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暗殺完了
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このまま王位継承者として担ぎ上げられても、所詮カトレアもレイもイーデンの手のひらで転がされるだけだ。戦は緑を、人々の安寧を焼き払い、国を不毛の大地へと導く。
カトレアは、ラランジャへ亡命した薬花師たちに自ら会いに行くことを決意した。母が咲かせられなかった薬花の生育にもう一度挑戦するよう、直談判するのだ。正しい生育方法で成功すれば、ヴェルダ側の潔白を証明し、この戦がどんなに無益なものかを知らしめることになる。
算段はついたものの、仮にこの考えをイーデンに話したとしても、簡単に耳を貸すとは思えない。そもそもカトレアはヴェルダの息のかかった者に暗殺されかけているのだ。人が好いにもほどがあると一蹴されるだろう。
ヴェルダの援助を受けているラランジャに、敵国の王女が入国することは容易ではない。さらに、戴冠の儀を控えているカトレアがみだりに王宮を離れる訳にはいかない。
だがここに留まっていても、自分の思い描く国は得られない。カトレアは意を決し、あの男を自分の部屋に呼び出した。
がたがたと不気味な音を立てて風が吹きつける夜のことだった。百合を模したランプに明かりを灯しただけの部屋に、男は何食わぬ顔で姿を現した。
「いかがされましたか、お姫様。嵐の音で寝付けないというのでしたら、わたくしが添い寝いたしますが」
ジャックは入室するなり、わざとらしい口調で笑みを浮かべた。カトレアはランプで殴りつけてやろうかと思ったが、呼吸を整え自分が座るテーブルに着くよう命じた。
「……とまあ、自分で言っておいて歯の浮くような台詞だな。他の奴らはとっくに寝静まってるってのに、何の用だ?」
カトレアは、テーブルの脇に置いてあるトランクをちらと見、押し殺した声で告げた。
「……今、この時をもって、おまえをわたしの騎士から除籍する」
頬杖をついたジャックは顎を浮かせると、怪訝そうに眉根を寄せた。口答えされる前に、カトレアは本当の用件を伝える。
「その代わり、わたしをラランジャに連れて行きなさい」
ジャックは目を見張り、場違いな冗談でも耳にしたように破顔した。突拍子もないことを頼んでいるのは重々承知しているが、馬鹿にされているようで腹が立つ。
「これは、わたしなりに考えがあって言っているのよ! そして今頼めるのは、心底不本意だけどおまえしかいないのよ!」
出来るだけ小声で怒鳴るが、ジャックが笑みを潜める様子はない。喉の奥でひとしきり笑うと、ジャックは両腕をテーブルに載せ身を乗り出してきた。
「残念ながら、最初の頼みは無理だ。俺が契約を結んでいるのはイーデンだからな」
「なら、わたしの騎士としてラランジャに同行しなさい! こうなったら、何が何でも抜け出してやる!」
カトレアの鬼気迫る表情に何かを感じたのか、ジャックは無表情になった。カトレアはレイにすら打ち明けなかった自分の算段を話した。温室で打ちひしがれるカトレアの話を聞いてくれた、ジャックを信じて。
「ヴェルダの管轄下に置かれているラランジャに行くには、王宮の者たちは当てにならない。でも余所から来たお前なら、上手くごまかして手助けしてくれると思ったのよ」
話し終えるとカトレアは立ち上がり、自分の胴ほどあるトランクを持ち上げた。
「もう荷造りは済ませてあるわ。今から着替えて、おまえが馬を調達してくれれば」
「悪いが、お望み通りには出来ないな」
あっさり切り捨てられ、カトレアはさらに言い募ろうとして口をつぐんだ。窓を叩く音に雨粒が混ざり始めた。春先の雨は部屋を徐々に冷やしていく。
「そう……よね。無理難題を押し付けているのは分かっているわ。だけど、このまま王位に就いても、わたしの思い通りにはならない。それならいっそ、わたしは不毛な戦をするのではなくて、大切なもののために自ら戦いたいのよ」
トランクを下ろす。ジャックの表情は動かない。
「戦う? 蝶よ花よと育てられたお前が、戦い方を知っているのか?」
「それは、これから知っていくわ! おまえはわたしの騎士になるためにここへ来たんでしょう? わたしに協力して! さもないと」
次の言葉を紡ぐより早く、ジャックは一瞬のうちにカトレアの眼前まで迫り、口に人差し指を当てた。黒々とした瞳に射すくめられ、縫い止められたように身体が強張る。
「そこまで言うのなら、頼まれてやるよ。その代わり、報酬を前払いにしてもらおうか」
耳元で囁かれ、心臓をわしづかみにされたような動悸が全身を叩く。同時に、強引に唇が押し当てられた。
ジャックの硬い手のひらが腕や肩口を這い、唇の感触と共にレイとは異なる体温を浴びる。望まない行為のはずなのに抵抗が出来ず、それどころか燃えるような熱に支配されていく。
口づけというのは、こんなにも粗雑なものだったのか。それでもカトレアは無意識のうちに、初めて味わう熱に心を大きく揺るがせていった。
唇が離れると、吐息交じりにジャックは微苦笑した。
「まんざらでもないようだな、お姫様」
我に返りジャックを押し退けようとしたが、首筋のすぐ右に冷ややかな気配を察知した。全身のあらゆる部分が、縛られたように固く震えていく。
カトレアの首に回された右手には、鋭利な短剣が握られていた。
カトレアは、ラランジャへ亡命した薬花師たちに自ら会いに行くことを決意した。母が咲かせられなかった薬花の生育にもう一度挑戦するよう、直談判するのだ。正しい生育方法で成功すれば、ヴェルダ側の潔白を証明し、この戦がどんなに無益なものかを知らしめることになる。
算段はついたものの、仮にこの考えをイーデンに話したとしても、簡単に耳を貸すとは思えない。そもそもカトレアはヴェルダの息のかかった者に暗殺されかけているのだ。人が好いにもほどがあると一蹴されるだろう。
ヴェルダの援助を受けているラランジャに、敵国の王女が入国することは容易ではない。さらに、戴冠の儀を控えているカトレアがみだりに王宮を離れる訳にはいかない。
だがここに留まっていても、自分の思い描く国は得られない。カトレアは意を決し、あの男を自分の部屋に呼び出した。
がたがたと不気味な音を立てて風が吹きつける夜のことだった。百合を模したランプに明かりを灯しただけの部屋に、男は何食わぬ顔で姿を現した。
「いかがされましたか、お姫様。嵐の音で寝付けないというのでしたら、わたくしが添い寝いたしますが」
ジャックは入室するなり、わざとらしい口調で笑みを浮かべた。カトレアはランプで殴りつけてやろうかと思ったが、呼吸を整え自分が座るテーブルに着くよう命じた。
「……とまあ、自分で言っておいて歯の浮くような台詞だな。他の奴らはとっくに寝静まってるってのに、何の用だ?」
カトレアは、テーブルの脇に置いてあるトランクをちらと見、押し殺した声で告げた。
「……今、この時をもって、おまえをわたしの騎士から除籍する」
頬杖をついたジャックは顎を浮かせると、怪訝そうに眉根を寄せた。口答えされる前に、カトレアは本当の用件を伝える。
「その代わり、わたしをラランジャに連れて行きなさい」
ジャックは目を見張り、場違いな冗談でも耳にしたように破顔した。突拍子もないことを頼んでいるのは重々承知しているが、馬鹿にされているようで腹が立つ。
「これは、わたしなりに考えがあって言っているのよ! そして今頼めるのは、心底不本意だけどおまえしかいないのよ!」
出来るだけ小声で怒鳴るが、ジャックが笑みを潜める様子はない。喉の奥でひとしきり笑うと、ジャックは両腕をテーブルに載せ身を乗り出してきた。
「残念ながら、最初の頼みは無理だ。俺が契約を結んでいるのはイーデンだからな」
「なら、わたしの騎士としてラランジャに同行しなさい! こうなったら、何が何でも抜け出してやる!」
カトレアの鬼気迫る表情に何かを感じたのか、ジャックは無表情になった。カトレアはレイにすら打ち明けなかった自分の算段を話した。温室で打ちひしがれるカトレアの話を聞いてくれた、ジャックを信じて。
「ヴェルダの管轄下に置かれているラランジャに行くには、王宮の者たちは当てにならない。でも余所から来たお前なら、上手くごまかして手助けしてくれると思ったのよ」
話し終えるとカトレアは立ち上がり、自分の胴ほどあるトランクを持ち上げた。
「もう荷造りは済ませてあるわ。今から着替えて、おまえが馬を調達してくれれば」
「悪いが、お望み通りには出来ないな」
あっさり切り捨てられ、カトレアはさらに言い募ろうとして口をつぐんだ。窓を叩く音に雨粒が混ざり始めた。春先の雨は部屋を徐々に冷やしていく。
「そう……よね。無理難題を押し付けているのは分かっているわ。だけど、このまま王位に就いても、わたしの思い通りにはならない。それならいっそ、わたしは不毛な戦をするのではなくて、大切なもののために自ら戦いたいのよ」
トランクを下ろす。ジャックの表情は動かない。
「戦う? 蝶よ花よと育てられたお前が、戦い方を知っているのか?」
「それは、これから知っていくわ! おまえはわたしの騎士になるためにここへ来たんでしょう? わたしに協力して! さもないと」
次の言葉を紡ぐより早く、ジャックは一瞬のうちにカトレアの眼前まで迫り、口に人差し指を当てた。黒々とした瞳に射すくめられ、縫い止められたように身体が強張る。
「そこまで言うのなら、頼まれてやるよ。その代わり、報酬を前払いにしてもらおうか」
耳元で囁かれ、心臓をわしづかみにされたような動悸が全身を叩く。同時に、強引に唇が押し当てられた。
ジャックの硬い手のひらが腕や肩口を這い、唇の感触と共にレイとは異なる体温を浴びる。望まない行為のはずなのに抵抗が出来ず、それどころか燃えるような熱に支配されていく。
口づけというのは、こんなにも粗雑なものだったのか。それでもカトレアは無意識のうちに、初めて味わう熱に心を大きく揺るがせていった。
唇が離れると、吐息交じりにジャックは微苦笑した。
「まんざらでもないようだな、お姫様」
我に返りジャックを押し退けようとしたが、首筋のすぐ右に冷ややかな気配を察知した。全身のあらゆる部分が、縛られたように固く震えていく。
カトレアの首に回された右手には、鋭利な短剣が握られていた。
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