離婚した彼女は死ぬことにした

はるかわ 美穂

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「……はい」

反応が遅れる。

これまではアスター様と呼ばれていたため、彼からエリーと呼ばれるのは新鮮だった。

「皇太子殿下と重なってしまいますが……今日のことは私も思うところがあります」

そう言った彼の表情は険しく、フェリクスに続いてお説教コースに突入したことを察する。

(もしかして、二人とも機嫌が悪かったのって、私が石を避けようとしなかったから?)

まさかアルバートにまで心配をかけていたとは思わず、エレノアは再び縮こまった。

一瞬、彼がエレノアの身を案じてくれたことを嬉しく思ってしまったが、少し考えれば合点がいった。

アルバートは皇帝の命を受けてエレノアを護衛しているのだから、護衛対象が積極的に怪我をしに行く姿は好ましくないだろう。

「申し訳ございません。……考えなしに行動したわけではありませんでしたが、結果的にアルバート様のお仕事を邪魔する形になってしまいました」

エレノアは深く反省し、頭を垂れる。

「私が言いたいのはそういうことではありません」

頭上から降ってきたため息に、エレノアの胸が痛む。

アルバートに失望されたかもしれない事実が何よりも恐ろしかった。

顔を上げられなくなったエレノアに、アルバートの手が伸びてくる。

自然と目の前の彼に視線を移したエレノアは、自身の髪が一束掬われていることに気づいた。

そしてその髪に、アルバートの形の良い唇が優しく押し付けられる。

目の前の光景がまるで別世界の出来事のように感じて、エレノアは放心した。

「エリー様。陛下の命などは関係ありません。私が、あなた様に健やかでいてほしいのです。だから今日のようなことはもうしないと約束してください」

切実なアルバートの瞳に、鼓動が暴れ出す。

「……は、はい」

これ以上彼の瞳を見ていたら吸い込まれてしまいそうで、エレノアは慌てて目を逸らした。

「お引止めしてしまいすみませんでした。どうぞお部屋でゆっくりお休みになられてください」

彼は髪を放した後、恭しく頭を下げる。そして、エレノアが部屋に入るのを見届ける前に去ってしまった。

エレノアは呆然としたまま彼の背中を見送る。

しばらく立ち尽くしてから中に入ると、扉を背にしてズルズルと座り込んだ。

頬が、熱い。

欲が出ないように端に追いやっていた感情が、自身の中で広がっていくのを感じる。

(……だめ、だめよ。彼と再会できただけで十分幸せって思ってたじゃない)

砂糖菓子のように柔らかくて甘い彼の瞳に、期待したくなってしまう。

もう一度、彼の隣に並びたいと思ってしまう。

だけど、あれは彼なりの優しさだ。伝承にある存在を、帝国の貴族として丁重に扱ってくれているだけだろう。

それに、偽りの姿で誰かと結ばれることなどあってはならない。

恋愛をするために首都に戻って来たわけじゃない。

他でもなく、アルバートを、そしてルチアーナやルーカスなど、大切な人を守るためにアスターとして戻って来たのだ。

(切り替えなきゃ)

痛む心臓を抑え、エレノアは自身の頬を叩いた。


***


「よし、じゃあ行ってくる」

朝食を食べ終えたフェリクスがソファから立ち上がる。

毎朝恒例の二人の朝食の時間が、今日はいつもより終わるのが早い。

「……ええ、行ってらっしゃいませ」

装飾が控えめな礼装の彼に、エレノアは緊張した面持ちで頷く。

降誕祭が終わってから二日。今日はついにディレス男爵の裁判が行われる。

エレノアは裁判に関わる権利はないため、今回の件はフェリクスに任せきりだ。

罪悪感と鼓舞が混じったエレノアの表情に気づいたのか、フェリクスは「うちのコックが作った菓子でも食べてゆっくり待ってろ」と笑う。

フェリクスは昨日、「降誕祭があったおかげで、ディレス男爵を救うための時間が十分にできた」と言っていた。

それに、パレードの日に受けた皇后から思いがけない妨害の仕返しをしてやる、とも。

彼の手腕はエレノアもよく知っている。

フェリクスがやると言葉にしたのだから、不安な顔をして待つのは失礼だ。

皇后の思惑を阻止する仲間として、彼のことを信じて待とう。

「はい。紅茶を飲みながら、ゆっくり裁判の結果を待とうと思います」

「ああ、そうしろ」

彼はそう言って、シワ一つないコートを翻して部屋を出て行った。

エレノアも早々に食事を終え、自室へと戻る。

どんと構えて結果を待つ、とは決めたものの、何もしないでいると、考えてもどうにもならないことをグルグルと考えてしまいそうだった。

「図書館に行きましょう」

本を読んでいれば無駄なことも考えなくて済むはずだ。

さっそく支度をして部屋を出ると、いつの間にか護衛が待機していた。

「おはよう、グレイソン卿」

降誕祭後、正式にアスターの護衛を務めてくれることとなった、近衛騎士団の一人だ。

オリーブ色の髪の彼は元平民らしいが、剣の腕を見込まれ男爵の位を授かった優秀な騎士だ。

「おはようございます、アスター様。本日はどちらへ?」

「図書館に行こうと思ってるの」

「承知しました。お供いたします」

グレイソンは、一定の距離を保ちながらエレノアの後ろにぴったりとくっつく。

(彼にはずっと護衛されていても気にならないのよね)

エレノアは内心苦笑した。

アルバートという存在を自分がどれだけ意識していたのか痛感する。

彼は今恐らく、しばらく離れ離れになっていたルチアーナやルーカスと家族水入らずの時間を過ごしているだろう。

双子の姿を思い浮かべると、エレノアは無性に二人に会いたくなった。

回帰前の二人の成長した姿は知っているけれど、回帰後の今頃の双子の姿はまだ見れていない。

(病気なく、健康に育ってらっしゃるかしらね)

二人のことに想いを馳せながら歩いていると、すぐに皇室図書館に到着した。

衛兵はエレノアの姿を見ると丁寧に頭を下げる。

どうやらあの無礼な衛兵は外されているようだ。

足止めを食らわなかったことに安堵しながら図書館に入る。

日当たりの良い読書席を探して歩いていると、本棚に囲まれた奥の席に、一人ぽつんと腰かけている人物を見つけた。

(……う、何でここにいるのかしら)

エレノアはその人物を見て、思わず顔をしかめた。
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