その鹿を人間にする方法

はるかわ 美穂

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2日目

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夢で見た光景が、また私の前に広がっている。

「……ゆうとくんのカップ、倒しちゃったん?」

先生が男の子に問いかける。男の子は目に涙を浮かべながら首を振った。

「かなちゃんがぶつかって、そのせいでコップ倒れた」

男の子のたどたどしい説明を聞いた先生は一人の女の子を呼ぶ。

「かなちゃん、ちょっとおいで」

少し離れた席で絵を描いていたかなちゃんが私たちのもとにやって来た。

「ゆうとくんのお水入れてたカップが倒れて、画用紙が汚れちゃってん。かなちゃんがぶつかって倒れたって聞いたんやけど、そうなん?」

先生の優しい問いかけに、女の子は不機嫌な顔をする。

「……かな、やってないもん。かな向こうにおったんやから、そんなん出来ひんし。けいたくんがウソついてる」

かなちゃんに睨まれた男の子――けいたくんは怯んだ。

「ち、違う。ほんまやもん。かなちゃんが走ってきたから僕にぶつかって、コップ倒れたんやもん」

「だから、かなはずっと向こうにおったって言ってるやん!けいたくんの嘘つき!」

ヒートアップする二人をなだめながら、先生は困った顔をしている。両方の話が食い違っているのだから当然だろう。

私は気づけば口を挟んでいた。

「かなちゃんの方が嘘つきやん。まおだってちゃんと見てたもん。かなちゃんがそこ通った時にけいたくんとぶつかってたの」

新しい証言者の登場に驚いた先生が「ホンマなん?」と私に問いかけてくる。私は大きく頷いて、「けいたくん嘘ついてへん」と告げた。

「かなちゃん、嘘ついたん?」

先生からの質問に、かなちゃんは唇を噛み締めて顔を真っ赤にする。目にはたくさんの涙が浮かんでいた。

「まお、そういうことする子嫌い。泥棒の始まりになるから嘘ついたらあかんねんで。やから、かなちゃんもう泥棒やで」

嘘をついて、悪いことをしたという事実から逃れようとしていたかなちゃんが許せず、私はそんなことを言った。

「まおちゃん!」

先生が怒った顔をして私を見る。

近くの席に居た友達は「まおちゃん怖いなぁ」とこそこそ話している。

自分は腹が立ったから思ったことを言っただけなのに、周囲の人の空気が明らかにおかしいことに気づいた。

自分に向けられる視線がすべて、非難の色をしている。

かなちゃんは大泣きして、クラスの雰囲気はお絵描きどころではなくなってしまった。

私のせいで泣いてしまったかなちゃんは影響力が強い子で、それからしばらく私は友達の輪に加えてもらえなかった。

「怖いまおちゃん来た!向こう行こっ」

近寄れば、きゃあきゃあと笑いながら皆が避けていく。

だけど時間が経てば仲間はずれにも飽きたのか、それから一週間もしないうちに私はまた皆の輪に入れてもらえた。

友達に避けられたことはもちろん悲しかった。でも、それ以上に悲しいことはあった。

「確かにかなちゃんは悪いことしたけど、あんな風に責めたらあかんよ。せっかくのお友達なんやから、もっと優しくしてあげやな」

私がかなちゃんを泣かせてしまったその日の終わり、先生からそう言われて、私は世界が真っ黒に染まるのを感じた。

いつも穏やかな先生だったから、きっと私の味方をしてくれるだろうと思っていた。だって悪いのはかなちゃんだから。

でも、先生は私のことを叱った。そして必然的に、自分の気持ちを正直に言ってはならないのだと私は思った。

こんな風に先生が私のことを叱ってくるのも、友達に遊びの輪に入れてもらえないのも、全部、んだ。

優しくないことは悪いことで、誰かに責められることなんだと学んだ。

それからはなるべく友達のしたいことに合わせるようになった。

自分のやりたいことを抑えて誰かに合わせれば、父も母も先生も、皆が私をお利口さんだと褒めてくれた。

褒められるのは大好きだった。誰も私のことを責めたりしないし、それにひどく安心した。

だから私は、この道が正解だと信じて疑わなかった。

それなのに――

「まおは俺のこと助けてくれたから好き」

私が封印しようとしていた部分を好きだと言う彼は、変な人だと思った。

周りの友達は私と彼の仲をからかった。からかわれるのは嫌いだ。

だけど、彼が言ってくれる「好き」は、嫌いじゃなかった。

本当なら皆に嫌がられるはずの私の言動を、たった一人だけでも好意的に思ってくれていたことに救われていた。



***



「おい真緒!大丈夫か!」

颯の呼びかけで、強制的に現実に引き戻される。

ついさっきまで私を苦しめていた頭痛はいつの間にか消えていた。

「……ご、ごめん。急に頭痛がして」

「片頭痛か?」

颯が慄いた様子で私の背中をさする。

「片頭痛ではないんやけど、大丈夫。今は痛くないから」

颯の手を借りながらゆっくり立ち上がると、ついさっき思い出したことがだんだんと現実味を帯びてきた。

あれはたぶん、私が人に合わせるようになったきっかけのようなものだ。

それを思い出せたのは、きっと颯が昔の話をしてくれたから。

そう考えた時、躊躇いはなかった。

「あのさ、颯。私、記憶喪失やねん」

「……は?」

突然の告白に、颯は素っ頓狂な声を上げる。

「何でか啓太のことだけすっぽり記憶失ってて、今は啓太に手伝ってもらいながら記憶思い出そうとしてるとこ。だから昨日駅で会った時、私と啓太が一緒におったんは偶然じゃなくて、一緒に行動しててん」

一気に説明されたことで情報の処理が追い付いていないのか、颯は「そ、そうやったんか……?」とぎこちなく頷く。

「うん。それで、おこがましいお願いやとはわかってるんやけど、記憶取り戻すの、颯も手伝ってくれへん?」

啓太は今日、私に記憶を思い出してほしいと言った。私も啓太と深く関わるうちに、彼のことを思い出したいと強く思うようになった。

進展がなかった私たちの行路に、颯と話したことによって、今初めて変化の兆しが訪れた。

二人だと限界がある部分も、三人なら補い合ってもっと早く記憶を思い出すことができるんじゃないだろうか。

少しでも記憶を思い出せる確率が上がるなら、その可能性に手を伸ばしたい。
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