離婚した彼女は死ぬことにした

はるかわ 美穂

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「あぁ!?テメェには関係ねぇだろうが!」

怒りの矛先が変わった男はおぼつかない足取りで彼女に向かっていく。

エレノアは男を止めようとしたが時すでに遅く、鈍い音が周囲に響き渡った。

先ほどの男が瞬きの間にエレノアの足元で伸びており、うめき声を漏らしている。

(やっぱり……)

エレノアは内心ため息をつきながら、もう一度女性の方を見た。

そこには騎士と思われる男性が仁王立ちしており、憤慨した様子で暴漢を見下ろしている。

「無礼者め!この方をどなただと思っている!」

男は衝撃に耐えかねてうずくまっていたかと思えば、突然奇声を上げて暴れ出した。どうやら完全に正気を失っているらしい。

騎士はさすがに危険を感じたのか、その場で男を拘束し気絶させた。

「お怪我はございませんか?」

あっという間にならず者を始末した騎士は、主の方を振り返る。

「ええ、大丈夫よ」

彼女が頷くと同時に白金の髪が揺れ、春を彷彿とさせる桃色の瞳が柔らかく細められた。

視線の流し方一つにも気品が溢れる彼女の所作を、エレノアはよく知っている。

「フィオナ様を害そうとするなど、命知らずな平民もいるのですね」

主人に日傘を差している侍女は軽蔑の目で拘束された男を見る。

――フィオナ・マルヴァ伯爵令嬢。エレノアが公爵夫人だった時に、礼儀作法の家庭教師を請け負ってくれた女性だ。

当時、エレノアとフィオナは教師と教え子の立場ではあったが、そこには確かな友情が存在していた。

(フィオナ様、お元気そうで何よりだわ……)

四年ぶりに見たかつての教師に感傷的になったのも束の間、ここでフィオナと面と向かって会話をすることは危険だとすぐに悟った。

エレノアは一行が暴れていた男に意識を向けているうちに、そっと静かにその場を去ることにした。



「この男を治安隊に突き出してきますので、フィオナ様はこちらでしばしお待ちを」

「ええ、お願い」

騎士の言葉に頷いたフィオナは、ついさっき男に絡まれていた女性がいたことを思い出し、そちらに目を向ける。

しかしそこには誰もおらず、事態が収束したことに安堵した者たちが興味を失くしてこの場を離れていく光景だけがあった。

「フィオナ様、どうかされましたか?」

「……さっきここに女性がいたわよね?」

錯乱した男に言いがかりをつけられて困っている様子だったから、フィオナは声をかけたのだ。それは侍女も見ていたはずである。

「そうでしたね。まったく、フィオナ様に助けてもらっておいてお礼の一言もないなんて」

不満げな様子で文句をこぼす侍女を、「彼女が無事だったのならいいわ」とフィオナは宥める。

「お祭りのルートから逸れてしまったから、護衛が戻ってきたらまた大通りの方へ向かいましょう」

フィオナの言葉に侍女は一も二もなくかしこまる。

侍女と数言交わした後、自然と話題が尽き、フィオナは少し遠くに見える騒がしい通りをぼんやりと見つめた。

頭に浮かぶのは、知らぬ間に姿を消していた先ほどの女性のこと。

距離があったため正確に見えたわけではないが、彼女の顔はどことなく――

「フィオナ様、お待たせ致しました」

ちょうど治安隊で手続きを済ませた騎士が戻ってきたため、フィオナの思考はそこで中断される。

「ご苦労様。早かったわね」

「すぐそこに治安隊駐在所がありましたから」

そうは言っても、少しだけ額に汗が浮かんでいるのを見るに、早めに手続きを終わらせて一目散に戻ってきてくれたのだろう。

忠実なマルヴァ家の騎士に「ありがとう。その調子でこれからも頼むわ」と伝え、フィオナは賑やかな通りへ足を進めた。


***


フィオナの目を避けてなんとかお祭りの本通りまで戻ってきたエレノアは、人混みをかき分けながらジルを探していた。

(確かここら辺ではぐれたはず……)

周囲を見渡していると、突然肩を叩かれる。

「やっと見つかった」

振り向くとそこには肩で息をするジルが居て、エレノアは途端に申し訳ない気持ちになった。

「ごめんなさい。心配かけちゃったわね」

「あぶなかったぜ。アスターが居なくなった責任を俺に丸投げされるところだった」

通常運転の憎まれ口に、エレノアの罪悪感は音を立ててしぼんだ。

しかし、口ではそう言いながらも彼が必死で自分を探してくれていたことはわかっているので、「ごめんね」ともう一度謝っておく。

「気にすんなよ。無事に合流できたし。でも夜に向けてまた人が増えるだろうから、ここら辺で切り上げた方が良いかもな」

額の汗を拭いながら言うジルに、エレノアは少し名残惜しさを感じながらも「そうね」と頷いた。

賑やかな通りを横目に、二人の足が自然と皇宮へ向かう。

「……大丈夫だったか?」

唐突なジルからの問いかけ。エレノアはその意味を瞬時には理解できなかったが、はぐれていた間に何もなかったか聞いているのだと数拍置いて理解した。

「……そうね。輩に絡まれてちょっと危険な時はあったけど、フィオナ様が助けてくれたから大丈夫よ」

「はぁ!?フィオナってマルヴァ伯爵家のか?」

「ええ、そうよ」

「……顔見られてないよな?」

「大丈夫よ。……たぶん」

男に絡まれた時に一瞬だけフードが脱げてしまったが、あの時傍にフィオナは居なかったはずだ。

「ならいいけど。“エレノア”として関わりがあったやつと話す時は気をつけろよ」

「わかってるわ」

ジルの言葉にエレノアは力強く頷く。

元来た道を辿り、ジルとエレノアは隠し通路を使って皇宮へ戻った。

その道中で、エレノアはずっと頭に引っかかっていたことを口にする。

「ねぇ、ジル」

「どうした?」

街で見かけたあの貧相な身なりの男。

まったく身に覚えのないことで言いがかりをつけられ、最初は酔っぱらっているのかと思ったが、お酒特有の火照りは見られなかったし、臭いもしなかった。

突然奇声を上げたり焦点が定まらないあの目は、酩酊というよりむしろ――

「ちょっと、調べてほしいことがあるの」

エレノアの脳裏には、かつて悪辣な計画を立てていたあの男の姿が浮かんでいた。
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