【完結】蘭姫と薬花の国

神谷さや

文字の大きさ
13 / 43
暗殺完了

しおりを挟む
 凶刃にさらされた瞬間の絶望が引いていき、カトレアは痛む身体を励ましながら立ち上がった。奇妙な高揚感が湧き上がると同時に、一抹の不安がよぎる。

「何故、おまえはそんな小細工をするの? これじゃまるで、わたしを逃がして、望み通りにさせようとしているものだわ」

 ジャックは短剣をしまい、そうかもな、と口元をつり上げた。

「といっても、俺の仕事はお前をラランジャへ連れて行くことではない。誰かに見つかると面倒だ。王宮を出る手助けはしてやるが、その後俺はイーデンに暗殺完了の報告をする」

 ふと、イーデンの隣に控えるレイの姿が脳裏をよぎる。カトレアが腕にすがりつくと、噛まれた箇所が痛んだのか、ジャックは顔をしかめた。

「待って! イーデンの企みということは、レイもそれを承知で加担しているの!?」

 イーデンが首謀者と知った時よりも、さらに大きな不安が渦巻く。あのレイが、微笑みの裏で陰謀に思考を巡らせていたと思うと、彼との温かな絆が粉々に崩れてしまうような気がした。

 ジャックはカトレアを振りほどくと、真顔で返した。

「どこまで加担しているかは知らないな。だが、知らない訳がない」
「そんな……レイが」

 隣室で休んでいるはずのレイが、喧騒に気づかない訳がない。それにもかかわらず、一向にやって来る気配がないのが、何よりの証拠だった。

 愕然とするカトレアに構わず、ジャックは書机から便箋と羽ペン、インク壺をかっさらうと、テーブルの上に並べた。

「遺書を残せ。ついでに、レイへのお別れも書くことだな」

 雑多に置かれた手紙用の一式を目の前に、カトレアは立ち尽くす。縁談の断りどころではない。この世に対する自らの断りを、書けというのか。

 ジャックは舌打ちを挟み、無理矢理カトレアを椅子に着かせると羽ペンを持たせた。

「何でもいいから書け。書けないのなら、俺が大体の文面を組み立てる。これがあるかないかで、お前の自殺の信憑性は明らかに変わってくる」

 つまり遺書を残すことで、偽装工作の成功確率が上がる。生きるために、今までの人生に別れを告げるのだ。

 かろうじてインク壺にペン先を浸すことは出来たが、レイを思うと手は動かない。見かねたジャックが深々と嘆息し、自ら文面を口にし始めた。

 もう、余計なことを考えて、心を殺したくない。カトレアは言われるがまま、遺書を便箋に書きつけた。見慣れた自分の筆跡で、誰かの悲痛な心境が綴られた。

 遺書と道具を書机に散らばせると、ジャックは事務的に述べた。

「後は、遺髪が必要だ。俺がお前を暗殺した証拠としてな」

 言うなり、先程の短剣を持ち直し、失意のまま座るカトレアの背後に回る。ふと、幼い頃母と交わした会話が脳裏に浮かんだ。

 ――おかあさま、わたしもリカステさまのような、きれいなかみのいろがよかったな。
 ――あら、わたしはカトレアの髪の色が大好きよ。どんな絹糸よりもなめらかで、気高い色だわ。

 本来、黒髪は平民の出の証だ。王族らしからぬ成り上がりの証だと、陰で囁かれることもままあった。けれど母の言葉があったからこそ、カトレアは毎日髪を丁寧にほぐし、保湿に良い花の香油を染み込ませ、いたわってきた。

 だが、遺髪をくれてやることでイーデンを欺けるのなら、惜しくはない。タルトの一切れと同じだ。

「……おまえのような男は、本来触れることもかなわないものよ。丁重に扱いなさい」

 重く口にした言葉を承諾と捉えたのだろう。ジャックは内側の髪を一房すくい上げると、ためらうことなく断ち切った。一房の髪束を結んで懐にしまいこみ、男は目線を向けた。

「手筈は整った。ここから出るぞ」

 立ち上がり、ありったけの荷物を詰め込んだトランクを手に取ると、ジャックはそれを奪い、中からナイフと飲み水用の革袋のみ出し足蹴にして寝台の下に滑り込ませた。戸惑いまじりの抗議の目を向けても、ジャックはびくともしない。

「王女の身の回りの品なんざ持ち歩いていたら、すぐに足がつくぞ」

 一瞥をくれて、ジャックはナイフと革袋をテーブルの上に放る。咎める間もなく、有無を問わずカトレアの衣装箪笥を漁り始めた。

「何をするの!?」

 止めにかかっても、ジャックは一心不乱に箪笥の中をかき回す。引きずり出したのは、着古した冬用の外套と、麻の簡素なワンピースだった。さらに革靴を見つけると、それらをカトレアに押し付け、身に着けるよう命じる。

 意図は、否が応でも理解出来た。祝い事の度に仕立てさせた豪奢なドレスを着る王女は、もう存在しない。残るは、路頭に迷う一人の娘だ。

 欝々とした気持ちで旅装束に着替え、適当なベルトを選ぶと、ナイフと革袋を提げた。ジャックが扉の外から手招きする。カトレアは乱雑になった私室を見渡した。

 ここから離れなければ、理想はこの命もろともイーデンに握りつぶされる。なのに思い出すのは、レイと季節の茶菓子を味わいながら談笑したり、贈られた品々を部屋いっぱいに広げ、老齢の教育係に散々説教をくらった、とりとめのない記憶ばかりだ。

 当たり前のように積み重ねられた日常が、カトレアを縫い止めようとする。
 立ち尽くすカトレアにしびれを切らし、ジャックが手を引っ張る。今は感傷ごと置き去りにするほか、術はなかった。

 ジャックが事前に追い払ったのだろう、部屋の外にいたはずの兵士は見当たらない。足音を忍ばせながら、一階の東のはずれにある裏口を介し外に出る。霧雨が王宮を包み込んでいた。

 温室を横切る。カトレアがいなくとも、庭師やオリーブが花の世話をしてくれるだろうが、後ろ髪をひかれる思いで東門から出る。ジャックはイーデンから渡されたのか、東門の鍵を持っていた。

 後方には轟々としぶきを上げる滝がそびえ、丘陵地帯の下方には城下町の町並みが仄暗い影をかたどっている。
 ジャックはようやく手を放し、滝の方に頭を巡らせた。

「あの急流に身を投げたお前は、朝方には下流の方に流されているだろう。捜索には数日を要する。イーデンは体面上、捜索隊を派遣するだろう」

 体面上。イーデンにこの上なくぴったりの響きは、カトレアの扱いそのものだ。

「わたしの遺体が見つからなかったら、おまえは証拠不十分にならないの?」
「俺がお前を殺害後、自殺に見せかけて滝底に遺体を投げ込んだと話せば、いずれにせよ好都合だ。水死体が見つからないのは、よくある話だ」

 当の本人を目の前にして、よくも淡々と言ってのけられるものだ。寒気がして、カトレアは外套をきつく巻き付けた。

「馬を連れて行きたいところだけど、どうせ足がつくと言うのでしょう?」
「論外だ。言っただろ、王宮を出る手助けはしてやるが、俺はこの後部屋に戻って寝る」
「それじゃあ、わたしはこれから着の身着のままで、一人ラランジャを目指すという訳?」

 言い募り、カトレアは別の思惑を読み取る。感情の起伏に乏しい暗殺者から、一歩退く。

「まさか……このままわたしをのたれ死なせるのが、おまえの本来の目的なの?」

 ジャックはさあな、と肩をすくめ、底意地の悪い笑みを浮かべた。

「戦い方を、知っていくんだろう? 繰り返すが、俺はお前の騎士じゃない。後はお前次第だ」

 あっけないほどに、ジャックは踵を返し元来た道を歩いていく。後を追い、手を伸ばすが空を切る。ジャックがこちらを顧みる様子はない。

 今まで、親しい人を失っても、誰かにしがみつくことで何とか立ち、歩くことが出来た。それはレイだったり、時にはジャックでもあった。

 カトレアがしがみつく柱は、もう一本もない。自分を支えていた王女という主柱すら、切り落とされたのだ。

 最早、蘭姫の名など無意味に等しい。今のカトレアは、道端に投げ捨てられた一輪の花でしかない。

 カトレアは、進むことも戻ることも出来ずに、霧雨の中にしばらく立ち尽くしていた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

【完結】冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない

くろねこ
恋愛
名門伯爵家に政略結婚で嫁いだ、正妻エレノア・リーヴェルト。夫である伯爵ディートリヒ・フォン・アイゼンヴァルトは、 軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。 言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。 ――そして初めて、夫は気づく。 自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。 一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、 「必要とされる存在」として歩き始めていた。 去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。 これは、失ってから愛に気づいた男と、 二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。 ――今さら、遅いのです。

挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】 今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。 「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」 そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。 そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。 けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。 その真意を知った時、私は―。 ※暫く鬱展開が続きます ※他サイトでも投稿中

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

さようならの定型文~身勝手なあなたへ

宵森みなと
恋愛
「好きな女がいる。君とは“白い結婚”を——」 ――それは、夢にまで見た結婚式の初夜。 額に誓いのキスを受けた“その夜”、彼はそう言った。 涙すら出なかった。 なぜなら私は、その直前に“前世の記憶”を思い出したから。 ……よりによって、元・男の人生を。 夫には白い結婚宣言、恋も砕け、初夜で絶望と救済で、目覚めたのは皮肉にも、“現実”と“前世”の自分だった。 「さようなら」 だって、もう誰かに振り回されるなんて嫌。 慰謝料もらって悠々自適なシングルライフ。 別居、自立して、左団扇の人生送ってみせますわ。 だけど元・夫も、従兄も、世間も――私を放ってはくれないみたい? 「……何それ、私の人生、まだ波乱あるの?」 はい、あります。盛りだくさんで。 元・男、今・女。 “白い結婚からの離縁”から始まる、人生劇場ここに開幕。 -----『白い結婚の行方』シリーズ ----- 『白い結婚の行方』の物語が始まる、前のお話です。

【完結】ジュリアはバツイチ人生を謳歌する

ariya
恋愛
エレン王国の名門貴族・アグリア伯爵家に嫁いだジュリア・アグリア(旧姓ベルティー)。 夫のアベル・アグリア伯爵は、騎士として王妃の護衛任務に没頭し、結婚翌日からほぼ別居状態。 社交界のパーティーでは妻のエスコートを代理人に任せ、父の葬儀にも顔を出さず、事務的な会話と手紙のやり取りだけの日々が続く。 ジュリアは8年間の冷遇に耐え抜いたが、ある朝の食事中、静かに切り出す。 「私たち、離婚しましょう」 アベルは絶句するが、ジュリアは淡々と不満を告げる。 どれも自分のしでかしたことにアベルは頭を抱える。 彼女はすでに離婚届と慰謝料の用意を済ませ、夫の仕事に理解を示さなかった「有責妻」として後腐れなく別れるつもりだった。 アベルは内心で反発しつつも、ジュリアの決意の固さに渋々サイン。 こうしてジュリア・アグリアは、伯爵夫人としての全てを置き去りにし、バツイチ人生を開始する。

白い結婚だったので、勝手に離婚しました。何か問題あります?

夢窓(ゆめまど)
恋愛
「――離婚届、受理されました。お疲れさまでした」 教会の事務官がそう言ったとき、私は心の底からこう思った。 ああ、これでようやく三年分の無視に終止符を打てるわ。 王命による“形式結婚”。 夫の顔も知らず、手紙もなし、戦地から帰ってきたという噂すらない。 だから、はい、離婚。勝手に。 白い結婚だったので、勝手に離婚しました。 何か問題あります?

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

処理中です...