14 / 49
1日目
14
しおりを挟む
「あれ、啓太?……って、真緒もおるやん。珍しいな」
群衆の中からこちらに気づいて声をかけてきた一人の青年。
その顔には見覚えがあった。
「颯?」
私の問いかけに青年は「おう」と頷く。
天使の輪っかが光る濡れ羽色の黒髪に、スッと通った鼻筋。弧を描く薄い唇から覗く歯は白く、清潔感がある。
颯は中学生の時からイケメンの部類に入るとは思っていたが、成人して精悍な顔つきになったせいか、さらにモテそうな容姿に成長している。
彼と会うのは成人式以来だ。と言っても私は式でほとんど異性と話さなかったので、こうして面と向かって話すのは中学校の卒業ぶりに等しい。
「二人も同じ電車乗ってたんやな」
言いながら改札の方へ進んでいく颯。階段の降り口で立ち話をするわけにもいかないので、私と啓太も自然と改札へ向かった。
颯の言葉に「うん」と応えながら、私は一つのある可能性を頭の中で除外した。
『知り合いの顔が全て鹿に見える可能性』
人間関係に疲れてしまった故に私が考えた、『人も鹿みたいに単純なら良いのに』という願いごと。
その結果、知り合いの顔が鹿に見えてしまう暗示にかかったのかと思ったけど、颯の顔はちゃんと見えている。
それに、颯が『金森啓太』という人間を正しく認識しているのを見るに、一連の不思議な現象の原因は全て私にあることが確実になった。
啓太は私が作り出した幻覚でも、私を惑わそうとする謎の人物でもない。
ただ、『私が金森啓太を忘れてしまった』というだけ。
数日前に聞いた啓太の傷ついた声音が蘇って、ズシンと心が重くなる。
「ていうか、二人でどっか行ってたんか?」
颯は興味深そうに私たちの顔を交互に見てくる。
私が啓太のことを忘れているから、その記憶を思い出すための手伝いをしてもらっていた、なんて本当のことはさすがに言えない。
答えに迷って啓太の方を見ると、彼は無駄に高いテンションで口を開いた。
「いやぁ、まさか!俺と真緒もたまたま同じ電車乗ってただけやで」
啓太の口からあからさまな嘘が飛び出すと思っていなかった私は、思わず彼の顔を勢い良く見てしまった。
私の視線には気づいているはずなのに、啓太は知らないふりでヘラヘラ笑っている。
啓太の顔を見て、不安な気持ちがぶり返した。
私と一緒に出かけてたって知られるのが、恥ずかしいのかな。
普段の私だったら相手にも事情があるのかもしれないと思って深く考えないようにする。
だけど、なぜかこの時ばかりはそれが出来なくて、ただ悲しみと不安でいっぱいになった。
呆然としながら、改札を通るために一歩後ろに下がる。二人が改札を通ったのに続いて、私もICカードをかざした。
その時――
「やっぱそうか。お前ら別れてからずっと疎遠やったもんな。一瞬より戻したんかと思ってビビったわぁ」
ピ、というタッチ音がやけに大きく響いた。
「……え」
颯の言葉の意味が理解できず、視線がさまよう。
なにか、想像もしていなかった言葉が颯の口から紡がれた気がした。
とっさに啓太の顔を見ると、目が合った。
相変わらず鹿の顔だと表情が読みづらいけど、いい表情をしていないことだけはわかった。
「知らん間にくっついたと思ったら、知らん間に別れとったからなぁ、お前ら。懐かしいわ」
颯は昔のことに思いを馳せているのか、感慨深い様子で頷く。
私は知らない。その過去を――覚えていない。
「そういえば、中学ん時の山セン結婚したらしいな」
颯は私と啓太の間に流れる微妙な空気に気づくことなく話題を切り替える。
思ったことをそのまま口に出す颯の性質は昔のままらしい。
理解が追いつかない状態で適当に相槌を打ってみれば、颯は楽しそうに思い出話に花を咲かせた。
必然的に颯とも帰路を辿ることになり、三人で数分間同じ道を辿った後、一番初めに颯が分かれる道がやって来た。
「久しぶりに話せて良かったわ。またな」
笑顔でそう言った颯に手を振り、彼の背中を見送る。
ここまでの道中、啓太はずっと静かだった。
二人きりになるとさらに重たい静寂が私たちを包み、呼吸まで圧迫されてしまいそうになる。
「……ごめん」
口を開いたのは啓太が先だった。
些細な表情の変化はわからずとも、その声色から彼が酷く落ち込んでいることは十分にわかった。
どうして彼は、私との関係を隠していたんだろうか。
「……私と啓太が付き合ってたってことを言わなかったのは、敢えて?」
私の言葉に、啓太がゆっくりと視線を上げる。
交わった視線の先、黒に覆われた丸い瞳が揺らいでいるように見えた。泣いているのだろうか。
「……ホンマにごめん。怖かったんや」
聞いたことがない程に弱々しい啓太の声。
「確かに俺と真緒は付き合ってた。でも……最悪な別れ方をした」
「最悪な別れ方?」
「そうや。俺が……お前に酷いこと言って、めちゃくちゃに傷つけて別れた」
一体どんなことを言ったのか。その続きを促すように啓太の目を見つめ返したが、彼は緩く首を振るだけ。
「だからお前と再会して、お前が俺のこと忘れてるってわかった時、俺のせいなんかもしれんと思った。真緒の中で俺の記憶は悪いものでしかないから、忘れられてるんかもって」
この記憶喪失に啓太自身に心当たりはないのかと問いかけた時、彼はなんでもないように答えていた。
だけどあの時、心中ではそんなことを考えていたのか。
「だから、真緒が俺のことを忘れたいほど憎んでたんやったら、そのままにしといた方がええんやないかって思った。いや、それは建前か。俺が酷いことしたやつやって真緒にまた知られんのが……俺は怖かった」
啓太の独白が夕暮れの空気に消えていく。その時、私はひとつの矛盾に気がついた。
「……じゃあ何で、今日は私に付き合ってくれたの?」
そう問いかけると、伏せられていた啓太の黒い瞳に、さらに影が落ちた。
群衆の中からこちらに気づいて声をかけてきた一人の青年。
その顔には見覚えがあった。
「颯?」
私の問いかけに青年は「おう」と頷く。
天使の輪っかが光る濡れ羽色の黒髪に、スッと通った鼻筋。弧を描く薄い唇から覗く歯は白く、清潔感がある。
颯は中学生の時からイケメンの部類に入るとは思っていたが、成人して精悍な顔つきになったせいか、さらにモテそうな容姿に成長している。
彼と会うのは成人式以来だ。と言っても私は式でほとんど異性と話さなかったので、こうして面と向かって話すのは中学校の卒業ぶりに等しい。
「二人も同じ電車乗ってたんやな」
言いながら改札の方へ進んでいく颯。階段の降り口で立ち話をするわけにもいかないので、私と啓太も自然と改札へ向かった。
颯の言葉に「うん」と応えながら、私は一つのある可能性を頭の中で除外した。
『知り合いの顔が全て鹿に見える可能性』
人間関係に疲れてしまった故に私が考えた、『人も鹿みたいに単純なら良いのに』という願いごと。
その結果、知り合いの顔が鹿に見えてしまう暗示にかかったのかと思ったけど、颯の顔はちゃんと見えている。
それに、颯が『金森啓太』という人間を正しく認識しているのを見るに、一連の不思議な現象の原因は全て私にあることが確実になった。
啓太は私が作り出した幻覚でも、私を惑わそうとする謎の人物でもない。
ただ、『私が金森啓太を忘れてしまった』というだけ。
数日前に聞いた啓太の傷ついた声音が蘇って、ズシンと心が重くなる。
「ていうか、二人でどっか行ってたんか?」
颯は興味深そうに私たちの顔を交互に見てくる。
私が啓太のことを忘れているから、その記憶を思い出すための手伝いをしてもらっていた、なんて本当のことはさすがに言えない。
答えに迷って啓太の方を見ると、彼は無駄に高いテンションで口を開いた。
「いやぁ、まさか!俺と真緒もたまたま同じ電車乗ってただけやで」
啓太の口からあからさまな嘘が飛び出すと思っていなかった私は、思わず彼の顔を勢い良く見てしまった。
私の視線には気づいているはずなのに、啓太は知らないふりでヘラヘラ笑っている。
啓太の顔を見て、不安な気持ちがぶり返した。
私と一緒に出かけてたって知られるのが、恥ずかしいのかな。
普段の私だったら相手にも事情があるのかもしれないと思って深く考えないようにする。
だけど、なぜかこの時ばかりはそれが出来なくて、ただ悲しみと不安でいっぱいになった。
呆然としながら、改札を通るために一歩後ろに下がる。二人が改札を通ったのに続いて、私もICカードをかざした。
その時――
「やっぱそうか。お前ら別れてからずっと疎遠やったもんな。一瞬より戻したんかと思ってビビったわぁ」
ピ、というタッチ音がやけに大きく響いた。
「……え」
颯の言葉の意味が理解できず、視線がさまよう。
なにか、想像もしていなかった言葉が颯の口から紡がれた気がした。
とっさに啓太の顔を見ると、目が合った。
相変わらず鹿の顔だと表情が読みづらいけど、いい表情をしていないことだけはわかった。
「知らん間にくっついたと思ったら、知らん間に別れとったからなぁ、お前ら。懐かしいわ」
颯は昔のことに思いを馳せているのか、感慨深い様子で頷く。
私は知らない。その過去を――覚えていない。
「そういえば、中学ん時の山セン結婚したらしいな」
颯は私と啓太の間に流れる微妙な空気に気づくことなく話題を切り替える。
思ったことをそのまま口に出す颯の性質は昔のままらしい。
理解が追いつかない状態で適当に相槌を打ってみれば、颯は楽しそうに思い出話に花を咲かせた。
必然的に颯とも帰路を辿ることになり、三人で数分間同じ道を辿った後、一番初めに颯が分かれる道がやって来た。
「久しぶりに話せて良かったわ。またな」
笑顔でそう言った颯に手を振り、彼の背中を見送る。
ここまでの道中、啓太はずっと静かだった。
二人きりになるとさらに重たい静寂が私たちを包み、呼吸まで圧迫されてしまいそうになる。
「……ごめん」
口を開いたのは啓太が先だった。
些細な表情の変化はわからずとも、その声色から彼が酷く落ち込んでいることは十分にわかった。
どうして彼は、私との関係を隠していたんだろうか。
「……私と啓太が付き合ってたってことを言わなかったのは、敢えて?」
私の言葉に、啓太がゆっくりと視線を上げる。
交わった視線の先、黒に覆われた丸い瞳が揺らいでいるように見えた。泣いているのだろうか。
「……ホンマにごめん。怖かったんや」
聞いたことがない程に弱々しい啓太の声。
「確かに俺と真緒は付き合ってた。でも……最悪な別れ方をした」
「最悪な別れ方?」
「そうや。俺が……お前に酷いこと言って、めちゃくちゃに傷つけて別れた」
一体どんなことを言ったのか。その続きを促すように啓太の目を見つめ返したが、彼は緩く首を振るだけ。
「だからお前と再会して、お前が俺のこと忘れてるってわかった時、俺のせいなんかもしれんと思った。真緒の中で俺の記憶は悪いものでしかないから、忘れられてるんかもって」
この記憶喪失に啓太自身に心当たりはないのかと問いかけた時、彼はなんでもないように答えていた。
だけどあの時、心中ではそんなことを考えていたのか。
「だから、真緒が俺のことを忘れたいほど憎んでたんやったら、そのままにしといた方がええんやないかって思った。いや、それは建前か。俺が酷いことしたやつやって真緒にまた知られんのが……俺は怖かった」
啓太の独白が夕暮れの空気に消えていく。その時、私はひとつの矛盾に気がついた。
「……じゃあ何で、今日は私に付き合ってくれたの?」
そう問いかけると、伏せられていた啓太の黒い瞳に、さらに影が落ちた。
0
あなたにおすすめの小説
忘れ去られた婚約者
かべうち右近
恋愛
『僕はレベッカしか選ばない』
甘い声音でそう話したはずの王太子サイラスは、レベッカを忘れてしまった。
レベッカは、王太子サイラスと付き合っていることを、ある事情により隠していた。舞踏会で関係を公表し、婚約者に指名される予定だったのに、舞踊会の夜にサイラスは薬を盛られて倒れ、記憶喪失になってしまう。
恋人が誰なのかわからないのをいいことに、偽の恋人が次々と名乗りをあげ王太子の婚約者の座を狙ってくる。おかげで不信に陥ったサイラスに、レベッカは自分が恋人だと名乗り出せなくなってしまった。
サイラスの記憶喪失を解消するため、薬師兼魔女であるレベッカは恋人であることを隠しながら、事件調査を協力することになった。そうして記憶が戻らないまま二人の距離は再び近づいていく。だが、そんなおりにサイラスの偽の恋人を名乗りでた令嬢たちが、次々と襲われる事件も起き始めて……!?
※他のサイトにも掲載しています。
毎日更新です。
【完結】そんなに嫌いなら婚約破棄して下さい! と口にした後、婚約者が記憶喪失になりまして
Rohdea
恋愛
──ある日、婚約者が記憶喪失になりました。
伯爵令嬢のアリーチェには、幼い頃からの想い人でもある婚約者のエドワードがいる。
幼馴染でもある彼は、ある日を境に無口で無愛想な人に変わってしまっていた。
素っ気無い態度を取られても一途にエドワードを想ってきたアリーチェだったけど、
ある日、つい心にも無い言葉……婚約破棄を口走ってしまう。
だけど、その事を謝る前にエドワードが事故にあってしまい、目を覚ました彼はこれまでの記憶を全て失っていた。
記憶を失ったエドワードは、まるで昔の彼に戻ったかのように優しく、
また婚約者のアリーチェを一途に愛してくれるようになったけど──……
そしてある日、一人の女性がエドワードを訪ねて来る。
※婚約者をざまぁする話ではありません
※2022.1.1 “謎の女”が登場したのでタグ追加しました
里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります>
政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
🥕おしどり夫婦として12年間の結婚生活を過ごしてきたが一波乱あり、妻は夫を誰かに譲りたくなるのだった。
設楽理沙
ライト文芸
2026.1.4 73話見直した際、瑛士の台詞《本音/懺悔》を加筆しました。😇
☘ 累計ポイント/ 200万pt 超えました。ありがとうございます。
―― 備忘録 ――
第8回ライト文芸大賞では大賞2位ではじまり2位で終了。 最高 57,392 pt
〃 24h/pt-1位ではじまり2位で終了。 最高 89,034 pt
◇ ◇ ◇ ◇
紳士的でいつだって私や私の両親にやさしくしてくれる
素敵な旦那さま・・だと思ってきたのに。
隠された夫の一面を知った日から、眞奈の苦悩が
始まる。
苦しくて、悲しくてもののすごく惨めで・・
消えてしまいたいと思う眞奈は小さな子供のように
大きな声で泣いた。
泣きながらも、よろけながらも、気がつけば
大地をしっかりと踏みしめていた。
そう、立ち止まってなんていられない。
☆-★-☆-★+☆-★-☆-★+☆-★-☆-★
2025.4.19☑~
初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】
星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。
だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。
しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。
王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。
そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。
地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。
⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる