うちの猫は液体です

秋葉夕雲

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第二章

第51話 失恋

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 葵がしげしげと自分の手の中の真珠を見つめる。
 すると下卑た声が飛行機内のモニターから聞こえた。潰れたカエルのような顔がモニターにでかでかと浮かんでいる。
『キヒヒヒ。オールイン成功だ。ああ、それとレベルアップだぜ、五月』
「私が? オールインに成功したのは皆本さんですが」
『今までの経験分ってことだよ。いらねえのか?』
「必要ですよ。それで、ラプラス。清水さんのギフテッドはどこですか?」
『探す必要はねえよ。その真珠を壊せばギフトは失われる』
「そうなんだ。真珠って硬いの?」
「割と砕けやすい石くらいの感覚でしょうか。思いっきり壁や床に叩きつければ砕けるかもしれません」
「よし。じゃあやってみましょうか」
「ちょ、ちょっと待ちなさい!」
「何ですか? あ、遺言なら十文字以内でお願いしますねえ?」
 慇懃無礼な葵の言葉に清水はみるみる紅潮する。
「そんなに調子に乗っていられるのも今のうちよ。二人とも顔がいいからって、年を取ればみんなしわくちゃになるんだから」
「はあ」
 顔の良さというものにこの世界で最も興味のない葵は気の抜けた返事しかできないが、それがさらに清水の怒りをあおった。
「わたしはただ、こんな室内で頭の悪い会話をしていた連中を罰していただけよ。それのどこが悪いっていうの!?」
 八つ当たりのような言葉に静かな怒りを漲らせたのは五月だった。横合いから鋭く問いかける。
「清水さん。あなたは、あれを見てもそう言えるんですか?」
 五月が指さしたのは血が乾きつつある、物言わぬ死体だ。
 かつてギフテッド同士の抗争で肉親を失った五月としては清水の言い訳は聞くに堪えないのだろう。
「そ、それは、でもしょうがないじゃない! 私だってこんなことしたかったわけじゃない! 被害者よ! こんな力を持っちゃった……」
「皆本さん」
 聞くに堪えないとばかりに五月は葵に話しかける。
「何よ」
「砕いてください」
「待っ」
 清水が止めるよりも早く葵は真珠をぶん投げる。
 ぱりんと小さな宝石が砕けると、さらさらと砂のように消えていく。
 それと時を同じくして、機内にアナウンスが響く。
『まもなく本便は新千歳空港に到着いたします。乗客の皆様、シートベルトを締めて……』
 その言葉に従うかのように清水は生気を失った顔で着席した。
「私たちも座りましょう」
「そうね」
 この飛行機内での戦いは終わった。
 後に残ったのは善の神と悪の神との戦いに関する記憶が消えた女生と、いまだ誰にも発見されていない男性の死体だけだ。
 ちらりと、隣にいる何も知らない女性がシートベルトを締まっているか確認している姿が見えた。

 自分たちの席に戻ってから、五月が葵に尋ねてきた。
「先ほどのギフト、アンズオンブオン? というのは誰なんですか?」
「さすがに知らないわよね。ベトナムの神話だし。着陸するまで説明しましょうか」
 二人ともシートベルトを締めなおし、さらに葵は貨物室に戻る時間がなくなったさつまを撫でながら説明する。
「アンズオンブオンはベトナムの英雄。この話は二部構成になってるわね。前半はアンズオンブオン王の英雄譚。後半はその娘ミチャウの悲恋物語」
「主人公が二人いるのですか?」
「そういう見方もできるわね。アンズオンブオンは金色の亀ととともに魔物を退治したり、城を築いたりして国を強くし、金色の亀との別れ際に無敵の弓をもらうの」
「典型的な英雄譚ですね」
「そ。でもそれを快く思わない敵国は王子チョントゥイとミチャウを結婚させ、ハニトラを成功させてチョントゥイは弓をすり替えるのよ」
「それは何とも……」
 五月は二の句が継げないようだった。
「結果としてアンズオンブオンの軍は大敗。自責の念にかられたミチャウ姫は父に首をはねるように懇願して、王は金色の亀に導かれて海を渡る。ミチャウ姫の血から真珠が生まれたと言われてるわ」
「えっと……悲恋物語……ですか?」
「あーうん、それはむしろこれから。チョントゥイは姫の亡骸を見てようやく彼女への愛情を自覚するのよ」
「いまさらじゃありませんか?」
「そうね。亡くなって初めて大切さに気付いたか、さもなければネクロフィリアかなんかだったのか」
「ミチャウ姫のことを想うと前者の方が……いえ、どちらでもひどいですね」
 五月の感想ももっともだった。
 もう少し葵に語り手としての才能があれば多少なりとも感情移入できたかもしれないが、あいにくと心に訴えるような説明は彼女の苦手とするところだったし、そもそも葵はミチャウ姫にもチョントゥイにも共感できなかった。
「同感。最終的にチョントゥイも衰弱して井戸に身を投げるのよ。だからベトナムでは真珠を井戸に投げると輝くと言われていたらしいわ」
「この話、ベトナム版のロミオとジュリエットとか呼ばれてませんか?」
「呼ばれてるわね。思いっきり」
「……でしょうね」
 話が終わると同時に飛行機は着陸した。

 無事に新千歳空港に到着し、手に持つ受け取りエリアで葵は思いっきり伸びをした。
「ふー。到着到着、っと」
「皆本さん、あの人……」
 五月が視線を送ったのは飛行機内で殺害された男性の隣にいた女性だった。
 ギフトの発動条件を考えれば、どういう関係だったのかは想像に容易い。
「殺された男性の記憶ってどうなるのかしら」
「……難しいですね。その人にとって重い存在……例えば死亡することによって心の傷になる場合、完全に抹消されることもあるようです」
「ある意味そっちの方が幸せなんでしょうけど……」
 ベトナムの悲恋物語を聞いたせいか、二人ともしんみりした空気になってしまう。
 そして二人が注目する彼女はスマホで誰かと会話し始め……。
「うん♡ 今着いたところ。快適だったわよ。チケットの手配してくれてありがとうね♡ うん、うん。愛してるわ、あなた♡」
 甘ったるい通話を終えた彼女は自分の荷物を受け取り、すたすたと歩き去った。
「「……」」
 二人は何とも言えない空気に包まれていたが、やがて葵がぽつりとつぶやいた。
「女って怖いわね……」
「あなたも女性でしょう……」
 遠くで、係員が連れているアポロと、さつまが入っていたキャリーバッグを持った係員が見えた。
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