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秋葉夕雲

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第二章

124 蟻坊の城

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 騎士団がようやく水車の近くに辿り着いたのは太陽が真上を通り過ぎた後だった。つまり今が最も暑い時間帯である。
「なんと禍々しい構造物でしょう。直ちに破壊して清めなければ!」
 騎士団員は目をぎらつかせながら水車を破壊する。とはいえ大型の水車を破壊するのにはまた時間がかかってしまった。
「ここで休息をとる。水を飲んで渇きを……」
「いけませんアグル殿! 悪魔の知恵によって生まれたものがある場所で水を飲めば穢れてしまいます!」
「で、ですがティマチ様。皆喉の渇きは限界に……」
「ご安心くださいアグル様! 悪魔を打ち倒すためであればこの程度の渇き、どうということもありません!」
 戸惑うアグルをしり目に続々と賛同の声が上がる。おお、なんという信仰心か! 団員たちは自らの使命のためなら身を投げ出すことも厭わないのだ!
 誰もが狂騒に沸き立つ中で、こっそりと水を汲んだのはサリとアグルだけだった。



 この巣は最初の巣とは違い、渋リンの防御がない。その代わりに壁で囲まれており、それが防衛設備になっている。しかし、この壁には重大な弱点がある。壁が極めて広いということ。
 畑をぐるっと囲む壁はなかなか高いが、広すぎるがゆえに万全に守りを固めるに大量の守兵を必要とする。それほどの数はいない。
 例えば機動力にものをいわせてどこを守るべきか絞らせなければ容易に守りを突破できるかもしれない。実際にトカゲはそういう戦法をとっていたらしい。
 しかしヒトモドキにはそんなことはできない。そもそも機動力がないし、疲労しきっているので体力がもたない。そして何より、あの脳筋女がそんな戦術を思いつくはずがない。

「今こそ我らの信仰を見せる時です。神の御加護を!」
「神の御加護を!」
 ティマチの言葉に騎士団員が全員で一斉に唱和する。ただしティマチは護衛と共に安全な後方で控えている。誤解なきように釈明すると、ティマチは自分自身も先頭に立とうとしたけど、部下に必死で止められたため後方にとどまっている。
 ティマチさんは指揮官先頭の精神に満ち溢れた素晴らしい指揮官ですよ。オレとは違ってね!
 壁には扉が設置してあり、普段はそこから出入りしている。蟻や蜘蛛の場合垂直の壁をあっさり登れるため必要なかったけど、ドードーを散歩させるには扉が必要だったので改めて設置した。しかしその扉も<錬土>ですでに封鎖済み。さて、ヒトモドキはまず封鎖された扉を目指すようだ。
 ファランクスのように固まり、集団防御態勢を取りながらじりじり近づいてくる。そういう戦術を自力で思いついたのかこれもまた地球から来た誰かが伝えたのか。
 オレが指示を出すまでもなく、弓による射撃が始まる。ヒトモドキも応射するが、勝敗は明らかだった。当たり前だけど高い所から撃った方が弓は射程距離が長い。<弾>は疲労のためか、こちら側に届きさえしなかった。つまり現時点では蟻がほぼ一方的に攻撃できるということ。
 ヒトモドキが扉に辿り着くころにはもう五百人を下回っていた。こちらの死者はゼロ。偶然頭に<弾>が直撃して気絶した蟻が数匹程度だ。さあ次はどうする?
「神の御加護を!」
 ヒトモドキは一斉に扉に向かって<剣>を振り下ろし始めた!
 ……あのさあ。破城槌とは言わないけどせめてつるはしかなんかもってこいよ。それかはしごでももってきて壁を越えろよ。予想はしてたけどこれはひどい。策も何もない力押し。それもドンキホーテが風車に挑むが如き滑稽さ。何時間かかるんだこれ。そもそもオレたちが何もしないと思ってるのか?

「それじゃあ、岩を落とすね」
「やったれ小春」
 ただ単に壁の上からボウリング玉ほどの岩を落とす。しかし、数m上から落とされた質量塊の落下速度はヒトモドキの<盾>を突き破り、頭を押しつぶすのに十分な威力を持っていた。途中で岩が足りなくなったので蜘蛛と蟻で協力して岩の補充をする。
 ヒトモドキは頭上に盾を張りつつ、<弾>で応戦し、必死で扉を削る。それがしばらく続いた。
 それにしても……なんていうか、地味。まあ籠城戦ってそういうものだろうけど……とにかく何も起きずに単調な作業を繰り返すだけ。新発見なのはヒトモドキの<弾>が変化球みたいに軌道を変化させられるってことと、上に<弾>を飛ばす場合明らかに威力が落ちることくらい。
 戦記物の小説や漫画なんかで籠城戦があまり描かれないのは単純に籠城する側が有利ってのもあるけど、地味だからかなあ。まあ地味な戦術ってのが結局一番強いんだよね。こう、派手な陣形とか大胆な伏兵とか憧れなくはないけどそういうのって見破られたらそれまでだからなあ。
 自分でやってみるとわかるけど籠城戦だと作戦が入り込む余地が少ないんだよな。それにしたってティマチの無策っぷりには呆れるけど。
「紫水。何もしていないけど倒れるヒトモドキが出てきたよ」
 飲まず食わずでここまできて、さらに魔法を連発すれば体力は減る。むしろよくもった方だな。
 ヒトモドキの数は全部合わせて三百人ほど。軍事的には全滅扱いされてもおかしくない。
 これなら真正面から戦っても勝てる数だな。
「神よ! この世界に信仰を示す我らに加護を!」
 まーたティマチさん叫んでるよ。さっきからああして応援しているけど、効果現れてませんよ? まあ自己満足に浸るだけなら好きにしてもらえば……んーでもこのままじゃ練習にならないな。
 それに万が一にも後方に控えている部隊に逃げられると面倒だ。これだけ余裕がある戦いなら完勝を目指してもいいだろう。
「よーし、余裕がありそうだからプランBに移行。扉の封鎖をちょっと緩めてから、ティマチが大声を出したら苦しむ演技をして一時撤退」
 ティマチの指揮官として特筆するべき点を挙げるのなら声の大きさと持久力だろうか。通信機器がないヒトモドキにとっては肉声こそが最高の通信手段だ。だからこそ声を出し続けても声が枯れないのは一つの長所であり、そのおかげで好機を逃すことはなかった。
「あかんこいつらめっちゃつよいー」
「逃げないとー」
「いそげー」
 だから演技力! しかしヒトモドキを騙すにはこれで十分だったらしい。
「見よ! 我が信仰と信念は邪悪な蟻を退散させたぞ! 恐れることはない! 真の愛を持つ我々の正義はいかなる邪悪をも打ち砕くであろう!」

 調子いいね。偽装撤退にも気づいていないのにさ。愛だのなんだのとそんなに何かを愛することがいいことかね?
「ねー紫水?」
「何だ小春?」
 今のところ小春とたわいない会話をできるくらい余裕がある。
「どうしてヒトモドキは愛とか正義があれば勝てるって思ってるのかな?」
「質問を質問で返すようで悪いけどお前は何があれば勝てると思う?」
「数と武器と、兵隊の質かな。あってる?」
「正解だな。付け加えるなら食料をはじめとしたそれらを維持する能力だな。ここには人心掌握術も含むべきかな。精神が関わるのはそこだろう。戦いは大体それらがある方が勝つ。最後に戦術や罠か」
 どこぞの兵法書を読めばそれくらい大体わかる。本気で勝ちたければ数を揃え、食い物を増やし、組織を潤滑に運用する方法を整える。もちろんそのすべてをオレができているとは思わない。
「どうしてヒトモドキは愛とか正義とか言い出すのかなあ?」
「そりゃ簡単だ。愛とか正義なんてのはコストがかからないからだよ。食い物や武器を用意するのは簡単じゃない。でも愛とか正義はただの言葉でしかない。そういう形のないもので勝てるって信じさせた方が楽なんだよ」
「生物は楽な方に流れやすいってこと?」
「ちょっ、おまっ、……まあ真理だな。でもそういう精神論も馬鹿にできたもんじゃないぞ。もしもそう信じさせることができなかったらあっさり反乱されるかもしれないからな。色々工夫して無能者の頭をとろけさせるにはちょうどいい」
「紫水はそういうの嫌い?」
「まあな。愛とか正義とかそんなもんで勝てるとは思わないし、思いたくないな。だって――――」
「だって?」
「……いや、何でもない」
「そう」
 だってそうだろう? もしも愛や正義、信念や信仰で勝者が決まるなら、そういうのが理解できない奴は、勝っちゃいけないみたいじゃないか。
 どんなに努力をしても、どんな才能があっても。……そいつは論理が通らない。だから嫌だ。
 他人にわざわざ言うまでもないどうでもいい理由だ。
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