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第一章(母:明美)
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年頃の娘がいるという共通点で斉藤と話をしたことがあった。
娘が反抗期で大変という斉藤に対して、明美は「うちは比較的仲が良いですね。夜ご飯はいつも一緒に食べてますし」と言った。
ただの世間話のつもりで言っただけだったが、斉藤にとっては自慢に聞こえたのだろうか。
思い返してみれば、斉藤からの当たりが強くなったのもその頃かもしれない。
まさかの事実に明美が放心していると、斉藤が言葉を続ける。
「人のこと見下すのって楽しいわよね。すっごく性格が悪いけど」
顔を歪めて笑う彼女に、明美の下降していた血液がカッと頭に昇るのがわかった。
(どうして……どうしてこの人は、私のことを決めつけて話すの)
以前からずっとそうだ。嫌に攻撃的で、こちらの神経をすり減らせる。
「あの、私は……っ!」
思わず明美が言い返しそうになった時、ふと、先日みのりが言っていた言葉が脳裏をよぎった。
『攻撃は最大の防御ってやつですか?』
喉元まで出かかった言葉が留まる。
「何よ」
「……いえ」
明美は奥歯を噛んで俯く。
恐らく斉藤は、自身の境遇に不満を抱いている。だからこそ、他人に攻撃的なのだろう。
だけど、自身がどれだけ辛くてもそれを表には出さない人もいる。
それはきっと、その人の性質だったり、育った環境が理由だったりする。
けど、堪えることができるのは、大前提として“人間だから”。
人間には理性や考える力があって、言葉がある。
態度や行動でしか気持ちを表すことのできない赤子や――動物の猫とは違って。
自分の身を守るために牙を剥いていた家の猫と、目の前の彼女。
一体何が違うのだろう。
(……斉藤さんが今やっていることって、実はとっても稚拙なんじゃないかしら?)
猫と斉藤が同じだと思えば、明美は途端に目の前の彼女が矮小に見えた。
「ふふ」
唐突に笑った明美に、斉藤が「何よ!?」と目を血走らせる。
「いえ、すみません。最近家に来た猫のことを思い出してしまって」
なぜ今そんなことを思い出したのかわからない、とでも言いたげに斉藤は顔を引きつらせている。
明美はふうっと一つ息をついて、頭を下げた。
「自慢したつもりじゃなかったんですが、私が過去に言ったことは、配慮に欠けた発言だったかもしれません。すみません」
明美からの謝罪に、斉藤は面食らっている。
「斉藤さんの心中についてはお察しします。ですが、同情はしません」
彼女の感情も問題も、すべて彼女のものだ。本音を隠した感情だけを投げつけられても、こちらは何もしてやれない。
「もし私や……周囲の人間に望むことがあるならちゃんと言葉にしてください。助けてほしいなら、言ってくれないとわかりません」
明美がまっすぐに伝えた言葉で、斉藤の瞳の奥が揺れた気がした。
「……では、私は失礼します」
勢いで偉そうなことを言ってしまったことに恐縮し、明美は職場を後にする。
しかし明美は、反省はしていたが後悔はしていなかった。
帰り道にペダルを踏みこむ足が、いつもよりちょっとだけ軽かった。
「ただいま」
明美がリビングの扉を開けると、子猫はまたすぐにソファの下にもぐった。
相変わらず警戒心マックスの猫に苦笑する。
そういえば、猫の飼う飼わないについてはどうなったのかと思いスマホのメッセージアプリを開いた。
【お父さん、猫飼っても良いって!】
ピースサインの絵文字つきで、みのりからメッセージが届いている。
「やっぱりそうなのね」
予想通りの流れに明美は笑いが漏れた。
じゃあ猫用のトイレも買わないといけないだろうし、必要があればケージやキャットタワーなども購入しなければならないだろうか。
家の掃除もこれまでとは比にならないくらい大変かもしれない。
それでも、明美は悪い気はしなかった。
むしろ、これからは日中の静かな家に一人と一匹になると思ったら、心がぽかぽかして温かくなった。
「出たくなったら、いつでも出てきてね」
ソファ下の子猫に笑顔でそう告げて、明美は洗濯を始めた。
もう無理に触ろうとはしない。
この家や人が安全だとわかれば、そのうち出てきてくれるだろうから。
いつも通り、家中の掃除も終えた明美は、夕飯の支度にとりかかった。
ピーマンを煮詰めていると、またもや視界の端に影が映る。
「……気になる?」
明美が笑いかけると、子猫はその丸い瞳のまま座っている。
逃げ出さないのは少しだけ進歩かもしれない。
子猫は放っておいて料理を再開しようと鰹節を出すと、トテトテという足音がした。
「ちょっと、危ないわよ?」
あれだけ避けていたのに、突然子猫が料理中の明美の足元にやって来た。
しかもなぜか鼻をフスフス鳴らしている。
子猫の視線が明美の手元に注がれているのを見て、ピンときた。
「鰹節、食べたいの?」
猫は変わらず鼻を鳴らしている。
明美は迷った末、少しだけあげてみることにした。
「はい、どうぞ」
小皿に入れてあげると、猫は美味しそうに食べ始める。
「あなた鰹節が好きなのね」
猫なら共通かもしれないが、子猫の好きなものが知れて明美は少し嬉しくなる。
「あなたの名前も考えてあげたいけど、それは家族と相談してからね」
明美は小さな背中を撫でたくなるのをこらえ、再び料理に戻った。
夕飯の支度をある程度終えた後は、みのりと和樹が帰ってくるまで、束の間の休息を取ることにした。
テレビをぼうっと見ながらお菓子をつまんでいると、うつらうつらし始める。
娘が反抗期で大変という斉藤に対して、明美は「うちは比較的仲が良いですね。夜ご飯はいつも一緒に食べてますし」と言った。
ただの世間話のつもりで言っただけだったが、斉藤にとっては自慢に聞こえたのだろうか。
思い返してみれば、斉藤からの当たりが強くなったのもその頃かもしれない。
まさかの事実に明美が放心していると、斉藤が言葉を続ける。
「人のこと見下すのって楽しいわよね。すっごく性格が悪いけど」
顔を歪めて笑う彼女に、明美の下降していた血液がカッと頭に昇るのがわかった。
(どうして……どうしてこの人は、私のことを決めつけて話すの)
以前からずっとそうだ。嫌に攻撃的で、こちらの神経をすり減らせる。
「あの、私は……っ!」
思わず明美が言い返しそうになった時、ふと、先日みのりが言っていた言葉が脳裏をよぎった。
『攻撃は最大の防御ってやつですか?』
喉元まで出かかった言葉が留まる。
「何よ」
「……いえ」
明美は奥歯を噛んで俯く。
恐らく斉藤は、自身の境遇に不満を抱いている。だからこそ、他人に攻撃的なのだろう。
だけど、自身がどれだけ辛くてもそれを表には出さない人もいる。
それはきっと、その人の性質だったり、育った環境が理由だったりする。
けど、堪えることができるのは、大前提として“人間だから”。
人間には理性や考える力があって、言葉がある。
態度や行動でしか気持ちを表すことのできない赤子や――動物の猫とは違って。
自分の身を守るために牙を剥いていた家の猫と、目の前の彼女。
一体何が違うのだろう。
(……斉藤さんが今やっていることって、実はとっても稚拙なんじゃないかしら?)
猫と斉藤が同じだと思えば、明美は途端に目の前の彼女が矮小に見えた。
「ふふ」
唐突に笑った明美に、斉藤が「何よ!?」と目を血走らせる。
「いえ、すみません。最近家に来た猫のことを思い出してしまって」
なぜ今そんなことを思い出したのかわからない、とでも言いたげに斉藤は顔を引きつらせている。
明美はふうっと一つ息をついて、頭を下げた。
「自慢したつもりじゃなかったんですが、私が過去に言ったことは、配慮に欠けた発言だったかもしれません。すみません」
明美からの謝罪に、斉藤は面食らっている。
「斉藤さんの心中についてはお察しします。ですが、同情はしません」
彼女の感情も問題も、すべて彼女のものだ。本音を隠した感情だけを投げつけられても、こちらは何もしてやれない。
「もし私や……周囲の人間に望むことがあるならちゃんと言葉にしてください。助けてほしいなら、言ってくれないとわかりません」
明美がまっすぐに伝えた言葉で、斉藤の瞳の奥が揺れた気がした。
「……では、私は失礼します」
勢いで偉そうなことを言ってしまったことに恐縮し、明美は職場を後にする。
しかし明美は、反省はしていたが後悔はしていなかった。
帰り道にペダルを踏みこむ足が、いつもよりちょっとだけ軽かった。
「ただいま」
明美がリビングの扉を開けると、子猫はまたすぐにソファの下にもぐった。
相変わらず警戒心マックスの猫に苦笑する。
そういえば、猫の飼う飼わないについてはどうなったのかと思いスマホのメッセージアプリを開いた。
【お父さん、猫飼っても良いって!】
ピースサインの絵文字つきで、みのりからメッセージが届いている。
「やっぱりそうなのね」
予想通りの流れに明美は笑いが漏れた。
じゃあ猫用のトイレも買わないといけないだろうし、必要があればケージやキャットタワーなども購入しなければならないだろうか。
家の掃除もこれまでとは比にならないくらい大変かもしれない。
それでも、明美は悪い気はしなかった。
むしろ、これからは日中の静かな家に一人と一匹になると思ったら、心がぽかぽかして温かくなった。
「出たくなったら、いつでも出てきてね」
ソファ下の子猫に笑顔でそう告げて、明美は洗濯を始めた。
もう無理に触ろうとはしない。
この家や人が安全だとわかれば、そのうち出てきてくれるだろうから。
いつも通り、家中の掃除も終えた明美は、夕飯の支度にとりかかった。
ピーマンを煮詰めていると、またもや視界の端に影が映る。
「……気になる?」
明美が笑いかけると、子猫はその丸い瞳のまま座っている。
逃げ出さないのは少しだけ進歩かもしれない。
子猫は放っておいて料理を再開しようと鰹節を出すと、トテトテという足音がした。
「ちょっと、危ないわよ?」
あれだけ避けていたのに、突然子猫が料理中の明美の足元にやって来た。
しかもなぜか鼻をフスフス鳴らしている。
子猫の視線が明美の手元に注がれているのを見て、ピンときた。
「鰹節、食べたいの?」
猫は変わらず鼻を鳴らしている。
明美は迷った末、少しだけあげてみることにした。
「はい、どうぞ」
小皿に入れてあげると、猫は美味しそうに食べ始める。
「あなた鰹節が好きなのね」
猫なら共通かもしれないが、子猫の好きなものが知れて明美は少し嬉しくなる。
「あなたの名前も考えてあげたいけど、それは家族と相談してからね」
明美は小さな背中を撫でたくなるのをこらえ、再び料理に戻った。
夕飯の支度をある程度終えた後は、みのりと和樹が帰ってくるまで、束の間の休息を取ることにした。
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