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第一話
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王宮の最奥に魔術師の塔があった。その主である筆頭魔術師エリオス・グレイヴァルドは、肩にかかる漆黒の髪と金色の瞳を持ち、白い肌がその暗い装いを引き立てている。
年齢を重ねた端整な顔立ちには、成熟した男性ならではのそこはかとない色気が漂い、鋭い瞳には深い知性を宿していた。
黒を基調としたロングコートには銀糸の刺繍が施され、腰には魔道具を携えていた。動くたびに裏地の深紅がちらりと覗き、威厳と危険な香りを孕んでいる。
彼は王や貴族たちから絶大な信頼を得ている一方で、不吉な存在として遠ざけられもしていた。
エリオスに関わると不幸になる――そんな噂が後を絶たなかったからだ。
確かに彼が操る魔術は、光や癒しの魔法ではなく、闇を宿す黒魔法。王国を幾度も救った実績があるとはいえ、その魔力の根源には未知なる部分が多く、誰もが彼を敬いながらも一線を引いていた。
だが――。
「エリオス様、今日も会いに来ました~!」
部屋の扉を開け放って入ってきたのは、伯爵令嬢のセシル・アーデルラインだ。
明るく積極的な性格を持つ彼女は、どこか飄々とした態度でエリオスの空気を乱す。
背中まで届く金色の髪を緩く編み込み、飾り気の少ない小さな花飾りを髪に挿していた。そのサファイアブルーの瞳は生き生きと輝き、朗らかな笑顔はまるで春の花のように愛らしい。
「また君か」
エリオスはあからさまに嫌そうな顔をした。
「またです! 今日もお菓子を作ってきたので、一緒に食べましょう!」
セシルは無邪気に笑い、勝手知ったる様子で台所に入ると、火の魔法で湯を沸かし始める。
ハミングしながら茶の用意をする彼女の姿を見て、エリオスは書類を脇に置き、ため息をつく。
「なぜ君は私に執着する? 私がどんな人間か、少しは考えたことがあるのか?」
「もちろんです!」
セシルは笑顔で振り返って胸を張る。
「エリオス様は王国一の魔術師で、私の命の恩人です!」
幼い頃、誘拐事件に巻き込まれた彼女を救ったのが、まだ筆頭魔術師になる前の若き日のエリオスだった。
『もう大丈夫だ、私が守る』
彼のその言葉と、優しく抱き上げてくれた時の温もりが、今でもセシルの心に深く刻まれている。以来、彼女にとってエリオスは『理想の英雄』であり、『想い人』なのだ。
「その恩義に報いたいというなら、もっと現実的な方法を考えるんだな」
「恩義とかじゃありません。私、エリオス様のことが好きなんです!」
きゃーと小さく悲鳴を上げながら、セシルは自分の顔を両手で覆い、ぶんぶんと左右に揺れる。
彼女の真っ直ぐな言葉に、エリオスは一瞬だけ言葉を詰まらせたが、すぐに片眉を吊り上げる。
「君は愚かだ。私は人々の言う通り、呪われている。私に近づけば、君も不幸になるかもしれない」
「それなら……私がもっと幸せにして差し上げます!」
セシルの言葉に、エリオスは返す言葉を失い、彼女から視線を逸らした。
若かりし頃、彼は強大な黒魔法の力を手に入れる代償として、自らの魂に『孤独の呪い』を刻んだ。その呪いは、彼の愛する者に不幸を呼び寄せ、他者を遠ざける運命を背負わせるものだった。
呪いを解く方法は残念ながら不明だが、国を救うためには必要な力だったので後悔はしていない。
エリオスは、呪いを受けてから人々との距離を取り続けていた。王宮の筆頭魔術師という地位に身を置いたのも、国を守るという大義名分のもとで、自らの孤独を正当化するためだった。
しかし、セシルはそんなことはお構いなしにほぼ毎日、塔へ足を運んでくる。
「ずっとエリオス様を尊敬してきたんです、私の理想なんですよ。どうか、私と結婚してください!」
セシルの目は輝いていた。
「それならなおさら……私は理想に値しない男だ」
エリオスは苦々しい笑みを浮かべる。
「そんなことありません!」
「私と君にどれだけ歳の差があると思う? もっとつり合いの取れた男を探すがいい」
「たった十五歳差じゃないですか。父も説得済みですので、安心して求婚のご挨拶にいらしてください」
セシルは一歩も引かない。それどころか、彼の机に身を乗り出し、まっすぐに彼を見つめた。
「それをたったと言い切れる若さが羨ましい。それに私は呪われているのだぞ?」
「それでも、私はあなたの隣にいたいんです!」
「君を不幸にしたくないというのがわからないのか?」
「はい、わかりません」
にっこりと笑うセシルに、エリオスは再び大きなため息をついた。
年齢を重ねた端整な顔立ちには、成熟した男性ならではのそこはかとない色気が漂い、鋭い瞳には深い知性を宿していた。
黒を基調としたロングコートには銀糸の刺繍が施され、腰には魔道具を携えていた。動くたびに裏地の深紅がちらりと覗き、威厳と危険な香りを孕んでいる。
彼は王や貴族たちから絶大な信頼を得ている一方で、不吉な存在として遠ざけられもしていた。
エリオスに関わると不幸になる――そんな噂が後を絶たなかったからだ。
確かに彼が操る魔術は、光や癒しの魔法ではなく、闇を宿す黒魔法。王国を幾度も救った実績があるとはいえ、その魔力の根源には未知なる部分が多く、誰もが彼を敬いながらも一線を引いていた。
だが――。
「エリオス様、今日も会いに来ました~!」
部屋の扉を開け放って入ってきたのは、伯爵令嬢のセシル・アーデルラインだ。
明るく積極的な性格を持つ彼女は、どこか飄々とした態度でエリオスの空気を乱す。
背中まで届く金色の髪を緩く編み込み、飾り気の少ない小さな花飾りを髪に挿していた。そのサファイアブルーの瞳は生き生きと輝き、朗らかな笑顔はまるで春の花のように愛らしい。
「また君か」
エリオスはあからさまに嫌そうな顔をした。
「またです! 今日もお菓子を作ってきたので、一緒に食べましょう!」
セシルは無邪気に笑い、勝手知ったる様子で台所に入ると、火の魔法で湯を沸かし始める。
ハミングしながら茶の用意をする彼女の姿を見て、エリオスは書類を脇に置き、ため息をつく。
「なぜ君は私に執着する? 私がどんな人間か、少しは考えたことがあるのか?」
「もちろんです!」
セシルは笑顔で振り返って胸を張る。
「エリオス様は王国一の魔術師で、私の命の恩人です!」
幼い頃、誘拐事件に巻き込まれた彼女を救ったのが、まだ筆頭魔術師になる前の若き日のエリオスだった。
『もう大丈夫だ、私が守る』
彼のその言葉と、優しく抱き上げてくれた時の温もりが、今でもセシルの心に深く刻まれている。以来、彼女にとってエリオスは『理想の英雄』であり、『想い人』なのだ。
「その恩義に報いたいというなら、もっと現実的な方法を考えるんだな」
「恩義とかじゃありません。私、エリオス様のことが好きなんです!」
きゃーと小さく悲鳴を上げながら、セシルは自分の顔を両手で覆い、ぶんぶんと左右に揺れる。
彼女の真っ直ぐな言葉に、エリオスは一瞬だけ言葉を詰まらせたが、すぐに片眉を吊り上げる。
「君は愚かだ。私は人々の言う通り、呪われている。私に近づけば、君も不幸になるかもしれない」
「それなら……私がもっと幸せにして差し上げます!」
セシルの言葉に、エリオスは返す言葉を失い、彼女から視線を逸らした。
若かりし頃、彼は強大な黒魔法の力を手に入れる代償として、自らの魂に『孤独の呪い』を刻んだ。その呪いは、彼の愛する者に不幸を呼び寄せ、他者を遠ざける運命を背負わせるものだった。
呪いを解く方法は残念ながら不明だが、国を救うためには必要な力だったので後悔はしていない。
エリオスは、呪いを受けてから人々との距離を取り続けていた。王宮の筆頭魔術師という地位に身を置いたのも、国を守るという大義名分のもとで、自らの孤独を正当化するためだった。
しかし、セシルはそんなことはお構いなしにほぼ毎日、塔へ足を運んでくる。
「ずっとエリオス様を尊敬してきたんです、私の理想なんですよ。どうか、私と結婚してください!」
セシルの目は輝いていた。
「それならなおさら……私は理想に値しない男だ」
エリオスは苦々しい笑みを浮かべる。
「そんなことありません!」
「私と君にどれだけ歳の差があると思う? もっとつり合いの取れた男を探すがいい」
「たった十五歳差じゃないですか。父も説得済みですので、安心して求婚のご挨拶にいらしてください」
セシルは一歩も引かない。それどころか、彼の机に身を乗り出し、まっすぐに彼を見つめた。
「それをたったと言い切れる若さが羨ましい。それに私は呪われているのだぞ?」
「それでも、私はあなたの隣にいたいんです!」
「君を不幸にしたくないというのがわからないのか?」
「はい、わかりません」
にっこりと笑うセシルに、エリオスは再び大きなため息をついた。
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