【完結】蘭姫と薬花の国

神谷さや

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物言わぬ花

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 昼下がりになると、アリッサムが煎じてくれた薬花が功を奏し、熱は収まった。彼女いわく、屋根裏の寝台の下に、両親が常備薬として置いていた薬花の瓶をいくつか隠してあるのだという。初めて本物を目にした上、身をもって効能を知ることになるとは露にも思わなかった。

 カトレアは改めて自分の正体を打ち明けた。世間から抹殺された身ではあるが、この少女にはきちんと話さねばならない。床に膝をつき、この国から薬花が失われたことを父に代わって詫びた。アリッサムは許す素振りを見せなかったが、カトレアはさらに自分の思いを述べた。

「おまえの両親と同じ薬花師が、南のラランジャにいる。わたしはそこに向かい、戦の元凶となった幻の薬花を咲かせ、いずれ再開する戦の無意味さを証明したいの」

 アリッサムはカトレアの正面に座り、黙って耳を傾けていたが、問いを書きつけた。

『戦が終わったら、コルデホーザは薬花の国に戻るの?』

 率直な問いかけに、イーデンの意地悪い笑みが蘇る。

 ――薬花をこの国に取り戻そうというには、それなりの算段があるのでしょうね?

 形見のロケットに手を添え、カトレアは低く答える。

「……必ず、とは言えない。だけどわたしは、この国が再び薬花を愛せるように導きたい。もうおまえの両親のように、正しさを貫くために命を絶つ民を、出したくないの」

 今はまだ、算段はつかない。だが、あの男にこの国を渡したくない。

 カトレアの秘めたる決意を感じ取ったのか、アリッサムはカトレアの膝に、おずおずと手を乗せた。
 所々皮が剥け、かさついた手のひら。すり傷や切り傷だらけの足。煤けた見てくれを眺め、カトレアは彼女の手を取り、勢いよく立ち上がった。

「おまえ、朝に水を汲んできたでしょう? 近くに川があるなら、水浴びをしない?」

 アリッサムはきょとんとして見上げる。つっぱねられる前に、カトレアは無理矢理屋敷の裏に流れる川へ連れて行ってもらった。

 城下町の辺りからずっと続いているのだろう、穏やかな流れの川に足を浸すと、心地よい冷たさだった。カトレアは林の陰に隠れ外套を脱ぎ、アリッサムを下着姿にさせると、屋敷から持ってきた布で侍女の手つきを思い出しながら互いの身体を拭いた。ついでに洗髪もし、髪を乾かす間はアリッサムと林を散策した。

 この林はシードリング一家が代々所有しているもので、アリッサムにとっては自分の庭のような場所らしい。今は朽ち果ててしまった、木の上に組まれた基地の跡や、ちょっとした崖になっており、迂回して下っていかないと簡単に降りられない箇所を指し示された。

 草むらに紛れて自生する草苺くさいちごや、実がうっすら赤らんでいる山桜桃ゆすらうめの樹も、アリッサムは身振り手振りで教えてくれた。山桜桃はもう少し経たないと果実として味わえないらしいが、石榴石の原石を固めたような草苺を摘み、揃って頬張った。じゅわっと甘みが口いっぱいに広がり、久方ぶりの甘味を心ゆくまで味わうカトレアを、アリッサムは不思議そうに見ていた。

 ワンピースの裾にたんまりと草苺を集め、屋敷に戻った。カトレアは何か使えるものがないかと、アリッサムに断りを入れ背の高い棚から籠を下ろした。

 すると、中には丁寧に折りたたまれた、麻のワンピースが収められていた。共布で作られた、花を模した飾りが胸元についている。アリッサムの母が娘の誕生日にでも用意していたのだろう。

 早速着てもらおうと、カトレアが張り切るのとは対照的に、アリッサムは気後れするのかなかなか首を縦に振らない。それもそうだろう、王宮で侍女たちに身支度を整えさせていたように、王女自ら孤児の少女を飾り立てようとしているのだ。

 アリッサムは憎いはずのカトレアに一晩の寝床を与え、精一杯の恩返しをしてくれた。自分なりの罪滅ぼしかもしれないが、カトレアもまた、この少女を喜ばせたかった。

「いいから着なさいよ。おまえがそんな薄汚れた格好じゃ、わたしの気が済まないのよ!」

 言い張ると、アリッサムは抵抗を諦めたのか、おとなしくなった。まだ湿り気のある髪を梳き、ワンピースを整え、居間の片隅にある割れた鏡に映してやる。彼女は別人が映っているかのように、しきりに瞬きを繰り返した。
 身を清め、新しい服に袖を通したアリッサムは、野に咲く可憐な花のように愛らしかった。

「よく似合ってるわ。今のおまえを見たら、誰も物乞いなんて呼ばないわよ」

 アリッサムは小首を傾げる。信じきれないようだったが、亡き母が遺したワンピースの裾をつまむと、蕾がほころぶように柔らかく微笑んだ。カトレアも自然と目を細めていた。

 陽が傾く頃になると、アリッサムは自ら、カトレアを林の中へ引っ張っていった。まだ食料になるものでも生えているのだろうかと、手を引かれるがまま後をついて行く。
 坂となっている所を抜けると、カトレアは目の前の光景に、感嘆のため息を漏らした。

 林を抜けた先は小高い丘になっており、眼下に一面の花畑が川沿いまで広がっている。アリッサムと脇の坂道を下り、花畑に躍り出ると、橙に抱かれた色とりどりの花が二人を迎えた。

 心を照らす蒲公英の黄、奥ゆかしい菫の紫、慎ましやかな水仙のまっさらな白。誰のためにでもなく、ただ自然に身を委ね、人知れず咲く花たち。カトレアは夢中で愛で、密やかな香りを胸いっぱいに吸い込んだ。

 この花畑を見せるために、連れてきてくれたのだろうか。顔を上げると、西日を背にして、アリッサムが立ったままこちらを向いていた。澄んだ瞳はいつしか憎しみの色が失せ、何も言わずに、カトレアを見つめている。

 ほころんだ土の香りを含んだ風にあおられ、ワンピースの裾がたなびく。小麦色の髪は夕焼けを浴び、きらきらと豊穣の輝きを帯びている。

 物言わぬ花――凛と佇むアリッサムは、そんな言葉を彷彿とさせた。

 彼女はきっと、コルデホーザが再び薬花の咲く国に戻ると信じているのだ。それこそが両親の望みであり、本来のコルデホーザのあるべき姿だと思い続けている。だから、孤独でも生きているのだ。

 カトレアは腰を上げると、アリッサムに歩み寄り、華奢な肩にそっと触れた。

「わたしは、確かに才のない王女かもしれない。だけど、いつか、おまえが薬花と共に生き、心から笑える国を造る。いつになるか、分からないけれど……今、おまえに誓うわ」

 ロケットを胸元で掲げ、頭を垂れる。

 父の行いが、どれだけ許されぬことだったのか。カトレア自身に罪はないが、娘である以上、その凶行を君主としてあるまじき行為だったと受け止めねばならない。

 息が詰まるような責務。明日の自分すらままならぬ現状。それでも、目の前の少女に心から、伝えずにはいられなかった。

 ふわりと、花の香りがした。目を開けると、アリッサムが蒲公英の花を差し出していた。
 花言葉は、真心。

「……わたしを、信じてくれるの?」

 おそるおそる受け取ると、アリッサムは、わずかにはにかんでみせた。

 一国の王女が、村外れの小さな女の子に励まされるなど、今までのカトレアであれば同情と捉え、自尊心を傷つけられていただろう。

 けれど今は彼女のぎこちない微笑みだけで、王宮を離れても生きていていいのだ、生きていけるのだと思えた。

 カトレアはこみ上げる思いごと蒲公英を胸に抱き、大きくうなずいた。
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