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061 エレオノール・ド・モンテーニュ

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全身にしみこむ寒さで娘は目覚めた。
目を開けたのになぜか薄暗い。どうしたのかと目をしばたたかせる。

昨夜は寝室で寝ていたはずなのに……?

不審に思いながら眠気を振り払っていると周囲にある人いきれに気が付いた。
どういうわけだか牢屋の中にいるように思える。
鉄格子の向こうでは粗野な傭兵たちが酒を飲んではくだを巻いていた。
何が何だかわからない。目が覚めたら知らない天井である。
地獄にでも転生したのだろうか?

理解の及ばない事態に困惑していると監視の兵が「飯だ」と言ってパンとスープを配り始めた。
空腹を覚えた娘もそれにありつく。
味は美味いとは言えないが、不味いとも言えない微妙なものだった。

「ちゃんと喰えよ。お前たちは大事な商品花嫁だ。
 新大陸でコンキスタドールの素敵な旦那様に飼われる前に死なれちゃ困るからな」

商品花嫁なる聞きなれない言葉が混じってはいたが、凡その意味は娘にもわかる。

性奴隷として売り飛ばすつもりだ……!

娘は絶望的な気持ちに襲われながらも、気丈に声を張り上げた。

「わたくしをここから出しなさい!
 わたくしはナオミ・エレオノール・エケム・ド・モンテーニュ!
 モンテーニュ家の娘よ!!」

娘の大声に傭兵たちは振り向いたが、何を言っているのかわからないと顔を見合わせる。

「おい、なんかこの娘が言ってるぞ?」

「ほんとだ。何か言っているようだがよく聞き取れないな」

「気にするな。どうせユグノーの娘の戯言だろうよ」

口々にそう言い合う。

「いい加減にしなさいっ!
 わたくしはカトリック貴族モンテーニュ家の娘、ナオミ・エレオノール!
 このままでは父上と兄のミシェル・エケム・ド・モンテーニュが黙っていませんわよ!!」

エレオノールは金切り声を上げて怒鳴るが、暖簾に腕押し、糠に釘。
太郎の認識阻害のせいで攫われてきたユグノーの娘としか思っていない兵士たちは何を言っても取り合わない。
では他の娘たちはというと、こちらもエレオノールを自分と同じユグノーだと思っているからそういう態度と受け答えしかしなかった。
牢内の他の娘たちとの押し問答の末、疲れ果てたエレオノールは床に座り込む。
丁寧に掃き清められている牢内ではあったが、気分的にちっとも快適とは思えなかった。

「……疲れた」

「大丈夫?」

そう一言呟いて壁にもたれかかる彼女に傍らの娘が心配そうに声を掛ける。
寄せられた好意に彼女は「気にしないで」とそれだけ言って目を瞑った。



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主イエスは「汝の隣人を愛せよ」と教えてくれた。
だが、ラヴィニアにとって安倍あべの太郎たろうはあやしい隣人である。
正体不明の東方から来た商人で、アンジェリカとかいう、異様に耳の長い金髪碧眼の女騎士を連れていた。
メイドとして働かせてもらっている主人のコリニー提督は、プレスタージョンの王国の貴族の姫で騎士だと説明してくれたが、あんな耳の長い人間がいるなどとは聞いたことが無い。
さらに言えば、この世のものとは思えないほど美しいのだ。
はっきりいって気味が悪いといった程度ではない。
ある種の不快ささえ感じるほどの美貌。
エルフだという説明も受けたが、おとぎ話に出てくるエルフはあんなのじゃない!
ラヴィニアのカンが告げている。あの二人は悪魔の使者だと。
だから朝帰りしてきた太郎への当たりがきつくなるのは仕方がない。

「……お早いお帰りですね。ゆうべはお楽しみでしたか?」

無表情に氷の微笑を浮かべて皮肉を贈りつける。

「あ、ああ。楽しんだといえば楽しんだかな。お楽しみはこれからだが」

……この悪党!

そう罵りたいのをぐっとこらえてラヴィニアが目だけ笑っていない微笑で応えた。

「ベットメイクは済んでおります。どうぞごゆっくりお休みくださいませ」

「そうさせてもらおう」

一礼をするラヴィニアの前を欠伸をかみ殺した太郎が通り過ぎていくのを彼女はじっと観察する。
この身体からあの動きが出てくるのかと。
三日後の夜までの辛抱だ。その時まで首を洗って待っているがいい。
歩き去る太郎の首筋を睨み、そう心中で言う。
ラヴィニアは三日後の夜という太郎の話を信じていた。
強いて言えば理由は無いが、あの剣捌きと危険な雰囲気が、嘘をつく必要性を感じさせなかった。
太郎に張り付いて彼女はその夜をじっと待った。


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その日の夜から二日間、夜になると俺は派閥関係なく貴族の屋敷に忍び込み、金を盗んで回った。
無論これはアリバイ作りにほかならない。
さらには盗んだ金をパリの庶民にばら撒くことによって義賊と印象付ける。
これで仕込みは充分済んだ。
当日朝にコリニー提督の副官も含めて細部の詰めを再度行う。

そうして決まったおおよその流れはこうだ。
まず最初に俺はユグノー派貴族の屋敷に忍び込んで金を盗む。
盗まれたことに気付いた貴族が騒ぎ出したところで、それを聞きつけた演習中のコリニー提督が部隊を率いて到着。
周囲を捜索した結果、俺がエティ・ゴーのアジトに潜入したのを発見して突入するのだが、そこで誘拐されたユグノーの娘達を発見して大騒ぎという流れになる。

当然の話として、それまでに忍び込んだユグノー派貴族とは事前に打ち合わせ済みな上に、盗む金貨も向こうが準備してあるという具合。
こうすることで「ユグノー派の陰謀ではありませんよー。ウチらも被害に遭いましたー(棒)」ということにしてしまう。
ってなわけで、俺はその日の夕暮れから何件かのショボい盗みをユグノー派貴族立ち合いの下、当人の邸宅で行った。
窃盗に入ったのにニコニコ顔で金貨を手渡される泥棒というのもそうそうは居ないだろう。
しまいにはご苦労様でございますとまで言われる始末。

で、窓の外に出ると「ドロボー!!」と叫んで俺に追手がかかるのだが、この追っても最初からやる気が無い。
ただ叫んで「あっちへ行ったぞー!」「こっちだー!!」と騒いで、さも大捕り物であるかのように演出する。
そんなわけでその日の夕方にはもう、パリの庶民の間では今夜の義賊様のご登場を待ちわびる空気が出来上がっていた。
何しろ空から金貨が降ってくるのだ。
美少女が降ってきてもいいのだろうが、落ちてきた美少女は喰わせていかなければいけないから、それならばまだ金貨の方がマシだという意見も多かった。
そして夜がやってくる。

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