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今日夕食に呼ばれたのは、初仕事の件が理由だと思っていた。
けど違った。皇帝が今日エレノアを夕食に呼んだ本当の理由は――
(……この話をするためだったのね)
皇帝は皇后が魔神教団と手を組んでいることまでは気づいていないだろう。
しかし、ハーベン子爵の件で皇后が怪しい動きをしていることは分かっているはず。
皇帝派の勢いを強め、貴族派を牽制するための策略だろう。
「へ、陛下。いくらなんでもそれは性急なのではないですか」
皇后の顔が引きつっている。
「朕はそうは思わん。今や多くの帝国民が二人の婚約を望んでいるのだから、妥当な決定だ」
フェリクスを盗み見ると、彼は神妙な面持ちをしていた。
皇帝の決定である以上、ここで異を唱えるのは難しい。
「皇太子殿下とのご婚約とは、身に余る光栄です。謹んでお受け致します」
エレノアは込み上げる感情を抑え込み、微笑を浮かべた。
「悪い。俺も婚約の件は予想できなかった」
夕食後、フェリクスは何の責任もないのに謝って来た。
「どうしてフェリクスが謝るの。いずれはこうなっていただろうし、政治の都合上仕方ないことでしょう」
むしろ皇帝が変わらずこちら側を支持してくれていることを幸運に思うべきだ。
皇帝と対立していたら三竦みになり、今よりずっと動きづらくなっていたはず。
「……本当に良いのか?」
いつもよりトーンの低い声だった。
「見ず知らずの人とする婚約より、これまで一緒に戦ってきたあなたとする方がずっといいわね」
「俺が言いたいのはそういうことじゃなくて……はぁ。もういい。とりあえず初任務に控えてしっかり休んどけよ」
エレノアが微笑を崩さないことに呆れた様子のフェリクスは、踵を返して自分の部屋へ向かった。
「……変なこと聞くわね」
一人になった部屋で呟きながら、ベッドに転がる。
フェリクスと婚約することに不満なんてない。
行き遅れた令嬢によくある、歳の離れた寡夫の後妻じゃないだけで、十分恵まれている。
それどころか彼は帝国の皇太子な上に容姿端麗、性格は……一部難ありだが、人のことをよく見ているし、頼りになる。
結婚相手として、文句のつけどころがない人物だ。
皇族との婚約が成立すれば、よほどのことがない限り破棄は不可能。
それはつまり、このまま何事もなければ、エレノアはエリーとして彼と結婚し、この国の母となり、跡継ぎを産むのだろう。
(どうしてさっきから、アルバート様の顔が浮かぶの……)
彼に必要以上に近づかないと決めたのは自分だ。
だから、あの頃の思い出も、彼自身のことも、恋しく思う資格なんてない。
エレノアは痛いくらいにクッションを抱きしめ、顔を埋めた。
***
初仕事当日。
エレノアは朝早くに首都の神殿を訪れた。
「お待ちしておりました。アスター様、お目にかかれて光栄でございます」
首都の神殿のトップであるパウロ大司教が挨拶に出迎えてくれる。
「本日はよろしくお願いいたします」
エレノアも恭しく頭を下げると、彼は恐縮した。
「いやはや、さすがアクアィヤ様の代理人でいらっしゃる。謙虚なお方だ」
始まりは和やかなムードだ。
「では、本日の付添人が待つ部屋へ移動しましょう。そこで本日の仕事内容の説明もさせて頂きます」
促され、奥の部屋へと進む。
四年前にサミュエルに言われるがままここに通っていたことを思い出す。
神殿内部はあの頃から変わっていない。
通された部屋には、錚々たる顔ぶれが並んでいた。
みなアスターを見た瞬間にかしこまり、頭を垂れる。
「女神アクアィヤの使徒がアスター様にご挨拶申し上げます」
十人前後だろうか。制服を見る限り、ここに居るのは全員、高位神官以上の階級だ。
そしてその中に一人、一際エレノアの目を引く人物がいる。
漆黒の髪にアーモンド色の瞳をした神官――サミュエル。
(久しぶりね)
この四年の間で彼は大神官へ昇級し、さらに地位を高めている。
民心を得てここまで昇りつめた男を処分するのは骨が折れるだろうが、うまくやってみせる。これ以上犠牲者を出さないためにも。
「では全員揃ったので、説明を始めましょう」
大司教がそう言って前に立つ。
神殿における重要な仕事の一つが、月に一度行われる井戸水の浄化だ。
首都エリアを四つに分け、それぞれを三人一組になった大神官や司教たちが浄化して回る。
一つの井戸の浄化を終えるたび、水質に問題がないか、バディの神官に確かめてもらう必要がある。
自分たちのエリアの井戸水を全て浄化し終えれば、任務は終了だ。
「今回は、降誕祭以降初めてアスター様が民の前に姿を現す機会ですから、民の関心も強まっていることでしょう。ですが、私たちは女神様の使徒らしく、真摯な心で仕事に当たるまでです。よろしいですね」
揃った返事の声が上がる。
「アスター様のバディは、この者が務めます。どうかよろしくお願いいたします」
大司教から紹介されたのは、エレノアが見たことのない大神官だった。
ちらりと視線を逸らし、サミュエルの姿を捉える。
「パウロ大司教、大変不躾なお願いかとは思いますが……バディを指定しても構いませんか」
「ほう。ご希望の神官がおられるのですか」
「はい」
エレノアはニッコリ微笑み、目当ての人物を示した。
「サミュエル様にお願いしたいと思います」
今日こそが絶好のチャンスだ。
――必ず、あの男から指輪を奪う。
けど違った。皇帝が今日エレノアを夕食に呼んだ本当の理由は――
(……この話をするためだったのね)
皇帝は皇后が魔神教団と手を組んでいることまでは気づいていないだろう。
しかし、ハーベン子爵の件で皇后が怪しい動きをしていることは分かっているはず。
皇帝派の勢いを強め、貴族派を牽制するための策略だろう。
「へ、陛下。いくらなんでもそれは性急なのではないですか」
皇后の顔が引きつっている。
「朕はそうは思わん。今や多くの帝国民が二人の婚約を望んでいるのだから、妥当な決定だ」
フェリクスを盗み見ると、彼は神妙な面持ちをしていた。
皇帝の決定である以上、ここで異を唱えるのは難しい。
「皇太子殿下とのご婚約とは、身に余る光栄です。謹んでお受け致します」
エレノアは込み上げる感情を抑え込み、微笑を浮かべた。
「悪い。俺も婚約の件は予想できなかった」
夕食後、フェリクスは何の責任もないのに謝って来た。
「どうしてフェリクスが謝るの。いずれはこうなっていただろうし、政治の都合上仕方ないことでしょう」
むしろ皇帝が変わらずこちら側を支持してくれていることを幸運に思うべきだ。
皇帝と対立していたら三竦みになり、今よりずっと動きづらくなっていたはず。
「……本当に良いのか?」
いつもよりトーンの低い声だった。
「見ず知らずの人とする婚約より、これまで一緒に戦ってきたあなたとする方がずっといいわね」
「俺が言いたいのはそういうことじゃなくて……はぁ。もういい。とりあえず初任務に控えてしっかり休んどけよ」
エレノアが微笑を崩さないことに呆れた様子のフェリクスは、踵を返して自分の部屋へ向かった。
「……変なこと聞くわね」
一人になった部屋で呟きながら、ベッドに転がる。
フェリクスと婚約することに不満なんてない。
行き遅れた令嬢によくある、歳の離れた寡夫の後妻じゃないだけで、十分恵まれている。
それどころか彼は帝国の皇太子な上に容姿端麗、性格は……一部難ありだが、人のことをよく見ているし、頼りになる。
結婚相手として、文句のつけどころがない人物だ。
皇族との婚約が成立すれば、よほどのことがない限り破棄は不可能。
それはつまり、このまま何事もなければ、エレノアはエリーとして彼と結婚し、この国の母となり、跡継ぎを産むのだろう。
(どうしてさっきから、アルバート様の顔が浮かぶの……)
彼に必要以上に近づかないと決めたのは自分だ。
だから、あの頃の思い出も、彼自身のことも、恋しく思う資格なんてない。
エレノアは痛いくらいにクッションを抱きしめ、顔を埋めた。
***
初仕事当日。
エレノアは朝早くに首都の神殿を訪れた。
「お待ちしておりました。アスター様、お目にかかれて光栄でございます」
首都の神殿のトップであるパウロ大司教が挨拶に出迎えてくれる。
「本日はよろしくお願いいたします」
エレノアも恭しく頭を下げると、彼は恐縮した。
「いやはや、さすがアクアィヤ様の代理人でいらっしゃる。謙虚なお方だ」
始まりは和やかなムードだ。
「では、本日の付添人が待つ部屋へ移動しましょう。そこで本日の仕事内容の説明もさせて頂きます」
促され、奥の部屋へと進む。
四年前にサミュエルに言われるがままここに通っていたことを思い出す。
神殿内部はあの頃から変わっていない。
通された部屋には、錚々たる顔ぶれが並んでいた。
みなアスターを見た瞬間にかしこまり、頭を垂れる。
「女神アクアィヤの使徒がアスター様にご挨拶申し上げます」
十人前後だろうか。制服を見る限り、ここに居るのは全員、高位神官以上の階級だ。
そしてその中に一人、一際エレノアの目を引く人物がいる。
漆黒の髪にアーモンド色の瞳をした神官――サミュエル。
(久しぶりね)
この四年の間で彼は大神官へ昇級し、さらに地位を高めている。
民心を得てここまで昇りつめた男を処分するのは骨が折れるだろうが、うまくやってみせる。これ以上犠牲者を出さないためにも。
「では全員揃ったので、説明を始めましょう」
大司教がそう言って前に立つ。
神殿における重要な仕事の一つが、月に一度行われる井戸水の浄化だ。
首都エリアを四つに分け、それぞれを三人一組になった大神官や司教たちが浄化して回る。
一つの井戸の浄化を終えるたび、水質に問題がないか、バディの神官に確かめてもらう必要がある。
自分たちのエリアの井戸水を全て浄化し終えれば、任務は終了だ。
「今回は、降誕祭以降初めてアスター様が民の前に姿を現す機会ですから、民の関心も強まっていることでしょう。ですが、私たちは女神様の使徒らしく、真摯な心で仕事に当たるまでです。よろしいですね」
揃った返事の声が上がる。
「アスター様のバディは、この者が務めます。どうかよろしくお願いいたします」
大司教から紹介されたのは、エレノアが見たことのない大神官だった。
ちらりと視線を逸らし、サミュエルの姿を捉える。
「パウロ大司教、大変不躾なお願いかとは思いますが……バディを指定しても構いませんか」
「ほう。ご希望の神官がおられるのですか」
「はい」
エレノアはニッコリ微笑み、目当ての人物を示した。
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――必ず、あの男から指輪を奪う。
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