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「……わかりました。アスター様の言う通りにしましょう」
サミュエルは微笑み、中指から指輪を外した。
エレノアは跳ねる心臓を抑えながら「ありがとうございます」と頭を下げる。
(……乗ったわね)
「では私がお預かりしておきます」
ベイジルがサミュエルの前に手の平を出す。
神官の制服には指輪を収めておくようなポッケはない。
指輪を持ったまま浄化式を続けるわけにはいかないだろう。
だから――
「……お願いするよ」
「はい。責任を持って保管致します」
付添人が持つトランクに預けるしかない。
ベイジルが指輪をしまうところを見ながら、エレノアはさらに気を引き締めた。
ここまでは計画通りだ。
後は無事に浄化式を終えて神殿に戻るだけ。
「お詫びにもならないかもしれませんが……無理を言ってしまいましたし、これから先は私が浄化しますね」
サミュエルの眉がピクリと動く。
指輪がなくなれば彼は神聖力を使えない。だから井戸水を浄化できなくなる。
今の言葉で、こちらが指輪の秘密を握っていることは彼も理解しただろう。
(まぁ、セランを失った時点でこの情報が漏れていることは予想してたでしょうけど)
「いえ、アスター様だけに負担をかけるわけにはいきませんから、変わらず交互で浄化しましょう」
サミュエルの顔に焦りは浮かんでいなかった。
エレノアの脳内で、やっぱり、という言葉が浮かぶ。
他人から多くの力を搾取して大神官にまで上り詰めた男だ。指輪以外にも魔道具を持っていると考えるのが妥当だろう。
しかし、十中八九指輪も大切な商売道具のうちの1つ。内心穏やかでないではないはずだ。
「そうですか。では、お願いします」
エレノアはサミュエルの調子に合わせることにした。
それから残りの二つをつつがなく浄化し終え、エレノアたちは神殿への帰路を辿る。
道中、エレノアは懐かしい気持ちで周囲を見渡した。
(この道……)
ウィルズ家の邸宅があったのはちょうどこの辺りだ。
神殿へ向かう道には面していないだろうが、少し逸れればかつての生家がある。
あの家には嫌な思い出しかないのに、風景を懐かしむ心があることに自分でも驚く。
(過去のことだもの。もう私には関係ないことよ)
気持ちを切り替えて前を向いた時、進行を妨げる一つの影が飛び出してきた。
「アスター様!どうか娘をお助けください!」
それは、貧相な身なりをした中年の女性だった。
「誰の道を塞いでいるか、理解しておられますか!」
すぐさまベイジルが前に出て、地面に額をこすりつける女性を𠮟責する。
「重々承知しております!大変無礼であることも、わかっております!ですが、お願いします!娘を助けて頂けませんか!一刻を争うのです!」
「アスター様はお仕事中です。あなただけを特別扱いするわけには――」
「ベイジル様」
エレノアの制止に、彼は困惑した表情を浮かべる。
「少しお話を聞いてみましょう。火急の用みたいですから」
ベイジルは「しかし……」と食い下がったが、視線で強く訴えかければ引き下がってくれた。
「一刻を争うとは、どういうことなんでしょうか」
「むすめ、娘が……転倒して頭を打ってしまったせいなのか。息をしていないのです。体もどんどん冷たくなってきていて……。頭がパニックになった時、そういえば今日この近くの井戸にアスター様が来られることを思い出し、慌ててここまでやって来たのです」
「そうでしたか……。それは確かに一刻を争う状況ですね。場所はどこですか」
「来て頂けるのですか」
母親は涙をボロボロと零している。エレノアは優しく微笑んで頷いた。
神殿に戻るのは少し遅くなってしまうが、サミュエルの件についてはベイジルたちがうまく繋いでくれるだろう。
「アスター様、いけません!そんなことをされれば、他の市民に示しがつかなくなります!」
険しい顔をするベイジルに、エレノアは「そうですね」と頷く。
そして母親に再び視線を戻した。
「神官の治療を受けるには事前に申し出が必要です。その申し出をすっ飛ばし、他の方より優先してもらうこと。そして、神官を派遣するということ。この二つだけでも莫大な金額がかかります。そうですね……。金貨100枚はくだらないでしょうか。それでもあなたは、娘さんを助けたいと願いますか?」
金貨100枚は平民が生涯働いても返せるかどうか怪しい金額だ。
これから先、働いても働いてもお金が消えていくような、貧しい生活が待っているだろう。
エレノア自身も、ここでこの女性を特別扱いすれば、キリがなくなるということはわかっている。
だから、周囲を納得させるためのパフォーマンスが必要だった。
待ち受けているであろう未来に、女性の表情が一瞬揺らいだ。
しかし、すぐに覚悟を決めたものに変わる。
「構いません。娘を救ってくださるのなら、たとえ一生かかったとしても、金貨100枚をお返し致します」
エレノアはもう一度微笑んだ。
「素晴らしい覚悟ですね。わかりました。では向かいましょう」
「な、ならば私が向かいます。アスター様を行かせるわけには参りませんから」
ベイジルが再び前に出る。その瞬間、母親の顔が曇った。
「あ、申し訳ございません。男性は……」
「私も高位神官です。不足はないかと」
「その、大変申し上げにくいのですが……娘が気を失った場所がお風呂場なのです」
ベイジルがわかりやすく硬直した。
(なるほど。娘さんは裸の状態なのね)
一刻を争う状況で性別のことなど言っていられないとは思うが、できるなら女性に見てもらいたいというのが親心だろう。
「私が適任ですね。こうしている間にも娘さんは危険な状態になっているはず。急ぎましょう」
「あ、案内致します」
女性はすぐに立ち上がり、狭い路地の方へ走り出した。
エレノアはベイジルに目配せをして頷く。
彼ならフェリクスにうまいこと言っておいてくれるだろう。
先ほどから黙り込んでいるサミュエルの表情は、やっぱり何を考えているのか読めなかった。
正直、この状況で女性を怪しく思わないわけではない。
しかし、彼女の涙を嘘だと思いたくない。もし本当に娘が危篤なのなら、助けてあげたい。
(とりあえず今は急がないと)
エレノアは女性が消えた路地の方へ走り出した。
サミュエルは微笑み、中指から指輪を外した。
エレノアは跳ねる心臓を抑えながら「ありがとうございます」と頭を下げる。
(……乗ったわね)
「では私がお預かりしておきます」
ベイジルがサミュエルの前に手の平を出す。
神官の制服には指輪を収めておくようなポッケはない。
指輪を持ったまま浄化式を続けるわけにはいかないだろう。
だから――
「……お願いするよ」
「はい。責任を持って保管致します」
付添人が持つトランクに預けるしかない。
ベイジルが指輪をしまうところを見ながら、エレノアはさらに気を引き締めた。
ここまでは計画通りだ。
後は無事に浄化式を終えて神殿に戻るだけ。
「お詫びにもならないかもしれませんが……無理を言ってしまいましたし、これから先は私が浄化しますね」
サミュエルの眉がピクリと動く。
指輪がなくなれば彼は神聖力を使えない。だから井戸水を浄化できなくなる。
今の言葉で、こちらが指輪の秘密を握っていることは彼も理解しただろう。
(まぁ、セランを失った時点でこの情報が漏れていることは予想してたでしょうけど)
「いえ、アスター様だけに負担をかけるわけにはいきませんから、変わらず交互で浄化しましょう」
サミュエルの顔に焦りは浮かんでいなかった。
エレノアの脳内で、やっぱり、という言葉が浮かぶ。
他人から多くの力を搾取して大神官にまで上り詰めた男だ。指輪以外にも魔道具を持っていると考えるのが妥当だろう。
しかし、十中八九指輪も大切な商売道具のうちの1つ。内心穏やかでないではないはずだ。
「そうですか。では、お願いします」
エレノアはサミュエルの調子に合わせることにした。
それから残りの二つをつつがなく浄化し終え、エレノアたちは神殿への帰路を辿る。
道中、エレノアは懐かしい気持ちで周囲を見渡した。
(この道……)
ウィルズ家の邸宅があったのはちょうどこの辺りだ。
神殿へ向かう道には面していないだろうが、少し逸れればかつての生家がある。
あの家には嫌な思い出しかないのに、風景を懐かしむ心があることに自分でも驚く。
(過去のことだもの。もう私には関係ないことよ)
気持ちを切り替えて前を向いた時、進行を妨げる一つの影が飛び出してきた。
「アスター様!どうか娘をお助けください!」
それは、貧相な身なりをした中年の女性だった。
「誰の道を塞いでいるか、理解しておられますか!」
すぐさまベイジルが前に出て、地面に額をこすりつける女性を𠮟責する。
「重々承知しております!大変無礼であることも、わかっております!ですが、お願いします!娘を助けて頂けませんか!一刻を争うのです!」
「アスター様はお仕事中です。あなただけを特別扱いするわけには――」
「ベイジル様」
エレノアの制止に、彼は困惑した表情を浮かべる。
「少しお話を聞いてみましょう。火急の用みたいですから」
ベイジルは「しかし……」と食い下がったが、視線で強く訴えかければ引き下がってくれた。
「一刻を争うとは、どういうことなんでしょうか」
「むすめ、娘が……転倒して頭を打ってしまったせいなのか。息をしていないのです。体もどんどん冷たくなってきていて……。頭がパニックになった時、そういえば今日この近くの井戸にアスター様が来られることを思い出し、慌ててここまでやって来たのです」
「そうでしたか……。それは確かに一刻を争う状況ですね。場所はどこですか」
「来て頂けるのですか」
母親は涙をボロボロと零している。エレノアは優しく微笑んで頷いた。
神殿に戻るのは少し遅くなってしまうが、サミュエルの件についてはベイジルたちがうまく繋いでくれるだろう。
「アスター様、いけません!そんなことをされれば、他の市民に示しがつかなくなります!」
険しい顔をするベイジルに、エレノアは「そうですね」と頷く。
そして母親に再び視線を戻した。
「神官の治療を受けるには事前に申し出が必要です。その申し出をすっ飛ばし、他の方より優先してもらうこと。そして、神官を派遣するということ。この二つだけでも莫大な金額がかかります。そうですね……。金貨100枚はくだらないでしょうか。それでもあなたは、娘さんを助けたいと願いますか?」
金貨100枚は平民が生涯働いても返せるかどうか怪しい金額だ。
これから先、働いても働いてもお金が消えていくような、貧しい生活が待っているだろう。
エレノア自身も、ここでこの女性を特別扱いすれば、キリがなくなるということはわかっている。
だから、周囲を納得させるためのパフォーマンスが必要だった。
待ち受けているであろう未来に、女性の表情が一瞬揺らいだ。
しかし、すぐに覚悟を決めたものに変わる。
「構いません。娘を救ってくださるのなら、たとえ一生かかったとしても、金貨100枚をお返し致します」
エレノアはもう一度微笑んだ。
「素晴らしい覚悟ですね。わかりました。では向かいましょう」
「な、ならば私が向かいます。アスター様を行かせるわけには参りませんから」
ベイジルが再び前に出る。その瞬間、母親の顔が曇った。
「あ、申し訳ございません。男性は……」
「私も高位神官です。不足はないかと」
「その、大変申し上げにくいのですが……娘が気を失った場所がお風呂場なのです」
ベイジルがわかりやすく硬直した。
(なるほど。娘さんは裸の状態なのね)
一刻を争う状況で性別のことなど言っていられないとは思うが、できるなら女性に見てもらいたいというのが親心だろう。
「私が適任ですね。こうしている間にも娘さんは危険な状態になっているはず。急ぎましょう」
「あ、案内致します」
女性はすぐに立ち上がり、狭い路地の方へ走り出した。
エレノアはベイジルに目配せをして頷く。
彼ならフェリクスにうまいこと言っておいてくれるだろう。
先ほどから黙り込んでいるサミュエルの表情は、やっぱり何を考えているのか読めなかった。
正直、この状況で女性を怪しく思わないわけではない。
しかし、彼女の涙を嘘だと思いたくない。もし本当に娘が危篤なのなら、助けてあげたい。
(とりあえず今は急がないと)
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