蒼すぎた夏

三日月の夢

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episode1 蒼すぎた夏

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 家族会議というほどでもないけれど、最近よく、父親と母親と、進路のことを話し合っている。たまに妹も入ってくる。

「いいなぁ、お兄ちゃん。ひとり暮らし」
「まだ受かってないから」
「でも、滑り止めまで全部、東京の大学じゃん」

 ここからだと、東京へ通えなくはない。二時間弱かかるというだけだ。けれど、大学の近くでひとり暮らしをするという方向で話は進んでいる。それから、この夏から、三駅先の大きな街にある予備校へ通うことも決まった。大学は、図書館司書の資格を取れるところを考えている。

有紗ありさはだめだぞ。ひとり暮らしなんて」
「なんでー?」

 娘が心配で仕方ない父親、子供たちがおいしいと言った料理を週一で作る母親、たまに喧嘩けんかしながらも妹の勉強を見たりしてあげる兄、わがままは言うけれど家族のムードメーカーである妹。ごく平凡であり、だからこそ幸せな家族なんだ。そんなこと、思ったことなかった。北嶋が転校してくるまでは。

 ――今、何してるんだろう。

 たまに話す仲だといっても、携帯番号さえ知らない。北嶋にとって自分は、なんとなく話をするクラスメイトなだけなのだろう。
 家庭が訳ありだとうわさされているが、誰かに嫌なことを言われたり、北嶋がつらい思いをしていないといい。そんなことを願う。願いはそれだけ。もっと近付きたいだなんて望まないから、それだけは叶えてほしい。神様なんて信じていないのに、こういう時だけ都合よく、そんな願い事をしてしまう。


 * * *


「峰」
「あれ、今日は部活行かないの?」

 放課後の教室というのは、休み時間とも少し違って、その日の授業から解き放たれた笑顔であふれている。

「やっぱ、いいかなって」
「そう」

 北嶋は運動神経もいいし、転校してきてから、いくつもの部活を体験していた。いつまで仮入部しているんだと、みんなから言われている。

「俺も今日から帰宅部」
「みんな残念がるよ」
「あ、これ。ノートありがと」

 昨日きのう貸した数学のノートを返された。

「それ、何聴いてんの?」

 帰ろうとしていたから、音楽プレイヤーからつながったイヤフォンを片耳にだけ入れていた。
 ちょっと返事が遅れた。太宰治を読んでいた昨日とのギャップがあるかもしれない。

「あ、えっと、……ヴァン・ブラン・カシス」

 男性アイドルグループだ。アイドルといっても、今では国民的アイドルになって、別に老若男女、誰が聴いていてもおかしくはないとは思うけれど、少し恥ずかしい。

「あー、俺も好き。最新のアルバム?」
「ううん、……好きな曲だけチョイスして入れてる」
「えー、峰セレクト? 聴きたい」

 北嶋は、もう片方のイヤフォンを耳に入れた。ひとつ前の席に、後ろ向きに座って、期待したような目でこちらをにこにこと見ている。
 音楽プレイヤーを再生した。
 自分の椅子に座っている。北嶋が前の席からこちらを向いて一緒にイヤフォンを耳に入れている。高校二年の五月の放課後。好きかもしれないと少し気になっていた存在から、一気に恋に落ちるには、じゅうぶんな状況だと思った。

「廉ー、一緒に帰ろうよー」

 北嶋はすぐに友達に呼ばれて、「また聴かせて」とイヤフォンを返しながら言った。
 返されたイヤフォンと数学のノート。置き去りにされたのは、それらや自分ではなく、芽生えてしまった恋心だった。


 * * *


 帰宅して、テスト勉強をしていた。そういえば北嶋は、あの数学の問題は解けたのだろうか。自分の途中式でわかったかなと気になって、貸していたノートを開く。

 ――え、これは……。

 ノートの端に、イラストが描かれていた。本を読んでいる男子高校生の絵だ。コミカルなタッチで、本には『斜陽しゃよう』と書かれている。うちの学校の制服だし、それはどう見ても自分だった。
 描いたのは北嶋だよな。絵、うまいな。どうして描いたんだ? そんなことが、ぐるぐる、ぐるぐると、頭の中を巡る。

 ――それにしても似ている。

 やっと落ち着いてそんなふうに思った時、スマホで写真を撮っていた。光の加減や向きが納得いくまで何度も撮って、少し迷った後、結局、待ち受け画面に設定した。
 たぶん、誰にも見られないし、いいよな。
 見つめていると、やがて画面が暗くなるから、スマホの電源を押して、暗くなってはまた押して、それを何度も繰り返していた。
 思わぬ贈り物に心が弾んだ。
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