猫が繋いだ私たちの日々

はるかわ 美穂

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序章(娘:みのり)

序章

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――毎月25日になると、私たちが宝物を失った日を思い出す。


濃厚な花の香りがする。

家の門をくぐって、すぐ右にある小さな庭。その一角に、煉瓦で囲われた花壇がある。

黄色いコスモスに薄ピンク色のシクラメン。ワインレッドのパンジーなど、色とりどりの花が咲いている。

少し前までは花の名前なんて全く詳しくなかったのに。

中谷なかやみのりはその花壇の前でしゃがみ、手を合わせた。

「ただいま、ツナ」

この花壇の下で眠っている愛猫の名前を呼ぶ。彼女の声は少しだけ震えていた。

一年前の今日――10月25日、15年連れ添ったペットのツナが虹の橋を渡った。

亡くなる二週間前から食が細くなり、そこから飲まず食わずになってあっという間だった。

ツナが亡くなった当時、家族全員で大泣きした。

皆で相談した結果、亡骸は家の庭に埋葬することになり、今その場所は美しい花で埋め尽くされている。

「今日は和樹かずきにも会えるから、楽しみにしていてね」

普段はこの家に帰ってこない弟の名を告げ、みのりは家の中へ入った。

「おかえり。仕事終わりにおつかい頼んじゃってごめんね。かつお節は買えた?」

「うん。ばっちり」

台所で夕食の支度をしている母の明美あけみに、かつお節のパックを渡す。

「これ結構良いやつじゃないの?高かったでしょ」

「ツナに食べてもらうんだもん。良いやつにしてあげたいじゃん」

「それもそうね」

明美は笑った。

「そういえば、お父さんは今日早く帰って来れるって?」

「ええ。何が何でも帰るって。文の最後に赤色のビックリマークがついてたわ」

いつもは『。』で終わらせる父がそんな絵文字を使っているのを想像したみのりは、プスと吹き出す。

「良かった。和樹も18時にはこっち着く電車に乗れたらしいし、家族全員で夜ご飯食べれそうだね」

「そうね」

みのりは手洗いを終えると、リビングの端にあるツナの小さな仏壇にまた手を合わせた。

亡くなる一か月前の可愛らしい姿で、ツナが写真の中からこちらを見ている。

ツナは主にキジトラの毛色をしていたが、胸やお腹の辺り、そして眉間から口元にかけては白い毛で覆われている、いわゆる雑種猫だった。

台所で料理の音が聞こえ、みのりは振り返る。

「私手伝うよ」

「いいわよ。もう大体終わっちゃったから。テーブル片付けて準備してくれる?」

「わかった」

台所にかかっていたふきんを洗い、みのりはさっそくダイニングテーブルを拭く。

いつもは仕事で帰って来るのが遅い父の弘昌ひろまさも、県外に住んでいる和樹も、今日は家に帰って来る。

お盆以来の家族全員のだんらんに、みのりの心は浮足立っていた。


***


「それで、雷が鳴ったら体をカチコチにして父さんの服の中に入って来てなぁ」

タンブラーに入ったお酒を煽った弘昌は、「本当に可愛かったなぁ」と笑う。

「ツナは本当に雷嫌いだったよな」

和樹が弘昌の話に同調して笑う。

「そうだね。私も今でも雷鳴ると、ツナ怖がってないかなって思っちゃう」

「天国でも雷って鳴るのかしら。そしたらあの子可哀想だわ」

真剣な明美の様子に、みのりは「極楽浄土っていうから、きっと鳴ってないんじゃない?」と適当に返す。

さっきまで盛り上がっていたツナの話がふと途切れて、「もう一年か」と弘昌が呟いた。

「あっという間だったわね」

明美の言葉に誰もが頷いた。

「最初、みのりがボロボロの子猫拾ってきた時はビックリしたわよ」

「しょうがないじゃん。私も野良猫だと思ったから連れ帰るつもりなかったけど、ついてくるんだもん。子猫がニャーニャー鳴きながら後ろついて来たら放っておけないでしょ」

ツナがこの家のペットになったのは、みのりが中学生の時、塾の帰りに子猫のツナと出会ったことがきっかけだった。

風が吹けば飛んでしまいそうなほどに小さくて細い体。

そんな体で一生懸命後をついてきたので、みのりは思わず立ち止まってしまった。

そうしたら爪を立てて胸元まで上って来たので、みのりは観念してその子猫を抱きしめた。

最初は驚いていた明美も、なんだかんだ弱っている子猫を見て絆されたらしく、お風呂に入れようと言い出した。

「お母さんそのせいで、最初らへんはツナに嫌われてたよね?」

当時のツナの刺々しい態度を思い出したみのりはふふと笑う。

「えー、そうだったっけ?俺覚えてねー」

「そりゃあんたはずっと部屋にこもってたから覚えてないでしょうよ」

首を傾げる和樹を、みのりは嫌味っぽくつつく。

「そうね。最初は大変だったわ。威嚇されたり手を引っ掛かれたり。お風呂で綺麗にしてあげたのがよっぽど嫌だったみたい」

「でも最終的にはツナもお母さんに懐いてたよね」

みのりの言葉に「ま、一番懐かれてたのは俺だけど」と和樹が胸を張る。その瞬間、和樹以外の全員が首を振った。

「ツナが一番懐いてたのはお父さんでしょ」

「お父さんよ」

「俺だぞ」

家族から総攻撃を受けた和樹は、「ちょっとした冗談じゃん」と口を尖らせる。

「でもでも、俺がリビングでゲームしてたら膝の上乗ったりしてたし」

「それで、お父さんが帰って来たら速攻鞍替えされてたやつね」

「だーもう、うるさいな」

皆が一斉に笑った。

ツナは中谷家にたくさんの幸せをもたらしてくれた。

中谷家のアイドルだったツナは今ここには居ないけど、確かにそれぞれの胸の中にいる。

そして、温かな今のこの家族が、ツナがここに居た証拠なのだ。
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