猫が繋いだ私たちの日々

はるかわ 美穂

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第一章(母:明美)

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「……ていうか、私がお母さんにお風呂任せちゃったせいで、お母さんが猫に警戒されることになったんだよね。ごめん」

しょんぼりするみのりに、「そんなこと気にしなくていいのよ」と明美は軽く流した。

「それでさ、結局この子うちで飼うの?」

期待で光る娘の瞳に、明美は微妙な表情を浮かべる。

「お父さんが、母猫がいなさそうなら保護してあげようって言ってたわよ」

「私、私っ、めっちゃ探したよ。近くに母猫いないかなって。でも全然見つかんなかったんだもん。そしたら一生懸命後ろついてくるからさ、もう私が親になったようなもんだよね?」

「それはどうか知らないけど……みのりが家を出る頃にはお父さんも起きてくるだろうし、直接頼んでみたら?」

弘昌は実家で猫を飼っていた経験があるようだから、恐らく猫に甘い。

みのりが弘昌にお願いせずとも、この子猫が中谷家の一員になるであろうことは、明美もなんとなく想像がついていた。


***


「おはようございます」

「あら、中谷さんおはよう。今日もよろしくね」

すでに出勤していたパート仲間と挨拶を交わし、明美はエプロンをつける。

(確か今日は、斉藤さんも出勤日だったわよね)

強く当たられたことが記憶に新しい明美は、彼女と顔を合わせるのが憂鬱だった。

自然と準備の手が遅くなる。

「ねぇねぇちょっと、中谷さん」

後ろ手でリボン結びを終えると同時に、同僚から声をかけられた。

「どうかされました?」

「私、すごいこと聞いちゃったのよ」

興奮気味の彼女は声を抑えながら距離を詰めてくる。

「すごいこと、ですか……?」

「ええ、そう。斉藤さんのことなんだけどね。ほら、うちの息子と斉藤さんの娘って同じ中学に通ってるって前に話したでしょ?」

明美は忘れかけていた記憶を手繰り寄せ、「そうですね」と頷く。

「なんでも、斉藤さんの娘さんが万引きしたって噂が学校で流れてるみたい」

「ま……っ!?」

身近な人の行動としては聞かない言葉に、明美は目を丸くする。

「職員室で説教を受けてるのを他の生徒さんが聞いてたらしいわよ。しかもさらに驚きなのが、斉藤さんって離婚してるでしょ?あれ、元旦那の不倫が原因だって」

画面の向こうや小説でしか見ない世界に、明美は呆気にとられる。

「で、元旦那から養育費が支払われてないから、お金も足りなくて、娘さんが万引きしちゃったんじゃないかって」

「そ、そうなんですか……」

「ごめんなさいね。人の噂話なんて下世話だとはわかってるんだけど、あまりにも衝撃的な内容だったからどうしても誰かと共有したくて。話したら楽になったわ。ありがとう」

パート仲間の女性は言葉通りすっきりした表情をしている。

「いえ……」

ショックが大きく、明美はまだその余韻から抜け出せず、曖昧な受け答えになる。

「……そう考えると、斉藤さんも大変な思いをしてるのかもしれないわね。だからといってあの態度が許されるわけじゃないけど」

パート仲間の女性が悩ましげにそう言った直後、斉藤が裏口の扉から入って来た。

明美たちは彼女にぎこちなく挨拶を交わし、自分たちの持ち場へ向かった。


その日の仕事中、明美は就業前に聞いたことが頭から離れなかった。

旦那の不倫に、娘の万引き。まるで別世界のことのように感じるが、本当に斉藤の身に起きていることなのだろうか。

あくまで噂にしか過ぎないだろうが、それでも「もしかして」という気持ちはある。

「ちょっと」

棘のある口調に、明美はハッと我に返る。

「はい」

「さっきからノロノロしすぎじゃないかしら。日が暮れるわよ」

「す、すみません……」

注意してきたのは案の定斉藤だった。

しかし、明美は彼女の目が見れず、慌てて作業に戻る。

それ以上斉藤に突っかかられることもなく、なんとかその日のノルマをこなして仕事を終えた。

だが、明美はいつも以上に疲労を感じていた。

ため息をつきながら自身の荷物を取りに行こうとすると、ロッカールームに斉藤がいた。

一瞬たじろいだが、目が合ってしまった以上、避けるわけにもいかない。

「……お疲れ様です」

「お疲れ」

ロッカーを開ける音と、荷物を探る音だけが響く。

気まずさが限界で、明美がさっさと立ち去ろうとすると、突然、斉藤が「良かったわね」と半笑いで言った。

「……良かったって?」

「嫌いな人間が自分より下だってわかって」

斉藤の言葉の意図が読めない明美は怪訝な顔をした。

「私の元旦那が不倫したのも、娘が万引きしたのも本当よ。良かったじゃない。堂々と嫌いな人間を見下せる理由ができて」

どうやら就業前にしていた明美たちの会話を聞かれていたらしい。

血の巡りが滞って、ゆっくり血液が下降していく。

話を聞かれていたことにも驚いたが、まさか斉藤の方からその話題を持ち出してくるとは思わなかった。

「見下すなんて、そんな……」

「だってあなた、前に娘と仲が良いこと自慢げに教えてくれたじゃない。私は母子家庭で娘を育てるのが大変だって言ったのに」

その言葉に、明美は思考が停止した。

フラッシュバックするのは、明美が仕事を初めて半年ほど経った頃のこと。
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