆が一斉に笑った。
ツナは中谷家にたくさんの幸せをもたらしてくれた。
中谷家のアイドルだったツナは今ここには居ないけど、確かにそれぞれの胸の中にいる。
そして、温かな今のこの家族が、ツナがここに居た証拠なのだ。
0
あなたにおすすめの小説
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
とっていただく責任などありません
まめきち
恋愛
騎士団で働くヘイゼルは魔物の討伐の際に、
団長のセルフイスを庇い、魔法陣を踏んでしまう。
この魔法陣は男性が踏むと女性に転換するもので、女性のヘイゼルにはほとんど影響のない物だった。だか国からは保証金が出たので、騎士を辞め、念願の田舎暮らしをしようとしたが!?
ヘイゼルの事をずっと男性だと思っていたセルフイスは自分のせいでヘイゼルが職を失っただと思って来まい。
責任を取らなければとセルフイスから、
追いかけられる羽目に。
生きるために逃げだした。幸せになりたい。
白水緑
ファンタジー
屋敷内に軟禁状態だったリリアは、宝物を取り戻したことをきっかけに屋敷から逃げ出した。幸せになるために。体力も力もない。成り行きに身を任せる結果になっても、自分の道は自分で選びたい。
2020/9/19 第一章終了
続きが書け次第また連載再開します。
2021/2/14 第二章開幕
2021/2/28 完結
王様の恥かきっ娘
青の雀
恋愛
恥かきっ子とは、親が年老いてから子供ができること。
本当は、元気でおめでたいことだけど、照れ隠しで、その年齢まで夫婦の営みがあったことを物語り世間様に向けての恥をいう。
孫と同い年の王女殿下が生まれたことで巻き起こる騒動を書きます
物語は、卒業記念パーティで婚約者から婚約破棄されたところから始まります
これもショートショートで書く予定です。
金の羊亭へようこそ! 〝元〟聖女様の宿屋経営物語
紗々置 遼嘉
ファンタジー
アルシャインは真面目な聖女だった。
しかし、神聖力が枯渇して〝偽聖女〟と罵られて国を追い出された。
郊外に館を貰ったアルシャインは、護衛騎士を付けられた。
そして、そこが酒場兼宿屋だと分かると、復活させようと決意した。
そこには戦争孤児もいて、アルシャインはその子達を養うと決める。
アルシャインの食事処兼、宿屋経営の夢がどんどん形になっていく。
そして、孤児達の成長と日常、たまに恋愛がある物語である。
【大賞・完結】地味スキル《お片付け》は最強です!社畜OL、異世界でうっかり国を改革しちゃったら、騎士団長と皇帝陛下に溺愛されてるんですが!?
旅する書斎(☆ほしい)
ファンタジー
【第18回ファンタジー小説大賞で大賞をいただきました】→【規約変更で書籍化&コミカライズ「確約」は取り消しになりました。】
佐藤美佳子(サトウ・ミカコ)、享年28歳。死因は、過労。連日の徹夜と休日出勤の果てに、ブラック企業のオフィスで静かに息を引き取った彼女が次に目覚めたのは、剣と魔法のファンタジー世界だった。
新たな生を受けたのは、田舎のしがない貧乏貴族の娘、ミカ・アシュフィールド、16歳。神様がくれた転生特典は、なんと《完璧なる整理整頓》という、とんでもなく地味なスキルだった。
「せめて回復魔法とかが良かった……」
戦闘にも生産にも役立たないスキルに落胆し、今度こそは静かに、穏やかに生きたいと願うミカ。しかし、そんな彼女のささやかな望みは、王家からの突然の徴収命令によって打ち砕かれる。
「特殊技能持ちは、王宮へ出仕せよ」
家族を守るため、どうせ役立たずと追い返されるだろうと高をくくって王都へ向かったミカに与えられた任務は、あまりにも無謀なものだった。
「この『開かずの倉庫』を、整理せよ」
そこは、数百年分の備品や資材が山と積まれ、あまりの混沌ぶりに探検隊が遭難したとまで噂される、王家最大の禁足地。
絶望的な光景を前に、ミカが覚悟を決めてスキルを発動した瞬間――世界は、彼女の「お片付け」が持つ真の力に震撼することになる。
これは、地味スキルでうっかり国のすべてを最適化してしまった元社畜令嬢が、カタブツな騎士団長や有能すぎる皇帝陛下にその価値を見出され、なぜか過保護に甘やかされてしまう、お仕事改革ファンタジー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる