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エレノアの言葉に、アルバートはわかりやすく落ち込んだ。
(ど、どうしてそんな捨てられた子犬のような目をするのかしら……)
初めて見る彼の表情に胸が締め付けられる。
おかしい。四年前の彼はほぼ初対面の人間に対してこんなに表情豊かだっただろうか。四年の間に何か大きな変化でもあったのか。
エレノアが困惑していると、隣から大きな咳払いが聞こえてきた。
「エリーがこう言ってるんだ。俺から見ても公爵は働きすぎに思う。今回は厚意に甘えたらどうだ」
フェリクスの助言に、アルバートは不本意そうではあったが、引き下がった。
「……承知しました。では明日、10時にお迎えに上がります」
エレノアはホッと胸を撫で下ろす。
屋敷ではルチアーナとルーカスが兄の帰りを待っているはず。
いくら侍女や執事がいると言っても、放っておくのは良くない。
ただでさえエレノアの護衛で屋敷に帰るのが遅くなっているだろうから。
「エリー、俺は皇帝陛下と少し話していくことがあるから、先に皇太子宮に戻ってくれ」
フェリクスからそう告げられ、エレノアは頷いた。
行きがけと同じように一緒に帰るつもりだったが、恐らくディレス男爵の裁判に関することがあるのだろう。
彼は貴族裁判の皇帝補佐として仕事を任されているから、最近はその準備でずっと忙しそうにしている。
(フェリクスも他人のことは言えない気がするけれど……)
エレノアの不安げな視線に気づいたフェリクスは、彼女の頭に優しく手を乗せた。
「すぐ戻るからそんなに不安そうな顔するな」
「……なっ、何も言っていませんが?」
良いように解釈されたことに気づき、エレノアの頬が熱くなる。
目の前にアルバートがいるというのに、この男は隙あらばからかってくる。
(もう、知らないわ)
「皇太子殿下、アルバート様、私はお先に失礼致します」
一礼し、エレノアはさっさと会場を後にする。
拗ねたエレノアの姿を、フェリクスがくすくすと肩を揺らして見ていたのは気づかないふりをした。
華奢な背中がホールを出て行ったのを見て、フェリクスは先程から肌を刺すような殺気を放っている男に目を向ける。
「……名前呼びを許すほど二人の親睦が深まっていたとは知らなかったな」
フェリクスが平静を装って笑うと、剣吞な色を帯びたアルバートの瞳が揺れる。
昨日までエレノアはアルバートのことを「公爵様」と呼んでいたはずだ。
にもかかわらず、彼女は先ほどアルバートのことを名前で呼んでいた。
フェリクスが知る限り、アルバートは簡単に名前呼びを許す人間じゃない。それも会ったばかりの異性に。
エレノアの過去を知る人間がいる限り、変装しても限界はあると思っていたが……。
(それでもここまで早く、勘づくものか?)
忠犬のように鼻が利くこの男に、フェリクスは思わず苦笑が漏れる。
「皇帝派筆頭の私とアスター様が親密であることをお見せしておくのは効果的なことですから」
もっともらしい言い訳だ。
「そうだな。……だが、一線を越えるなよ」
フェリクスはアルバートに一歩近づき、耳打ちをした。
「彼女は俺の婚約者候補だ」
これこそ最もらしい言い訳だが、これ以上アルバートとエレノアが接近するのは阻止した方が良いと思った。
この男は危険だ。
彼女を見る瞳の奥に、決して肯定的とは言えない感情が垣間見える。
エレノアは最後まで想いが身を結ぶことはなかったと言っていたが、これはむしろ――
アルバートから離れる間際、フェリクスは彼を盗み見た。
「……っ」
帝国最強の名に恥じない、戦場の悪魔がそこには立っている。
視線だけで殺されると錯覚するほどの威圧。
自重が何倍にもなったかのように感じられた。
フェリクスは全身の神経を尖らせてそのプレッシャーに耐え、おもむろに口を開く。
「君にはウィルズ家の次女がいるはずだ」
その言葉に、アルバートの威圧がわずかに緩んだ。
フェリクスはその隙を逃さず、「今日はご苦労だった」と言って、彼の横をすり抜ける。
皇帝の下へ向かうフェリクスの後を、アルバートが追ってくることはなかった。
***
――どこかで生きていてほしいと、絵空事であっても願わずにはいられなかった。
エレノアの訃報を知らされたアルバートは約半年間、エレノアの死と魔神崇拝の真相を探るために四六時中働いていた。
公爵としての執務やソードマスターとしての騎士団の指導など、任されていた仕事に抜かりはなく、さらにその上で独自で調査を進めるものだから、彼の休息時間はないに等しかった。
しかし、調べても調べても、エレノアを陥れようとした組織の手がかりは掴めない。
それでもアルバートは何者かの策略だと信じ、調査を続けようとした。
そんな兄を見かねた双子が、執務室に飛び込んできて職務を取り上げるという暴挙に出た。
弟妹に心配をかけていたことを反省した彼は、ようやく落ち着きを取り戻し、エレノアに関する調査を一旦中止した。
真相を追うことを諦めたわけではなかったが、ルチアーナとルーカスを蔑ろにしていたことに気づき、家庭を顧みるようになった。
しかし、頭の片隅にはいつも失われた温もりがあった。
どれだけの時が過ぎようと、彼の心に開いた穴が塞がることはない。
そんなある日、アルバートはウィルズ子爵から頼まれ、夜会でアマンダをパートナーとして連れ添った。
ウィルズ家はエレノアの家族であることと、彼女が残した事業案だから、という理由で良好な関係を築いていた。
だが――
「私たちはいつもお姉様に困らされていたんです」
手を引いた義妹の口から語られたのは、聞くに堪えないエレノアへの誹謗中傷だった。
(ど、どうしてそんな捨てられた子犬のような目をするのかしら……)
初めて見る彼の表情に胸が締め付けられる。
おかしい。四年前の彼はほぼ初対面の人間に対してこんなに表情豊かだっただろうか。四年の間に何か大きな変化でもあったのか。
エレノアが困惑していると、隣から大きな咳払いが聞こえてきた。
「エリーがこう言ってるんだ。俺から見ても公爵は働きすぎに思う。今回は厚意に甘えたらどうだ」
フェリクスの助言に、アルバートは不本意そうではあったが、引き下がった。
「……承知しました。では明日、10時にお迎えに上がります」
エレノアはホッと胸を撫で下ろす。
屋敷ではルチアーナとルーカスが兄の帰りを待っているはず。
いくら侍女や執事がいると言っても、放っておくのは良くない。
ただでさえエレノアの護衛で屋敷に帰るのが遅くなっているだろうから。
「エリー、俺は皇帝陛下と少し話していくことがあるから、先に皇太子宮に戻ってくれ」
フェリクスからそう告げられ、エレノアは頷いた。
行きがけと同じように一緒に帰るつもりだったが、恐らくディレス男爵の裁判に関することがあるのだろう。
彼は貴族裁判の皇帝補佐として仕事を任されているから、最近はその準備でずっと忙しそうにしている。
(フェリクスも他人のことは言えない気がするけれど……)
エレノアの不安げな視線に気づいたフェリクスは、彼女の頭に優しく手を乗せた。
「すぐ戻るからそんなに不安そうな顔するな」
「……なっ、何も言っていませんが?」
良いように解釈されたことに気づき、エレノアの頬が熱くなる。
目の前にアルバートがいるというのに、この男は隙あらばからかってくる。
(もう、知らないわ)
「皇太子殿下、アルバート様、私はお先に失礼致します」
一礼し、エレノアはさっさと会場を後にする。
拗ねたエレノアの姿を、フェリクスがくすくすと肩を揺らして見ていたのは気づかないふりをした。
華奢な背中がホールを出て行ったのを見て、フェリクスは先程から肌を刺すような殺気を放っている男に目を向ける。
「……名前呼びを許すほど二人の親睦が深まっていたとは知らなかったな」
フェリクスが平静を装って笑うと、剣吞な色を帯びたアルバートの瞳が揺れる。
昨日までエレノアはアルバートのことを「公爵様」と呼んでいたはずだ。
にもかかわらず、彼女は先ほどアルバートのことを名前で呼んでいた。
フェリクスが知る限り、アルバートは簡単に名前呼びを許す人間じゃない。それも会ったばかりの異性に。
エレノアの過去を知る人間がいる限り、変装しても限界はあると思っていたが……。
(それでもここまで早く、勘づくものか?)
忠犬のように鼻が利くこの男に、フェリクスは思わず苦笑が漏れる。
「皇帝派筆頭の私とアスター様が親密であることをお見せしておくのは効果的なことですから」
もっともらしい言い訳だ。
「そうだな。……だが、一線を越えるなよ」
フェリクスはアルバートに一歩近づき、耳打ちをした。
「彼女は俺の婚約者候補だ」
これこそ最もらしい言い訳だが、これ以上アルバートとエレノアが接近するのは阻止した方が良いと思った。
この男は危険だ。
彼女を見る瞳の奥に、決して肯定的とは言えない感情が垣間見える。
エレノアは最後まで想いが身を結ぶことはなかったと言っていたが、これはむしろ――
アルバートから離れる間際、フェリクスは彼を盗み見た。
「……っ」
帝国最強の名に恥じない、戦場の悪魔がそこには立っている。
視線だけで殺されると錯覚するほどの威圧。
自重が何倍にもなったかのように感じられた。
フェリクスは全身の神経を尖らせてそのプレッシャーに耐え、おもむろに口を開く。
「君にはウィルズ家の次女がいるはずだ」
その言葉に、アルバートの威圧がわずかに緩んだ。
フェリクスはその隙を逃さず、「今日はご苦労だった」と言って、彼の横をすり抜ける。
皇帝の下へ向かうフェリクスの後を、アルバートが追ってくることはなかった。
***
――どこかで生きていてほしいと、絵空事であっても願わずにはいられなかった。
エレノアの訃報を知らされたアルバートは約半年間、エレノアの死と魔神崇拝の真相を探るために四六時中働いていた。
公爵としての執務やソードマスターとしての騎士団の指導など、任されていた仕事に抜かりはなく、さらにその上で独自で調査を進めるものだから、彼の休息時間はないに等しかった。
しかし、調べても調べても、エレノアを陥れようとした組織の手がかりは掴めない。
それでもアルバートは何者かの策略だと信じ、調査を続けようとした。
そんな兄を見かねた双子が、執務室に飛び込んできて職務を取り上げるという暴挙に出た。
弟妹に心配をかけていたことを反省した彼は、ようやく落ち着きを取り戻し、エレノアに関する調査を一旦中止した。
真相を追うことを諦めたわけではなかったが、ルチアーナとルーカスを蔑ろにしていたことに気づき、家庭を顧みるようになった。
しかし、頭の片隅にはいつも失われた温もりがあった。
どれだけの時が過ぎようと、彼の心に開いた穴が塞がることはない。
そんなある日、アルバートはウィルズ子爵から頼まれ、夜会でアマンダをパートナーとして連れ添った。
ウィルズ家はエレノアの家族であることと、彼女が残した事業案だから、という理由で良好な関係を築いていた。
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