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一話 敗走、恐怖の人頭馬(ケンタウロス)
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世界暦5331年、フロリア王国の属領ランプシャーに侵入したメディオス王国の軍隊を追い返すために、戦時編成の臨時増員を行った歩兵隊が派遣された。
しかし、メディオスの有する人頭馬軽騎兵の攻撃によりフロリア王国軍の隊列は散り散りになった。
敗走する二人の歩兵が今、深い森に迷い込んでいる。
「はぁ…はぁ、っくぅ…はぁ…はぁ…はぁ」
俺、レオナード・マクレガンが走るのは起伏のある森の中。
どこにでもある普通の森はカバノキが天を覆い、クマザサが地面を覆った。
地面は最近の雨でぬかるみ、肉を踏みつけているのかわからないくらいで気持ち悪い。
右手には短剣、腰にはサーベル、まだ新しくも泥で汚れきった軍服。
背後をしきりに気にしながら走る姿はまさに敗走だ。
背後ではおそらく、俺たちの締め出された要塞で最後の抵抗が行われているのだろう。
「て、敵は…撒げ、ましだが?撒けましだ…よね!?」
隣で血まみれの肩を抑えて走るのは、同じ隊列で戦っていたサミュエル。
同郷の後輩兵士で、俺が軍隊に入る前からの徒弟仲間でもあった。
彼も今はサーベルを差して、同じ軍服姿。
きゃしゃな体で背も低く、よく軍隊に入れたものだと思う。
実を言えば、わがフロリア王国軍は人員不足で規制が緩くなっているうえに、年齢も身長もごまかせる。
それだから大勢の少年兵が入られたものだが、戦力になるかと問えばこの有り様である。
少年兵たちが初陣にして腰を抜かしたり失禁しないのは褒めてやれるが、敵騎兵の突進を止めることはできなかった。
結果、サミュエルは俺と後方にいたにもかかわらず、肩に鉛玉が貫通した。
サミュエルは会話するのがやっとの息遣いで逃げている。
俺も走り続けてわき腹が痛くなったりしているのだが、足を止めたら危ないところなのでそうもいかない。
息切れのまま俺も返答した。
「分から…ん。隠れられ…るところで、少し…休もう」
だんだんと戦闘の音が遠のいき、大砲の音だけが響くようになった。
大砲の音以外は何もまだ聞こえないので、少し安心して先へ進めた。
そして、川岸にたどり着くと大きな、岩の割れ目が目に入った。
人が二人隠れるのにちょうどよく、まさに俺たちのために作られた天然の掩兵壕だ。
敵の罠かと思うぐらいにピッタリすぎて怖いが、こんなところに罠を仕掛ける必要はないから大丈夫だ。
「あそこで…休むぞ。サム、もうひと踏ん張り…だ」
憔悴しきったサミュエルは軽くうなずくだけで一言も発さなかった。
そして「休むぞ」その一言を聞いただけでサミュエルは体の力が抜けそうになった。
俺が肩を貸してやることにより、その場に倒れこむことは回避したが、もう一度しっかりと歩くことはなかった。
サミュエルを半ば引きずるようにして岩陰へたどり着く。
重い。
重い鉄砲を早々に戦場で捨ててきたとしても、サーベルだとか背嚢だとかが重い。
背嚢は日用品など必要なものが多いため、鉄砲なんぞよりも重要だ。
サミュエルがいくら軽かろうとフル装備なら重いのだ。
とりあえず、サミュエルを押し込んだら、おれも岩陰に入った。
「レオ…ナード…先輩、肩を洗う……水を…汲んでこ……きてもら…えます、か?この…ま、ままだと…傷が…膿んでしまい…ます」
サミュエルは肩を爪が食い込むほど抑えていた。
一度休みだすと痛みはどっとやってくるものだ。
俺もサミュエルも水筒は落としてこなかった。
岩の近くには川、しかも上流なので結構きれいだ。
「任せろ。お前の水筒も貸せ。たっぷり汲んできてやるからな」
サミュエルは引きつった顔そのままに血まみれの手で水筒を渡してくれた。
べっとり血の付いた水筒ごと洗ってやるのが先かもしれない。
水筒を受け取ったら、さっさと川まで降りて、水筒を水につけた。
降りるまで用心し、大した音は立てなかった、大丈夫だ。
雪解け水なのか非常に冷たい。
平地では初夏の兆しが表れているころだろうが、山中はやっと春になったばかりだ。
水筒を洗いつつ周りは気にしていた。
ここで恐ろしいものに気が付いた。
蹄の音がする。
森の景色に自分たち以外の人間は見ないが、何かが近づいていると感じた。
銃声も聞こえ、叫び声も聞こえる。
人頭馬か馬か、とにかく敵か味方かわからない蹄が石をける音は近づいているようだ。
川は幅が狭く流れが急だが、非常に浅く対岸まで渡るのは苦もなさそうだった。
通常、水深は見た目よりも深いが、それを考慮しても場所を選びさえすればすぐに渡れる。
一方、川には人が来ていると思しき跡があった。
対岸に割れた水がめが打ち捨てられており、幅の狭い階段もクマザサの間に見えた。
メディオスやフロリアの軍隊が通ったというよりも、近くに誰かが住んでいる雰囲気だ。
(かくまってもらえばもっと安全かもしれない)
そうした考えが浮かんだ。
俺はさっさと水筒の水をいっぱいに汲んで、例の岩陰まで戻ることにした。
この間も敵か味方かわからない音が続き、非常に心細かった。
気づかれていいのか悪いのか、気づかれてはいけない方だろう、物音をできるだけ立てずに岩陰まで動いた。
そろり、そろり、と忍び足、しかしクマザサで足場が覆われるところまで来たら忍び足も通じなくなってしまい、葉と長靴がすれる音はどうしても避けられない。
そのうえ、足下で物音がした。
ボキッ!!
枝だ。
カバノキの枯れ木がわきにあり、おそらくその枝。
俺は体中の血に氷が走り、その場に固まってしまった。
聞こえる足音がそれからしばらくして止まり、声が聞こえた。
「**!********。*****、******」
俺が聞いたことのない言葉、人頭馬の言語だろうか。
メディオスの兵士の言葉は分からない。
これが人頭馬なら絶体絶命。
人頭馬の射撃は正確なことで知られている。
弓矢を使っていた時代からその軽騎兵としての有用性は変わっていない。
そいつらとはばったり出会うどころか、その視界に入ることすら危ない。
しばらくはじっと物音ひとつ立てずに気配を消すことに専念した。
「***」
何か安心したような口調で話す声が聞こえる。
「気のせいだろ」と言っているような気がした。
足音はそれからしばらくして動き出した。
馬のいななきや声が全く聞こえないことから人頭馬の可能性が高いのは非常に嫌なことだが、ひとまずの安心。
俺は再び、慎重に歩き出した。
岩陰にたどり着くと、まだサミュエルは息をしていたし意識もあった。
ずいぶんとしぶとい。
しばらく待って足音が聞こえないぐらい遠のいてから水筒を構えた。
「今から傷口を洗うからな。が、声は立てるな。口に布をかんでろよ」
小声で耳に向かっていった。
そしてサミュエルの上着を脱がせて、それをかませた。
水筒の口を開け、水が注がれる。
「っ!…んんんっ!…っっっっ!」
サミュエルは相当こらえている。
傷を負ったまま走っていたことから分かるように、サミュエルはかなりの忍耐力を持っているが、さすがに滲みているようだ。
しばらくすると、人頭馬はまた遠くへ行ったようで助かった。
水筒二つを使い切ると、背嚢から予備のクラヴァット(ネクタイの原型、フロリア王国軍の標準装備)を取り出してそれで止血した。
「手際が…いい…んですね。先輩…医者…の家…の生まれ…でしたか」
「いや、工房が休みの日に喧嘩ばっかりやってたから、応急手当も慣れちまっただけだ」
「そう…ですか。あの…喧嘩が…役に立…つんで…すね」
「あんまりしゃべるな。少し休んだら移動するからな」
俺自身、初陣のときに痛感したが、喧嘩と戦争は同じ争いでも全く違う。
鉄砲はわずかな訓練で一般人が戦力になる。
その鉄砲を大量に動員した昨今の戦争で死傷者は激増している。
喧嘩の技術が役に立つのは白兵戦だが、たいていはそうなる前に白旗が上がる。
なにせ、大砲と鉄砲で戦の勝敗はついてしまうのだ。
サミュエルの手当てが終わり、落ち着くと、俺は先ほどの川岸で見たものについて話した。
「助かるん…でしょうか?誰か、かくまって…くれれば…いいのですが」
「大丈夫だろう、そう信じよう。どのみちこの辺りも、もうすぐ占領されるんだからな」
「先輩、もし…危なくな…ったら、僕を…置いて、逃げて…ください。死んでも…ちゃんと…お墓を、作って…もら、えれば十分…ですから」
「馬鹿言うな。その傷でまだしゃべれるんだ。養生してれば回復するんはずだから、あきらめるな」
いよいよ岩陰から飛び出すときになって、体制を整える。
背嚢よし、サーベルよし、サミュエルよし(担いでいる)、周囲よし。
「出るぞ」
岩から足を踏み出せば危険地帯。
足元注意よりも早く川を渡りたかった。
河原までバキバキ音を立てても何事もなかったが、川を横切っている最中だった。
「**!**!*******、*」
突然、人頭馬と思しき声が聞こえてきた。
やはり、あれだけの音を立てれば気づくか、だが、これは気づかれるかどうかではなく時間の勝負だ。
「気づかれたか!急ぐぞ!」
火事場の馬鹿力スイッチが入る。
足に精いっぱいの力を込めて川を渡った。
「**!**!**!*****」
見知らぬ言語が大きく聞こえ、思わず後ろを振り返った。
木立の奥に見えた、太陽の下に立つその影はまさしく人頭馬!
河原からクマザサの中へと体を投げ出してできるだけ身を隠したかったが、あいにく敵の方は太陽を背にし視界が抜群。
どうする、俺は逃げられるのか?
今の装備はとても重い、加えて山道はどこまで続くかわかっていない。
どうやって逃げるのか、一瞬の間に判断する必要がある。
ああでもない、こうでもないと考えている場合ではない。
だが一つだけ考えがすぐに浮かんだ。
そのときとっさに浮かんだ考えは、人頭馬への恐怖からとっさに行動へと移ることになる。
「畜生!畜生ぉぉぉおおお!サム!済まんっ!!」
背嚢とサミュエルを捨てた。
とたんに俺の身は軽くなったが、心には同じ分かそれ以上の重さがのしかかってくる。
俺だって仲間は捨てたくないが、今は生きることに必死で、怖くて、どうしようもなかった。
「wwwwww!!***!**!****」
笑いだけは種族が違おうと同じだった。
いくらでも笑え、俺は仲間を捨てた畜生なんだから。
必死で足を進め、背後は見なかった。
追ってこなければ発砲もしなかった。
サミュエルは撃たれていないだろうか。
自分で捨てておいて、まだ心配する自分が白々しかった。
山道、逃げ道をひた走ったが、その終わりはすぐだった。
恐怖で時間の感覚も何も吹き飛んでいたからかもしれないが、すぐに思える時間だった。
塀に囲まれた建物と、裏口と思しき木戸が見えた。
あぁ、来てしまった。
仲間を捨てて自分だけ生き残ろうというのかレオナードよ!
しかし、体はもはや俺のものではなかった。
恐怖が体を動かしていたのだ。
俺が動かせるのは、もはや涙腺だけだった。
木戸に助走をつけて勢い良くぶつかる。
後から考えたら、ふつうに開ければよかったかもしれないが、この時はものに当たってでも感情を鎮めたいという思いがあったのだろう。
あっけなく木戸は破れた。
あまりのあっけなさに、俺の体は投げ出される形になり、地面に投げ出されて痛い目を見る羽目になった。
倒れてすぐに頭を上げ、見回した木戸の向こうは小さな庭園だった。
しかし、メディオスの有する人頭馬軽騎兵の攻撃によりフロリア王国軍の隊列は散り散りになった。
敗走する二人の歩兵が今、深い森に迷い込んでいる。
「はぁ…はぁ、っくぅ…はぁ…はぁ…はぁ」
俺、レオナード・マクレガンが走るのは起伏のある森の中。
どこにでもある普通の森はカバノキが天を覆い、クマザサが地面を覆った。
地面は最近の雨でぬかるみ、肉を踏みつけているのかわからないくらいで気持ち悪い。
右手には短剣、腰にはサーベル、まだ新しくも泥で汚れきった軍服。
背後をしきりに気にしながら走る姿はまさに敗走だ。
背後ではおそらく、俺たちの締め出された要塞で最後の抵抗が行われているのだろう。
「て、敵は…撒げ、ましだが?撒けましだ…よね!?」
隣で血まみれの肩を抑えて走るのは、同じ隊列で戦っていたサミュエル。
同郷の後輩兵士で、俺が軍隊に入る前からの徒弟仲間でもあった。
彼も今はサーベルを差して、同じ軍服姿。
きゃしゃな体で背も低く、よく軍隊に入れたものだと思う。
実を言えば、わがフロリア王国軍は人員不足で規制が緩くなっているうえに、年齢も身長もごまかせる。
それだから大勢の少年兵が入られたものだが、戦力になるかと問えばこの有り様である。
少年兵たちが初陣にして腰を抜かしたり失禁しないのは褒めてやれるが、敵騎兵の突進を止めることはできなかった。
結果、サミュエルは俺と後方にいたにもかかわらず、肩に鉛玉が貫通した。
サミュエルは会話するのがやっとの息遣いで逃げている。
俺も走り続けてわき腹が痛くなったりしているのだが、足を止めたら危ないところなのでそうもいかない。
息切れのまま俺も返答した。
「分から…ん。隠れられ…るところで、少し…休もう」
だんだんと戦闘の音が遠のいき、大砲の音だけが響くようになった。
大砲の音以外は何もまだ聞こえないので、少し安心して先へ進めた。
そして、川岸にたどり着くと大きな、岩の割れ目が目に入った。
人が二人隠れるのにちょうどよく、まさに俺たちのために作られた天然の掩兵壕だ。
敵の罠かと思うぐらいにピッタリすぎて怖いが、こんなところに罠を仕掛ける必要はないから大丈夫だ。
「あそこで…休むぞ。サム、もうひと踏ん張り…だ」
憔悴しきったサミュエルは軽くうなずくだけで一言も発さなかった。
そして「休むぞ」その一言を聞いただけでサミュエルは体の力が抜けそうになった。
俺が肩を貸してやることにより、その場に倒れこむことは回避したが、もう一度しっかりと歩くことはなかった。
サミュエルを半ば引きずるようにして岩陰へたどり着く。
重い。
重い鉄砲を早々に戦場で捨ててきたとしても、サーベルだとか背嚢だとかが重い。
背嚢は日用品など必要なものが多いため、鉄砲なんぞよりも重要だ。
サミュエルがいくら軽かろうとフル装備なら重いのだ。
とりあえず、サミュエルを押し込んだら、おれも岩陰に入った。
「レオ…ナード…先輩、肩を洗う……水を…汲んでこ……きてもら…えます、か?この…ま、ままだと…傷が…膿んでしまい…ます」
サミュエルは肩を爪が食い込むほど抑えていた。
一度休みだすと痛みはどっとやってくるものだ。
俺もサミュエルも水筒は落としてこなかった。
岩の近くには川、しかも上流なので結構きれいだ。
「任せろ。お前の水筒も貸せ。たっぷり汲んできてやるからな」
サミュエルは引きつった顔そのままに血まみれの手で水筒を渡してくれた。
べっとり血の付いた水筒ごと洗ってやるのが先かもしれない。
水筒を受け取ったら、さっさと川まで降りて、水筒を水につけた。
降りるまで用心し、大した音は立てなかった、大丈夫だ。
雪解け水なのか非常に冷たい。
平地では初夏の兆しが表れているころだろうが、山中はやっと春になったばかりだ。
水筒を洗いつつ周りは気にしていた。
ここで恐ろしいものに気が付いた。
蹄の音がする。
森の景色に自分たち以外の人間は見ないが、何かが近づいていると感じた。
銃声も聞こえ、叫び声も聞こえる。
人頭馬か馬か、とにかく敵か味方かわからない蹄が石をける音は近づいているようだ。
川は幅が狭く流れが急だが、非常に浅く対岸まで渡るのは苦もなさそうだった。
通常、水深は見た目よりも深いが、それを考慮しても場所を選びさえすればすぐに渡れる。
一方、川には人が来ていると思しき跡があった。
対岸に割れた水がめが打ち捨てられており、幅の狭い階段もクマザサの間に見えた。
メディオスやフロリアの軍隊が通ったというよりも、近くに誰かが住んでいる雰囲気だ。
(かくまってもらえばもっと安全かもしれない)
そうした考えが浮かんだ。
俺はさっさと水筒の水をいっぱいに汲んで、例の岩陰まで戻ることにした。
この間も敵か味方かわからない音が続き、非常に心細かった。
気づかれていいのか悪いのか、気づかれてはいけない方だろう、物音をできるだけ立てずに岩陰まで動いた。
そろり、そろり、と忍び足、しかしクマザサで足場が覆われるところまで来たら忍び足も通じなくなってしまい、葉と長靴がすれる音はどうしても避けられない。
そのうえ、足下で物音がした。
ボキッ!!
枝だ。
カバノキの枯れ木がわきにあり、おそらくその枝。
俺は体中の血に氷が走り、その場に固まってしまった。
聞こえる足音がそれからしばらくして止まり、声が聞こえた。
「**!********。*****、******」
俺が聞いたことのない言葉、人頭馬の言語だろうか。
メディオスの兵士の言葉は分からない。
これが人頭馬なら絶体絶命。
人頭馬の射撃は正確なことで知られている。
弓矢を使っていた時代からその軽騎兵としての有用性は変わっていない。
そいつらとはばったり出会うどころか、その視界に入ることすら危ない。
しばらくはじっと物音ひとつ立てずに気配を消すことに専念した。
「***」
何か安心したような口調で話す声が聞こえる。
「気のせいだろ」と言っているような気がした。
足音はそれからしばらくして動き出した。
馬のいななきや声が全く聞こえないことから人頭馬の可能性が高いのは非常に嫌なことだが、ひとまずの安心。
俺は再び、慎重に歩き出した。
岩陰にたどり着くと、まだサミュエルは息をしていたし意識もあった。
ずいぶんとしぶとい。
しばらく待って足音が聞こえないぐらい遠のいてから水筒を構えた。
「今から傷口を洗うからな。が、声は立てるな。口に布をかんでろよ」
小声で耳に向かっていった。
そしてサミュエルの上着を脱がせて、それをかませた。
水筒の口を開け、水が注がれる。
「っ!…んんんっ!…っっっっ!」
サミュエルは相当こらえている。
傷を負ったまま走っていたことから分かるように、サミュエルはかなりの忍耐力を持っているが、さすがに滲みているようだ。
しばらくすると、人頭馬はまた遠くへ行ったようで助かった。
水筒二つを使い切ると、背嚢から予備のクラヴァット(ネクタイの原型、フロリア王国軍の標準装備)を取り出してそれで止血した。
「手際が…いい…んですね。先輩…医者…の家…の生まれ…でしたか」
「いや、工房が休みの日に喧嘩ばっかりやってたから、応急手当も慣れちまっただけだ」
「そう…ですか。あの…喧嘩が…役に立…つんで…すね」
「あんまりしゃべるな。少し休んだら移動するからな」
俺自身、初陣のときに痛感したが、喧嘩と戦争は同じ争いでも全く違う。
鉄砲はわずかな訓練で一般人が戦力になる。
その鉄砲を大量に動員した昨今の戦争で死傷者は激増している。
喧嘩の技術が役に立つのは白兵戦だが、たいていはそうなる前に白旗が上がる。
なにせ、大砲と鉄砲で戦の勝敗はついてしまうのだ。
サミュエルの手当てが終わり、落ち着くと、俺は先ほどの川岸で見たものについて話した。
「助かるん…でしょうか?誰か、かくまって…くれれば…いいのですが」
「大丈夫だろう、そう信じよう。どのみちこの辺りも、もうすぐ占領されるんだからな」
「先輩、もし…危なくな…ったら、僕を…置いて、逃げて…ください。死んでも…ちゃんと…お墓を、作って…もら、えれば十分…ですから」
「馬鹿言うな。その傷でまだしゃべれるんだ。養生してれば回復するんはずだから、あきらめるな」
いよいよ岩陰から飛び出すときになって、体制を整える。
背嚢よし、サーベルよし、サミュエルよし(担いでいる)、周囲よし。
「出るぞ」
岩から足を踏み出せば危険地帯。
足元注意よりも早く川を渡りたかった。
河原までバキバキ音を立てても何事もなかったが、川を横切っている最中だった。
「**!**!*******、*」
突然、人頭馬と思しき声が聞こえてきた。
やはり、あれだけの音を立てれば気づくか、だが、これは気づかれるかどうかではなく時間の勝負だ。
「気づかれたか!急ぐぞ!」
火事場の馬鹿力スイッチが入る。
足に精いっぱいの力を込めて川を渡った。
「**!**!**!*****」
見知らぬ言語が大きく聞こえ、思わず後ろを振り返った。
木立の奥に見えた、太陽の下に立つその影はまさしく人頭馬!
河原からクマザサの中へと体を投げ出してできるだけ身を隠したかったが、あいにく敵の方は太陽を背にし視界が抜群。
どうする、俺は逃げられるのか?
今の装備はとても重い、加えて山道はどこまで続くかわかっていない。
どうやって逃げるのか、一瞬の間に判断する必要がある。
ああでもない、こうでもないと考えている場合ではない。
だが一つだけ考えがすぐに浮かんだ。
そのときとっさに浮かんだ考えは、人頭馬への恐怖からとっさに行動へと移ることになる。
「畜生!畜生ぉぉぉおおお!サム!済まんっ!!」
背嚢とサミュエルを捨てた。
とたんに俺の身は軽くなったが、心には同じ分かそれ以上の重さがのしかかってくる。
俺だって仲間は捨てたくないが、今は生きることに必死で、怖くて、どうしようもなかった。
「wwwwww!!***!**!****」
笑いだけは種族が違おうと同じだった。
いくらでも笑え、俺は仲間を捨てた畜生なんだから。
必死で足を進め、背後は見なかった。
追ってこなければ発砲もしなかった。
サミュエルは撃たれていないだろうか。
自分で捨てておいて、まだ心配する自分が白々しかった。
山道、逃げ道をひた走ったが、その終わりはすぐだった。
恐怖で時間の感覚も何も吹き飛んでいたからかもしれないが、すぐに思える時間だった。
塀に囲まれた建物と、裏口と思しき木戸が見えた。
あぁ、来てしまった。
仲間を捨てて自分だけ生き残ろうというのかレオナードよ!
しかし、体はもはや俺のものではなかった。
恐怖が体を動かしていたのだ。
俺が動かせるのは、もはや涙腺だけだった。
木戸に助走をつけて勢い良くぶつかる。
後から考えたら、ふつうに開ければよかったかもしれないが、この時はものに当たってでも感情を鎮めたいという思いがあったのだろう。
あっけなく木戸は破れた。
あまりのあっけなさに、俺の体は投げ出される形になり、地面に投げ出されて痛い目を見る羽目になった。
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