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約束
呼ぶ声
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昔から父親が不在、または社務所のほうにいることが多く、自然と、七瀬は自分で家事をするようになった。そして、特に料理は性に合っていたのか、好んでしていた。
意外なことに、秋臣も料理を頻繁にしているらしい。親戚の集まりの時にいつも手伝わされてたんだよ、と彼は言った。酒のつまみをよく作らされた、とも。
「残念ながら、うちには、おれたちが飲めるお酒はないよ」
「お前がそんな顔して平気で酒を飲んでたらびっくりするわ」
秋臣が笑った。
夕食は、七瀬がサバの味噌煮を、秋臣がインゲン豆のかきたまスープを作った。そこに白飯と、七瀬が作り置いていた副菜を付け足した。
七瀬にとって、誰かと食べる夕食は久し振りだった。いつも父親とは食事の時間が合わない。それが昔から当たり前になっていたが、久しぶりに食べる誰かとの夕食は、良いものだった。
一方の秋臣にとっても、その場は居心地がよかったようだ。
「うちはいつも夕食は揃って食べることを強制されるんだが――それが俺には苦痛でさ」
嫌いじゃないが苦手なんだ、家族が。その空気感が。
秋臣はそんなことを言った。
七瀬にもわかるような気がする。七瀬にとって、父親はどこか遠い存在で、苦手だ。二人でいると、どうして良いか分からず、その空気は息苦しい。嫌いではないが――家のことを顧みない、母親の話をほとんどしない、そんな父は、七瀬にとってよくわからない人だった。
風呂の後、七瀬はいつものように浴衣を着た。秋臣は自分のTシャツとジャージを持ってきていたのでそれを着たが、彼は七瀬の格好を珍しそうに見た。
「雰囲気が合ってるなあ」
そう? と七瀬はまんざらでもなく微笑んだ。
「秋臣も着てみる? うちにはお客さん用の浴衣もあるよ」
「じゃあ、明日借りる」
着方はわかる、と秋臣は言った。
「祖母と大叔母に和装は一通り教わったんだよな」
それを思い出したのか、秋臣はげんなりした顔をした。やはり、噂に違わず、久世家の女性たちは強いらしい。家に女性がずっといなかった(幼いころは、親戚の女性たちが代わる代わる世話をしてくれていたが)七瀬にとって、秋臣の話は新鮮だった。
七瀬の部屋は畳で、押し入れと文机、箪笥がある。障子の向こうは縁側に面している。縁側からはガラス戸をあけて庭へ下りることができるようになっていて、地面には草履が二足置いてある。襖で隔てた隣の部屋―秋臣が使う部屋――も構造は同じで、ただ部屋の中は片づけたので空っぽだった。
「寝るか」
おやすみ、という言葉は七瀬にとって本当に久しぶりだった。父親とそんな言葉を交わしたのは、いつだったろう。
七瀬は今まで、宿泊を伴った学校の旅行――宿泊学習や修学旅行に行ったことがなかった。何故か毎回、前日の夜に熱を出してしまうのだ。
隣の部屋に誰かが寝ている……それは味わったことのない不思議な感覚で、なんだか落ち着かないような、けれど安心するような、温かな思いに満ちていた。
な……な……せ。
……もう、すぐ。
むかえ……に……いく。
夢の中で、誰かの声を聞いた。
いつかどこかで、聞いたことのある声。
そのとき誰かが、自分に約束をした。
その約束は――。
「七瀬!」
ぐい、と肩をつかまれ、勢いよく振り向かされて、七瀬は我に返った。
「おい、大丈夫か」
目の前にいるのは、秋臣だった。
「あれ……」
あたりは真夜中だ。神社内の常夜灯と月明かりだけしかない。その仄かな明かりの中で、秋臣の顔は白く浮かび上がっていた。彼の格好は就寝の時と同じで、ただ違うのは草履をはいていること。七瀬も自らの格好を見下ろすと、浴衣で、同じく草履をはいていた。
どうやら、部屋の中で就寝した後、何故か二人ともそのままの格好で、外にいる。
「どうして……」
「胸騒ぎがして目が覚めたんだが、七瀬の部屋を見たらお前がいなくなってた。障子とガラス戸が開けっ放しで、草履が一足なくなっていたから、外に出たんだと思って慌てて探しに来たんだ」
そういわれても、七瀬には、目覚めて外に出た記憶が全くなかった。
「こういうこと、よくあるのか」
相変わらず七瀬の肩をつかんだままの秋臣が尋ねた。七瀬は首を振る。
「いや……初めてだよ。訳が分からない」
けれど、と七瀬はあたりを見回して言った。
「自分がどこへ向かおうとしていたのかは分かるかもしれない……これは、奥社への道だ」
秋臣が千里眼で視た場所だよ、と七瀬は付け足した。
一瞬、秋臣の手の力が強くなり、彼の目が見開かれた。そして、ぐい、と手を七瀬の肩からそのまま腕にずらし、がしりとつかんで、引っ張った。
「いったん戻るぞ」
秋臣に強く左腕をつかまれ、引っ張られながら、七瀬は「秋臣」と声をかけた。
「気づいてくれてありがとう」
ちらりと秋臣は肩越しに振り返り、「当然だ」と言った。
「こういう時のために来たんだ」
意外なことに、秋臣も料理を頻繁にしているらしい。親戚の集まりの時にいつも手伝わされてたんだよ、と彼は言った。酒のつまみをよく作らされた、とも。
「残念ながら、うちには、おれたちが飲めるお酒はないよ」
「お前がそんな顔して平気で酒を飲んでたらびっくりするわ」
秋臣が笑った。
夕食は、七瀬がサバの味噌煮を、秋臣がインゲン豆のかきたまスープを作った。そこに白飯と、七瀬が作り置いていた副菜を付け足した。
七瀬にとって、誰かと食べる夕食は久し振りだった。いつも父親とは食事の時間が合わない。それが昔から当たり前になっていたが、久しぶりに食べる誰かとの夕食は、良いものだった。
一方の秋臣にとっても、その場は居心地がよかったようだ。
「うちはいつも夕食は揃って食べることを強制されるんだが――それが俺には苦痛でさ」
嫌いじゃないが苦手なんだ、家族が。その空気感が。
秋臣はそんなことを言った。
七瀬にもわかるような気がする。七瀬にとって、父親はどこか遠い存在で、苦手だ。二人でいると、どうして良いか分からず、その空気は息苦しい。嫌いではないが――家のことを顧みない、母親の話をほとんどしない、そんな父は、七瀬にとってよくわからない人だった。
風呂の後、七瀬はいつものように浴衣を着た。秋臣は自分のTシャツとジャージを持ってきていたのでそれを着たが、彼は七瀬の格好を珍しそうに見た。
「雰囲気が合ってるなあ」
そう? と七瀬はまんざらでもなく微笑んだ。
「秋臣も着てみる? うちにはお客さん用の浴衣もあるよ」
「じゃあ、明日借りる」
着方はわかる、と秋臣は言った。
「祖母と大叔母に和装は一通り教わったんだよな」
それを思い出したのか、秋臣はげんなりした顔をした。やはり、噂に違わず、久世家の女性たちは強いらしい。家に女性がずっといなかった(幼いころは、親戚の女性たちが代わる代わる世話をしてくれていたが)七瀬にとって、秋臣の話は新鮮だった。
七瀬の部屋は畳で、押し入れと文机、箪笥がある。障子の向こうは縁側に面している。縁側からはガラス戸をあけて庭へ下りることができるようになっていて、地面には草履が二足置いてある。襖で隔てた隣の部屋―秋臣が使う部屋――も構造は同じで、ただ部屋の中は片づけたので空っぽだった。
「寝るか」
おやすみ、という言葉は七瀬にとって本当に久しぶりだった。父親とそんな言葉を交わしたのは、いつだったろう。
七瀬は今まで、宿泊を伴った学校の旅行――宿泊学習や修学旅行に行ったことがなかった。何故か毎回、前日の夜に熱を出してしまうのだ。
隣の部屋に誰かが寝ている……それは味わったことのない不思議な感覚で、なんだか落ち着かないような、けれど安心するような、温かな思いに満ちていた。
な……な……せ。
……もう、すぐ。
むかえ……に……いく。
夢の中で、誰かの声を聞いた。
いつかどこかで、聞いたことのある声。
そのとき誰かが、自分に約束をした。
その約束は――。
「七瀬!」
ぐい、と肩をつかまれ、勢いよく振り向かされて、七瀬は我に返った。
「おい、大丈夫か」
目の前にいるのは、秋臣だった。
「あれ……」
あたりは真夜中だ。神社内の常夜灯と月明かりだけしかない。その仄かな明かりの中で、秋臣の顔は白く浮かび上がっていた。彼の格好は就寝の時と同じで、ただ違うのは草履をはいていること。七瀬も自らの格好を見下ろすと、浴衣で、同じく草履をはいていた。
どうやら、部屋の中で就寝した後、何故か二人ともそのままの格好で、外にいる。
「どうして……」
「胸騒ぎがして目が覚めたんだが、七瀬の部屋を見たらお前がいなくなってた。障子とガラス戸が開けっ放しで、草履が一足なくなっていたから、外に出たんだと思って慌てて探しに来たんだ」
そういわれても、七瀬には、目覚めて外に出た記憶が全くなかった。
「こういうこと、よくあるのか」
相変わらず七瀬の肩をつかんだままの秋臣が尋ねた。七瀬は首を振る。
「いや……初めてだよ。訳が分からない」
けれど、と七瀬はあたりを見回して言った。
「自分がどこへ向かおうとしていたのかは分かるかもしれない……これは、奥社への道だ」
秋臣が千里眼で視た場所だよ、と七瀬は付け足した。
一瞬、秋臣の手の力が強くなり、彼の目が見開かれた。そして、ぐい、と手を七瀬の肩からそのまま腕にずらし、がしりとつかんで、引っ張った。
「いったん戻るぞ」
秋臣に強く左腕をつかまれ、引っ張られながら、七瀬は「秋臣」と声をかけた。
「気づいてくれてありがとう」
ちらりと秋臣は肩越しに振り返り、「当然だ」と言った。
「こういう時のために来たんだ」
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