その鹿を人間にする方法

はるかわ 美穂

文字の大きさ
38 / 49
私と君の過ち

38

しおりを挟む
***


「ごめん。母さんに捕まって遅くなってもうた」

息を切らして改札から走って来たのは、普段とすこし雰囲気が違う啓太だった。

打ち上げの時はあまり意識していなかったけど、制服を着ていないと印象が違う。

「それは連絡もらってたし、大丈夫やで」

啓太に気を遣わせないよう努めて笑顔で振る舞うが、彼は「ほんまごめん」と言いながら項垂れる。

そんなに落ち込まなくてもいいのに、と思いながら苦笑を返した。

私たちは昨日約束した通り、早めに帰宅をして県立の図書館に行くため奈良駅で待ち合わせをしていた。

啓太は約束の時間より十分以上遅れてきたけど、待つのはそんなに苦じゃないので別に怒ったりしていない。

「じゃあ……勉強でわからんとこあったら教えてや」

私は理数系が大の苦手だけど、啓太は結構いい成績を取っていたはず。

遅刻の対価と言えば聞こえは悪いが、こうすれば啓太の罪悪感も少しは薄れるのではないか。

私の思惑通りに啓太はそのお願いを快く受け入れてくれ、二人で談笑しながらバスに乗って図書館へ出発した。

到着した図書館では、他の地域からもテスト勉強のために学生がやって来ているのか、フロアの端にある勉強スペースが八割方埋まっていた。

それでもなんとか見つけた二つの空席を陣取って勉強道具を広げる。

「何からやる?」

小声で聞いてきた彼に、「心配やった数学からやる」と答える。「じゃあ俺もそうしよ」と言って、彼はワークを開いた。

その真剣な横顔を見て、私も勉強に集中しようと意気込む。

スイッチが入ると時間も忘れて勉強にのめり込んだ。時々答えを見てもわからない問題があって、それを啓太に聞くと、彼は嬉々として解き方を教えてくれた。

静かな空間で二人で勉強をする時間は、結構楽しかった。

なんとなく挑戦した応用問題に取り掛かっていると、隣からツンツンと肩を突かれた。

顔を上げると、啓太がスマホの画面をこちらに向けている。

そこには19時22分という時刻が表示されていた。

「もうすぐ閉館やし、腹も減って来たからそろそろ帰ろか」

「うん。そうやな」

言いつつ、私はワークを閉じてシャーペンを筆箱に戻す。

友達の家で勉強するから遅くなる、とは親に言っているけど、さすがに帰宅時間が20時を超えると心配をかけそうだ。気が付けば人も少なくなっている。

荷物を纏めてフロア中心にある階段へ向かっている途中、吹き抜けの傍に展示されているものが目に入った。

奈良が舞台になっている本や、奈良町を紹介している雑誌など、奈良に関する書籍が並んでいる。

そこで目を引いたのが、『にぎわいの家』という施設の資料だった。

元々昔の景観には関心がある方なので、大正時代の家の形がそのまま残っているというそれにとても興味が湧いた。

展示をじっと見つめていた私に気が付いたらしく、啓太が「どうした?」と戻って来る。

「あ、ちょっと見てただけ。大正時代の家が残ってるなんてええなって思って」

私の事情で彼をここに留めるわけにはいかないので、「行こ」と言って進行方向を指さした。

しかし彼はそれに目もくれず、「テスト終わったら、行くか?」と聞いてくる。

「……え」

一瞬言葉の意味が理解できなくて目を瞬いたが、すぐにそれがデートのお誘いだということがわかった。

頬を染めて真剣な様子で私を見ている彼の姿がその証拠だ。

私たちは付き合ってから、なんだかんだ二人で出かけたことはない。

興味が湧いた場所を見に行けるのは素敵なお誘いだけど、それがデートだと思うと途端に気が引けた。

デートなんて何をすればわからないし、私の趣味に彼を付き合わせて幻滅されるのも怖い。

「ま、またいつかね」

結局私はそう言って曖昧に笑った。啓太がどんな表情をしているのか見るのが怖くて、彼の横を抜けると先に一人で歩き出す。

帰り道、啓太はなんてことないように笑っていたから、私の受け答えは大して彼にダメージを与えていなかったのだと安心した。



それから私たちはつかず離れずの距離を保ちながら夏休みに入った。

お互いに部活がある上、啓太が夏期講習を受けたり、私も父方の実家に帰ったりと忙しく過ごしていたため、二人で会える機会は少なかった。

だけど、たまに休みが被った時は約束をして、近場のショッピングセンターに出掛けたりしていた。

その時に啓太が手を握ってきたから思わず硬直してしまったけど、彼の顔色がとても不安そうで、振りほどくなんて出来なかった。

すると、私が拒まなかったことがよほど嬉しかったのか、その日から彼は積極的に私に触れるようになった。

彼に触れられるのが嫌なわけではなかったけれど、私に向けられる優しい眼差しやぬるい体温を感じる度、私と彼の間にある温度差が明確になるようで居心地が悪かった。

だから私は彼の手が伸びてくると、それをやんわりと避け続けていた。

そして夏休みが明けて数日経った頃、同じクラスの女子から思いもよらないことを聞かれた。

「なぁなぁ、こないだ出掛けた時に二人でいるとこ見てもうたんやけど、真緒と啓太って付き合ってるん?」

教室のど真ん中で、声のボリュームも抑えることなくそう問われ、背筋が凍った。

「あ……」

一番恐れていたことがやって来て、とっさに声が出ない。

周囲に視線を向けると、私を見ている人が何人かいた。さらに思考力が奪われて、視界が真っ暗になっていく。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

忘れ去られた婚約者

かべうち右近
恋愛
『僕はレベッカしか選ばない』 甘い声音でそう話したはずの王太子サイラスは、レベッカを忘れてしまった。 レベッカは、王太子サイラスと付き合っていることを、ある事情により隠していた。舞踏会で関係を公表し、婚約者に指名される予定だったのに、舞踊会の夜にサイラスは薬を盛られて倒れ、記憶喪失になってしまう。 恋人が誰なのかわからないのをいいことに、偽の恋人が次々と名乗りをあげ王太子の婚約者の座を狙ってくる。おかげで不信に陥ったサイラスに、レベッカは自分が恋人だと名乗り出せなくなってしまった。 サイラスの記憶喪失を解消するため、薬師兼魔女であるレベッカは恋人であることを隠しながら、事件調査を協力することになった。そうして記憶が戻らないまま二人の距離は再び近づいていく。だが、そんなおりにサイラスの偽の恋人を名乗りでた令嬢たちが、次々と襲われる事件も起き始めて……!? ※他のサイトにも掲載しています。 毎日更新です。

【完結】そんなに嫌いなら婚約破棄して下さい! と口にした後、婚約者が記憶喪失になりまして

Rohdea
恋愛
──ある日、婚約者が記憶喪失になりました。 伯爵令嬢のアリーチェには、幼い頃からの想い人でもある婚約者のエドワードがいる。 幼馴染でもある彼は、ある日を境に無口で無愛想な人に変わってしまっていた。 素っ気無い態度を取られても一途にエドワードを想ってきたアリーチェだったけど、 ある日、つい心にも無い言葉……婚約破棄を口走ってしまう。 だけど、その事を謝る前にエドワードが事故にあってしまい、目を覚ました彼はこれまでの記憶を全て失っていた。 記憶を失ったエドワードは、まるで昔の彼に戻ったかのように優しく、 また婚約者のアリーチェを一途に愛してくれるようになったけど──…… そしてある日、一人の女性がエドワードを訪ねて来る。 ※婚約者をざまぁする話ではありません ※2022.1.1 “謎の女”が登場したのでタグ追加しました

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

🥕おしどり夫婦として12年間の結婚生活を過ごしてきたが一波乱あり、妻は夫を誰かに譲りたくなるのだった。

設楽理沙
ライト文芸
2026.1.4 73話見直した際、瑛士の台詞《本音/懺悔》を加筆しました。😇 ☘ 累計ポイント/ 200万pt 超えました。ありがとうございます。 ―― 備忘録 ――    第8回ライト文芸大賞では大賞2位ではじまり2位で終了。  最高 57,392 pt      〃     24h/pt-1位ではじまり2位で終了。  最高 89,034 pt                    ◇ ◇ ◇ ◇ 紳士的でいつだって私や私の両親にやさしくしてくれる 素敵な旦那さま・・だと思ってきたのに。 隠された夫の一面を知った日から、眞奈の苦悩が 始まる。 苦しくて、悲しくてもののすごく惨めで・・ 消えてしまいたいと思う眞奈は小さな子供のように 大きな声で泣いた。 泣きながらも、よろけながらも、気がつけば 大地をしっかりと踏みしめていた。 そう、立ち止まってなんていられない。 ☆-★-☆-★+☆-★-☆-★+☆-★-☆-★ 2025.4.19☑~

初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】

星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。 だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。 しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。 王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。 そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。 地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。 ⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

処理中です...